偏る愛を均せと
あれは、フラれたんだろうか、そうじゃないんだろうか。
右頬を指先でなぞりながら、視線の先、教室の椅子に着いて何やら思案顔の田中宗二を見つめる。
聞き出したい。でも、聞くのは怖い。
でも、聞かなくちゃならない。彼女に会う唯一の手がかりは、アイツだけだ。
「おい、光。まーた足止まってんぞ。何が気になってんだ?」
「別に……」
「田中宗二ってやつ? まー、最近やたらと目立ってんもんな。何せ、あの三ツ瀬と……って、聞いてねえし。ぷっ、何だよ、恋煩いか?」
「ち、違うって」
どうやらよっぽど思い詰めた表情をしていたらしい。変な誤解をされてたまるかと、視線を振り払って何でもないと頭を振る。
それでも納得しないらしい友人は、俺の顔をのぞき込んで、ほっぺたを指さす。気持ちを切り替えたはずが、まだ無意識に触ったままだったようだ。
「それ……」
「な、なに?」
「ちゅーでもされたか?」
「……」
「ぶわっは!」
すっかり言葉を失ってしまったのを、こいつは図星ととらえたらしい。目と口をおおげさに開けて、手を叩きながら大声でバカ笑いを始めてしまった。
まるで賑やかなサルのおもちゃのようなそのリアクションに、恥ずかしさ通り越して腹立たしくなる。
多分顔も真っ赤になってるだろうけど、構わずそいつの顔面を叩いた。
「痛ァっ! なにすんだよ!」
「そんだけ笑われたら誰でもそうするっつーの! やめろ、周りが見てる!」
「ははーん、ほっぺちゅーか。おーい、九条光は、男にほっぺたを奪われ……」
「違うっての! 正真正銘ちゃんとした女の子だ!」
「……ほう」
ってうわああ! 何自ら暴露してんだ俺! 友人のしたり顔がうぜえ!
ああ、さらに衆目を集めてしまった。いたたまれなくなって宗二の居る教室からも背中を向ける。
俺は、ニヤニヤしている友人の手首を握りしめて速やかにその場を離れることにした。
本当は、あの言葉が聞けただけで、嬉しかった。
「どうして、こんなところにいるの?」
まさか、この学校でまた出会えるとは思わなかった俺は、彼女に会った瞬間、衝動的に腕を引っ張っていた。連れ込んだ教室で、見間違いじゃないかと再度確認。やっぱり、見れば見るほど俺がずっと恋いこがれていた彼女だ。
優しい匂い、小さな体、柔らかな髪の毛。
夢にまで見た彼女にこうして触れていることが信じられず、いつになく大胆に近づいてしまう。
「今日も会いに来たの?」
「会いにって、九条くんに?」
「なっ……」
んてこと言うんだろう、この子!
そんなこと聞けるわけないだろ! どんだけ自意識過剰だよ! いや、でも、もし肯定するようだったら、ためらいも恥も全部かなぐり捨てると思うけども!
思わず飛び出した煩悩を振り払いつつ、宗二に、と訂正すると、彼女は不思議そうに眉根を寄せた。
「俺だって、きみが会いに来てくれたら嬉しいけど……というか現に、こうして会えるとは思ってなかったから嬉しすぎるんだけど……」
煩悩抑えても本音は自由だった。あまりの動揺に言わなくて良いことまで言ってしまった。なんかもう、どうしていいか分からなくなってきた。嬉しさとか、恥ずかしさとかぐちゃぐちゃだ。
うう、情けない、もう胸が苦しくて目と喉が痛くなってきた。
ああ、もうなんとかしろ、俺。
気合いを入れてほっぺたを叩いたら、意外とすぐに心がスッキリした。
「俺は、きみの名前も、知らない。……だから、知りたいと思う。名前以外のことも、いっぱい」
言えた。そうだ、これでいい。
彼女は、目をぱちくりとさせて、ちょっとびっくりしたような顔。なにそれ、そんな顔もかわいい。
こんなのもう、引き返せるワケがない。一度会っただけなのにこれだけ想っていて、もう無かったことなんかにはできない。
振り向かせたい。
こんな彼女を、宗二になんか渡したくない。
そう、決意を新たにしてしまったときには、もう口走っていた。
宗二の性癖のこと……男が好きなこと、だから、きみにはなびかない、と。
卑怯だった、本当に。
宗二を諦めさせる方法として、宗二の性癖を持ち出すなんて。俺だけを好きになって欲しいなら、相応の努力をして振り向かせるのが一番だと分かっているのに。
彼女はおそらく初めて知ったであろう真実に、泣きそうになりながら否定を繰り返していた。それがまた胸をえぐる。
健気な彼女がかわいそうになる、そして自分のものにしていまいたくなる。そんな自分を、嫌だと分かっていてもどうしようもない。
「三ツ瀬も好きなんじゃないかな……宗二のこと」
そして、言ったんだ。俺の服に縋ってくる彼女に、決定的な一言を。
そのときの彼女の顔は、目の前にある俺の顔すら見えなくなったんじゃないかと思うくらいうつろに目を見開き、何かを告げたそうにしていた唇がかすかに震えて言葉を見失っていた。
絶望的な一言だったのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
そうだと分かったから、俺はもっと酷いことをした。
「俺じゃ、駄目かな。……俺に、しなよ」
彼女をこんな方法で手に入れようなんて、間違っている。でも、なりふり構っていられないくらいに、彼女を好きすぎている。
最低だ、それでも構わない。
彼女とはしばらく目が合っていた、けれどきっと見ていたのは俺じゃなかった。
「あたしは……」
迷いを捨てきれないみたいだった。揺れる瞳が現実を映し、違う男を映し、呆然と彷徨う。
そんな彼女はふっと視線を落とすと、次に顔を上げて、もう一度目を合わせた。
今度は、ちゃんと、俺を見てる。
別れを告げられる、と瞬間的にそう感じた。だって、彼女はか弱いようでいて、強い心根を持った人だ。前に一度会ったときだって、こんな目をして自分の目的に一直線に向かっていったのだ。
ここにきてようやく頭が冷えた。もう諦めてしまおうか、と一歩身を引いたときだった。
「……え?」
逆に一歩二歩と距離を詰めてきた彼女は、こともあろうに、何故か。
背伸びをして、俺の肩に優しく手を添え。
頬に、キスをした。
「……あ、ちょ、うあ、あの、ええと……ぎゃああああ!?」
何事かと脳が処理しきれず、理解した瞬間みっともなく奇声を上げて後退ってしまった。机や椅子が背中に容赦なくぶつかる。でも痛みよりも恥ずかしさだ。
「な、ななな、な……!」
なんか前もこんなことあったような気がする! ていうか確実にあった! それが奇しくも恋に発展してしまったんだった!
いやああ、なんでまた同じ展開になってんの? 彼女もにやにやと笑ってないで!
「へへ、かわいい」
やだもうきみのその行動がかわいいよ!?
いや、落ち着け俺! そういう場合ではないだろ!
ほっぺたを押さえてどうしてしまおうかと、あたふたする俺なんかを余所に、彼女はさっきまでの様子が信じられないくらい、余裕の態度。
なんか悔しい! 俺ばっかりこんな惚れてんの!
「だ、だからそういうの……」
「訂正だけ、させて」
「て、ていせい?」
「だから、あたしは宗二が好きじゃないってこと。何をどうして勘違いしたんだか知らないけど」
「宗二が、好きじゃない?」
うん、と彼女はスッキリした顔で頷く。
じゃ、じゃあ……さっきまで絶望していたのはどうしてだ? さっきの様子まで演技だったとは思えない。
彼女に聞いてもいいものか迷ったけど、今はそれより、安堵が勝った。
彼女が、宗二を好きじゃないという事実。
「というかそもそも、そういう対象じゃないからね」
強がりでもなさそうだ。辿り着いた結論に、うわうわああと得も言われぬ感情が胸の奥でほわほわ熱を持つ。
そう、そうか。そうだった、勘違いだったのか。
「そ、それじゃあ、俺と……」
「あ、そろそろヤバイかもな……。あ、九条くん、それじゃまたね!」
「え、待って!」
伸ばした手が虚しく宙をかいた。言葉通り風のように去っていってしまった。
……どっちだったんだろう。
彼女の唇が触れたほっぺたが熱い。それから、思わぬ言葉をもらった胸が熱い。手のひらはすっかり冷えていたから、本当は、彼女のぬくもりで暖めて欲しかった。
フラれたのか、そうじゃないのか。
「あ、また名前も、連絡先も聞けなかった! ……あれ、でも彼女はどうして俺の名前を……」
フラれていないんだったら、また聞けるときが来るだろう。
青い空、白い雲。
初夏の爽やかな風が、俺の頬を撫でる。気持ち良い。もっとモヤモヤするかと思ったけど、意外とスッキリしている。
「田中!」
放課後、教室の窓枠で物思いに耽っていると、今度は廊下側から気になる人物の名前が聞こえてきた。
あ、気になるってのは、彼女とつながりのある人間でって意味でね。その田中に彼女の連絡先を聞きたいんだけど、聞けたところでまだ彼女には真意を問えそうにない。
「宗二、きみには悪いと思ってるよ」
勘違いして敵意を向けていたこと、小さな声で謝罪しながら窓の外から視線を移す。案の定廊下に、宗二と三ツ瀬の姿があった。
放課後だから人の数は少ないけど、でも教室にも廊下にも人がいないわけじゃない。それでも構わず、三ツ瀬は宗二の手のひらを握っていた。
あー……前もちょっと噂されてたよなあ。三ツ瀬が宗二の手を引っ張って堂々と歩いていたこと。
それを聞いて、なおのこと俺は彼女の想いに胸を痛め、宗二にあらぬ怒りを覚えていたわけだけど。まあ今では申し訳なく、どっちかっていうと宗二に悪気がないのが分かるので、なま暖かく見守ってやりたいと思う。
「ちょっと、和磨! 邪魔すんな!」
「駄目だ、行かせるか! 目を離すとすぐこれだ……また演劇部に顔出そうとしてただろ?」
「だって、誘われたんだもの」
「だから俺が断っただろ。行くのはいいけど、今度、俺と一緒のときだ。何しでかすか分かったもんじゃねえし……」
「……ケチ」
「バカ、そんな目で見んな」
どうやら逃げようとしている宗二を、三ツ瀬が追いかけているようだけど……。
これ、堂々とこの廊下で繰り広げて良いものなのか、どうなのか。未だ手を握ったまま、三ツ瀬は空いている方の手で宗二の鼻をつまんでいる。完全にバカップルのじゃれあいだ。
俺が彼女に喜びの邂逅を果たしたその次の日から。変化があったのは俺だけじゃないらしく、彼らにも何かが起こったらしい。ああやってじゃれあっているのをよく見かけるようになった。
……今となっては良いけど、ちょっと前だったら俺のなけなしの堪忍袋が破裂していたと思う。場をわきまえろと。でも彼女が宗二を好きじゃないと分かってからは逆に助かるというか、なんというか、現金な俺なのだ。
「今日は俺といるって言っただろ」
「やだ見張り怖えー!」
一見乱暴なようで、その実愛おしそうに頭を撫でているのを、宗二は分かっているんだろうか。こんだけあからさまに愛情表現されていて気付かないはずがない。学校内も実はこっそりこの噂でもちきりだ。
さりげなくスキンシップを試みる三ツ瀬。分かっているのかいないのか、されるがままの宗二。そんな二人のもとに柳井がやってきて嬉しそうに輪を作る。
あーなんていうかこう、幸せな風景だなあ。
……つーかこんなんどうでもいいから、早く彼女といちゃつきたいと思ったある日のことでした。
途中勘違いに真面目すぎたのでこれイカンと思ったラストの落差。