そして彼は禁欲しない
布団の中に引きこもってしまった和磨を置いて、誰もいない夜の廊下をフラフラと歩きながら、あたしは胸に一つの結論を抱いていた。脳裏に浮かぶのは、和磨が最後に見せたあの表情だ。
最悪と言った、和磨。
あの現実のような夢妄想と照らし合わせるならば、その最悪には意味がある。導き出されるのはあの言葉でしかない。
「和磨は、好きなんだ……」
緩やかに弧を描いた唇。
あのとき和磨は、切なく笑ったのだ。決して悲しみじゃない、何かがふっきれたみたいに、諦めたみたいに。
和磨らしくない。というよりも、怒っている顔ばかりを見てきたのだから、そんな風に笑うだなんて思わなかった。
……あたしのことが、好きなんだ。
「うわっと」
あまりの恥ずかしさに俯いて早歩きし始めた瞬間、曲がり角で人にぶつかってしまった。とりあえず、何事も無かったかのようにサッと体を滑らせ脇を通り過ぎようとしたが、失敗に終わった。
なんか手首が捕まっていると思って、伺うように顔を上げると、驚いた表情と目があった。
って、九条くんのこと忘れてたよ!
「あ、ごめんじっくり話し合うんだったよねこれはその逃げようとしているわけじゃなくてそれがあの」
「こっち」
咄嗟に、説教される!と思って敵前逃走前の言い訳を繰り広げてみたのだけど、九条くんは聞こえていないのか聞く気が無いのか、あたしをすぐそこの教室へと引っ張り込んだ。
こ、腰を据えての説教?
和磨を保健室に運ぶのを手伝ってもらうとき、静かに不機嫌を称えていたあの九条くんだ。さらに保険医まで探しに行かせて腹に据えかねているに違いないあの九条くんだ。
嫌われている理由が定かじゃないにしろ、土下座して謝るのが最善な気がする!
「ごめ……あぐっ!?」
深く顔を落とす途中で、むしろ無理矢理顔を上げられた。んなさい、と続くはずだった言葉を噛んでしまって、ついでに首も痛い。
九条くんは片手であたしの顎を掴み、もう片方の手で、電気をつけた。
明るくなった視界で見えた、九条くんの表情は何故か苦い。
「くじょ……」
長い髪の毛がふわりと肩に落ちてくる。頬を通り過ぎて、あたしの後頭部へと回った両手がそれを優しく撫でている。
あれ、そういえば、今、あたし、女だった。
「どうして、こんなところにいるの? またこんな格好して」
どうしてこういうときに会うんだって、本当に……! 毎度学ラン着ているとか、どんな趣味だよ。
目線を逸らしたら、聞いているのと言わんばかりにちょいと後ろ髪を引っ張られた。
「今日も、会いに来たの?」
「……会いにって、九条くんに?」
「なっ」
ぼふんと自らの顔をおさえるそこの乙女。いやだからなにその可愛い反応は! 違う違う、とくぐもった声で必死に否定しているのがまたね、可愛いわけなんですが。
「あのね! 俺じゃなくて、宗二に!」
「ええ? 宗二に? どうやって……」
「俺だって、きみが会いに来てくれたら嬉しいけど……というか現に、こうして会えるとは思ってなかったから嬉しすぎるんだけど……」
泣きそうだよ、九条くん……!
ここまで乙女モードが似合う金髪チャラ系男子もおるまい。
じっくり目の保養にさせて頂いていると、持ち直した九条くんと目があった。ほっぺたをぱしりと叩いて、さっきのがウソみたいな真剣な顔。
「俺は、きみの名前も、知らない。……だから、知りたいと思う。名前以外のことも、いっぱい」
はあ、と一つため息をついてしばらく、強く引き結ばれた唇を開く。
「その前に、言わせて」
「どうしたの?」
「宗二は、やめた方が良い」
……は?
ちょっと待て、意味が分からない。やめるって何を? 宗二のフリだってんなら無理なんだけど、というか、複雑でねそこはね、気持ち的にも物理的にも。
脳みそフル回転だけど、口は開いたままふさがらず。
それをショックだと思われたのか、九条くんは、ごめんねと申し訳なさそうに謝る始末。意味不明。
「こういうことを言っては卑怯だと思うんだけど、宗二、アイツ、その、興味がないんだ」
「え、な、なに、に?」
理解できずどもったのがまた動揺と取られたらしい。九条くん、さらに言いにくそうに続ける。
「きみ、に。ハッキリ言っちゃうと、男にしか興味がないみたいなんだ、よ」
「……」
当たってますが何か?
みたいな顔を冷静にしたはずなんだが、これはまた絶望の無表情と思われたに違いない。なんか優しく肩を抱かれた。
「きみにはなびかないんだ」
そんで耳元で苦しげに囁かれた。
おい、なんのフォローだよ。つーかむしろサービス?
何を勘違いされているのか知らないけど……これ、ちょっと、こっちの状況に謝罪を求めたい。そうシリアスなシーンを演出されてもさ、こちとら萌えさせていただくしかないわけよ? 悪いけど、イケメンなら誰相手でもこうなる女ですよあたしは。
「ごめん、やっぱり卑怯だよね。本当なら、きみが本人の口から聞かなきゃいけないことかもしれない。けど、何も知らずに裏切られるきみを思うと、我慢できない」
あたしも我慢できないわコレ。
兄ちゃんホモ認定な上、そんな宗二をあたしが好きだという完全な勘違い発言。笑うどころか切なすぎて涙が出そうだ。
しばらくそのままでいたけど、段々申し訳なくなってきて、あたしは九条くんの胸をやんわり押しやった。
「……違うよ。そうじゃないって」
「本当だよ、俺を信じて」
「信じるもなにも……」
「だって、あの三ツ瀬ですら熱くさせるような男だよ」
「えっ、和磨!?」
思わぬところで出てきた名前に過剰反応してしまった。さっきのを思い出してまた顔が赤くなりかけるのを、そこにあった服をぎゅっと握りしめて我慢した。
「え、し、知ってるの?」
「あ、えーと、宗二づてに……うん」
「そっか、じゃあ、言っちゃってもいっか。たぶんだけど、三ツ瀬も好きなんじゃないかな……宗二のこと」
ぽてんと投げかけられた言葉は、あたしの頭と鼻先と肩をこんこんと落ちて、地面にべしゃりと着地した。
……んんん?
その言葉を拾う間もなく、自分の脳内をよぎったあの「好き」の二文字が、耳から飛び出して同じく着地。
あ、好きって、そっち?
「そっか、和磨が好きなのは、宗二か……」
そうだ、あくまであたしは「宗二」なんだ。
「あたし」が好きなわけじゃないんだ。
勘違いしているのは九条くんばっかりじゃなかったのか。なんか、熱が抜けてスッキリした。ついでに違う何かまでごっそり抜け落ちて、脱力する。それを腕で支えてくれた九条くんが、ごめんと呟いた。
「俺じゃ、駄目かな」
俺にしなよ、と言う九条くんの顔が、違う顔とダブる。あたしを見て、関係ない女だと言ったあの和磨。
……なんで、前よりもっとショック受けてんだろ。
「あたしは……」
どうするつもりだった?
きっと、このままじゃ、駄目だ。
禁欲しない彼↓
(やべ、なんでこんなにかわいいんだよ! 上目使い禁止! だいたいあのね、男物の服着てるのが庇護欲そそるの! つーか違う欲もそそってんの! もーやだー!)