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禁欲生活の被害者




 ――気付いたときには、椿本から引き離すようにアイツの手を取っていた。


 イライラしていた。

 いつもひょうひょうとしているアイツが顔を真っ赤にさせていることも、その原因が椿本にあるっていうことも。

 コイツが、何も知らないことも。


 どうして、俺だけがこんな思いをしなくちゃならない?

 胸の内が苦しく、熱い。まるで自分が自分じゃないような、他の誰かが勝手に俺の思考を体を乗っ取っているかのようだ。

 きっといつもの自分だったら抱かないだろう感情。それをどうして当然のように抱えているのか、それすら自分で自分が理解できなかった。


 

「和磨」



 名前を呼ばれて、現実が戻ってくる。一瞬で冷静を取り戻した俺は、自分の手の先に何が繋がっているのかに気付いた。

 手……普段からスポーツもしないらしい、骨張ってはいるが男にしては華奢な、田中の手のひらだ。



「そろそろ離して。一人で歩ける」



 その手が力を取り戻して引っ張ってきたのに焦って肩が震えた。俺は何を考えていたのか。

 最初に手を繋いだのは、忠告も無視してあの椿本に近づいたバカなアイツを引っ張り出すためだろ? それだけのはず、もちろんずっと繋いでいるつもりはない。

 そう自分を安心させて、手を離す。

 それでも田中の顔が見られない。



「和磨、あー、迷惑かけてごめん」



 言いにくそうに田中が謝る。



「最近ずっと、イライラしてるでしょう。別に迷惑かけるつもりはないんだけど、いろいろと和磨が不快に思ってるのも事実だし、だから、ごめん」



 どうして、おまえがそれを言うのか。どうして、オレに謝るのか。

 確かに不快だ。田中の節操のない行動は、同じ男として理解できないし、それが目障りだというのも本音だ。

 だが、田中の口からそれを指摘されると、何故だか無性に腹が立った。



「俺の気も知らないで……」



 口から勝手に漏れた言葉は、自分でも思ってもみないものだった。

 おかしい。これを言うのは、おかしい。俺は別に、理解しあいたいわけじゃない。

 目の前の田中も、眉間に小さくシワを寄せ、信じられないといったばかりに俺を見ている。


 ……これ以上は、ダメだ。



「もう、俺に構わないでくれ」



 逃げるように口にしていた。

 足を踏み出すわけにはいかない。理解されるわけには、いかない。


 ――認めたくなかった。

 この、胸の痛みを。





 土日を経て、俺はいつも通り一馬と共に登校した。

 正直、あの直後は納得行かないことばかりでどうしようもできず、ひたすら自分の殻に閉じこもっていたわけだが、休日一人で息抜きできたのがよかったのだろうか。よくよく考えてみれば、あのときのできごとなどほんの些細なことで、俺が思い悩むことなど無かったはずだと落ち着くことができた。

 しかし、俺はともかく問題は田中だろう。下手なケンカ別れみたいになってしまっているのを、どう思っているのか。

 いつものように席について考えていると、教室に飛び込んでくる足音がした。



「うー、ちょっと聞いてよ!」



 眉間にシワを寄せて何か堪えているらしい田中だ。

 ここまで走ってきたのか髪が乱れて、顔は汗ばんでいる。それを直そうともせずにこちらにずかずかと向かってくるのを途中まで見て、近づいた瞬間俺は顔を背けた。


 ……んだよ、いつも通りじゃねえか。どこそこの男がやばいどうしようと俺に報告してくるときと違わない、一方的な声のかけ方だ。

 考えて損したと思いながら、呆れつつもう一度顔を上げる。


 ――が。



「柳井!」



 名前を呼ばれたのは、俺じゃない。俺の脇を見事に素通りして、田中は俺の斜め後ろ、一馬の元へと一直線に向かっていった。

 俺に、声を掛けなかった。

 すり抜けた風だけが、そこに残った俺の頬を撫でる。思わず振り返りそうになったのを、すんでのところでグッと堪えた。



「はよー、そーじ。朝っぱらからどうしたんだよ」

「どうしたもこうしたも……あのこと、やっぱ無謀だったよ! 十夜さんなんかこっちのことなんかお構いなしに、死ぬ気で追いかけてくるしー!」

「あ、昨日の約束のこと? ちゃんと守ってんのか、えらい」

「ううう、柳井、もっと誉めて」



 はあ……?

 つーか何の話だ。俺にはさっぱりだが、一馬には理解できているらしい。涙声になっている田中をたしなめているのか、笑い混じりに声をかけている。


 ……昨日の約束って、なんだ。

 昨日は日曜日だったじゃねえかよ。一体どこでどうやって取り付けたというんだ。俺は一馬が寝ている時に外に出て、帰ってきたときにも一馬は同じくベッドの中だったから特に外出していないんだと思っていたが。



「そーじ、いいじゃん。今日はおれが一緒にいてやるからさ。な?」

「……うん、今日の柳井すごく頼りになる」

「今日のそーじは、随分弱気だなー。もう、疲れた?」

「精神的にね、いろんな意味でね、グッタリしそう」

「あはは、がんばれ」



 わしゃわしゃと髪をかき混ぜるような音が聞こえる。うー、とか身を任せるように唸る田中の声も。

 俺はすっかり後ろを振り向くタイミングを失ってしまい、動けずにいた。いつもだったら三人顔をつきあわせれば自然と他愛ない話をしていたはずなのに。

 今、このとき、当然のように俺が入っていない。聞き耳だけ立てる俺の背後で、完結している二人の世界。


 ……確かに、構うなと言ったのは俺だが。

 田中は本気で俺を避けるつもりか!?


 むかつく。

 なんか、すげえ、腹立つ!


 二人の楽しそうな笑い声や囁き声が聞こえるのが、煩わしくてしょうがなかった。



 それから授業が始まっても、二人だけの会話は続いていた。俺が誘われることもなく、俺から声をかけることもなく、ただ嫌でも耳を傾けてしまうばかりで。

 漢文だとか、数式だとか、まったく頭に入らない。入ってくるのは、チーズケーキがどうのこうのとか、また遊びたいねとか、やっぱりおもしろいことになったねとか、黙って! しーしー! とか。

 そんで極めつけが。



「あのさ、やな……かずま」

「あはは、そうじどもってんなー」

「どうしてもこれ呼ぶ? いま?」

「もちろん。そーじの方が照れるって珍しいよな」

「いやー照れるとかそんなんじゃなくてね! だってほら……やな、ええと、かずま」

「うん、そおじ」



 なにいちゃついてんだこいつら……!


 机に突っ伏したい気分になりながら、眉間に手を当てる。完全に二人だけの世界だ。あいつ、俺にはしおらしく謝ってきたくせに、一馬にはそうなのか。

 気がつけば、田中は今日、一馬とばかり一緒にいた。昼休みも、ふらふらと教室を出ていかないし、訪ねてきた男も一馬づてで顔をあわせるのを断っていた。


 確かに俺に謝ったのは、男と関っていたことを反省してのことだったのか? だからって、俺をも避けるのか?

 理解できない。一馬に聞くチャンスはなかったし、聞けても俺はきっとそうしなかった。


 結局一日一馬とも田中とも話をしないまま、一人帰路についた。寮ではなく、実家に。寮生活をしているとはいえ、俺の実家はそれほど離れていない。拓磨の学校に近いところにある。



「あら、どうしたの。帰ってくるなんて、珍しいわね」

「夕飯は?」

「あるわよ、もしかしてママの手料理目当て? 素直にそう言えばいいのにい」



 とびらを開けるなり、スーツにエプロン姿というミスマッチすぎる出で立ちの母さんに迎え入れられた。常にショートカットでバリバリ働くキャリアウーマンな母さんは、良くできた主婦でもある。今も仕事から帰るなりすぐに夕ご飯の準備に取りかかっていたのだろう。



「拓磨も帰っているわよ。そういえば、この間会ったっていっていたけど、外でも二人仲良しなのねえ」

「まさか。偶然。共通の知り合いがいるだけだって」

「あら、そうなの。良かったら今度連れていらっしゃいな」



 七海にしたって、田中にしたって、それは嫌だ。お友達にも良い母として振る舞うわよー、と意気込む母さんの脇を通り抜け、リビングに入る。そこには小さめの本を片手にガラスコップで茶を飲む制服姿のタクが確かにいた。



「おかえり」



 本から目を離さないまま言われる。俺も、おうとだけ返事をして冷蔵庫から麦茶を取り出した。いつもは学校からすぐの寮だったせいか、今日は久しぶりに家まで歩いて疲れすぎた。電車に乗ればすぐだが、いろいろと考え込んでいたので乗るタイミングを逃してしまった。



「寂しくて一人で帰って来たんだ?」

「ぶはっ!?」



 盛大に麦茶吹き飛んだ。情けなくむせながら、アッサリと言い放ったタクをギッと睨む。ようやくタクは本から目を離すと、図星だと言いたげにゆっくり瞬いた。



「タク、おまえ何を知ってる」

「さあ?」



 相変わらず理解できない弟だ。こてんと首を傾げるのは、ウソでもしらばっくれているわけでもなく、本気で言っているらしい。頭いいくせにカンで生きるな、まじで。

 質問を変える。



「おまえ、昨日誰かと会わなかったか?」

「うん。七海に誘われて、チーズケーキ食べにいったけど」

「七海? そいつだけか」

「一馬と、あの変なやつ」

「……田中か!」



 やっぱり俺の知らない間に昨日会ってたんだ、あいつら。

 麦茶を一気飲みし喉を潤してから、俺はソファに腰掛けるタクに勢いよく詰め寄る。タクは、怪訝に眉根をひそめて、隠れるように開いた本を顔の前に覆っている。



「何の話をしてた? 約束ってなんだ」

「兄貴、気になるの?」



 気にしてねえよ!と、言うにはあまりにも必死だったことに気付いて、ついつい顔が強ばる。そうだ、そうだな、俺が気にすることじゃねえんだよ。いくら今日田中が一言も絡んでこなかったからって、俺と目すら合わせなかったからって、一馬には何故か頼りっぱなしだったからって……!


 ……つーか、あいつ。

 構うなって言って、本当に無視することないだろ。



「兄貴」

「はあっ!?」



 声が掛けられて、思わず変な方向に思考が逸れていたことに気付く。あり得ない意味が分からない田中嫌い、と呪いのように言い聞かせ、なんとか自分を落ち着かせようとする。

 そんな俺を、タクは本の上から目だけのぞかせながら見てきた。

 バカッ、こっち見んな!

 やけに恥ずかしくなって、脱力しつつソファに倒れ込む。こんな情けねえ自分が気持ち悪くて、反吐が出そうだ。



「兄貴、好きなの?」

「……は?」



 隣からぼそっと聞こえるタクの声。何のことか分からなくて、力を抜いたまま呆然と聞き返した。



「宗二のこと、好きなの?」

「好き……って、どういう意味だ」

「だから、キスしたいかってこと」



 キス……俺が、あいつと、キス?



「って、したいわけねーだろ! 俺も、あいつも男! 何をどう間違ってもするかバカ!」

「男同士じゃしないの?」

「……おまえ、したいと思うか?」

「したけど」



 ふーん、と何の感慨もなさそうに呟くタクを信じられない思いで見つめる。

 え、いま、なんて? した、とか言わなかったよな……。いくら常識に疎いからって、こいつ、恋愛観までおかしな方向にねじ曲がってねえだろうな……!

 ダメだ、分かっていない、男はすべからく女を好きになるもんだ。キスも、抱擁も、全部女相手にするもんで、何をどうしたって男相手には……しない。



「あれは何かの間違いだ……」



 数十日前の、自分の失態が思い出されて、ますますやるせない気持ちになった。


 つか、だいたいおまえは突然何を言い出すんだと、横目でタクを見たら、すでに本に視線を落としていた。

 すげえマイペース。

 こいつみたいに、何にも囚われることなく生きることができたら、どんなに楽だろうか。そんなことを考える時点で、俺って随分と優柔不断だと情けなくなった。

うだうだ和磨くんのやたらかきにくいこと。難しくて一ヶ月悩んでいましたすみません、で、これか……。



入れたかったネタ↓


「兄貴、宗二のことたぶらかしちゃダメだよ(って、宗二が言ってた)」

「誰が、たぶらか……!(されてるのは俺だろう!)」


かみあわない。

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