彼と彼の妹の事情
ぽいっと放り投げられて、あたしは顔からずささーっと地面に舞い降りることになった。
舞い降りるっていうかもうね、火が起きなかったのが不思議なくらいド派手な着地方法でしたとも。
外面は兄ちゃんだからどう傷付こうが構わないけど、内面あたし乙女だからね、ずさんな扱いは精神的にダメージを負うからやめて。次はぜひ丁寧に頼む。
とかなんとか、そんなことを思いながら、あたしを放ってくれたその人物をぬらりと見上げる。
あたしの言いたいことなど微塵も伝わっていない様子で、それどころか、地面に頬をすりつけお尻だけを浮かせる尺取り虫のような格好のあたしを呆れたように見ている。
「……てめえに笑いは期待していないと言わなかったか」
べべべつに笑わせたいわけじゃないんだけど! つか、兄ちゃんの笑いが過去にどれだけ過小評価されてるか考えただけで逆に泣ける!
その呆れた男は、もともと厳しくつり上がる目元を更にキッと上げてハッと小さく息を吐き捨てた。
十夜さん。
言うこと意外とおちゃめだけれど、その顔面装備はいつまで経っても慣れない。怖い。
そして今、あたしはどこにいるのかというと。
それはもう、あたしが聞きたいくらい、あたしでさえ見当も付かない廃墟である。
……ええ、なにこれ、ガチで拉致?
遡ること数十分前、椿本先輩と対峙し、かつ誘惑に負けそうになっていたあたしは、突然現れたマオトコ……ゴホン、破壊王たる十夜さんによって理性を取り戻した。
そこまでは良かった。しかしそこから彼の独断場だ。
いきなりぽいっとあたしを肩に担いだかと思うと、椿本先輩に何の説明もなくのたすたと歩き始めてしまったのであーる。
強引!
あの金髪のデスティニーさんも見てるなんて偶然! ポカン顔! あたしのこと覚えてないというか、知らないだろうからさぞや変な男と思われただろうよ! 残念!
「残念なお姿っすね……」
うううとうなり声を上げるあたしの耳に、同じ感情を抱いたであろう誰かの声がふらりと降ってきた。
え、誰?
十夜さんにしては高めのその声を辿って顔を上げると、そこには一人どころか数十人のそれぞれ個性的な顔面装備者たちがいました。
「宗二さん、見ない間にすっかり威厳を無くされて……!」
「優雅な佇まいで、高潔に振る舞う様はオウオウ……!」
「おれらに有無を言わさない上品な冷笑はどこにーっ!」
ウオオとか、ウエエンとか、ギャアアとか、悲鳴と雄叫びの大合唱がほの暗い廃墟無いにこだましている。
その不協和音たるや……いえ、そうでなくても、あたしは耳を塞ぎたかったに違いない。
威厳だの、優雅だの、高潔だの、上品だの?
およそあたしには似つかわしくないワードが並んでいた。いくらか譲って兄ちゃんに対するイメージだとしても180度違うと断言できる。
「あ、あの……」
人違いです、というあたしの言葉は、必死で拾おうとする強面たちにビビって喉の奥に帰っていった。
ぎゃあああ。叫びたいのはあたしで間違いない!
この平凡なあたしが人生をどう間違っても知り合うはずのない非凡に凶悪な人たちが、なぜに、こうして、ここに集結、なおかつ囲んで泣きわめく必要が。
……新手のイジメ? 生贄の儀式とか。
「てめえの消息を知りてえってうるせーんだよ」
「て、てめえって、誰が、誰の?」
「ああ? 聞いてんのか? こいつら宗二のモンだろうが、てめえが管理しとけ!」
「ひいいいっ」
ようやく尻を落とすに至ったあたしだが、地面から引き剥がした顔は今や何も見まいと両手に遮られている。正座して視界を遮断しつつ、微かに理解できそうな状況を把握してみる。
てめえ=宗二=この場合あたしでなく兄ちゃん。
宗二のモン=兄ちゃんのモン。
「違います!」
解けちゃった方程式を思わず否定しようとしたあたしに代わり、別の男の声が高らかに宣言してくれた。
あ、なんだ、やっぱり違うんだ。
良かったあ、この怖い人たちがみんな兄ちゃんのシモベとかだったらほんと、どうしようかと思った。
「おれたちが勝手に宗二さんを慕っているだけです! 宗二さんは孤高の美しき狼です、おれたちはさしずめそのおフンに群がるハエのようなもの……!」
ほんと、どうして、くれようか。
クレイジーな思想もさることながら、その乏しい言語能力。
おフンって。排泄物に尊称をつける人、初めて見た。
……つーかそれ、より悪い関係性だよ、うわああ!
「そうですよね、宗二さん! 宗二さんは、おれたちを惹きつけてやまない。その強さ賢さ美しさ何をとってもおれらの憧れだ!」
「姿をくらませても、こうしておれらの前に現れた! 今に凛としたその輝けるお姿を見せてくれるはずです!」
「そうですよね、宗二さん!」
どんだけまつりあげられてんの! あたしは至って普通の変態の乙女なだけだって言ってるでしょうよ!
両手の下からそろりと目を覗かせてみる。きらきら、ではなくぎらぎらと獲物を追いつめるような血眼で凝視してくるそれと目が合う。耳と鼻には遠慮なく穴が開いていて、べろべろとうごめく舌には釘まで刺さっちゃってて。
なんだこれこえええ。
男たちに囲まれながら、神のように慕われるというシチュエーションは、この場合乙女の萌えを発動させることは無かった。
無かった。
つーか、無かったことにしてほしいんですけど。
「妹の目は、節穴だったよ……」
こっそりと独り言を呟いて、あたしはのそりと立ち上がる。
このままじゃイカン。
わけもわからずまつりあげられあがめられ、何だこいつ全然駄目じゃねえかよ、何でおれらはこんなヤツを慕ってたんだよ的逆ギレをされ。
行く果ては、あたしの亡骸である。
泣き声の大合唱から、獲物を狙いすます息づかいへと変わり始め、あたしは冷や汗をかきながら決意した。
ちらりと十夜さんに視線をぶん投げても、我関せずスタイルには何の期待もできそうにない。
ここは、あたしが、あたしこそが。
宗二の妹として……宗二として!
一見獣の群に投げ込まれた子ウサギ。気分は、群がるハエたちにごちそうを一発お見舞いしてやるつもりで。
「――悪いけど、俺、お前らのことなんて知らないよ」
ニヒル、違う、冷笑だったか!
「知る気もないから、今後一切、近寄るな」
ほんと、お願いですから関わらないでくださいすみません。