安心と不安の襲来で終結
男らに絡まれた分、ロスを埋めようとあたしは必死で校内を駆け回っていた。一度はナカムラと直面したってのに、すぐに見失ってしまうなんてあたしとしたことが。
またすぐに見つけなきゃ、ナカムラに外に出られてしまっては到底追いつけない。
――どころか、あたしが捕縛される。
「な、んで、あたしが捕縛ー!?」
と、自分に自分でツッコみたくなるのも無理はない。だって、こうなるとは予想だにしなかったのだ。
後ろから聞こえてくる足音から逃れようと、何度耳を塞ごうと思ったことか。これは対ナカムラ用の走りではない。これはナカムラではなく、何故かあたしを追いかけてくる生徒によるものなのである。
「女がいるぞ!」
「ナカムラの女だってよ、そこそこいける!」
「女、女、酒池肉林!」
「男の娘ハアハア!」
いろいろと勘弁して頂きたい。
男に死ぬほど追いかけられるってなにそれいい女ゆえの激ウマシチュ? けど、ときめかないのは何故だろう。この間違ったテンション、まったくもってときめかない。
……今度落ち着いたときに、もっと香り立つような男メンツでよろしくお願いしたい。
とか、余裕かましてる暇だって、ないんだけども!
あたしだって今、目標を追いかけてるんだから、何であれここで捕まってはいけない。けれど願い虚しく、逃げ道の向こう、正面の角からまた別の男共が突如として姿を現した。
このままじゃ挟み打ちだ。
もう駄目だ……と、絶望を覚悟した瞬間。
「うわああ!?」
「ナカムラが出たぞ!」
「逃げろ、ヒーッ!」
目があったはずの男たちが次々に蜘蛛の子を散らすように逃げていく。あたしを追いかけてきていたと思われる足音も一度にピタリと止んだ。
「なかむ――」
やっと見つけた目標に、声を掛けようとしたとき。
「お前、いい加減観念しろ!」
「かっ……!」
また別の声が、ナカムラの後ろから飛んできた。あたしは咄嗟に口元を押さえ、目を瞠る。
息を乱してほんのり汗ばむその色気の集大成のような、つまりその、和磨がそこに……あ、動悸息切れが。
「田中をどこへやった? あいつをどうする気だよ」
「しつけえ! ガタガタうっせえんだよ、殺すぞ!」
「ああ? やれるもんならやってみろよ」
「チッ、弱えくせにいきがってんじゃねえよクソが」
や……やり合ってる場合じゃないよ、二人とも、ねえええ!
和磨もなんでそんなにキレてんの? 二人がケンカする必要はどこにもないはずでしょう?
この一触即発の空気をどうにかしようと、あたしはなんとか口を開いた。
「待って! 宗二のことなら、あたしが……」
二人の視線がこちらを向く。
「あたしが……」
しかし、二の句が継げない。
それは、口にするべき言葉が見つからなかったからじゃない。その、目が、あたしの口を閉ざさせた。
「なんだよ、おまえ。関係のない女はすっこんでろ!」
邪魔なものを見るような、和磨の冷たい視線があたしを突き刺す。思わぬ一言に、口をマヌケに開いたまま固まる。
――関係のない、女だって。
「ちょ、待って! あたしは、本当は」
「田中宗二です」? ……駄目だ、そんなこと言えないの、気付いてしまった。
だって、あたしは、田中宗二じゃない。あたしは、田中宗二の双子の妹で、本当ならここに通っていない生徒で。
それは分かっていたのに、和磨には関係ないとどこかで思っていたのかも。
でも、和磨にとって、やっぱりあたしは赤の他人だ。
「おまえ――」
うお、だめだ、心が折れる!
あたしは、和磨の目も言葉も振り切って、じっとこちらをみていたナカムラの手を取った。そのまま、引っ張り、振り返らないように全力疾走でその場から逃げた。
辿り着いた先、体育館倉庫は、人目に付かないようにという必死ながらも配慮した場所を選んだ。
ナカムラの手を持ったまま、荒く息を吐く。全力疾走に付き合わせたナカムラは、一つも息を乱しておらず、ただそこに突っ立っていた。
う、まさか怒ってる?
今更しでかしたことを思い出して、顔が上げられない。息を整えるフリをして、俯いたまま視線を彷徨わせるあたし。
「てめえ……宗二の妹か?」
空気を切るほど素早く上げた顔は、ばっちりナカムラと鉢合わせしていた。なんで知っているの、と聞くより前に、顎を取られガッと上げられる。
「宗二に似てる。話には聞いていたが、本当にいたのか」
「あ、あたしのこと?」
「ふーん、宗二の方がかわいいな」
失礼な! 女であるあたしより、男の兄ちゃんの方がかわいいですって!
……そういうもんかなあ、そういうもんか? ナカムラに言われるとは思いもしなかったけどもね!
じゃなくて。
「宗二がどこにいるのか知ってんのか?」
あんたも何でもないように進めないで!
あたしは、ナカムラから手を離すと、一歩二歩と後退って、息を付いた。まずは落ち着いて、と。
……あたし、ちゃんと宗二の妹に見える?
「ねえ、宗二ってここにいるの?」
「おれがてめえに聞いてんだよ。はっきりしなきゃ、時間の無駄だ」
ナカムラは、宗二も、宗二の妹もちゃんと認識してる。死んでいる事実も知らないみたいだ。
あたしがあたしに戻っているんだから、宗二の存在もなくなって「死体」という認識に戻っていてもいいはずなのに、ナカムラは単純に知らないだけ? それとも、死体ではなく、さっきまで「あたしだった宗二」が動いていたことを記憶している?
どちらにしても、宗二の行方が分からない。
らちがあかないと思ったのか、振り返り出ていこうとするナカムラを見つけてあたしはその腕を取った。
「ナカムラさん、宗二を見つけて」
「てめえも居場所をしらねえんじゃ用はない」
「宗二が、兄ちゃんが、どうなってんだか分からない!」
「さっきまでここにいただろうが、そんなに遠くには行っていないはずだろ」
「本当に? いなくなったりしてないよね……誰も知らないところに、あたしのせいで……! あれ、だってあたし、どうして兄ちゃんに? あたしのせいで、兄ちゃんがいなくなったのかもしれない!」
「おい、落ち着け! てめえ、アイツの妹なんだろうがよ? アイツがどんだけ生意気で、どんだけしぶといかくらい、知ってんだろうが」
取り乱しかけるあたしの両手を、今度はナカムラが力一杯掴んだ。その力はおよそ女子に向けるものとは思えないほどに強く、あたしは顔を歪ませる。
でも、その口調は、どこか信じられるもので。ただの、ケンカ相手とは思えないような、ナカムラの兄ちゃんに対する信頼のようなものが伺えた。
「アイツは、このおれを一度は倒した男だぜ。ひょろいくせに身のこなしは人間とは思えないほどに素早く、隙がない。その強さをおれは認めているんだ。いつかあの余裕ごとぶちのめしてやる」
「……ナカムラさん、よっぽど兄ちゃんが好きなんですね」
言っていることはぶっそうだけれど、その挑戦的な目つきと晴れ晴れしい口元からそう見てとれた。
なんだ、あまり怖い人じゃないじゃん……。
呆けた状態でじっとナカムラを見つめていると、ふと視線が合って無感動に言い放たれた。
「十夜だ」
「とおや?」
「宗二はおれをそう呼ぶ」
そう言って頭を強くなでつけられた。痛い痛い。
でも、十夜って……そう呼べってことかな。怖い人っていうか、完全に優しい人みたいだ。表情はやっぱりずっと変わらないし、一見怒ってるみたいだけど、あたしを慰めてくれようとしているのが分かった。
「てめえも、宗二みたいに生意気に笑っとけ。あんまりむかつくとぶっ飛ばすかもしんねーけど」
「お、お手柔らかに」
はははっつって、苦笑いになってしまったけど、ナカムラ……もとい十夜さんは拳を振り上げることなく体育館倉庫から出ていってしまった。
しばらくその背中を見つめ続ける。
本当に、宗二を見つけてくれるだろうか。あの十夜さんだったら、兄ちゃんのことを任せられそうで、少しだけ安心した。
不安なのは、曖昧で、不確定な、あたしの体。
あたしは、本当にどうなっているの? せっかく、柳井くんにも、和磨にも、いろんな人と出会えたのに、それはすべて無くなってしまうの?
「だれも、あたしを知らないから……」
和磨の、あの冷たい目が、心臓を痛くさせる。
うめきながらしゃがみこんで、そのうち瞼を閉じた。
――あたしじゃなくてもいいから、もう一度……。
願ったか願わなかったか、分からないうちに、あたしは意識を失った。