ちょっと他校まで・後編
「何もされてないっすよね?」
焦ったように、でも切なそうに聞かれて、あたしは答えることができなかった。
「……」
「せんぱい……?」
俯くあたしの顔を心配そうに後ろからのぞき込んでるのは、コタロー。コタローは、未だ抱きしめる手を緩めないで、ただ大事なものを取られまいとするような強引さと優しさであたしを拘束している。
どうしてここに?
なぜ急にこの体勢?
聞きたいことはたくさんあれど、やっぱり言葉が出ない。……なんでかって、そりゃ。
――苦しすぎて息ができないからだよ!
コタローの馬鹿力! あたしよりも上背があるだけに上から覆い被されてちゃ抜け出せるものも抜け出せない。耳元にかかる吐息をどうにかしようと思っても、振り払うはずの両手が胸の前でしっかり折り畳まれてしまっている。
苦しくて、顔が熱い。酸素を求めようと口が開く。
……ちょっとまじ誰か助けて。
「こた……!」
「そ、宗二先輩!? い、一体何をされたんすか!」
「んっ」
「そんな顔っ……!」
なんだおまえいいから早く手を離さんかい!
あたしが苦しがっていることもお構いなしで、青くなったり赤くなったりコタローは一人勝手に忙しい。ついでに拘束する力が強くなったとなれば本当にもう身の危険を感じるしかなかった。ほね、骨もミシミシ言ってんだけど!
懇願してコタローを見上げたら、泣きそうな表情で顔を逸らされた。
「た、拓磨! おまえが先輩をこんなにしたのか!」
こんなにしてんのはおまえだよ。
「みだらに乱れていやらしく……。見損なったぞ、拓磨!」
だからおまえだよ。
「こう見えて宗二先輩は、男なんだぞ! いくら可愛いからって男に手を出すやつがあるか!? おまえ、変なやつだとは思ってたけど、まさかそんな趣味があるだなんて……」
「――おっ……まえのことだってんだろばかあ!」
「んぐがっ!?」
ありったけの力を振り絞ってあたしは背後のコタローに頭突きをかました。ちょうどその顎にヒットしたらしい、コタローが後ろに飛び退く隙を狙ってその拘束から逃れる。
やっとのことで自由になったあたしは、ぜはあぜはあと荒く息を繰り返し、驚愕に目をぱちくりとさせるコタローを中腰のまま見返した。
「こ、たるぉおお……」
「せ、先輩!? どうしたっすか、さっきとはうって変わって目が据わってるっす」
「死ぬかと思った! どうしてそう、きみは手加減を知らないの!」
「手加減!? オレは先輩が心配で……!」
「あやうく窒息死させられるところだったわ! 何勘違いしてるんだか知らないけど、別に何も……って、あれ? さっきの人は?」
ぴしっとその人を指さして、無実を証明しようとしたのだけれど、その指の先にはもはや何の姿もなかった。もう一度コタローに視線を戻す。手をホールドアップさせて、首を傾げていた。
「もう行っちゃった……っすね」
「ああもう、コタローが絡むから。悪いことしてしまったな……また会えたらいいけれど」
いなくなった方を見てそう呟いたら、後ろでコタローがムッと声を上げた。どうやらあたしがその人と一緒にいるのが面白くないらしい。
まあそりゃ、あの人がキスしてこようとしたのは事実だけど、でもそれって別に深い意味はなかったし。というよりも、本人は意味をはき違えてただあたしにお礼したかっただけみたいだし。
変な人だったけど、かなりの美形だったしなー!
「拓磨の野郎、何考えて……」
「あの人、タクマっていうの?」
「しーりーまーせーん! だいたいあいつ、友達もいないようなやつなんですよ? 勉強ばっかして、言ってること意味わかんなくて、そのくせ何でもすぐ要領よくこなして……むかつくっす」
「詳しいね、友達?」
「まさか! ただ同じクラスなだけっす!」
同じクラス……ってことは、一個下だったのか。落ち着いてるし、背も高いからつい年上かと。顔が似てる和磨と比べても、どうみても拓磨くんの方が上っぽい。
……かずま? たくま?
「ねえ、コタロー? 拓磨くんって、名字……」
「……」
「こた?」
「え、あ、すみません」
コタローがぼーっとしてるなんて珍しい。普段から駆け回るのが好きで止まってる暇なんてないような子が、こんな風に何かを考え込んでいるなんて。
見てたのは、拓磨くんが消えた向こう?
どうしたんだろう。
「ふたり、仲、わるい?」
「そ、そんなんじゃ。ただ、あいつにしては、本当変だったというか。あいつ、いくら女子に言い寄られても、相手になんかしなかったのに」
「どういう意味?」
「あのとき、確かに先輩には――」
コタローは一人でブツブツと呟いているが、何を言っているのかはサッパリだ。
そんなに、あたしと拓磨くんが一緒にいることがショックだったのかな? 昔からそうだ、盲目にあたしに懐いていて、あたしと仲良くしているのが男子であろうが女子であろうが嫉妬してたりなんかして。
ほんの小さい頃から、きょうだいのいないコタローは忙しい両親にも構ってもらえず、あたしと兄ちゃんとずっと一緒に過ごしてきた。きっと、それが今でも依存という形で残っているのだろう。
「コタロー!」
「おわっ!?」
あたしは、俯いているコタローの背中を強く叩きつけた。呆然とあたしを見返してくるコタローににっこりと笑ってやる。
「帰ろう?」
「あ、はいっす……って、先輩! 今日はスミマセンでした! しかも、まさかここまで来てるなんて思いもしなかったっす」
「今日のことはいいよ。それより自分がここに来たのは……」
あれ? なんであたし、この学校にまで来たんだっけ。
「って、ああああ! 先輩! 先輩は? コタロー、ドS先輩!」
「どえすせんぱい? 誰のことっすか? 中村部長なら満足してもう帰宅しちゃいましたけど」
「んのおおおうっ! それが目的で来たのに、なんてこった……」
「なんだ宗二先輩、中村部長に会いにきたんすかー? ちえーっ。二人仲良いですもんね。……というより異常。部長の宗二先輩に対する執着が異常。オレとしては出会って欲しくないっすね」
コタローは、おそらくきょとんとしているあたしの顔を苦々しそうに見つめた後、拾うようにあたしの手を取り上げて、さっさと歩き始めてしまった。
その手を引っ張られながらあたしは首を傾げる。
あたしとドS先輩、仲良いの?
中村……聞いたことあるような気もするけど、友達にいた記憶は一切無い。執着されてたって意味わかんないけど、けど知らない人なはずはないだろう。
どういうことだろ、あたしが忘れてしまっているだけ?
「そういえば中村部長、今日やたらイキイキしてたっすね……宗二先輩、近々気をつけてくださいよ。……宗二先輩?」
「はい?」
「……」
「……はい?」
「先輩ってなんでそんなに無防備なんすか……」
はい? いきなり何を言うかと思ったら、どうしてそうコタローガックリうなだれちゃうかね。
無防備って、いつでもあたしは良い男を察知するためのアンテナは張り巡らせていますから。コタローが言わんとしていることは分からないけれど。
「ちゃんと、オレの側、ついててくださいよ」
見上げたコタローは、夕陽を背負っているからか、その口元に乗る笑みが優しいからか、どこか大人びて見えた。
まあそうだね、と他校生である自分のための台詞だと頷いてはみるものの。
……手を引っ張られながら、男同士だったことを思い出した。
入らなかったネタ。
「そういえば宗二先輩、少し痩せました?」
「え? どうして」
「なんというか、ゴッツリしているというか、骨張っているというか……抱きしめると固いです」
「……」
「先輩ってふわっとしてるイメージなんすけど」
「……」
「もうちょっと肉つけたらどうですか? そしたら、オレ、うれしーです!」
「……コタローくん、それはね」
「はい?」
「男、ですから」
「はい」
「あのね、男同士そんなにほいほい抱き合うものじゃないよ」
「え、宗二先輩に抱きついちゃダメっすか?」
「……キューン言わない、萌ゆる」