カメラ
部屋の中にはカメラが設置されている。カメラの向こう側がどうなっているかは知らない。誰かがじっとこちらを見ているのかもしれない。なんとなく視線を感じる時もある。見られているかもしれないと思う意識をどこかに追っ払ってしまいたいといつも考えているが、そうもいかない。時々、耐えきれなくなってカメラを壊してしまいたくなるが、ぐっとこらえている。カメラのある部屋で暮らす。それが約束だ。壊すなんてもってのほかだ。どうしてこんなことになってしまったのだろう? それを選んだのは自分自信に違いないのに、時々そんな疑問が沸き上がって来る。上司と同僚の陰湿さに我慢できなくなって仕事をやめてしまった。すぐに再就職できると考えていたが、甘かった。ある程度の年齢を過ぎてしまうと世の中にはまったく必要とされなくなることを痛感した。介護、清掃、ドライバー、雇ってくれそうな仕事は限られていた。どれもしんどそうで給料も安かった。
そんな時、この仕事のことを知った。それが仕事と呼べるものなのか多少の疑問があったが、一日10時間、カメラの設置されたこの部屋で過ごせば生活に困らないだけのお金がもらえるということだった。もちろん寝ている時間はカウントされない。起きている時間が10時間という約束だった。その条件をクリアするために、私は一日のうちほとんどを部屋で過ごすことになった。カメラと連動したモニタが部屋にあって、そこに今日の累積時間が表示される。カメラの前にいるとその値が増えて行く。目を開いている状態を検知しているのか、脳波を読み取って覚醒状態と判断しているのかよくわからないが、とにかく私がその部屋で一日10時間カメラの前にいれば、私の生活は保証されるのだった。モニタを見る。今日の分がようやく9時間に達した。あと1時間の辛抱だ。外はもう日が暮れかかっていた。そして私は最後の追い込みとばかりに、目の前にあるカメラをじっと見るのだった。
カメラの向こうはどうなっているのだろう? ずっとカメラの前にいると嫌でもそういうことを考えてしまう。誰かが私の暮らしぶりをじっと眺めているのかもしれないが、こんな平凡な人間の変化に乏しい退屈な日常生活をずっと見ている人間がいるなんて到底考えられない。結局、誰も見ていないんじゃないか? そう思ってカメラを見る。その瞬間、唸るようなモーター音がしてカメラが首を振る。一瞬、どっきりする。カメラは数秒かけて部屋の中を見渡して、また私のいる方を向く。やはり誰かが見ているのかもしれない。他人が聞いたら怪訝に思うかもしれないそんな生活をもう何か月も経っている。何か月なのだろうか? もしかしたら何年も続いているのかもしれない。曜日の感覚もとっくになくなっているしまっている。今、世界で何が起きているか? 何が問題になっているのか? だんだんと関心が薄れて来ている。先端のテクノロジーに興味を持ち続けて世の中の行く末を見定めるとか、話題に事欠かないようにニュースやスポーツを欠かさず視聴するとか、私にはもう関係のないことだった。何と言っても10時間ずっとカメラの前にいれば、私は生きて行くことができる。弱肉強食の熾烈な競争社会の中で厳しいノルマやストレスに四六時中晒されながら、身をすり減らす必要はない。そう思うと気持ちがとても楽になる。今の暮らしの方が、はるかに私に向いているだろう。
<ギーッ>
モータ音がする。カメラが動いたのか? いや、本当に音はしただろうか? 私が勝手に音がしたと思い込んでいるだけではないだろうか? もしかしたらカメラの向きはさっきと全然変わっていないかもしれない。さっきというか、朝からずっと変わっていないかもしれない。もしかして向きを変えたのではなくて、ズームインした時に音がしたのだろうか? そうするとやはりカメラの向こうで誰かが私を見ている。私の生活を覗いている。こんな私の姿を見て、どうするつもりなのだろうか? そんな私の問い掛けにカメラは絶対に答えたりはしない。
若い女の子の部屋なら覗いてみたいと思う男はたくさんいるだろう。自分の部屋をライブ中継しておこずかいを稼いでいる女の子もいるらしい。下着姿でチャットの相手をするとか。そこではネットを介した不特定多数の欲望がうずまいている。それは動機としてはありだろう。男が女の裸体を見たいと思う。それは世界を構成する一つの重要な真実であるに違いない。そんなことを考えながら、今日もカメラの前に自分を晒している。5時間経った。あと5時間だ。そう思った時、強い揺れを感じた。地震だ! 咄嗟に机の下にかくれる。相当に強い地震だった。揺れは長く続いた。どれくらい時間が経ったのかよくわからない。机の下から出て来て様子を伺う。本棚が倒れて、本が散らばっている。下敷きにならなくて良かったと安心する。そう思った時、そこにカメラが落ちていることに気付いた。そして反射的に天井のいつもの場所を見た。そこにあるべきはずのカメラがなかった。
<どうしよう?>
私はひどく不安になった。カメラに見られていなければ、私は生活することができない。一日10時間の約束だ。そうしないと生活費が振り込まれない。私は床に落ちているカメラを拾った。何の音もしなかった。それはいつものように私をじっと見つめるあのカメラではなかった。あの独特の視線のようなものが、まるで感じられなかった。早く元に戻さなければならない。あるべきところにカメラを設置しなければならない。そう思った私は、天井のいつもの場所へカメラを戻そうと考えた。そして机を移動し、その上に乗り、カメラをいつもの場所に固定した。それから机を降り、カメラの方を見た。視線は感じられなかった。カメラはすでに気配を失くしていた。
<カメラが壊れてしまったことを連絡すればいいかもしれない>
連絡先の書かれたシールがカメラに貼り付けてあったので、そこに電話してみた。呼び出し音が繰り返される。不在を告げる音がいつまでも続く。誰も出ない。二十回鳴らしても、三十回鳴らしても誰も出ない。さっきの地震であちこちでカメラが壊れてしまって、その対応に追われているのかもしれなかった。きっと忙しいに違いない。時間を置いてから、もう一度掛けてみようと私は考えた。そして部屋ですることのなくなった私はとりあえず外の様子を確認しておこうと思った。
外はひどい有り様だった。所々、建物が倒壊していた。煙の昇っている個所がいくつかあった。瓦礫が道をふさいでしまって、消防車が入って来れないかもしれなかった。もしかしたら辺り一面が焼け野原になってしまうかもしれない。私はかつてテレビで中継されていた大地震発生時の様子を思い出した。でもそんなことより、カメラのことが気になっていた。
「カメラが壊れてしまった」
あちこちで人々が叫んでいた。カメラに見られることで生計を立てているのは私だけではなかったのか? 失業者が増え、いつの間にか誰もがカメラに見られながら暮らすことを選択するようになってしまったのかもしれない。仕事に就けないのなら、そうするしかないだろう。
「どこかにカメラはありませんか?」
そう尋ねて来る人もいた。そんなことを聞かれてもと思った。私だってカメラが必要なのだ。今日はまだ5時間しか見られていない。なんとかしなければ。
「危ないですから、どいてください」
被災地に駆け付けた消防隊員がカメラを求めて街を彷徨う人々に声を掛けていた。消防車は瓦礫の山を突破して、ここにたどり着いたようだった。だが人々が求めているのは救助ではなかった。
「カメラをください」
倒壊した建物の間を彷徨う人々は次第に増えて行った。その中に混じり、私も声をはりあげ、ずっとカメラを探し求めていた。




