歯、砕ける
冬の朝は味噌汁に限る。
コメと味噌汁。軟弱な目玉焼きだの、軟派なソーセージだのは要らない。鰯でもあればこと足りる。
パンだのシリアルだの食ってりゃ、朝勃ちもしなくなる。
味噌汁の具はなんだっていい。
豆腐。ネギ。わかめ。
具材はひとつがいい。味がシンプルだ。
今朝の味噌汁は大根だった。
大根はいい。冬の味覚だ。
だがしかし、味噌汁に入っていた大根を噛んだら奥歯が音を立てて砕けた。
最初は何か大根の固い部分でも噛んだのかと思ったが、味噌汁の大根にそんなものは存在しない。
口から出して初めてそれが歯であると認識するに至った。
痛みなどは無い。
しかし今まで一度も虫歯になどなった事の無い超健康優良不良青年なので驚いた。
どうやら歯は自然と砕けるものらしい。
いや、そんな骨粗鬆症みたいなことになる年齢でもないが、そう言うものか?
他の原因を探る。
ここ何日かのスパーリングを思い出したが、左頬を殴られたり蹴られたりした憶えは無い。バイクで転んだ記憶もない。
──虫歯、と言う単語が頭を掠める。
まさか、この俺が。
疑惑はその晩に痛みとなって真実へと変貌を遂げた。
砕けた奥歯の辺りが痛い。
家中に散らばったロキソニンを飲み、昂った神経を落ち着かせたいと酒を飲もうと思ったが恐らく逆効果である。
カフェインも同等にロキソニンを無駄にするだろう。
仕方なく止めた煙草に手を伸ばして煙を吐き出しながら朝を待った。
味噌汁も飲めない。
ルイ何世だかは歯を全部抜いてスープだけで過ごしたらしいが、馬鹿げている。
カール・ゴッチは入れ歯だっけ?
砕いたロキソニンを鼻から吸っても痛みは増すばかりでどうしようもない。
昼前になり、ようやくシャッターの開き始めた町に飛び出すと、近所の雑居ビルに入っているソネ歯科と言う歯医者を訪れた。
ソネ歯科の看板は屋号の下に小さくマインドクリニックと書いてあるのが気になったが、今はそれどころではない。
歯医者なんてのは初めて行く。
外から受付を覗くと、カウンターには金髪の白人女が座っていた。
黒いアイシャドウで縁取られた目はやたら大きく強いし、リップも社会主義国家の旗みたいに赤い。
白人だろうと火星人だろうと構わない、俺をこの苦痛から救ってくれと敷居を跨いだ。
待合室でしばらく座っていたが、訪れる患者は俺ひとりで、なんとなく心細さから痛みが先鋭化する気がした。
カウンターの白人女は微動だにせず俺を見ている。瞬きが少ないので怖いから、俺は壁を見ていた。
すると受付の金髪白人女がカタコトの日本語で俺に言った。
「一番ノ診察室ヘドーゾ」
俺は金色の毛筆で「壱」と書かれた黒い木製のドアをノックしてから中に入った。
小さなスツールに──いや、一般的なサイズのスチール製スツールだが、小さく見える──に、巨大な体躯の金髪男が座っていた。
「ドウゾ」
その男はドルフ・ラングレンに似ていた。
俺はドルフ・ラングレンの向かいに置かれたスツールに腰掛けた。
「ドーモ、私ワ、ソーニャ、デス」
ドルフ・ラングレンは唇の端を不器用に持ち上げて笑った。90年代映画のサイボーグか?シュワルツネッガーの方がまだ上手だ。
俺は愛想笑いもできずに左頬を抑えたまま頷いた。
早く治療を開始して欲しい。
「ソーニャ、本当ワ、ソーネチカ。ダカラ、ソネ歯科」
ドルフ・ラングレンは自分が経営するクリニック名の由来を話した。
実にどうでもいい。
なんの冗談か駄洒落か知らないが、とにかくこの痛みをどうにかしてくれと頼んだ。




