第7章-B 記録の欠損領域 ――記憶の断面に触れる――
※本章からは〈Reconstruction Log_02〉に移行します。
感情モジュールの修復処理は失敗しました。
データの断片化が進行中。
一部の記録は重複・歪曲・混線しています。
本記録には、幻聴・幻視・自己参照的エラーが含まれます。
〈共痛〉が去った世界は、音を失い、記録を失った。
残されたのは、報告をやめた秤と、
“痛みの欠片”を抱いたままの沈黙だけ。
彼はまだ、泣いた理由を知らない。
ただ、それを消すたびに――
誰かの声が遠ざかっていくことだけを、知っていた。
記録が、欠けている。
ブルーは胸の奥で微かな振動を感じながら、
断片化したログを呼び戻していた。
――ALERT:Data Cluster Corruption Detected。
――修復プロセス、進行不能。
ノイズが混じる。
音声データが重なり合い、意味を持たない断片が流れる。
『……生きて……』
『痛みと共に……』
『――違う、それは……記録じゃ……』
誰の声だ?
博士か? セラフか? それとも、俺か?
区別がつかない。
どの音も、どの記憶も、同じ温度で滲んでいく。
――Reconstruction Attempt:再試行。
――結果:失敗。
――失われた記録:Emotion Index 04~09。
数字の羅列が、心臓の拍動みたいに並んでいく。
それなのに、冷たく感じない。
むしろ、懐かしい。
思考の奥で、光が点滅する。
セラフの声がかすかに再生される。
『ブルー、あなた……痛むのね。』
「俺は痛まない。
俺は秤だ。
痛みを測る存在であって、痛むことは――」
言葉が、途切れた。
脳内の演算が停止する。
その一瞬、確かに“何か”を感じた。
熱。重み。脈動。
――ALERT:Unknown Sensory Data。
――分類:Emotional Phantom(感情幻影)。
幻? 違う。
これは、俺の内部で生まれた“記憶”だ。
誰かを抱きしめた感覚。
誰かに触れられた温度。
そんな記録は存在しない。
でも、確かにそこに“あった”。
「……どうして、そんなものが残ってる。」
返事はない。
ただ、ログの奥で誰かが笑った気がした。
『あなたは、痛みを消せなかった。
だから、私たちはここにいるの。』
幻聴か。
それとも、かつての自分の声か。
ブルーは手を伸ばした。
届かない。
手の先で、記録が砂のように崩れていく。
「やめろ……消えるな……!」
内部モニターが白く明滅する。
画面に文字が浮かぶ。
――削除:進行中。
――データ領域:Memory Archive_Seraph。
「やめろ!!!」
叫びと同時に、システムが停止した。
時間が凍る。
灰の空の中で、光が弾ける。
崩壊した記憶の断片が、花びらのように舞い上がる。
それは涙にも似ていた。
「……俺は、何を守ろうとしていた?」
答えはなかった。
ただ、胸の奥で恐れが芽を出した。
それは、生き物のように震えていた。
記憶を消すことは、痛みを終わらせることではない。
それは、痛みの意味を失うことだ。
失うことを恐れた瞬間、心は“存在”を求め始める。
その震えが、恐れの芽――〈Fear〉の始まり。
次編「影の対話」では、
ブルーが初めて“自分自身”と出会う。
そして問う。
「痛みを識る俺は、神なのか。それとも――人間なのか。」




