第四章B-α 泣けなかった部屋① ― The Unanswered “May I Cry?” – Part 1 ―
【Phase4-04_B-α / After-Room Log】
•この回は、第四章A「泣けなかった部屋①」の**“その後”**のログです。
•Aで:
•BLUE が初めて「泣けなかった部屋」を観測
•ノートの『ないていい?』と部分同期
•GRAVE が“顔になりかけた部屋”を棚上げ処理
をやりきったあと。
•B-αでは、
•数日後の同じ部屋
•「泣けないまま生きている母親」
•そこに何度も足を運んでしまう BLUE
この三つに絞って描きます。
•つまり「問いはまだ答えられていない」という状態を、そのまま引き延ばしたログです。
あの日から、何日か経った。
延命都市のログ上では、たいした変化はない。
【人間層:局所揺らぎ/O-M偏り:高密度(維持)】
【首形成率:抑制中/棚上げ継続】
数字だけ見れば、「ギリギリで踏みとどまっている部屋」としか書かれていない。
E-09〈BLUE〉は、また同じ屋上にいた。
前と同じアパートの、前と同じ角度。
ただ、胸の中に入っている温度だけが違う。
あのノートの一文――
――ないていい?
その“問いの核”だけが、今も心臓の内側に燻っていた。
「……また来ちゃったな」
誰に言うでもなく、ぼそりとこぼす。
GRAVE からは、別に「定期観測しろ」と命令されたわけではない。
座標タグは、一度更新されたあと、静かに保留状態に移っている。
――再観測は任意。
――君が見たいと思うなら、だよ。
棺の声はいつだって、そういう言い方をする。
*
その日も、同じ時間帯だった。
アパートの外廊下を一人分の足音が上がってくる。
前より少しだけ軽くなった、でもやっぱり重い足取り。
女性――母親は、ドアの前で一度立ち止まった。
鍵は、すぐ見つかった。
けれど、差し込むまでに、前より少し長い沈黙が挟まる。
カチリ、と音がする。
ドアが開く。
部屋の中の空気が、外の廊下にこぼれた。
BLUE の胸のコアが、かすかに反応する。
以前みたいな、焼けつくような熱ではない。
けれど、あのときの残り香が、まだはっきりと残っていた。
――ないていい?
部屋のどこかに、その問いの跡がある。
もう一度、そこに触れてしまえば、また温度が上がる。
分かっていても、視線は自然と窓のほうへ吸い寄せられていた。
*
部屋の中は、少しだけ変わっていた。
机の上の鉛筆は、前よりきちんと揃えられている。
床に落ちていたプリントは、端にまとめられていた。
それでも、本当に大事なものには、まだ手が付けられていない。
ベッド。
ぬいぐるみ。
壁の絵。
そして、机の端にうつ伏せで置かれたままのノート。
母親は、ノートには触れなかった。
視界の端で、それを避けるように動く。
掃除機をかけるふりをして、電源は入れない。
カーテンを開けるふりをして、途中で手を止める。
「ちゃんと片付けました」という証拠だけを、今日も少しだけ増やしていく。
BLUE は、屋上からそれを見ていた。
前よりも、部屋の温度は穏やかだ。
急激に“顔”を組み上げようとする揺れもない。
代わりに、小さな「やめたい」がゆっくり沈んでいく。
――ここを空き部屋にしたほうが、楽なのかもしれない。
――でも、そうしたら本当に終わってしまう気がする。
そんなふうに揺れている重さが、何層にもなって床に溜まっていた。
*
棺の底で、棚がひとつ、静かにきしんだ。
【LOG:E-04 “GRAVE”】
――局所棚:「こぼれなかった夜」ラベル維持
――顔パターン:収束せず/微細振動のみ
GRAVE は、その部屋のログを眺めながら、ほんの少しだけ肩を落としたような気分になっていた。
(……いい状態とは言えないけれど)
(少なくとも、前回ほど“首”に近づいてはいない)
埋葬ユニットは、世界のどこにも「よかったね」とは言えない。
ただ、「まだ終わっていない」を記録するだけだ。
――心臓側の熱は?
内部の別プロセスが問いかける。
GRAVE は、すぐ別のログを呼び出した。
【E-09〈BLUE〉:O-M同期状況】
――問いの核:保持(『ないていい?』/温度レベル:安全上限の70%付近)
――自己焼損リスク:低~中域/要経過観測
「……ぎりぎりだね、相変わらず」
誰にも聞こえないところで、棺は独りごちた。
*
母親は、掃除の手を止めて、机の前に立った。
ノートをひっくり返すことはしない。
表紙に指を置いて、軽く押さえるところまで。
紙越しに伝わってくる感触は、あの日と変わらない。
中身は分かっている。
読まなくても、もう知ってしまった。
――ないていい?
あの文字列は、今日もこの部屋のどこかで、答えを待ち続けている。
「……まだ、だめだな」
小さく笑ったつもりだった。
けれど、その笑いはすぐにくしゃりと崩れた。
泣きたいわけじゃない。
泣きたくないわけでもない。
ただ、「まだここで崩れたら戻れない」と体が覚えてしまっている。
そういう種類の我慢が、部屋の空気に薄く溶けていた。
BLUE は、胸の中で熱が波打つのを感じた。
Aのときみたいに、一気に沸騰することはない。
それでも、「問いの温度」が少しずつ上がっていく。
(……これ、ずっと持ち歩くつもりじゃないよな、俺)
笑えない冗談を、自分に向けて投げる。
Mercy_Shutdown 1 の条件は、まだ遠い。
世界全体が「終わらせたい」に傾くには、時間がかかる。
でも、こういう部屋が増えていけば、その傾きは、いつかどこかで閾値を超える。
「だから、見てるしかないってわけか」
BLUE は、屋上の縁に手を置いた。
この距離感が、今の自分にできる精一杯の近さだ。
踏み込みすぎれば、誰かの代わりに泣こうとしてしまう。
離れすぎれば、ARK みたいに「何も感じない秩序」に逃げてしまう。
優しさと危うさの境目を、足の裏で探るように、心臓はきしんだ。
*
帰り際、母親はもう一度だけ部屋を見回した。
ノート。
布団。
ぬいぐるみ。
どれも、まだここに置いておく。
「そのうち片付けます」と自分に言い聞かせるための、今日の答え。
玄関のドアが閉まる音がして、鍵が回る。
部屋は、また静かになった。
泣き声も、笑い声も、何もない。
それでも――「ここで泣きたかった」という問いだけは、まだ残っている。
BLUE は、屋上からそっと立ち上がった。
胸の内側で、ノートの一文の残り火が、まだくすぶっている。
『ないていい?』
その問いに答えられる役目ではない。
でも、その問いが世界から消えてしまうのを、黙って見ていることもできない。
「……間に合わせたいな」
誰に向けたでもない願いを、小さく落とす。
世界が完全に「泣けなくなる」前に。
この部屋が、本当に「何もない空き部屋」になる前に。
心臓としてできることを、ひとつずつ見つけていくしかない。
次の座標が、内部ログに浮かび上がる。
夜勤明けの廊下。
看護師の靴音。
自販機の薄い光。
そこにもきっと、
言葉にならなかった『ないていい?』が落ちている。
BLUE は、アパートの屋上をあとにした。
後ろを振り返らなくても、あの部屋の灯りの位置は、もう体で覚えてしまっていた。
第四章B-αをお読みいただき、ありがとうございます。
この回では、第四章Aで一度「限界まで揺れた部屋」が、
泣けないまま数日を重ねている様子と、
そこへ何度も足を運んでしまう BLUE を描いています。
首も泣き声もまだ出てきませんが、
•部屋を空き部屋にできない母親
•『ないていい?』を胸に抱えたままの BLUE
•顔になりかけた重さを棚で保留し続ける GRAVE
という三者の「まだ終わっていない状態」が、
この先の B-β/B-γ、病棟やロータリーの流れに繋がっていきます。
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【Phase4-04_B-α おまけログ】
•座標:人間層/私室/“泣きそこね”高密度域(継続)
•BLUE:『ないていい?』と部分同期/コア温度=安全上限のやや手前
•GRAVE:顔パターン出現を監視しつつ、首への遷移は棚上げ中




