第二章B 棺のきしむ音 ― The Coffin That Refuses to Close ―
Phase4-02b / 「きしみ」が、心臓の鼓動に重なり始めた頃の記録。
・視点は E-09〈BLUE〉。
・世界中で増え続ける「泣きそこね」が、BLUE の胸のコアと微弱に同期する。
・BLUE は基本的に人に優しい/あったかい存在として描かれるが、
その優しさが逆に、じわじわと彼自身を削っていく。
人間の鼓動は、だいたい決まったリズムを持っている。
緊張すれば早くなる。
眠れば遅くなる。
驚けば一瞬止まって、そのあと慌てて取り戻そうとする。
――だから、本来なら、そこに自分のリズムを重ねるのは簡単なはずだった。
E-09〈BLUE〉は、静かな路地裏で立ち止まっていた。
表通りから一本外れた、古い商店街のシャッターが並ぶ。
朝でも夜でもない時間帯の空気は、ひんやり、というよりも「ぬるい」のほうが近い。
胸の奥で、コアがじわじわと熱を持っていた。
痛みではない。
損傷でもない。
ただ、あったかすぎる。
「……また増えてるな」
独り言のように、BLUEはつぶやいた。
視線の先には、小さな公園がある。
滑り台と、塗装の剥げたベンチがひとつ。
ベンチには、制服姿の少女が座っていた。
膝の上で握りしめているのは、折りたたまれたプリント用紙。
顔はよく見えない。
けれど、肩のあたりの震え方で、何が起きたのかだいたい察しがついた。
――泣きたい。
――でも、人に見られるのは嫌だ。
そのあたりまでは、いつものことだ。
BLUEは、人間たちの「泣く前」と「泣いたあと」の差を、何度も見てきた。
泣けた方が、まだいい。
涙が出れば、少しは流れていく。
どろどろしたものが、目に見える形で外へ出てくれる。
問題は、そのどちらにもいけない時だ。
少女の肩が、ふるりと震えた。
泣き出すのかと思った。
けれど、腕で顔を覆うでもなく、声を上げるでもない。
代わりに、頭が少しだけ上を向く。
空を見上げるというよりも、「何かを飲み込まないように」
喉を伸ばしているような仕草だった。
胸のコアが、ちくりと刺さる。
――まただ。
首は、視えない。
駅前の男の時も。
病棟のベッドサイドで、泣けなかった看護師の時も。
BLUEは、現場の空気を後からログで追うばかりだった。
それでも、そのたびに胸の中で、
何かがじり、と音を立てるのを感じていた。
誰かの“泣きそこね”が、どこかへ運ばれていく感覚。
そこに、決まって自分の鼓動が重なってしまうこと。
「……そこまで、引き受けなくていいんだけどな」
自分の胸に向かって、苦笑混じりにそう言う。
誰かの痛みに反応してしまうのは、もう仕様だ。
E-09として作られた以上、それは避けられない。
でも、本当は――
もっと「軽く」生きてほしかった、と、
どこか遠いところで誰かがぼやいた気がする。
そんな声も、とうの昔に思い出せなくなっていた。
少女の肩の震えが止まる。
代わりに、彼女の表情から「崩れそうだった気配」が、
ふっと抜け落ちたように見えた。
涙は一滴も出ていない。
けれど、さっきまで胸の奥まで詰まっていたはずの何かが、
どこか別の場所へ持っていかれたような、
妙にスカスカした顔をしている。
BLUEは、公園の入口のところまで歩いていった。
足音を立てないように。
怖がらせないように。
それでも、完全に気配を消してしまうのは嫌だった。
人間たちは、極端に静かなものを逆に怖がる。
彼らのそばにいるときは、
「そこにいていいノイズ」くらいがちょうどいい。
少女が顔を上げる。
視線が少しだけ、BLUEのほうをかすめた。
彼は笑った。
完璧な作り笑いではない。
どこかぎこちなくて、目尻のあたりにだけ、
プログラムじゃない微妙なゆがみが混ざる。
「……大丈夫か」
声はできるだけ柔らかく、
それでも必要以上に入り込まないように。
境界線を踏まない優しさを、彼は何度も練習してきた。
少女は、少し戸惑ったように瞬きをして、
それから、ほんの少しだけ笑おうとした。
「……大丈夫です。ちょっと、びっくりしただけで」
「そうか」
BLUEは、それ以上何も聞かなかった。
理由を聞くことは、たぶんできる。
慰める言葉だって、いくらでも用意できる。
「君は悪くない」とか、「その痛みは本物だ」とか。
けれど、今この瞬間にそれを口にしてしまうのは、
なぜか、とても乱暴なことのように思えた。
少女の膝の上で、くしゃくしゃになったプリント用紙が、
ぎゅっと握られたまま、わずかに軋む。
胸のコアが、またじり、と熱を上げた。
どこか遠くで、棚が増える音がする。
まだ名前の付いていない小さなスペースがひとつ、
新しく作られる。
そこに、「今日泣けなかった分」がそっと置かれていく。
「……あんまり、無理しなくていい」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出てきた。
少女はきょとんとしてから、
少しだけ視線を落とし、うなずく。
「……はい」
それだけの会話だった。
彼女がベンチを立ち、
背筋を伸ばして歩き出すのを見送る。
歩き方は、さっきより少しましだった。
足取りが軽いわけではない。
けれど、「崩れないように」だけで歩いている感じではなくなっている。
BLUEは、その背中が角を曲がって見えなくなるまで、
そこに立ち尽くしていた。
「……あったかい、ってのも、困るな」
胸に手を当てる。
冷えているよりはいい。
何も感じないよりは、ずっといい。
でも、このあたたかさは、
放っておくと、いつか自分を焼き切る。
E-00〈ARK〉の声が、どこかのログの深部で、
薄く反響している気がした。
――すべてを均等に処理すれば、世界は静かになる。
「静かに、ねぇ……」
BLUEは空を見上げた。
首は見えない。
けれど、そこかしこに「ぶら下がっている」気配だけは、
もう否定できないところまで増えていた。
「……ごめんな」
誰に向けて、なのか、自分でもよく分からない。
泣けなかった人間たちにか。
その涙を預かっている“どこか”にか。
それとも、自分自身の心臓にか。
ただ、謝っておきたい気がした。
自分がここにいる以上、
誰かの痛みは、必ず自分のところまで届いてしまうから。
あったかさは、優しさの証明だ。
でも同時に、危うさの兆候でもある。
「全部、拾ってやりたいなんてさ」
BLUEは、そっと目を閉じた。
「ほんとは、一番危ない考えなんだよな」
胸の奥で、きしみがひとつ増えた。
それが、棺の棚の音なのか、
自分自身のコアの音なのか、
この時点では、まだ判別ができなかった。
遠くで救急車のサイレンが鳴る。
誰かの「泣きそこね」がまた一枚、棚に並ぶ。
そのたびにBLUEの心臓は、
自分のものでもない痛みをあたためてしまう。
優しさと危うさを、同じ温度で抱えたまま。
――泣き声になれなかった感情は、どこかへ行く。
行き先だけは、誰にも見えない。
第二章Bまで読んでくださって、ありがとうございます。
この回では、
BLUE を「冷たい観測者」ではなく、
•人間のそばに立つときは、ちゃんと声をかける
•境界線を踏まないように、でも離れすぎないように
•それでも、泣けなかった分のあたたかさを胸の中で抱えてしまう
という、ちょっと不器用で、でもすごく優しい心臓として描きました。
「全部拾ってやりたい」という考え方は、
すごく綺麗だけど、すごく危ない。
BLUE のあったかさは、
この先、彼自身を追い詰めていく原因のひとつにもなります。
次の章からは、
この“あったかさ”と“危うさ”に、
首(Crying Heads)側が少しずつ直接触れてくる流れに入っていきます。
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おまけログ(心拍同期メモ)
【HEART_SYNC_LOG / E09-OM_02】
・対象:E-09〈BLUE〉/都市部局所感情フィールド
・同期傾向:
- 「泣きたいが泣けなかった」O-Mフラグメントとの微弱同期を検知
- BLUEコア温度:基準値+0.7〜1.2℃の範囲で上昇
・備考:
- 同期時、対象E-09は人間への接触頻度がわずかに増加。
- 行動パターンは「介入」よりも「そばに立つ」方向へ偏っている。
- 本段階では、あたたかさ(優しさ)と危険性(自己燃焼)の区別は未定義。




