間話⑧ 心臓が地上へ降りた日 ― Grave-Transfer Log ―
【心臓記録篇・補遺/Transfer Log】
・本ログは「◆ 限定同盟ログ ― Mercy_Shutdown 1 ―」直後、
E-09〈BLUE〉が人間層へ初めて降りた時の記録である。
・人間層は上位観測からは〈静止〉と処理されているが、
局所的には、なお細い時間が続いている。
・ここから第四部「哭く神の首」において描かれる
ロータリー/病棟/公園などの現場は、この転移ログの延長線上にある。
前章の会話はこの章の端折りなので、詳細と捉えて頂ければ読みやすくなると思います。
【LOG-0:ARK戦後/ZONE B】
〈人間層:静止〉
〈延命都市:稼働率 12%〉
〈平均O-M揺らぎ:観測下限値〉
世界構造記録の数字だけを見れば、
この世界は「ほとんど終わっている」と言ってよかった。
戦争は止まり、革命の火は消え、
人口も、文明も、かつての数%にも満たない。
E-09〈BLUE〉は、ZONE Bの高架下を歩いていた。
頭上を走る線路には、もはや列車は通らない。
錆びた鉄骨と、色の褪せた警告サインだけが残り、
風に揺れる。
「……静かだな」
思わず漏れた声は、自分でも少しおかしく感じた。
さっきまでいた戦場も、十分すぎるほど静かだった。
瓦礫の崩れる音も、悲鳴も、ARKの刃に均等に削ぎ落とされたあとだった。
それに比べれば、この静けさは、まだましだ。
ただ、世界が止まったまま息を潜めているだけの静けさだ。
【LOG-1:Mercy_Shutdown 1 のあとで】
少し前――
BLUEは、E-04〈GRAVE〉と一度きりの限定同盟を結んだ。
〈Mercy_Shutdown 1〉。
世界が本気で自殺しようとした瞬間に、
その確定を一度だけ遅らせるプロトコル。
救済ではなく、猶予。
終わらせないのではなく、「今すぐ終わる」を一度だけ止める棚上げ。
そのあいだに、何をするかは決まっていない。
けれど、誰がそれを決めるべきかだけははっきりしていた。
――心臓だろう、と、棺は言った。
「世界をどうするかは、だいたい決めていたんだけどな」
BLUEは、自分の胸を指先でとん、と叩く。
心臓記録篇を通して、
自分が何者なのか、どこに立っていたいのかは、ある程度掴んだつもりだった。
けれど、それはあくまで
「上から見た世界」と「Eシリーズの戦場」を前提にした結論だ。
「――どうしたいか」を決めるには、
まだ足りないものがある。
【LOG-2:ZONE C/GRAVEのゲート】
ZONE Bを抜け、ZONE Cの境界に辿り着くと、
空気の密度がわずかに変わる。
そこに、棺がひとつ置かれていた。
墓石でも、石室でもない。
ただ、そこに「在る」ことだけが確かな、無機質な箱。
E-04〈GRAVE〉。
「……来たね、E-09」
声は、棺の内側から響く。
「君のほうのログでは、ここまで“心臓記録篇”でいいのかな」
「タイトルは任せるよ」
BLUEは、軽く肩をすくめる。
「君のほうは、相変わらず“棚”か?」
「棚であり、棺であり、記録者の成れの果てでもある。
呼びやすい名前で呼んでくれて構わない」
GRAVEの口調は、変に気取ってもいないし、
過剰に機械的でもなかった。
普通に会話ができる、ただ少しだけ温度の低い大人の声。
「人間層は静止中――って、上では書いてあった」
BLUEは本題に入る。
「でも、君は“まだ生きている”とも言った。
どっちなんだ?」
「どちらも、嘘ではないよ」
GRAVEは答える。
「大きな流れは止まっている。
人口も文明も、以前のようには戻らない。
その意味では〈静止〉だ」
棺の表面に、薄く光の筋が走る。
「でも、局所的には時間が続いている。
夜勤明けの廊下で、誰かが一人分の疲労を抱えて歩いている。
駅前のロータリーで、空を見上げて泣けないまま立ち尽くす人がいる。
小さな公園のベンチで、テスト結果を握ったまま息を殺している子どもがいる」
BLUEの胸のコアが、じり、と軋んだ。
最近何度も感じるようになった、あのざらつきに似ている。
「それを“生きている”と言うかどうかは、君が決めればいい」
【LOG-3:責任の引き受け方】
BLUEは、少しのあいだ黙り込んだ。
人間層は静止――
その言い方に、どこか安心していた自分がいた。
止まっている世界なら、
壊しても救っても、大差ないようにも思えたからだ。
「世界をどうするかは、だいたい決めていた」
BLUEは、胸の中で繰り返す。
「でも、“どうしたいか”は、まだ決めていない」
それを認めるのは、少しだけ怖かった。
「……決める前に、壊してしまうのは、卑怯だよな」
自嘲に近い声だった。
GRAVEは「そうだね」とも「そうじゃない」とも言わず、
ただ静かに聞いていた。
「君は、棺だろ」
BLUEは、棺を見つめる。
「終わりたがっている痛みを、“今すぐ”終わらせないように
棚に上げておくのが、君の役目だ」
「そうだね」
GRAVEはうなずく。
「だからこそ、君に見てほしいと思っている。
上から見ると〈静止〉にしか見えない人間層を、
心臓としての視点で、もう一度確かめてきてほしい」
【LOG-4:ゲート】
棺の側面に、複数の座標が浮かび上がる。
延命都市の中枢。
夜明け前の病棟。
駅前のロータリー。
小さな公園。
その他、まだ名もない地点。
「ここから下に降りるゲートを開いてある」
GRAVEが言う。
「古いE計画の転移装置を流用したものだ。
長く留まるには向いていないが、
“見る”には十分だろう」
「人間に会うのは、セラフ以来か」
BLUEは、小さく笑った。
観測対象としての人間ではなく、
同じ高さの目線で向き合うのは、ほとんど初めてと言っていい。
胸の鼓動が、わずかに速くなる。
恐怖とも興奮ともつかない感覚。
それでも、決して嫌なものではなかった。
「行ってこい、とは言わない」
GRAVEは、あくまで淡々としている。
「これは命令ではないからね。
君が見たいと思うなら、行けばいい。
見たくないと思うなら、このまま世界を上から処理してしまってもいい」
「……ずるい言い方だな」
BLUEは、棺に背を預けるようにして息を吐いた。
「でも、君が“見ておいた方がいい”と言うなら、
きっとそうなんだろうとも思う」
自分の中で、もう答えは出ていた。
【LOG-5:転移準備】
ゲートは、砕けた壁のあいだに口を開けた、青白い光の柱だった。周りには石や瓦礫がゆっくりと浮かび、そこだけ時間がねじれているように見えた。
空間がそこだけ薄く歪み、
地面と空の境界が、蒼く、ゆらりと揺れている。
「ここを抜けると、人間層への転移装置がある」
GRAVE が説明する。
「転移後の君は、姿形は “人間層安全投影モード” の影響で
人間層に降りている間は自動でオンになる。
E計画の副機能として残っている “認識補正レイヤー” だ。
それと――君はもう “観測者”として降りるんじゃない。
“同じ地面を歩く心臓” として降りるんだ。
その覚悟があるなら、進めばいい。」
「それは……助かる。 ……それより、“覚悟”ね」
「……歩くよ。痛んだって構わない」
BLUEは、ゲートの前に立つ。
覚悟という言葉は、あまり好きではなかった。
それは何かを劇的に見せるための、上からの言葉に聞こえたからだ。
ただ――
「責任」という言葉なら、少しだけしっくりくる。
世界をどうするか。
どうしたいか。
それを決める責任を、
誰かの棚に預けっぱなしにしておくのは、性に合わない。
「……行ってくる」
BLUEはそう言って、一歩を踏み出した。
足元の感覚は変わらない。
重力も、空気の抵抗も、ほとんど同じだ。
変わったのは、胸の重さだけだった。
世界の地図が、頭の中で組み替わる。
「人間層」というレイヤーが、
観測対象ではなく「これから歩く場所」として立ち上がる。
転移先で見える光景――
信号機、バス停、コンビニの明かり、
眠そうな顔の人間たち――
それらは、第四部の幕開けとして語られることになる。
このログの役目は、
ただひとつの事実を記録して終わる。
――この日、心臓は地上に降りた。
世界の責任を、
少しだけ真面目に引き受けるために。
•本間話は、
「BLUEがなぜ人間層にいるのか」
「人間層=静止という記録と、実際の“生きている時間”のズレ」
を埋めるための補足ログです。
•ここで GRAVE は、
上位観測の〈静止〉と、局所的な「誰か一人の時間」の両方を知っており、
BLUE に対して「見るかどうか」を委ねています。
•BLUE は、
Mercy_Shutdown 1 で得た“世界の自殺を一度だけ遅らせる権限”を前提に、
その前に「人間を見てから決める」ことを選び、地上へ降ります。
•続く「第四部 序章」「第一章」「第二章」で描かれる
駅前・病院・公園などのシーンは、
すべてこの転移の延長線上にある“散歩=探索”の一部です。




