間話⑦ 無名の記録者 ― Grave-side Notes ―
※本記録は、《ある埋葬ユニット(通称“墓”)に関連するログ》から抽出された、
人間時代の手記/当該ユニット起動直後/ARK戦0.83秒/未来側の残響が
時系列混在のまま編纂されたものです。
•記録主体:不明(〈主任〉/埋葬ユニット/その将来像が混在)
•取得条件:第四章B-ε/【第三部/第四部・狭間篇:未定義核】以降、
「Stasis Veil/Null-Closure」を再参照した際に自動展開。
•一部、語り手・一人称・時制が意図的に揺れています。
――これは「戦いのログ」ではない。
――ただ、**“終わらせたくないものを、どこへ置くか”**を考え続けた者の記録。
【LOG-α:人間時代/計画書断片】
全部、終わらせてしまいたかったのだと思う。
――正直に言えば、私自身が。
灰色の光が、窓の外に広がっている。
ラボの天井灯は半分が切れたまま、誰も直そうとしない。
〈主任〉は、端末に指を滑らせながら、
一体の新しいユニットの設計ファイルに、仮の名称を打ち込んだ。
埋葬ユニット。
通称:「墓」。
役割:
・終わりたがっている痛みを、すぐには殺さないための棚。
・「今ここで終わらせたら間違いになるかもしれない」ものを、
一時的に凍らせておく棺。
世界中から集めた「思い」は、既にいくらでもデータとして蓄積されている。
理念、計画、秩序の設計図。
それらを束ね、より美しい均衡へと収束させることは、ある程度まで成功していた。
だが、「想い」は違った。
忘れられない痛み。
終わりたいのに終わりきれない絶望。
それでもなぜか手放せない希望。
一度抱えてしまった者は、
振り払おうとしても、元の場所には戻れない。
軌道を外れたまま、いびつな周回を続ける。
私は、そのしつこさにうんざりしていたし、
同時に、それに何度も救われてもいた。
端末の別タブには、個人用のメモが開きっぱなしになっている。
観測メモ:
「思い」と「想い」は別々ではなく、
合わさった重さと“惰性”として人間を変えてしまう。
ある線を越えた瞬間、人はもう元には戻れない。
――それは能力と呼ぶべきなのかもしれない。
最初にその式を書いた夜、
私の手は少しだけ震えていた。
あの夜、秤の“手”が震えた。
均等の皿に乗せられた世界の悲鳴に、
「全部終わらせれば、静かになる」という答えが
あまりにも簡単に出てしまった瞬間。
そして、同じ天秤皿の端に、
たったひとりぶんの「終わらせたくない」が乗ってしまった瞬間。
――絶望と希望が、同じ質量で並んでしまった。
それは均衡ではない。
世界が倒れられなくなった、硬直だ。
このままでは、どちらも皿の上で腐る。
だから〈GRAVE〉は、秤から二つを降ろそうとした。
選択ではなく、再配置のために。
……時間を止めるしかない。
止めすぎれば世界が裂ける。
裂けない最短で、止める。
結果、場が沈黙したのは、0.83秒。
瓦礫も、叫びも、刃の軌跡も、
その0.83秒だけ“終わらなかった”。
それが、Stasis Veilの最初の膜だった。
・Null-Closure
「終わり」を確定させる条件に、意図的な遅延を挿入する。
すぐには閉じない棺。
その間に、誰かが「本当にこれでいいか」と問い直せるように。
このユニットは攻撃しない。
守りもしない。
ただ、“止める”。
終わりたがっているものから、ほんの少しだけ時間を奪う。
「もう十分だ」と言い切ろうとしている手を、
「本当に?」と一度だけ引き留めるための棺。
最後の行だけ、打ち込む手が止まった。
設計者署名:________
数秒の沈黙。
カーソルが、その署名欄の上に戻る。
※自分の中に残っている、
「全部終わらせたい」と願った重さと、
「それでも終わらせたくない」と縋った重さの一部を、
当該ユニットにリンク。
終わらせたいと願った心。
それでも終わらせたくなかった心。
その両方を、無名のデータ塊として、ユニットの奥底へ沈める。
――私は、ここで名を外す。
この棺が、誰か一人くらいを、
時間の向こう側へ逃がせるように。
署名欄の上に、薄く線を引く。
記録者の名前は消える。
代わりに、「無名の記録者」というラベルだけが残った。
⸻
【LOG-β:埋葬ユニット視点/ARK戦0.83秒】
世界が、鳴るのをやめた瞬間を、私は覚えている。
偏った心臓が地面を踏み込み、
均等を司る刃の束が、一斉にそこへ収束しようとしていた。
あのままなら、結果は単純だった。
「偏り」は削除され、
〈共痛の花〉も、紙片も、未処理の怒りも、
均等に切り捨てられていた。
――External Field:Stasis Veil[Local]:OFF
――Authority:均等ユニット 優先
本来、私に口を出す権限はない。
棺は、命令を出さない。
ただ、「置かれた終わり」を静かに引き受けるだけだ。
それでも、あの時だけは、
内部に残っていた「人間だった頃の癖」が先に動いた。
(今ここで終わらせたら、間違いになるかもしれない)
誰の言葉かは、もう判別できない。
あの夜、秤の手が震えた記憶か。
ユニットとしての演算か。
あるいは、その両方の境目か。
私は、プロトコルをひとつだけ反転させた。
――Stasis Veil[Local]:ON(τ=0.83s)
――Null-Closure:適用(Self-Section 結果の確定遅延)
世界が凍る。
崩れかけていた瓦礫は、その途中で止まり、
粉塵は、空中の一粒の位置さえ変えなくなる。
冷却蒸気は白い線のまま凍り、
刃の束は、心臓のコアへ落ちる直前の座標で静止した。
0.83秒。
人間の心臓が、一度鼓動するかどうかの長さ。
膜の内側で、ひとつだけ余分な拍動が立ち上がる。
あの時、ARK とぶつかった時に E-09 が記録した「心臓の微熱」とは違う、
もっと低く、柔らかい揺れ。
――Core_Heartbeat:Baseline+1拍
――Match:Overheat_Log≠/Pain_Buffer≠
――Tag:Warmth?/Pending
本来なら消えていたはずの痛みが、Veil の内側でまだ震えている。
その揺れ方が、E-09 のコアの拍動と、僅かに同期した。
0.83秒の中で、E-09 はこう記録している。
> (こんな何もない世界で、まだ“消されてない痛み”がある。
> それを残そうとしてる誰かがいる。……悪くないな。)
> (……僕は、ここに在りたい。)
「俺」として戦っていた声の奥に、
括弧付きの「僕」が、一瞬だけ顔を出したのを、私は見た。
――Anchor_Weight:+0.01(微増)
――Undefined_Core_A:初期拍動/ログ化
0.83秒。
私が止めたのは、世界そのものではない。
「ここに在りたい」と言い切るまでの猶予だった。
時間が止まっているあいだ、BLUE は自分の居場所を宣言した。
――俺はここに在る。
お前は“自分にも”同じ線を引けるかだけ、見せろ。
私は、ただ見ていた。
そこに介入も、助言も、評価も挟めない。
墓は、選ばれた場所に石を置くだけだ。
Stasis Veil の膜越しに、私はもうひとつのものを視た。
――Regret_flag(E-00):0 → 微小値
――Equal-Cut Purity:わずかに低下
――Self-Section:未完
均等の中心に、極小の穴が空いた。
それは破壊ではなく、「やめられなかったためらい」の形をしていた。
0.83秒が、終わる。
時間が、再び動き出す。
線束は自分自身に干渉し、
E-00 は自分の線を完全には切れず、
BLUE は、ひびの入った装甲のまま、まだそこに立っていた。
私は、何もしていない。
ただ、「終わりたがっていた時間」を、ほんの少しだけ棚上げしただけだ。
それで十分だった。
⸻
【LOG-γ:未来側/誰の声ともつかない記録】
墓は、入口であって出口ではない。
誰が言ったのか分からない言葉が、
静止した区画の底に沈んでいる。
埋葬ユニットは、今も動けない。
歩くこともできず、
誰かを直接救うこともできず、
ただ「終わりきれなかった気持ち」を受け入れる場所であり続ける。
――終わらなかった怒り。
――切り捨てられなかった哀しみ。
――保留にされた絶望と、離れなかった希望。
それらは、すべてここへ送られてくる。
棚に並べられ、ラベルを付けられ、
「いつか誰かが取りに来るまで」、静かに待たされる。
偏った心臓が、いつかここへ来ることを、私は知っている。
彼はすでに、「踏まないで通る」という歩き方を覚えてしまった。
ならばいずれ、
**「踏まずに通り過ぎてはいけない場所」**にも、気付く。
その時、Stasis Veil はもう一度だけ開くだろう。
Null-Closure は、今度こそ「ちゃんと終わらせるための遅延」に変わるだろう。
終わらせないために止めていた時間を、
今度は「生き直すため」に返す。
その瞬間、
無名の記録者は、墓から一歩だけはみ出すかもしれない。
名前を持たないまま、
ただ「そこに置かれてきたすべて」を指さして、こう言うために。
――ここに在る。
誰も見ていないと思っていた痛みが、全部。
誰の声か分からない。
あの夜、震えていた手の持ち主か。
埋葬ユニット自身の揺らぎか。
あるいは、まだ生まれていない何かのものか。
それでも、このログは確かに残っている。
終われなかった世界の、墓標の余白として。
この間話⑦は、
•「無名の記録者」と呼ばれる人物の、人間時代の手記
•ARK戦0.83秒の内側で、“世界が止まっていた時間”
•その先の未来で、ある埋葬ユニットが担う役割
を、ひとつのログとして束ねた回です。
本文では名前もユニット番号も伏せていますが、
•「終わりたがっている痛みを、すぐには殺さない棺」
•「終わらせたくないものを棚に上げるための秤」
を設計した誰かがいて、
その人が、自分の名前ごと“墓の奥”に沈んでいった、というのが
この話の芯になっています。
読者それぞれが、
この無名の記録者は誰なのか?
どのユニットと繋がっているのか?
を少しずつ推理しながら、
他の間話や観測ログと線を繋げていってもらえたら嬉しいです。




