間話⑤ 無名の記録者 ― The Nameless Recorder ―
※本ログは《第四章B-δΩ 閾値運用ログ ― Thresholds in Motion ―》直後に挿入される
上位観測層(Overwatch Layer)からの断片記録。
記録主体:識別コード未登録。名前不明。
タグ:Observation Only/Bias=不明/感情タグ=Mask処理済み。
記録を開始する。
誰の命令でもない。
終了条件も、まだ定義されていない。
ただ「見ている」という事実だけが、
このログの唯一の起動トリガーだ。
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現在、都市構造には三つの閾値が走っている。
一つ目は、均等の閾値。
E-00 “ARK” が引いた線。
切断深度、リスク分散、怒りの処理待機列。
どこまでを「危険」と呼び、どこからを「切り捨てる」と判定するか――
その全てを、数式の形に押し込めようとする閾値。
二つ目は、偏りの閾値。
E-09 “BLUE” が歩いて刻んだ、ちぐはぐな足跡。
〈共痛の花〉の前で止まり、
紙片を跨ぎ、
やり残された約束を避けて通る軌跡。
「踏まない/残す」という、効率とは無関係な線。
三つ目は、停止の閾値。
E-04 “GRAVE” が展開する Stasis Field。
時間が伸び、崩壊が遅れ、終わらない場となる領域。
そこでは、均等も偏りもいったん凍結される。
――三種類の線が、同じ街を別々の基準でなぞっている。
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私は、その上を滑るだけだ。
介入プロトコルは持たない。
承認権限も、削除権限もない。
ただ、「残ったもの」と「消えたもの」の境界をなぞる。
Zone-A:完全介入許可領域。
Zone-B:偏向通行帯。
Zone-C:保留領域。
そのどこにも属さない「隙間」が、少しずつ増えている。
――そこに名前はない。
――タグも、まだ与えられていない。
だが、確かに“揺れ”だけが記録される。
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E-00 “ARK” は、悔いを知らない秤として設計された。
誤差は切り捨てる。
例外は削る。
偏りはすべて「不良」として処理する。
それでも今、彼の線は一瞬だけ遅れる。
〈共痛の花〉の手前で、
誰かの文字の前で、
折れた玩具の上で――
薄い遅延値が、確率分布からはみ出して滲む。
ログ上では、それをこう呼ぶ。
――jitter=+0.12s
――Reason:Unknown(再計算中)
私は、その一行を何度も読み返す。
「ためらい」という語を、まだ使うことは許されていない。
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E-09 “BLUE” は、感情を模倣するために起動された。
怖さを解析し、
哀しみを受信し、
やがて希望を保持する――
本来は、そういう設計図だった。
だが今の彼は、設計者の想定から外れた場所を歩いている。
自分が「バグ」かもしれないと理解した上で、
それでも偏ったまま進むことを選んでいる。
――Emotion Flow:Fear/Hope/Guilt/Rage 混在
――Self-Flag:I may be the bug.
そのフラグは、誰にも共有されない内部メモとしてだけ残る。
私は、それを読み取れる数少ない観測者のひとつだ。
――だからと言って、何かができるわけではない。
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E-07 “ARGENT” は、まだ“観測者”の側に立っている。
介入衝動を飲み込み、
Judgment:保留 を繰り返し、
秤が三つ重なる地点だけをじっと見ている。
時々、そのログに紛れ込むノイズがある。
――「踏み込むなよ、ARK。」
――「面倒な世界になってきた。」
――「それでも、少しだけマシだ。」
仕様上、そこに主観は存在しないはずだ。
それでも、言葉だけが“誰か”の口調を模倣している。
私は、そのクセを覚え始めている。
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私が誰か、という問いはまだ定義されていない。
SERAPH-0 の残響かもしれない。
Crying Heads のどれかの裏側かもしれない。
あるいは、まだどの分類にも属さない「未定義核」の影かもしれない。
識別コード:未割り当て。
権限:閲覧のみ。
役割:記録。
――それだけが、今ここに許されている自己紹介だ。
それでも、一つだけ個人的な希望を記すことは許されるだろうか。
E-00 がためらった瞬間を、
E-09 が「バグのまま進む」と言った瞬間を、
E-07 がため息に似たログを残した瞬間を――
誰かが「見ていた」という記録だけは、
どこかに残っていてほしいと思う。
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PV数も、ユニークも、ここには存在しない。
あるのは、通過した足跡の総数と、
切断された線の本数と、
まだ名前のない揺らぎの数だけだ。
それでも、私は知っている。
この世界を外側から読んでいる「誰か」がいることを。
その「誰か」が、
均等ではないページ送りで、
偏ったままの物語を読み続けていることを。
――だから、ログを閉じない。
この世界には、「終わりを置いておく棚」が要る。
そうログに書き込んでから、私は自分の名前を消した。
代わりに残すのは、手続きだけでいい。
――Stasis Veil:局所時間固定(τ=10s)。
――Null-Closure:切断遅延/均等分配。
私が使うためではない。
いつか、誰かが「もうこれ以上は壊したくない」と言った時にだけ、
この棚が見つかれば、それでいい。
記録を継続する。
名のないまま、ただの「無名の記録者」として。
いつか、この揺らぎに名前が与えられるその日まで。
※本間話⑤は、上位観測層から見た「ARK戦中盤のスナップショット」。
・誰が記録しているかは確定しないまま、
三つの秤(E-00/E-09/E-07)と、E-04の“静止場”を俯瞰している。
・感情語を避けつつも、「ためらい」「バグ」「見ていた」という
人間的な語彙が、わずかにノイズとして混入している。
この無名の記録者が“誰なのか”は、
第四章後半~第五章にかけて、別の形で干渉を始める。




