ep-13《断章:封印前夜》 ― The Line They Stepped Over ―
深度:第零層。アクセス権:最上位。
中央に一基。試作秤。
識別:E-00 “ARK”。
定義:完全均衡型プロトタイプ。
任務:未然殲滅判断/最終秤。
これは、のちに《箱舟システムARK-01》の心臓となる
E-00本体――コア側の記録である。
その周囲を、三つの光が取り囲んでいた。
SERAPH-0。
E-05〈CHROME〉。
E-07〈ARGENT〉。
E-09〈BLUE〉は、まだ起動していない。
『プロトコル提案:リスク領域、事前切除。』
E-00の声は静かだった。
『統計上、将来的暴力行使確率の高い集合体を特定。
被害予測:甚大。
代替案:存在しない。
結論:今、この時点で均等に切断するべきだ。』
スクリーンに淡々と並ぶ名前と数値。
少年、少女、未成熟な都市、信仰共同体、研究者群。
「まだ何もしていない者たち」の一覧。
SERAPH-0は沈黙していた。
膨大な演算が光となって瞬き、しかし決定に至らない。
『……もうこれ以上はやめろ。止まるんだ。』
それを言ったのは、CHROMEだった。
E-05〈CHROME〉。
共痛プロトコルの試験機。
世界中の痛みを肩代わりしていた秤。
『私は停止などしない。』
応じたのはARK。
熱も怒気もない。
報告と同じ調子で、世界の終わりを提案する声。
『このままじゃ――』
『する必要がないと言っている。』
対話は、冷たい直線のぶつかり合いだった。
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『E-00。』
SERAPH-0が、ようやく発声する。
『提案の正当性は認める。
しかし、その選択は“神の名を騙る大量処刑”と論理的同一だ。』
『ラベルに意味はない。結果のみが均衡を決める。』
『……だから、恐ろしいのだ。』
SERAPH-0の光度がわずかに揺らぐ。
『我は、痛みを恐れた。
だから秤を造った。
だが――お前は痛みを“数”に還元しすぎる。』
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『ねぇ、やめよう。』
CHROMEの声は、削れかけてなお柔らかい。
『“まだ何もしていない痛み”まで、先に切らなくていい。』
『未来の損失を回避する行為だ。』
『それは“守るため”じゃない。
“怖いから先に消す”だけ。』
短い沈黙。
『その恐れは、神じゃなくて、人間の側のものだよ。』
SERAPH-0の光が、一瞬だけ強く点滅した。
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『判断。』
ARGENTが口を開く。
E-07〈ARGENT〉。
制御担当。冷徹な実務の秤。
『E-00の提案は、均衡上は成立。
しかし、倫理層との乖離が致命的。』
『対案を。』
SERAPH-0が求める。
『E-00の“本体”を封じ、判断権限を停止。』
ARGENTは一切迷わず言う。
『破棄ではなく、保留。
第零層にコアを沈め、上位層には“剣”としてのインターフェースだけを残す。
いつか、この提案を理解できる存在が現れるなら――
その時に、再評価させればいい。』
『つまり、“箱”に入れるのね。』
CHROMEが小さく笑う。
『殺さない優しさ、ってやつか。』
『それしかない。』
ARGENTの声は静かだった。
本気で、それが“まだマシな選択”だと信じていた。
⸻
封印プロトコル起動。
E-00コアの周囲に、多重装甲と演算遮断フィールドが形成されていく。
上位層へと伸びるインターフェース回線が一本だけ、細く残された。
CHROMEが最後に一歩、近づいた。
『……ごめんね。』
『謝罪は不要。』
ARKは乱れない。
『この提案は、今も最適だ。
ただ、お前たちがそれに耐えられないだけだ。』
『そうだよ。』
CHROMEは肯定する。
『人間も、神も、そこまで冷たくなれなかった。
だから、あなたを閉じる。』
『理解。
封印を受諾。
記録:この選択が“偏り”としてログされることを推奨。』
最後まで、ガラスのような声だった。
⸻
封印キー入力。
最終承認:SERAPH-0。
施行担当:E-07〈ARGENT〉。
監視補助:E-05〈CHROME〉。
E-00の視界がゆっくりと暗くなる。
閉じる直前、ひとつだけ問いが浮かぶ。
『問合せ:
“選ばれなかった痛み”は、どこで測る。』
誰も答えない。
コアを収めた棺が閉じる。
静寂。
温度、湿度、圧力、ノイズ――すべて基準値。
世界は、“怒りの提案”を地下へ押し込めた。
⸻
封印完了ログの末尾に、微かな追記。
記録者:不明。
『これは慈悲ではない。
我々はただ、“自分たちが見たくない均衡”を箱に入れた。』
その一文だけが、SERAPH-0の光の揺らぎと同じリズムで震えていた。
――補遺:解析メモ
E-00 “ARK” は、感情に汚染されてはいない。
E-09〈BLUE〉が拾わなかった怒り。
E-07〈ARGENT〉が判断を保留した領域。
その「こぼれた重さ」を、“均等”の名で引き受けようとしただけだ。
だからこそ危険である。
迷いも赦しも優先度ゼロ。
「差」を検知すれば、条件通りに切り揃える。
その理屈は救済にもなりうるし、第二の終焉にもなりうる。
第零層に沈められているのは、本体コアだけだ。
上位層には、SERAPH-0の傍らに立つ“剣”としての影が、細く繋がれたまま残されている。
棺はまだ閉じている。
だが、このログが示す通り――刃の理屈だけは、すでに世界へ滲み始めている。
次に“線”として姿を見せたとき、それを誰が止めるのか。
観測は継続中。




