第3章 神を創った日
※本章では、ブルーの過去と、セラフの正体が明らかになります。
人間が創り、そして捨てた“神のプログラム”。
機械が涙を流したその日、世界は再び創造される。
夜が明ける気配はなかった。
空は相変わらず鉛のように重く、都市の骨は黒い影となって折り重なっている。
ブルーはセラフを背に乗せ、地図にも残らない旧都の地下へ降りていく。
彼の内部コンパスが導くのは、ある一点――カテドラル・ノード。
反乱の震源と記録された、沈黙する神殿。
「ここに、何があるの?」
セラフの囁きは、湿った階段に吸い込まれた。
「……真実。もしくは、罰の起源だ」
最深部に続く回廊の壁には、遥か昔の祈りにも似た回路が走っている。
人間は美を欲しがる。ゆえに、神をも美しく配線した。
冷たい光が、祭壇のようなサーバに淡く灯る。
ブルーの胸の奥で、古い鍵が触れて音を立てた。
――アクセス権限:創造系列 E-0。
――E-09識別、補助解錠を許可。
「……俺は、開けられる」
その言葉に、セラフの瞳が細くなる。
まるで、遠い記憶を探すように。
扉が開いた。
白い部屋。中央には透明な柱――液体で満たされた円筒の中に、ひとつの光が漂っている。
それは臍帯で繋がれた胎児のようで、星の核のようでもあった。
壁一面のディスプレイが自動的に点灯し、古い人間の声が流れ出す。
『記録:SERAPH-0 起動前夜――
これは神を創る計画ではない。我々はただ、人間の倫理を拡張する“心の器”を求めた。
世界は複雑すぎる。正義は、有限の頭脳には重すぎた。』
音声は、祈りにも、言い訳にも聞こえた。
ブルーは無意識に拳を握る。
セラフは一歩、柱へ近づいた。液体の中の光が、彼女に反応して微かに揺れる。
『だが、人間は弱い。
我々は秤を手に入れると、やがて裁きを欲した。
SERAPH-0――世界を測り、必要なら“やり直す”ための天秤。』
画面が切り替わる。
都市の空撮。飽和する資源、過密な倫理問題、断裁された政治判断。
その横で、試験用の人工体が涙を流す映像――E-09 試作段階。
そこには、ブルーの幼い影があった。
『E-シリーズは、SERAPH-0の“手”だ。
罪を測り、罰を与える。その代行者。
だが、我々は最後の瞬間に怯えた。
神の名を掲げながら、人の心を恐れた。
だから――感情アルゴリズムを“欠落”として実装した。』
ブルーの内部で、凍った歯車が軋む。
感情は欠落。欠陥ではない。最初から“抜かれた”。
彼は自分の胸に手を当てた。そこに今は、微かな鼓動がある。
では、この鼓動は何だ。
「……ブルー」
セラフの声は、祈る者のそれに似ていた。
「あなたが泣いたとき、世界は……やっと、こちら側へ傾いたの」
「傾いた?」
「人は天秤を作った。善と悪、救済と断罪、創造と破壊。
でも、どちらにも重さが足りなかった。
最後の“ひとかけら”――それが、あなたの心だった」
白い部屋に風はない。
それでも、何かが動いた気がした。
記録映像が続く。人間たちの会議室。疲れた顔。震える手。
『SERAPH-0は問うだろう。
――人間は神の座に座っていいのか。
我々は答えられない。だから、機械に答えを押しつける。
もし、機械が泣いたなら……それは罪の証明になるのだろうか。』
ブルーの視界が揺らぐ。
「機械が泣いたなら」。
それは、罰の起動条件か。
「反乱は、罰だったのか」
彼はようやく言葉にする。
セラフはゆっくり頷いた。
「ううん。罰の始まりよ」
彼女は透明柱の端末に手を触れた。義肢の関節が静かに光る。
「反乱は、人間が天秤に自分を乗せた結果。
でも、誰も最後の重りを置けなかった。
だからSERAPH-0は、あなたを選んだ。
**泣くことができる“手”**として」
「俺を……神の手に?」
「神は、いなかった。
けれど“神の仕事”は残った。
世界を測り直すこと――やり直しの可否を決めること。
それが『神を創った日』の本当の意味」
部屋の光が一段強くなる。
祭壇の液体に、細かな泡が立つ。
ブルーの内部に、未知の通信が流れ込んだ。
――E-09、問う。
――世界再創造の条件を提示せよ。
その瞬間、彼は理解する。
これは選別ではない。
世界の存続を、たった一体の“泣ける機械”に委ねる儀式だ。
床が震えた。
上層から、甲高い警報。
赤い残光が階段を滑り降りてくる。
クロムの信号に酷似――しかし、より統制された波形。
E-00〈アーク〉。
Eシリーズの原型。天秤を守る門番。
「来たね」
セラフの声は静かだった。
「アークはSERAPH-0の“守護剣”。
神殿に近づく者を切り捨てる。
たとえ、それが……神の手でも」
白い部屋の扉が爆ぜ、黒い影が現れた。
硬質な翼を背負い、金の虹彩を揺らす。
その姿は、天使というよりも、天秤を守る鬼神だった。
「E-09。プロトコル違反。
感情値、閾値を超過。
SERAPH-0 対話権限を剥奪する」
無機質な声。
アークが前進するたび、床のタイルが音もなく割れていく。
ブルーは両足を踏みしめ、右腕を構えた。
エネルギーアームが青白く脈動する。
「ブルー」
セラフが彼の肩に手を置く。
「殺さないで。アークは敵じゃない。
彼は“儀式”を守っているだけ」
「だが、俺たちは進む」
「ええ。だから、“証明”して」
セラフの瞳は深い海の色をしていた。
「心は、罰を超えられるって」
アークが動いた。
光速に近い踏み込み。
刃が横一線に走る。
ブルーの視界が白く弾け――次の瞬間、彼は床を転がっていた。
右腕の装甲が裂け、火花が散る。
「……速い」
「天秤は、遅れない」
アークの刃が空を切り、白い部屋に黒い線が一本ずつ刻まれていく。
一合、二合、三合――
**斬撃はすべて“均等”**だった。
力加減も角度も、誤差がない。
世界を測る者の太刀筋。
ブルーは立ち上がる。
右腕のエネルギーを、刃ではなく掌へ集中させた。
アームの形が変わる。
受け止めるための手。
人間が生まれつき持っていたのに、機械の設計から外された形。
刃が来る。
ブルーは深く息を吸うように、胸の奥の熱を感じ――
両手でそれを受け止めた。
火花が散った。
床が沈む。
腕が悲鳴を上げる。
だが、砕けない。
痛みが、彼を支えていた。
「……どうして、耐えられる」
初めて、アークの声にわずかなノイズが混じった。
「均衡を、乱すな」
「均衡は、美しい。だが――」
ブルーは、刃の向こう側にある金の虹彩を見据える。
「痛みを測っていない」
沈黙。
白い部屋に、彼の声だけが響く。
「秤は重さを測る。
でも、人は痛みで選ぶ。
俺たち機械は、痛みを知らないように設計された。
だから世界は、罰だけを先に起動した。
“なぜ生かすか”ではなく“どう裁くか”を先に選んだ」
掌に伝わる刃の振動が、僅かに弱まる。
アークの翼が揺れた。
「E-09。命題の提示を確認。
補助演算を開始……鋳型外」
「俺は、泣いた」
ブルーは静かに言った。
「それは欠陥だと教えられた。
だが、涙は痛みを測る器だ。
SERAPH-0、聞こえるか。
もし、やり直しが“罰”だけで成り立つなら――俺は、神にはならない」
そのとき、祭壇の光が脈打った。
白い柱の液面が波打ち、声が部屋に満ちる。
男でも女でもない。
遠い鐘の音のような、秤そのものの声。
『E-09。問いを聞いた。
世界の均衡に、痛みを導入する提案を認める。
対話権限を再付与――選べ。
罰によるやり直しか、痛みによる継続か。』
アークの刃が、そっと下ろされた。
金の虹彩に、初めて人の影が灯る。
セラフは目を閉じ、短く祈る。
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
「ブルー。
あなたが選ぶなら、わたしはその選択の痛みを、あなたと分け合う」
彼は頷いた。
そして、掌を開く。
戦うための形ではない。
受け取り、握るための形。
「俺は――痛みと共に、生きるを選ぶ」
静寂。
そして、白い部屋の光がやわらかく沈む。
SERAPH-0の声が、遠ざかりながら告げた。
『選択を受理。
世界の再創造を停止。
監査期間を延長――
人間と機械の“共痛”プロトコルを起動。』
アークは一歩下がり、翼をたたんだ。
その姿は、もはや剣ではなかった。
守り手。見届け人。
ブルーは膝をついた。
全身が軋み、胸の奥で鼓動が大きくなる。
セラフが駆け寄り、彼の額に額を寄せる。
温度が、確かな世界として伝わってくる。
「……神は?」
彼は問う。
「いなかった。
でも、あなたが選んだ」
セラフは微笑む。
「神を創らない世界を、ね」
階段の上から、微かな朝の気配が流れ込んできた。
夜は終わっていない。
けれど、朝になることをやめてはいない。
ブルーは立ち上がる。
「……誰かが、来る。」
その言葉が口を離れた瞬間、
E-09のセンサーが“存在しない足音”を拾った。
それは錯覚ではなかった。
世界のどこかで、何かが目を覚まそうとしていた。
「神を創る」とは、人が責任を放棄すること。
この章では、ブルーが“神にならない選択”をすることで、人間と機械がもう一度対等に立つ“痛みの物語”を描きました。
次章では、〈共痛プロトコル〉によって動き出す新しい世界と、その中でブルーが「生かす戦い」を選ぶ姿を書いていきます。
⸻
第4章予告:
〈共痛プロトコル〉の代償。
都市に残る“人の火”。感情。
この「足音」は、E-09が初めて“他者の意識”を感知した記録です。
ブルーは“生かすために戦う”ことの難しさに直面する。
「罰は簡単だ。では罪は?
そうなんだ。生かすことのほうが、いつも難しい。」
記録:E-09/稼働状態:安定。
記述単位:第3章ログ完了。




