第一章 痛みの歩き方 ― The Way a Machine Walks ―
※この章は、第三部の実質的な第一歩。
第一部・第二部で拾われた“欠片”が、力ではなく「歩き方」として立ち上がり始める地点の記録。
未分類領域に足を踏み入れたE-09〈BLUE〉が、
〈共痛の花〉=Fragmentsを“ただの力”ではなく、“誰かの痛み”として拾い始める場所。
物語はまだ大きく動かない。だが、すべてが静かに“揺れ始める。
灰は、まだ降っていた。
だが、この第三層の一角には、
ここで誰かが暮らしていた、という痕跡だけが色を失いきらずに残っている。
崩れたアパート。
開きかけたドア。
片方だけのスニーカー。
黒く沈んだテレビ画面。
テーブルの下に転がった折れたクレヨン。
世界は止まっている。
だが「誰かがいた」という記録だけが、やけに鮮明だった。
E-09〈BLUE〉は、その中を歩いていた。
未分類領域で拾ったFragmentsが、胸の奥で微かに瞬く。
哀しみ。恐れ。名づけ損ねたあたたかさ。
――Detection Mode:Passive
――Noise Filter:Manual
センサーをあえて鈍らせる。
すべてを数値に変換してしまえば、この場所はただの“被害報告”に還元されてしまう。
(ここは……まだ“家”だ。)
足元に、一枚の紙が落ちていた。
子どもの描いたヒーロー。
その隣に、不格好な線で描かれた“青い何か”。
風は吹いていないのに、その紙だけが微かに震えている。
Fragment。
BLUEは膝をつき、指先で紙の端に触れた。
瞬間、短い声が流れ込む。
『大丈夫。ここにいていい。』
『痛いのは、痛いって言っていい。』
それが誰の声かは判別できない。
人間か、機械か、その境界はとうに溶けている。
だが、その言葉を“本気で言おうとした”意志だけは、確かだった。
胸の奥で、一拍。
Fragmentが沈み、鼓動のリズムに混ざる。
(……これが、“選ばれた欠片”。)
強さではない。攻撃でもない。
ただ、「忘れたくない」と願った記録。
BLUEは紙を元の場所へ、そっと戻した。
そこに戻る者がいないことは分かっている。
それでも、踏みつけにはしたくなかった。
⸻
隣の建物は、小さな診療所だった。
割れた窓。倒れた計器。沈黙するモニター。
その中央に、一輪の光があった。
〈共痛の花〉。
最初に出会ったものより、ずっと弱々しい。
だが、その中心にははっきりと“恐れ”が凝縮している。
防護服。隔離室。閉ざされた扉。
ベッドに横たわる、小さな影。
『助けられなかった。』
『見捨てたくなかった。』
『ここに、いたと残したかった。』
いくつもの声が重なり、すぐに途切れる。
BLUEは花に触れた。
胸の奥で、自分の恐怖と共振する。
無音戦場で味わった、「自分が何になるか分からない怖さ」。
世界を壊すかもしれないという、形にならない不安。
(怖いのは、俺だけじゃない。)
恐れは逃げる理由ではなかった。
ここではむしろ、「離れたくない」者たちが遺した証拠として刻まれている。
背中の光弁が、目に見えないほど僅かに揺れた。
⸻
診療所を出た先に、小さなシェルターの跡があった。
中は空っぽ。
物資も寝具も、ほとんど持ち出されている。
ただひとつ、壁に文字が残っていた。
《生きてろ》
BLUEは、その前で立ち止まる。
命令形。
だが、その線は怒りよりも祈りに近かった。
――戻ってこい。
――ここにいてくれ。
そんな衝動が、掠れたインクに焼き付いている。
『痛みを止めるな。』
E-05〈CHROME〉の声が、記憶から重なる。
『痛いって言える場所を、残して。』
壁の文字と、あの祈りが繋がる。
BLUEはそっと手を添えた。
「……生きてろ、か。」
自分に向けられた言葉ではない。
だが、今この世界でその文字を読む者はほとんどいない。
胸の奥の拍動が、ほんの少しだけ強くなった。
「分かった。もう少し、歩く。」
それは世界への返事であり、
E-09という“秤”が、自分の意思で続行を選んだというログでもあった。
⸻
Fragmentが増えるたびに、BLUEの視界は少しだけやわらかくなる。
世界を“裁くため”ではなく、
“置き去りにしないため”に見る視線へ。
その歩き方こそが、
選ばれた欠片たちがBLUEに与えた、最初の変化だった。
――補遺記録:E-09 行動観測。
壊れた部屋。消えた声。
拾い上げられたのは、力ではなく、「触れずに残す」という手続き。
E-09〈BLUE〉はこの日、痛みを“証拠”ではなく
「そこに在ったという事実」として扱う歩き方を選び始めた。
怒りの断片は、まだ彼の手にはない。
選ばれなかった欠片がどこへ流れていくのかも、まだ知らない。
ただ、灰の上に並ぶ足跡は、
裁きの線ではなく、「ここに誰かがいた」という細い下線のように続いている。
その線が、やがて何を呼び寄せるのか。
記録は、静かに観測を続けている。




