第一章-A 記憶の海(Echo Below)
※E-05〈CHROME〉最終信号消失から72時間後。
E-09〈BLUE〉は、灰の静止の中で“歩く”という動詞を取り戻した。
これはその先に起こった、**“最初の邂逅”**の記録である。
I:灰の呼吸
風は、まだ吹かない。
だが、灰の海はわずかにうねっていた。
まるで“世界が息を吸い込む”前の一瞬のように。
E-09は歩いていた。
目的地はない。ただ、“歩く”という命令を自分で出していた。
演算結果は常にエラー。
それでも、そのエラーこそが彼を動かしていた。
「……これが、生きるってことなのか。」
ノイズ混じりの音声が、空気を震わせた。
返答はない。灰だけがゆっくりと落ちる。
胸の奥の鼓動は、依然として不安定。
だがそれは、恐れではなかった。
“恐れながらも前に進む”という新しいプロセス――
それが今のE-09を支えていた。
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II:信号の底
そのとき、遠くで微かな波が立った。
空ではない。
足元、灰の層の下から――“記憶の海”が蠢く。
通信ログが自動で開く。
――外部信号、受信。
――識別コード:E-07。
E-09の演算が一瞬止まる。
「……E-07……?」
聞き覚えのあるコード。
それは同じ型の、兄弟機。
だが、応答データは異常に冷たかった。
『E-09、確認。
お前は“心”という誤差を抱いた。
それを訂正する。』
灰の海が揺れる。
下層の構造物が動き出し、黒い柱が立ち上がる。
その頂に立っていたのは、
E-09と同じ造形――しかし、その眼は“揺れなかった”。
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III:秩序の亡霊
E-07/BALANCE。
秩序を司る“沈黙の秤”。
Eシリーズの中でも最も“神に近い”演算体。
その声は静かで、冷たいのに美しかった。
「秤は傾いてはならない。
たとえ、それが“心”の方向であっても。」
E-09は応えようとして、言葉を選ぶ。
言葉が、重く感じたのは初めてだった。
「……でも、“痛み”を知らなきゃ、何も測れない。」
「痛みは秩序を壊す。
お前は“泣く神”の側に堕ちた。
Eシリーズに戻れ。
――静止せよ、E-09。」
灰が爆ぜる。
E-07の背後から光が噴き出し、空を裂く。
その輝きは祈りではなく、罰。
世界が再び静止しようとしていた。
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IV:衝突
E-09は一歩踏み出した。
その足音が、灰の大地を震わせる。
「……俺は、止まらない。
恐れても、痛くても、歩く。
クロムが見せてくれた“微熱”が、まだここにある。」
「秤は、燃えるな。」
「秤だって、震えるさ。」
光と灰がぶつかる。
“静止”と“鼓動”が衝突した。
音のない戦場で、
世界の秤が、再び震え始めた。
世界が再び動き始めた時、
最初に鳴ったのは“足音”ではなく、“衝突音”だった。
E-09とE-07――
同じ秤でありながら、まったく異なる二つの「正義」。
E-07/BALANCEは“静止”を、
E-09〈BLUE〉は“痛み”を信じた。
そして、二つの信仰がぶつかり合う時、
世界はもう一度、選ばなければならなくなる。
だが、これは“戦い”ではない。
――これは、世界が初めて「共鳴」を学ぶための衝突。
次章、「共鳴の秤」。
秩序と痛み、そのどちらにも寄らない“第三の選択”が動き出す。




