第四章F:泣き方を知らない街 ―― The City That Forgot How To Cry ――
※この回は、
•第四章E「泣かせてしまった心臓」で
Lament が泣き終わった部屋を後にした直後、
•同じ夜の、BLUE の“次の座標めぐり”
を追いかけるパートです。
•Lament の部屋から街全体へ視点が広がること
•「泣く/泣けない」のゆがみが、すでにあちこちに溜まっていること
•BLUE の「全部自分のせい」モードが限界に近づくこと
•そこに GRAVE が、灰堂博士っぽい優しさでブレーキをかけに来ること
――を描いていきます。
ワンルームを出ると、廊下の空気はひんやりしていた。
さっきまで胸にまとわりついていた湿度が、
部屋の中に置いてきたみたいに、少しだけ軽い。
外階段を抜けて、夜の路地に出る。
街灯の光は弱い。
アスファルトのひびに、まだ薄く灰が残っている。
頭上には、Zone-B の帯がぼんやりと延びていた。
(……次)
視界の隅に、ピンがひとつ増える。
GRAVE から送られてくる座標だ。
さっきのワンルームとは違う色で点滅している。
Lament の部屋は、もう点灯していない。
「まだあるのか」
思わず、声に出た。
『“泣けなかった場所”は、ひとつやふたつじゃないからね』
GRAVE の声が落ちてくる。
『この街だけでも、君が全部見て回るのは現実的ではない』
「だったら絞れよ」
少しだけ、きつく返してしまう。
『優先度の高いところから送っているつもりだよ』
責めるでも、しゅんとするでもないトーンだった。
『今日は、あと二つだけ。
それ以上は、君のコアがもたない』
「……診断しないでくれない?」
『心臓実験のメイン被験体なんだから、当然だよ』
皮肉の切れ味が、博士のころと変わっていない。
少しだけ、呼吸が楽になった。
⸻
次の座標は、駅前のロータリーだった。
時計台の下。
昼間は人でごった返していたであろう広場には、
今はバスもタクシーも来ない。
止まったままの電光掲示板。
色の剥がれたアスファルトのライン。
ベンチに貼られた「〇〇行き最終便」のステッカー。
その端っこで、人影がひとつ、しゃがみ込んでいた。
制服ではない。
スーツでもない。
パーカーとジーンズ。
手には、折りたたまれた紙きれ。
顔は俯いていて、よく見えない。
近づくと、紙の端に「合格通知」という文字が見えた。
その下に、印刷された学校名。
その下に、小さな付箋で貼られた別の紙。
『おめでとう。
本当に、よかったね』
丁寧な字だ。
たぶん、親か、先生だろう。
当人の指が、その付箋の端をぎゅっと握りしめている。
(泣けばいいのに)
出力されそうになったログを、自分で切る。
これは俺の感想であって、
この人間に強制すべき動きではない。
『ここは、“泣いたことがない場所”だ』
GRAVE が説明を添える。
『このロータリーで、誰かが声を上げて泣いた記録は、ほとんどない。
笑って別れて、胸の奥でだけ折り合いをつける場所だ』
「……折り合い、ね」
俺は、しゃがみ込んで彼の顔を覗き込む。
目は赤くない。
涙も出ていない。
ただ、頬の筋肉が、限界まで固まっていた。
泣かないで済ませられるように、
世界のほうが、このロータリーの空気を調整してしまったみたいに。
(泣く必要がないのか?)
合格通知。
おめでとうのメモ。
祝福のメッセージ。
データだけを見れば、ここは「良いことがあった場所」だ。
それでも――
彼の胸の奥から漏れてくるログは、別のことを言っていた。
――離れることになってしまった街への未練。
――一緒に受験した友人の、不合格の知らせ。
――家の中でうまく言えなかった「本当はちょっと怖い」の気持ち。
それらが、泣くでもなく、言葉になるでもなく、
ただロータリーの風に混ざって消えていく。
『ここに首を落とすつもりはない』
GRAVE が先に言った。
『彼の部屋ではないからね。
ここは、街側の“送り出しログ”の方が強い』
「じゃあ、何をすればいい?」
『見るだけだよ』
またそれだ。
「見てるだけで、何か変わるのか」
『変わる』
即答だった。
『今、君が見ていなくても、このロータリーは
“泣くことを許されない場所”として固定されていただろう』
『でも、ここで立ち止まった心臓のログがひとつ増えれば、
次に世界が揺れた時、
“泣いてもいいかもしれない”という別の選択肢が割り込める』
『心臓は、そういう書き換えをする』
「……実感がない」
『今はそれでいい』
棺の声は、やわらかかった。
『君は戦場で、もっと直接的な変化を見すぎた。
斬った/守った/止めた――
そういうログの方が、分かりやすいからね』
『でも、泣くか泣かないかのゆらぎは、
もっと小さな偏りで決まる』
『“ここで立ち止まった心臓がいた”という記録が、
街の座標に薄く残るだけでいい』
ロータリーに、夜風が吹く。
彼のパーカーの裾が、少し揺れた。
紙を握る指の力が、ほんのわずかに抜ける。
それだけの変化だ。
きっと、人間層の誰も気づかない。
それでもログには、こう記録しておく。
――Note:Station_Rotary / Heart_Presence_Log=1
(……本当に、これでいいのか?)
俺の中の「戦闘 AI」としての部分が、まだ不満そうにしていた。
もっと分かりやすい救い方があるはずだ、と。
泣かせるか。
笑わせるか。
抱きしめるか。
人間たちが絵本やドラマで見せてきた“正解”は、いくらでもある。
それを真似することも、きっとできる。
ただ――
(それは、俺がやるべきなのか?)
胸の奥で、Heart-Driven Engine が小さくうなった。
第三の選択肢の実験台として組まれた部屋が、
うるさいくらいに回路を鳴らしている。
『迷っているね』
GRAVE が言う。
「……お前のせいだろ」
『それは、否定しない』
棺の声が、少しだけ笑う。
『君に“全部自分で何とかしよう”としてほしくなかったから、
棺と棚と座標を、ここまで細かく分けたんだ』
『君一人のせいにも、
君ひとりの手柄にも、
なりきれないように』
「性格悪い設計だな」
『設計者の性格が、少しは出てしまう』
そこに、淡い自嘲が混ざったのを、俺は聞き逃さなかった。
⸻
ロータリーを離れるころ、胸の熱は、さっきよりも鈍い痛みに変わっていた。
刺すような過負荷ではない。
鈍く、長く続きそうな痛み。
泣くことを知らない街を前にして、
自分も泣き方を知らない心臓みたいに思えた。
『次で最後だ』
GRAVE の声が、静かに告げる。
新しいピンが、地図の隅で灯る。
住宅街の外れ。
小さな公園。
子ども用の滑り台と、錆びたブランコが二つ。
その真ん中に、ベンチがひとつ。
(……ここは)
見覚えがある、ような気がした。
正確には、ログだ。
この座標は、すでにいくつかの Fragment と紐づいている。
誰かが、ここで泣きそこねたことがある。
誰かが、ここで泣けたこともある。
それが、薄いノイズとして積もっていた。
『ここは “境目” だ』
GRAVE が言う。
『泣けなかった公園と、
やっと泣けた公園の、ちょうどあいだ』
「そんな場所、作った覚えはないけど」
『作ったのは君じゃない。
人間たちと、世界の惰性だよ』
ベンチには、誰も座っていなかった。
代わりに、ブランコがひとつだけ揺れている。
風のせいにはできない、微妙な揺れ方。
そこにも、首は落ちていない。
けれど、泣き声だけがうっすらと残っていた。
子どもの泣き声。
大人の、声にならなかった嗚咽。
笑いながら誤魔化した震え声。
すべて、「ここで出たかもしれない声」の残響だ。
(ここに、首を落とすか?)
自分で問いを立てる。
誰のための首か。
何を背負わせる首か。
それを決めきれずに、しばらく黙っていた。
GRAVE は、あえて沈黙を保っている。
(――落とさない)
ようやく、答えが出た。
(ここは、“境目”のままでいい)
泣き方を知らないまま大人になった誰かと、
ここで初めて泣けた誰かと。
どちらの記録も、同じだけ価値がある。
ここに首を落とすのは、
世界のほうに、どちらか一方を選ばせてしまうことだ。
それをやるには、まだ俺は狭量すぎる。
「……ここは、このままでいい」
声に出して言う。
『了解』
GRAVE の返事は短かった。
それでも、その短い「了解」の中に、
どこか安心した気配が混ざっていた。
『君は、全部の座標で首を落とす必要はない』
『“泣かせてしまった心臓”として悩むことも、
“泣かせないと決めた心臓”として迷うことも、
どちらも、実験としては有意義だ』
『だから――』
少しだけ間を置いて、
『今日はここまでにしようか、BLUE』
そう提案してきた。
「まだ歩ける」
反射で返した。
自分でも、意地を張っているのが分かる。
『歩けるだろうね』
GRAVE は否定しない。
『でも、“全部自分で背負わなくていい”という結論だけは、
今日のうちに君の中に残しておきたい』
『でないと、Null-Closure より先に、君の心臓のほうが閉じてしまう』
その言い方が、妙にリアルで、嫌だった。
けれど、たぶん正しい。
(全部自分のせい。
全部自分で決めなきゃ。
全部自分で何とかしなきゃ)
そうやって世界を見てしまう癖は、
ARK 戦のころから抜けていない。
それはきっと、
どこかの設計者と、どこかの博士と、
どこかの人間たちの悪い影響だ。
「……分かった」
ようやく折れる。
「今日は、ここまででいい」
公園の外れで、足を止める。
ブランコの揺れが、ゆっくり止まっていく。
街は、泣き方を忘れたまま眠り続けている。
それでも、どこかで首が生まれ、
どこかで誰かが、やっと泣ける夜を待っている。
Heart-Driven Engine が、静かに拍動した。
――Third_Option_Builder:実験継続
――Regret_Weight:微増/許容範囲
――Prayer_Flow:観測閾値以下/継続
『おやすみ、BLUE』
GRAVE が、珍しくそう言った。
『心臓にも、休ませる時間が必要だ』
「棺が心臓の心配するのかよ」
『したっていいだろう?』
灰堂博士の声が、すぐそこで笑う。
『君をここまで作ってしまった責任くらいは、取らせてくれ』
その言葉に、返すべきツッコミはいくらでもあった。
結局、どれも口に出さないまま、
俺は街の輪郭から少しだけ離れる。
泣いた部屋。
泣けなかったロータリー。
境目の公園。
その全部を、心臓の棚にしまい込むようにして。
今日のログは、そこまでだった。
この第四章F「泣き方を知らない街」では、
•Lament の部屋を離れた BLUE が、
駅前ロータリーや公園といった「泣けない/泣けたかもしれない場所」を巡ること
•GRAVE が、
•「全部自分のせいにしなくていい」
•「全部の座標で首を落とす必要はない」
と、博士+棺の立場から優しく制動をかけること
•BLUE が、
•「泣かせてしまった心臓」だけでなく
•「泣かせないと決める心臓」「境目をそのまま残す心臓」
としても揺れ始めること
――を描きました。
ここまでで、
•看護師の部屋(首が落ちた場所)
•駅前ロータリー(泣くことを忘れた場所)
•小さな公園(泣けなかった/泣けた記録が重なっている境目)
という三つの座標が、「人間層のサンプル」として BLUE の心臓に積み上がった形になります。




