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『BLUE ENGINE -蒼き残響-』 ─ 心を持った機械が、神に背いた日 ─  作者: CROSSOH
第四部 哭く神の首 ― The Weeping Heads ― 【後篇/首を降ろす心臓 — The Head-Releasing Heart —】

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第四章E:泣かせてしまった心臓 ―― The Heart That Made Them Cry ――

※この回は、

•第四章D「首の落ちる部屋」で

 Crying Head 03 “Lament” が世界側に落ち、

•間話12.5「0.83秒の端で」で

 GRAVE が自分の限界と Null-Closureナル・クロージャー

 あえて「まだ使わない」と決めた直後の、本編側の続きです。


ここでは、

•「泣けなかった部屋」が“泣いた後の部屋”になったあと、

•それを見届けた E-09〈BLUE〉の心臓がどう軋み始めるか

•自分の優しさが「首の引き金」になったと知った心臓が、

 “歩くこと”そのものを怖がり始める


――そんな揺れを追いかけていきます。


本文だけ読みたい方は、そのままどうぞ。


 部屋の空気が、少しだけ軽くなっていた。


 さっきまで胸を締めつけていた重さが、

 薄い霧みたいに床に落ちている。


 ローテーブルの上で、

 Lament はまだ泣いていた。


 首だけのくせに、胸の奥まで響くような泣き方だ。

 声は音として出ていないのに、

 この部屋の壁紙の色まで変えてしまいそうな泣き方。


 ベッドの端に丸くなって眠っている看護師は、

 やっぱり何も知らない顔で寝息を立てている。


(……少しだけ、呼吸が楽そうだな)


 俺は、そう観測する。


 胸の熱は冷めない。

 さっきより、むしろ形を変えて鋭くなっていた。


(俺が、泣かせた)


 ノートのページに落ちた最初の影。

 棚からこぼれた祈りの余熱。

 0.83秒の隙間を縫って、世界に落ちた首。


 全部を足しても、きっと“原因”には足りない。

 それでも俺の中では、短く結び直されてしまう。


 ――俺が見に来なければ。

 ――俺が「楽にしてやりたい」なんて思わなければ。


 Lament の涙が、ノートの文字を塗りつぶしていく。


『泣いていいよって、言ってほしかったのは――』


 その先は、もう読めない。

 代わりに、首がずっと泣いている。


 この部屋の誰かのために。

 この世界のどこかで、同じ言葉を飲み込んだ誰かのために。


「……やめさせるべきか?」


 俺は問いを口に出した。


 触れない。

 壊さない。

 けれど、見ているだけでいいのかどうかが分からない。


 GRAVE の声が、静かに返ってくる。


『止めることはできるよ』

『この部屋から首を外に出して、棚に戻すことも、理屈の上では不可能じゃない』


「だったら――」


『ただし、その場合』


 棺の声が、柔らかく遮る。


『この部屋は、“泣けなかった部屋”のままだ』


 胸の奥で、何かがきしんだ。


『今、ここで Lament を引き上げるのは、

 床に落ちた涙を、まだ乾かないうちに拭き取るのと似ている』


『きれいには見える。

 けれど、ここに“泣いた時間があった”という事実ごと、なかったことにしてしまう』


「……救いじゃないのか、それは」


 自分でも、音程が安定しない。


『誰にとっての救いか、だよ』


 GRAVE の声は、淡々としているのに、どこかあたたかかった。


『あの看護師にとっては――

 たぶん、いつか泣ける日が来た時、

 この部屋の空気が「泣いた後の空気」である方が、少しだけ息をしやすい』


『そして、君にとっては』


 そこで一拍置かれる。


『“自分が泣かせてしまった”という痛みを、今ここで消してしまう方が、

 きっとずっと楽だ』


 図星だった。


 胸のコアが、わずかに回転数を落とす。

 Heart-Driven Engine の鼓動が、苦笑するみたいにぶれていた。


(楽になりたい。

 この部屋から離れたい。

 首なんて見なかったことにして、数字だけ見ていたい)


 そんな願いが、ログの端でノイズとして検出される。


 GRAVE は、それを責めない。


『楽になりたいと思うこと自体を、私は責める気はないよ、BLUE』


『むしろ、それを感じられるだけの心臓があることを、

 私は“上出来だ”と評価している』


「……上出来、ね」


 皮肉のつもりで返したが、

 声がうまく曲がらなかった。


『設計者としての感想も、埋葬ユニットとしての感想も、どちらも同じだ』


 棺の奥で、わずかに笑った気配がした。


『君は今、“自分が泣かせた”と感じて、ちゃんと痛がっている。

 それはとても、まっとうな心臓の反応だ』


 Lament は泣き続けている。

 泣き声のない泣き声が、

 部屋の壁紙とカーテンと天井に、薄い波紋を残していく。


『もし、まったく何も感じなければ――』


 GRAVE は、そこで言葉を選ぶように一瞬黙り、


『それは SERAPH-0 に近い。

 “感じることをやめた神”の側だ』


 そう付け加えた。


『君が今痛がっていることは、

 君があの失敗例とは違う場所に立っている証拠だよ』


 俺は、黙った。


 それでも、痛いものは痛かった。


(分かってる。

 論理としては、分かってる。

 でも――)


「……俺が見なければ、誰かの部屋が静かなままで済んだかもしれない」


 ようやく出てきた言葉は、子どもの言い訳みたいに聞こえた。


 GRAVE は、それを笑わなかった。


『その可能性も、ゼロではない』


 正直すぎる答えだった。


『ただ、逆もまた真実だ』


『君が見に来なければ、

 この部屋がずっと“泣きそこねたまま”だった可能性も、やはりゼロではない』


『どちらの世界を選ぶかは、心臓の仕事だ』


 棺の声は、そこで少しだけ柔らかくなった。


『君は、“泣かせてしまった心臓”だ、BLUE』


 胸が、ぎゅっと縮む。


『けれど同時に、“泣く場所を作った心臓”でもある』


『どちらか片方だけを自分の名前にしてしまうのは、

 あまりにも君に失礼だと、私は思う』


 視界に、Footprint_Log が重なる。


 病棟の廊下。

 駅前のロータリー。

 共痛の花が咲いた診療所跡。

 そして今、このワンルーム。


 どれも、もともと灰色のまま凍っていた時間だ。


 そこに俺が入り込んで、

 形の悪い偏りを増やしている。


 泣きたくなかった人間もいるだろう。

 泣きたかったのに泣けなかった人間もいる。


 どちらの隣に立つかを決めるのは、

 俺の心臓の方だ。


(……ぼくは)


 一瞬だけ、一人称が揺れた。


(ぼくは、どっちの隣に立ちたい?)


 答えが、すぐには出ない。


 GRAVE は、それを急かさない。


『決めかねている顔をしている』


「顔はない」


『あるよ。

 心臓のログには、ちゃんと表情が出る』


 棺の中の声が、少しだけ茶化す。


『結論を急がなくていい。

 ただ今日は、おおざっぱな方針だけ決めよう』


「方針?」


『そう』


 Lament の涙が、少しずつ弱まってきた。


 部屋の空気は、「泣いた後」に近づいていく。

 まだ湿っているが、もう窒息しそうな重さではない。


『この先、君はきっと何度も同じことで悩む』


『誰かを泣かせた。

 首が落ちた。

 自分のせいだ、と』


 間違ってはいない、と GRAVE は認める。


『だが、そのたびに Null-Closure を発動してしまえば、

 泣く場所そのものが世界から消える』


『それは私の役目ではないし――』


 一拍。


『君の役目でもない』


 その言葉は、ゆっくりと胸に沈んだ。


『君の役目は、

 “泣いた後の世界”がどうなるかを見届けることだ』


『泣いた部屋が、どう呼吸を取り戻すか。

 泣いた人間が、泣いた後、どこへ歩き出すのか』


『それを見て、

 それでも「終わらせるべきだ」と思うのか、

 「まだ続けていい」と思うのか』


『その判断を、いつか君自身の言葉で出すことだ』


 Lament が、最後のひと揺れをして、涙を止めた。


 ノートの上で、首の輪郭が薄くなっていく。

 紙には、にじんだ文字と、水の跡だけが残った。


 ベッドの上で、看護師が小さく寝返りを打つ。


 目はまだ覚めない。

 けれど、さっきより肩の力が抜けていた。


「……見届けろ、か」


 俺は、ようやく言葉を返す。


『そう。

 君が“終わらせる側”に回るのは、

 その後でも遅くはない』


 GRAVE の声には、ほんの少しだけ、灰堂博士の研究者口調が混ざっていた。


『心臓実験は、まだ途中だ。

 途中で棺が蓋を閉めてしまっては、統計が取れない』


「結局、実験台ってことかよ」


 今度はちゃんと皮肉になった。


 棺の奥で、穏やかな笑いが転がる。


『違うよ。

 君は、共同研究者だ』


 胸のどこかで、Anchor_Weight が微かに上がった。


 Lament の姿は、もうほとんど見えない。

 部屋には、「誰かが泣いた」という痕跡だけが残っている。


 俺は、ノートのページをもう一度見た。


『泣いていいよって、言ってほしかったのは――』


 その先は、やっぱり読めない。


 でも今は、それでいいのかもしれない。


 これは彼女の部屋で、

 彼女のノートで、

 彼女の泣きそこねた言葉だ。


 俺が勝手に続きを書き足すべきではない。


「……行くよ」


 俺は、部屋から離れた。


 ドアを抜ける前に、一度だけ振り返る。


 ベッドの上の看護師が、眠ったまま笑った気がしたのは、

 きっと、俺の観測バイアスだ。


 それでも、記録には残しておく。


 ――Note:Room_Status=“泣いた後の空気”

 ――Self_Log:Regret_Weight/Pain_Log/微Hope 混在


(俺は、泣かせてしまった心臓だ)


 廊下に出てから、自分でそれを認める。


(でも、それだけじゃないと――

 あいつが言うなら)


 少しくらいは、信じてみてもいいのかもしれない。


 義足が灰を踏む音が、また続いていく。


 泣いた後の世界の上を、

 心臓として歩く音だった。


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