地獄のようなこの世界で
「本当に、申し訳ないっす……」
スーロは土下座をして、俺に頭を下げ始めた。
「我を忘れていたとはいえ、守るべき領民の方に襲い掛かるなんて……」
「あ、そっちね……」
彼女のケモミミの裏側が見えるほどの綺麗な土下座だった。
土下座なんて文化は無いだろうに、謝罪は地に頭を付けるなんて異世界でも共通なのだろう。
「ええと、気にしないでください。助けて下さったのは事実ですし……」
俺は彼女にそう言って慰めた。
実際、あのままお嬢様が間に合ったかどうかは怪しいし。
「あと、いつもはこんなんじゃないんすよ。
発情期なんて、あと五十年は来ないと思ってたのに……」
周期長ッ、と俺は思ったが、よく考えてみれば当たり前だった。
寿命の長い生き物ほど、繁殖の感覚が長くなるのが一般的だと言う。
年中発情して子供を作れるのは、人間の他にあんまり居ないそうだ。
ここで、吸血鬼なんだから、吸血で増えるんじゃないか、と思われがちだが、それは違う。
吸血鬼にとって吸血行為は性行為に等しいとされるが、それは配下を作る為の行為である。
要するに、ハメ撮りエッチして脅迫して従わせるようなモノである。
彼女らはちゃんと異性と交尾して繁殖する。
こっちはラブラブエッチで家族を増やす行為である。
……何言ってんだろう、俺……。
「これは、お返しするっす……」
俺の前に体液まみれの上着が差し出された。
い、いらねぇ。
「ああいえ、その、差し上げます……」
「ほ、本当っすか?」
「多分もう使わないでしょうし……」
さらば、就活以来の相棒のリクルートスーツよ。
美少女の体液まみれになるのなら望外の幸福だろうよ。
そうして一悶着が終わった頃であった。
かっ、かっ、とスーロの部屋の窓に、何かが何度もぶつかっている。
明らかに、何らかの意図を持った行動だった。
俺はすぐに判別できなかったが、蝙蝠のようだった。
「あ、キュリア様の使い魔っす!!」
「キュリア?」
「ええ、きっと図書館に呼ばれているんです。多分、ヨコタさんも」
キュリア。知っている名前だった。
原作ラノベの、主人公である初代リーリスの相棒ポジションの女吸血鬼だ。
階級は子爵で、異能は透視。正直純血でも男爵レベルの実力だが、彼女は他のキャラクターと一線を画す特徴を持っていた。
それは、――――頭脳だ。
俺はスーロと共に、図書館へと訪れた。
吸血鬼の城に図書館とは。これでお嬢様に妹君でも居れば完璧である。
「やあ、待ってたよ。二人のことはリーリスから聞いているよ」
ややダウナーな印象を受けるブロンドのナイトドレスの美女だった。
幼さが垣間見えるお嬢様と違って、メイド長のような美人系だ。
……いやでも、吸血鬼の見た目って色々と当てにならないしなぁ。
「君が、人間君だね?」
「ええ。ヨコタと言います」
「私はキュリア25世。階級は子爵だが……ふ、家は没落して久しいかな。
先々代くらいからずっと、祖先の砌で客分として置いて貰っているんだ」
ってことは、軽く五百年以上はここに住んでるってことか。
「だからあまり硬くならないでくれ。今はただの領民と変わらないさ」
「キュリア様はお戯れがお上手なのです」
と、一応目上の相手なので、謙遜してスーロは俺にそう言った。
まあ、お嬢様を呼び捨てに出来る領民なんて居て堪るかって話だろう。
「それにしても、ここが図書館ですか」
俺は周囲を見渡す。
図書館と言えば、図書館なのだろう。本棚が複数有るという条件を満たせるのなら。
だが俺に言わせるなら、地震に遭った倉庫だ。
そこら中に物が溢れ、適当に転がっている。
彼女のパーソナルスペースだけが、身綺麗に整っていると言う有様だ。
「まあまあ。気にしないでくれたまえ。これでも片付いている方だ」
「キュリア様はモノを勝手に動かすと、その、お怒りになりますので」
横柄なキュリアさんを他所に、居心地の悪そうなスーロ。
使用人の苦労が垣間見える一コマだった。
「さて、逼迫した問題はスーロについてだね」
「私ですか?」
「血統能力を使ったんだろう?
きちんとまた使用できるかい?」
あれが……、とスーロはあの時のことを思い出しているようだった。
「……わかりません」
「また暴走しても困る。中庭で試してみよう」
ここでは狭いしね、とキュリアさんは肩を竦めた。
場所は変わって、中庭。
「さあ、スーロ。力を使って見せて、本能で理解できるはずだ」
「は、はいッ」
スーロは目を閉じて、すぐに変化は起きた。
彼女の皮膚が波打ち、その柔肌が分厚い毛皮に覆われ始めた。
やはり、とキュリアさんは呟いた。
俺も同感だった。スーロは力に完全に目覚めていた。
「ふーッ、ふーーーッ」
「記録によると、獣人系の血統能力は極端に体型が変形したりはしないそうだ。
完全に能力を制御できていない証拠だろう」
「あの、キュリアさん……」
スーロがこっちを見てるんですが……。
「ぐぅうううわおおおぉぉん!!!」
「ひいぃ」
スーロが咆哮と共に俺に飛び掛かろうとした直後だった。
「『ブレイズサークル』」
突如として、彼女が燃え上がって火だるまになった。
魔法だ。
「い、今の、魔法ですか!?」
「ああそうだよ。珍しかったのかい?」
「え、ええッ、初めて見ました!!」
スーロが火を消そうとのたうち回っているのにも気づかず、興奮して俺はそう言った。
だって、魔法だぞ、魔法。本物を人生で目に出来たんだぞ、興奮しない訳が無いだろう。
吸血鬼なんだから魔法が使えて当然だ。勿論、習得には修練が必要らしいが。
「あっつ、あつい、熱いっす!!」
気づけば、スーロは元に戻っていた。メイド服は焼け焦げて無残な残骸になっていた。
「火傷の跡も無い……リーリスのように、ヴァンパイアとしての力に目覚めているのか。
君はこの間、料理長の手伝いで指を切ったと泣いていたものね」
「そんな三年前のこと覚えてなくてもいいじゃないっすか……」
しくしくと泣き出すスーロ。そんな彼女をキュリアさんは観察している。
「まあこれは訓練次第だろう。
次の問題は君だ、人間君」
「は、はい」
「いろいろと試してみたい。手伝ってくれたまえ」
それから、俺はキュリアさんの実験に付き合うことになった。
「我々ヴァンパイアは文明的な種族だ」
「文明的、ねぇ」
そこには今は深く突っ込まないことにした。
「資料によると、我々と君たち人間との構造的な差は殆ど存在しないらしい。
人間と我々と交配が可能なことからも、それは事実なのだろう。
しかしその僅かな差が、決定的な違いでもある」
キュリアさんはそのように前置きした。
「問題なのは、なぜ君の血でスーロは血統能力に目覚めたのか?」
確かに、そうだ。
血なんて、俺以外の誰にでも流れている。
「君の血が特別なのか? それとも人間だからなのか? 或いはスーロが陥った状況が覚醒を招いたのか? 確認しなければならない。君の身の安全の為にも」
キュリアさんの実験が始まる。
「スーロ、こちらのペレットに私と彼の血を垂らした。
どちらがどちらか、分かるかね?」
「こちらですッ、舐めてもいいですか!!」
「まだダメだ」
「メイド長、こちらのペレットに私と彼の血を垂らした。
どちらがどちらかわかるかね?」
「申し訳ありません、キュリア様。私にはさっぱり……」
「サキュート。こちらのペレットに――――」
「すみません、わかりません――」
「結論。単純に人間の血液を目撃しただけでは、血統能力の覚醒には至らない」
キュリアは城の住人に質問を繰り返し、そう結論付けた。
彼女自身も、俺がペレットに血を垂らすのを見ていない。
「私の仮説とは違ったが、これは大きな進歩だ」
「仮説ですか?」
俺は、ペレットに垂らした血が無くなっても舐め続けている、うっとりとしたままのスーロを横目で見ながら、彼女に尋ねた。
「実は、我々には少量だが人間の血液を入手する手段が存在する」
「え、俺以外にここに人間が居るんですか?」
「いいや、スカーレットガーデンの外からの交易で入手する。ひと月に一度、別世界へのポータルで品物をやり取りする」
それは初耳だった。
「リーリスの血統能力も血液を消費する。その媒体に最適なのは人間の血液であり、彼女も力を維持するために定期的摂取している……のだが、ふーむ」
彼女の言葉をまとめるなら、人間の血液そのものは重要ではないと聞こえる。
「……もしや、本能か?」
「本能ですか?」
「狩猟本能とでも言うべきか。
例えば、ウイルスは特定の臓器にしか感染しない。
スーロも、人間を狩猟するという事実に本能が刺激されて、覚醒したのかもしれない」
それは、あり得るかもしれない。
「ですけど、先ほどスーロは俺を守ろうとしてくれました。しかも俺を人間と認識していなかった。
その仮説は成り立たないと思いませんか?」
「確かに。それならリーチが他者を襲っている時点で、何かしらの能力を発現していることになる」
キュリアさんは考え込む仕草を見せる。
俺は自分の考えを述べた。
「逆に、スーロが特別だったのでは?」
「それはあり得ない。彼女は領内の集落出身で、血統能力を有している者は一人もいない」
となると、と彼女はこう考えを述べる。
「当人の命の危機、それが必要なのかもしれないね、
それを踏まえた上で、もう一度実験を始めよう」
前提条件を変える必要があった。
「さあ、今度は私の目の前で、血を流してくれ」
「わかりました」
さっきもやったとはいえ、自ら刃物を指に当てると言うのは嫌なものだ。
スーロもジッとこっちを見て鼻息が荒いし。
俺は覚悟を決めて、スーロの短剣で親指を浅く切ろうとし――。
「待ってくれ」
キュリアさんが、待ったを掛けた。
「すー、はー、なるほど、なんとなくわかって来たぞ」
なぜか、彼女の呼吸も荒い。
深呼吸をして、こちらの手元を凝視している。
「さあ、続けたまえ」
「……はい、やりますよ」
俺は、親指を浅く切った。
傷口から血が滲み、雫となって地面に落ちた。
「ヨコタさんッ!!」
「『フリーズコフィン』」
俺に飛び掛かろうとしたスーロが、キュリアさんの魔法で氷漬けになった。
「……失礼だが、舐めてもいいかい?」
「ど、どうぞ」
俺はゆっくりと親指を差し出した。
「れろ、じゅる、えろ、じゅる……」
キュリアさんは血の滴る俺の親指をゆっくりと艶めかしく舐めまわした。
「ああ、これが、本能の目覚め……」
スーロのように劇的ではない。
キュリアさんは頬が赤くなり、息が荒くなってはいたが、至って平静だった。
「私の仮説は半分当たり、半分間違っていたようだ」
「それはつまり?」
「血が本能を刺激するトリガーなのは、恐らく正しい。
重要なのは、きっと喪失感だ」
「喪失感?」
ああ、と興奮を理性で抑え込んでいるキュリアさんは頷いた。
「私はこう考えた。君を実験や検証に使えるのは、あとたった百年も無いのか、と」
「え……」
「そう思いながら、君の血が滴るのを見て、この身に衝動が駆け巡った。
我々の狩猟本能が、君を逃したらもう二度と味わえないと、訴えるのだ。――君を今すぐ貪れ、と」
俺は、ゾッとした。
俺が特別なわけではない。
スーロも特別ではなかった。
5000年も飢えていた吸血鬼達が、異常だったのだ。
「我々ヴァンパイアは、人間と違って精神に比重が大きい生き物だ。
なぜなら、肉体の損傷はそれほど致命的になりがたい。少なくとも、かつてはそうだった」
キュリアさんは俺にしだれ掛かってきた。
「ここにほくろがあるね? ここに古い傷跡があるね?
ここに心臓が有るね? ここに肺が、ここ胃が、咀嚼物が溜まってるのが見えるね!!」
彼女が、俺の身体をまさぐりながらそう言った。
彼女の血統能力は、恐らく『透視』の筈だ。だから俺の服の下も、内臓も、全てを見通せる。
「そして、ここに君の血が流れているね!!」
彼女の両眼は、爛々と輝くように月の光を帯びていた。
「ああッ、人体に流れる血管は、こんなにも美しかったのか!!」
「キュリアさんッ!!」
「ッ、はッ、はあ、はあ、私としたことが、本能に呑まれかけた……」
すまない、と言ってキュリアさんは俺から離れた。
ダウナー系美女に抱き着かれるのは悪くは無かったが、彼女は吸血鬼である。しかも、お城の中で見た中で、最も俺が知る吸血鬼に近い人だった。
ちっとも嬉しくなかった。
「だが、これで条件が判明した」
喪失感。彼女はそう言った。
あの時、スーロも俺と言う守るべき対象を失うことを恐れていた。
共通点はある。キュリアさんも、自身で体感した。
「他にも本能の引き金を引く条件があるかもしれないが、ひとつはハッキリした」
改めて、彼女はこう言った。
「君は、我々から愛されてはいけないのだ」
それは、何たる皮肉だろうか。
「だと言うのに、君を見ていると、心臓の鼓動が高鳴る。
これは恋か、それとも本能か? ああ、知的好奇心が疼くよ。
これはこれは、スーロを責められない。抑えがたい衝動だッ」
俺は愛されたいと、神に願った。
愛されようと行動してこなかった俺が、愛されようと思わなかった俺が。
何もしないのに、彼女達に、望まれている。
地獄だ。
ここは、この世界は地獄だった。
「く、くくくッ」
思わず笑いがこみ上げてくる。
馬鹿馬鹿しくて、笑うしかない。
だって、今日初めて会ったんだぞ、俺は彼女達に。
こんなのは、俺が忌み嫌う昨今の金太郎飴の如く大量生産される、今時のライトノベルの主人公のようじゃないか!!
ならなぜチート能力をくれなかった!!
こんな地獄のような世界で、あと何日生きられるか賭けでもしてると言うのか!!
俺は神を恨んだ。我らの造物主を憎んだ。
俺の前世はそんなにも罪深かったのか。愛されたいと願うことが、そんなにも邪悪だったのか!!
「君も嬉しいか。私も嬉しいよ、世界はこんなにも広く、秘密が隠されているのだから」
キュリアさんはうっとりと俺を見つめながらそう言った。
こうして、俺は日付が変わったことを実感できないまま、今日が終わった。
とりあえず、今日はここまで!!
ハーメルンはもう三章まで、28話ほど書いているので、そちらにも遊びに来てくれると嬉しいです!!
感想とか下さると、励みになりますので、よろしくお願いいたします!!




