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2 田舎

 夏の入道雲はまるで波のようだ。初夏に薄く小さなものだったのが、だんだんと山に打ち寄せ、夏の盛りに最も大きくなだれかかり、晩夏には砕けて静かに引いていく。

 私はまぶしい雲の白を眺めながらバスを待っていた。人の少ない田舎の駅前は、植え込みから青々とした濃い緑色の夏草が、さして手入れもされずに伸び放題に生えていた。むせかえるような生命の匂いがしていた。雲の白さに目がくらみそうになって、バスの来る方向のロータリーの方を見ると、陽炎が揺らめいていた。陽炎の写真が撮りたくなってスマホで写真を撮る。世界がまぶしすぎて画面が相対的に暗く、よく見えないが、後で加工するので問題ないか、とよく確認もせずスマホを閉じた。スマホをポケットに戻した瞬間、観光客ではなく、地元の人の利用を主に想定した小ぶりなバスがロータリーに入ってくるのが見えた。少々乱暴な動きでドアが開く。大して冷房は効いていない。

 バスは海沿いの山道を走っていく。私は事前に調べてきたスポットの情報をスマホで確認する。バスで四十分ほど揺られた先の美しい海鳥居が目的地だった。私は旅行前の下調べは満足がいくまで調べつくす。調べる過程でガイドブックに出てきた写真、インターネットの記事の言葉、それらに一度触れたうえで実物を目の当たりにすると、当然のことながら、目の前に広がるものは、「見覚えのあるもの」になる。あ、この場所、本で読んだ。この場所、記事で見た。この場所、映画に出てきた。その瞬間が伏線の回収のようで気持ちがよかった。まるで、よくできた物語を読んでいるような気分になる。その場所についての前提知識があればあるほど、実物を見た時の新たな気づきも多い。発見する事柄がより深くなるような気がして、私はいつも下調べを怠らなかった。

 車窓を見やる。一度も来たことのない初めての土地なはずなのに、日本の田舎はどこに行っても、どこか懐かしさのようなものを感じる。私が幼少期に田舎で育ったために、山の草木の色や空の青という情報が、脳内で、これ見たことがある、と無条件に無節操に再発見しているのかもしれない。

 私の他に乗っていた老夫婦と部活帰りらしき女子高生が下りてしまうと、バス内には私一人になった。降りるバス停が近づく。

「あんた、観光に来たのかね」

 運賃をボックスに入れて降りようとしたとき、運転手の老人が言った。ボストンバッグを持っている客だからなのか、それとも、地域利用者の顔くらい把握しきっているのか。

「はい。鳥居を見に」

「ああ、鳥居ね。あの鳥居は正直大したことないし、このバスが行くと、あと二時間は街までの帰りのバスが無い。ちょっと向こうまで乗れば洞窟の観光地がある。そこには涼しい土産物屋もあるし、そっちを見たらどうだね」

「いえ、鳥居を見たかったので。帰りはちょっと歩いて電車で帰ります」

「駅も遠いよ」

 私は会釈をしてバスを降りた。ガードレール沿いを少し歩くと、砂浜への石階段が現れ、その先に海に半分沈むようにして白い鳥居が立っていた。入道雲をちぎったように白い波が鳥居の足元に当たっては砕けて打ち寄せた。日傘をさして、少し潮風に煽られながらも波打ち際まで歩いた。一枚スマホで写真を撮る。しばらく鳥居の前に立ってその先の海を眺めていた。

 その海岸には人気はなく、十分も眺めていると、頭上から容赦なく擦り注ぐ日光に耐え切れなくなってきた。日陰になるようなものは見渡す限り何もなかった。

 そろそろ終わるかな。

 早くも海岸ですることが無くなって、砂に足を埋めながら一歩ずつ駅の方へ歩き始める。潮風に耳元でピアスが揺れた。元彼氏が贈ってきたものだった。

 私はいつだって、ひょっとしたら始まるときから終わりの事を考えているのかもしれない。もうどうやっても書き換えられないほど遠い過去になったものは、もうどうやっても書き換えられない完結した物語と同じだ。完結してしまえば、それは永遠になる。永遠になったものを再発見するとき、それは輝く。まだ連絡しようとしてくる元彼氏のメッセージがどれもうざったいだけなのは、完結した感じがないからだ。私はこの一人旅で元彼氏との関係を完結させる。

 一時間弱もの時間、炎天下を歩き、小さな駅舎が見えて来た。街までの電車があと数分もすれば来る。顎に垂れた汗を拭う。誰に見せるでもない化粧が溶け出していく。

 無人の改札を抜けると、意外にもホームには人が立っていた。その女性はふわりと振り返る。その顔には見覚えがあった。

「久しぶり」

 四年ぶりに出会ったその女は、高校時代の友人だった。あの頃と変わらないままの笑顔で、でも四年分大人になった彼女が微笑んだ。私たちはおそらく他の誰よりも仲が良かった。卒業とともに私は東京の大学へ進み、彼女は就職したはず。私たちの故郷はここから何百キロも離れた場所のはずだ。なぜこの田舎町に? これまで、私の連絡無精のせいもあり、お互いのことはあまり把握していなかった。それなのに、どれほどの偶然をかき集めたらこんな再会ができるだろうか。胸の奥から何か大きなものが沸き上がる。

 ほら、やっぱり。

 高校生活は高校生活で、卒業式のあの日、きちんと終わっていた。それを確信して私は微笑んだ。

「久しぶり。ここで何してるの?」

 旧友はあの頃と変わらない顔でおどけた。

「夏だよぉ、って言いに来たんだ」

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