第1部 第9話 盤上の駒
翌朝、病院の医局内。
椎名カイは、手の甲を撫でながら深く息をついていた。
(あれは……何だったんだ。)
少年の血管、腫脹、感染経路――
視界に飛び込んでくる情報が、まるですべて線で繋がったように見えた。
感覚が拡張され、世界そのものが手の内にあるかのようだった。
だが今は、それを誰にも話せない。
話せば、終わる。
「椎名。」
声がかかる。
振り返ると、狸教授が立っていた。
教授の瞳は、笑っていなかった。
「来なさい。」
教授室。
「……面白い男だと思っていた。」
狸教授は椅子に座り、指を組む。
「駒は盤面に従うものだ。だが、お前は盤面を読んで、
独自の動きを見せ始めている。」
「……何が言いたいんです。」
「私が知りたいのは、椎名カイという駒が、
どこまで使えるかということだ。」
その言葉に、カイは目を細めた。
「俺は、駒じゃない。」
狸教授はわずかに笑った。
「そう思うなら、証明してみせろ。」
机の上に、封筒が置かれる。
特殊症例の手術依頼――通常なら助教授以上が担当するレベルの症例だった。
「やれるか?」
挑発だ。試されている。
カイは手を伸ばし、封筒を引き寄せた。
「……やります。」
その夜。
屋上でカイの背を見つめる影があった。
「面白い。」
天城レイの後ろに、細身の影が現れる。
「準備は整っている。」
科学者シグ――
失踪中とされていた男は、影の世界で動いていた。
「ナノマシンの制御、起動は間もなくだ。」
レイはわずかに笑った。