第2部 第4話 己の手で
深夜の手術室。
心音モニターの音が、かすかに脈打っている。
椎名カイは一人、手術器具を前に座り込んでいた。
額の汗が滴り、視界が揺れる。
(もう、ナノマシンには頼れない。)
体は限界だ。
これ以上の負荷は、死を意味する。
(それでも――。)
彼は震える手をそっと見つめた。
(俺は、外科医だ。)
「カイ先生!急患です!」
扉を開けて飛び込んできたのは後輩医師だった。
「脳動脈瘤破裂、到着まで5分です!」
後輩の目には恐怖が滲んでいる。
通常なら教授陣が動くケースだ。
だが、医局はもうカイに試練を課すつもりで、
誰も動こうとはしない。
「……やります。」
カイは立ち上がった。
(ナノマシンなしで、
俺はどこまでやれる?)
手術台の上、患者が運び込まれる。
目を閉じ、深呼吸。
手の震えが残る。
だがその奥、脳裏にこれまでの技術、経験、失敗、後悔が重なっていく。
(超人の力じゃない。
俺の積み重ねが、ここにある。)
ゆっくりと、最初の一刀を入れた。
刃の感触、血管の感覚、音、匂い、
すべてが生の世界の手応えとして伝わる。
(俺は……外科医だ。)
刃が進むたび、震えは止まっていった。
数時間後。
手術室の外、スタッフが息を呑んだ。
「……成功です!」
後輩が叫び、歓声が小さく広がった。
カイはふらつき、壁に手をついた。
「……はは。」
声にならない笑いが漏れた。
ナノマシンなしで救えた命。
「俺は……まだ、立てる。」
その様子を、密かにモニター越しで見ていた狸教授が微笑む。
「やはり……そういう駒か。」
そして、遠く議会の風見惣一郎も、
懐中時計を指先で弾きながら呟く。
「ようやく盤上に立ったな、椎名カイ。」
夜が静かに明けようとしていた。