第1部 第15話 零れ落ちる光
深夜の緊急手術室。
全員が絶望した。
患者は高ランクの議員の息子、特殊な心疾患を抱えた少年。
助教授は震える手で言った。
「……無理だ。外科チームが間に合わない。」
誰も動けない。
一手のミスが、病院の信用を潰し、
国を揺るがす事態になる。
――だが、その時。
「俺がやります。」
声が響いた。
振り返ると、カイが滅菌ガウンを羽織り、
静かに立っていた。
「研修医が何を――!」
助教授が声を荒げた。
「やらせてください。」
カイは一歩も退かなかった。
胸の奥で、心臓が大きく跳ねる。
頭痛、手の震え、吐き気――
全部、分かっている。
(それでも、立つしかない。)
目を閉じる。
ナノマシンが神経を貫き、視界が一気に研ぎ澄まされる。
血管、組織、心臓の弁、血流の動き――
すべてが、立体の像となって脳裏に浮かぶ。
「……いける。」
震える声で呟く。
狸教授は医局のモニター越しにその姿を見つめ、
小さく笑った。
「カイよ……見せてみろ。」
議会ビルの一室。
レイが手を組み、映像越しにカイを見守っていた。
「頼む、カイ。」
メスが入る。
冷たい金属の感触。
カイの手は、もはや常人の動きではなかった。
補助の医師が目を見張る。
「……なんだ、この精度は……。」
ナノマシンの作用で、感覚が限界を超えていた。
刃の入射角、皮膚の張力、血管の弾力――
すべてが計算され、制御される。
(ただ、進め。)
頭の奥で声が響く。
(この命を、繋げ。)
手術が進むごとに、カイの体は削られていった。
冷や汗が背を伝い、視界がかすむ。
だが、孤高のメスは止まらない。
(理想だの未来だの、どうでもいい。
今は、この子を救う。それだけだ。)
全員が息を呑む中、
カイは最後の一縫いを終え、
深く息を吐いた。
「……終わった。」
時計が鳴り、午前3時。
生還率0.1%の手術は、若き天才という鬼が、未来の技術という金棒を手にし完璧に遂行された。
術後のベッドに座ったカイは、
震える手を見つめていた。
(……これが、俺の力。)
屋上の夜風が彼の頬を撫でる。
そこに、レイが立っていた。
「君は限界を超えた。」
カイは顔を上げた。
「……これで、救えるか。」
レイは笑った。
「いや、これからだ。
――ゼロレクイエムは、ここから始まる。」
議会の奥。
白髪の老紳士は懐中時計を指で転がし、
悪魔のように微笑んだ。