第1部 第12話 駒と王の距離
「……椎名カイ。君の名は、今や全国に広まった。」
天城レイは、議会の一室で端末を見つめていた。
医療ニュースのトップに、若き天才研修医の名が躍っている。
「理想は、かくも脆く、かくも美しい。」
かつての記憶が胸を締め付ける。
未来のあの日、椎名カイは名を残した。
だが、世界を変えるには、彼一人では届かなかった。
「今度こそ……。」
レイは拳を強く握った。
病院。医局のカンファレンス室。
「大手術を成功させたといっても……。」
助教授が渋い顔をする。
「研修医は研修医です。今後の手順を逸脱させないよう、
こちらで管理すべきでしょう。」
「……そうだな。」
狸教授は軽く頷く。
だがその口元には、笑みとも、陰ともつかぬ線が走っていた。
「椎名が光を浴びれば浴びるほど、
影は深くなる。」
「……は?」
助教授は眉をひそめるが、狸はそれ以上言わなかった。
廊下を歩くカイは、病院スタッフの視線を感じていた。
「彼が椎名先生だって。」
「ニュースで見た?」
「すごいよな……。」
小さな噂話が背後で交錯する。
だがカイは振り向かず、まっすぐ前を見て歩き続けた。
(これが……“光”か。)
ポケットの中で、そっと拳を握る。
冷たい手のひら。
あの感覚がまだ微かに残っている。
夜。病院の屋上。
「君は、すでに盤上に上がった。」
レイの声に、カイは肩を震わせた。
「……あんたの言う“未来”は本当にあるのか。」
「ある。」
レイは静かに、だが断言するように言った。
「そして、このままでは、その未来は滅びる。」
カイは少し目を伏せ、笑った。
「救えるか。」
「……君次第だ。」
レイは背を向け、夜風に髪をなびかせる。
「駒が、王を超えられるかどうかは。」
遠く、議会の最奥。
風見惣一郎は、暗闇の中で懐中時計を開き、目を閉じて笑った。
「さあ――遊ぼうか。」
その声は、国を覆うほどに大きな影を背負っていた。