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帰国後は王都から離れた田舎に自分の工房を構えた。
王都にある別の大きな商家の嫡男と結婚したエマはすぐに男児を授かり、その子のために人形を作ってあげた。
社交上手なエマが皆にその人形を自慢してくれたおかげで、お金持ちの家の子供たちの間で話題になり、ちょくちょく人形の注文が入った。
「オディール!」
「ジュール!おかえりなさい!」
「家に帰るより先に君に会いたくて来たんだ。ああオディール、会いたかった。君もおかえりなさい」
「ありがとうジュール、私も会いたかったわ!」
「すごいじゃないか、自分の工房なんて」
「ふふ、親の脛かじりだけれどね。ありがとう」
「…手紙のこと、謝るよ」
「あら、何のこと?」
「周りの話を鵜呑みにして隣国を悪く言ったことさ。訓練所ではそういう教育を受けていたんだ。隣国は悪い国だって。でもオディールの手紙で目が覚めた。そりゃあ隣国にも悪い奴はいるだろうけれど、それはこの国でも同じことだし、何よりオディールは隣国にいたんだ。そっちの方が何倍も真実味がある」
「ふふ、信じてくれて嬉しいわ。
昔お父様がね、自分が見たものを信じなさいと言っていたの。もちろん隣国にいたときに私に敵意を向けてきた人もいたわ。きっとあちらでもそういう噂が流れているのね。でも私はその人にうんと優しくしたの。そうしたらその人は『あれ?あっちの国の奴らはいけ好かない奴らだと聞いていたけど、この子は良い子だぞ』って思ったみたい。次の日には謝られたわ。誤解してたって」
「すごいなオディールは」
「それぞれが唯一無二で誰かの大切な人でしょう?そう考えると国が違っても一緒なのよ。もちろん、私にとっての大切な人は貴方よ」
「真っ直ぐに言われると照れるな。俺も、オディールを世界で一番愛しているよ」
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オディールとジュールが無事に結婚してしばらく経ったある日、大量に人形の注文が入った。
「オディール!たくさんの注文が入ったぞ!」
「どういうことなの?」
「なんでも人形劇に使う人形がたくさん必要らしい。報酬も弾むと言っていたよ」
ジュールの上司のさらに上司だというガムラン様からの契約書には驚くほどの金額が記してあった。
「人形一体にこれだけの金額をいただけるというの!?多すぎて恐れ多いわ!」
「ガムラン様のご息女がオディールの人形を気に入って採用となったらしいぞ!」
「ありがたい話だけれど一体作るのに結構な時間がかかるから期限内にこれだけの数は難しいかもしれないわ」
「なんでも人形の首から上だけでいいらしいんだ。身体は軍が用意するらしい」
「首から上だけ?変な注文ね。それでこの金額?やっぱり多すぎる気がするのだけれど」
「今は国が軍に対して多くの予算を回しているから潤沢なんだろう。いい話じゃないか」
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オディールは軍から定期的に入る注文や子供を持つ親から入る注文に応じて忙しい日々を過ごした。
「久しぶりねエマ!まぁ!大きくなって!」
「本当に久しぶりねオディール!リュカ、ご挨拶なさい」
「リュカです。四歳です」
「なんて可愛いのかしら!」
「ふふ、オディールも直にママになるわね。毎日がバタバタよ。覚悟してね」
「あら怖い。でもこんなに可愛い天使が来てくれるのなら辛い悪阻も乗り越えられるというものよ」
「ふふ、もう母親の顔ね。そうそう、子ども向けの劇をリュカと見に行ったら貴女の人形が使われていたわ!」
「どんな劇だったの?」
「オディールったら、自分の人形が使われている劇を見ていないの?」
「ええ、そういえば見たことがなかったわ。忙しくしていたから」
「そう。簡単に言うと、兵隊さんは国のために働いていて凄いんだ、という内容だったわ」
「…そうなの」
「リュカも兵隊さんになって悪い奴らを倒すんだよ!それか、新しい文字を作って交信するんだ!」
「リュカったら、兵隊さんをヒーローか何かと思っているのよ。軍では暗号を使ってやり取りすると聞いてカッコいい!って。リュカ、何度も言ったでしょう。私はリュカに傷ついて欲しくないし誰のことも傷つけて欲しくない。分かってくれる?」
「ママはそういうけど、じゃあ誰が悪者を倒すの?」
「リュカ…。それは本当に悪者なの…?相手にもママとリュカみたいに大切に想い合う人がいたらどうするの?」
「うーん、ママ、何言ってるか分かんないよ」
オディールとエマは困ったように顔を見合わせた。実際にここ数年で軍は多くの民間人を兵として起用し訓練しており、隣国に対する偏見が蔓延していた。オディールはお腹の中の子にあげようと思っている人形を携えて、オディールの人形が使われているという軍の劇を観に行くことにした。
そこで観たものはエマの言うとおり軍を讃えるものであり、直接的ではないにしても隣国を悪役とし、それを打ち倒さんとする内容だった。それを多くの子どもたちがキラキラした目で観ているのを目の当たりにしてオディールは物凄く気分が悪くなってしまった。
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「ジュール…ごめんなさい…」
「オディール…どうか謝らないでおくれ。お腹の中の子はきっとお空の国が恋しくなったのさ…。そうだ、きっとお空の国にしかない美味しいケーキを食べたいなと思って戻っただけさ」
「そうね…。きっとお祖母様も一緒ね…」
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オディールは人形作りをやめた。
「ねぇジュール、エマからもお手紙を貰ったわ。だけど今は読む気にもなれないの。だってエマにはリュカがいるのよ。どうしても羨ましい、妬ましいという気持ちが拭えないのよ。こんな醜い私、知らないわ」
「オディール、どんな君も受け入れる。愛しているよ」
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そうしているうちに隣国との戦争が勃発した。
『エマへ。ずっと返事を出せなくてごめんなさい。私は元気にしているわ。エマやリュカは元気かしら。戦争が始まったと聞くけれど、どうにも現実味がなくて。私が家に閉じこもっているからかしらね』
『オディールへ。お手紙ありがとう。本当ね。戦争が始まったと聞いて怯えていたけれど、いつくかの品が手に入りづらくなっただけで普段通りの生活をしているし、なんだか全く現実味がないわ。でも、リュカが学校でこの戦争は悪を倒す正義の戦いだなんて教わってきたのよ。なんだか怖いわ。返事は不要よ』
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我が国が優勢であると各所で伝え聞くのに兵士の徴収は以前よりも強制的なものとなっていた。
「オディール、必ず君の元へ戻ってくる」
「あぁジュール、貴方まで戦地へ赴かなくてはいけないの?」
「多くの兵の指揮を取って勝利へ導き、必ず戻ってくる」
「勝利なんて望んでいないわ…。貴方が無事ならばそれで…」
オディールはジュールの無事を願って戦地の情報を収集したが、英雄ガムラン将軍の活躍により我が国が優勢であることと、兵隊さんは偉いということしか聞こえてこなかった。
オディールは不安で不安で人形たちを集めて抱えるようにして眠った。
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ドンドンドン!
「何なの!?こんな夜更けに」
飛び起きたオディールが人形を抱えたまま恐る恐る外の様子を伺うと、若い軍人がオディールを訪ねて来たようだった。支度の時間を与えられ、半ば強制的に軍の施設に連れて行かれた。
「貴女にはガムラン将軍の顔を作ってもらいたい」
「…何を仰っているのか分かりませんわ…」
胸に沢山のバッジを付けたとても威圧的な軍人たちを前に、オディールの背中には嫌な汗が流れ落ちた。軍人が言うには、現在ガムラン将軍は人前に出られる状態ではなく、それは極秘事項とされている。大きな戦いの前に軍の士気を上げるため、また隣国のスパイにガムラン将軍が元気であることを披露するため、ガムラン将軍の影武者を作るという。
「貴女が作る人形は見る角度によって表情があり生気を感じる。今回は人形ではなく、ガムラン将軍そっくりの面を作って貰いたいのだ」
「そのようなこと…偽物だと分かってしまいますわ」
「体格が同じ者にその面を付けさせて軍帽を深く被り、遠くからガムラン将軍として我が国の旗を大きく振ってもらうだけだ。分かりはしない」
「ですが…」
「申し訳ないが貴女に拒否権はない。貴女は夫の窮地を救いたくはないのか」
「窮地ですって!?ジュールに何かあったのですか!」
「前線は常に進退を繰り返している。犠牲を伴わない戦争などない」
ガクッと膝を付いたオディールは彼女を連れてきた若い軍人に連れられ作業場へと移動した。
「オディール様、このようなことになり申し訳ありません。オディール様は面を完成させ披露するまではこの施設内から出られません。ガムラン将軍の顔の参考となる資料はこちらです。他に道具等必要なものがございましたら何なりとお申し付けください」
「では私を家に帰して…」
「…申し訳ありません…それはできません…」