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「お世話になりました」
キトが頭を下げ、茶屋でキトの相手をした妹--ルルに案内されて屋敷から出て行く。小さく手を振ってキトを見送ったフランは、扉が閉じると、屋敷の主であるマスタイニスカの部屋へと向かった。
「あの子を見送って参りました、お母さま」
安楽椅子に座った老女に報告する。
「そう。ご苦労さま」
「それにしても、お母さまが気の長いお方だとは知っていましたが、今回のことで、改めて本当にそうだと認識いたしましたわ」
「何のことかしら」
「40年ほど前に狂乱がここに忍び込んで来たときに、狂乱をここから生きて返したことです。
ようやく理由が判りましたわ」
「フラン」
「何でしょう?」
「未来を語るのは危険なの。だから、わたしは知らないわ」
と、老女は笑ってとぼけて見せた。
「お母さま」
老女が一息つくのを待って、フランは改めて声をかけた。
「なに?」
「ひとつ、お願いしても宜しいでしょうか?」
***
マスタイニスカの屋敷の門を出て、キトは堅く閉じた門を振り返り、門に向かって深々と頭を下げた。
気のせいかと思うほどの短い時間。キトの視界が暗転した。視覚が失われ、闇に閉ざされた。今のは--と、不思議に思いながらキトが顔を上げると、そこはすでにショナの首都デアではなかった。
ぽかんと口を開けたキトのほんの5mほど先に、女がいた。7年前に別れてから、ずっと会っていない女が。この女の為に自由になりたいと望んだ女が。
周囲に満ちているのはよく知っている言葉だ。女の背後にはたくさんの露店が並んでいる。
考えるより先に、キトは万花の都の東の市場にいるのだと悟った。
『わざわざデアまで報せに来てくれたお礼よ』キトの耳元で”古都”の首席の甘い声が響く。
女の口元が綻び、笑顔になる。
キトも笑顔を浮かべる。
女に歩み寄る。
「重そうだね」
市場で買ったばかりなのだろう、女は山のような荷物を両手で抱えていた。
「奥さまに頼まれたのよ」
「手伝おう」
「ありがとう、キト」
キトが女から荷物を受け取る。女の唇がわずかに震える。しかし笑顔を崩すことなく、女はキトを見つめて「お帰りなさい」と温かく言った。
「ただいま」
と応じ、女から受け取った荷物を抱え直し、キトは心のうちで、カズイィに、イスに、フィンに、そして、異国の地で跡形もなく砕け散ったルケアに『無事、戻って参りました……』と話しかけた。