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特定の神を守護神としないショナの首都、デアには、大小の違いはあるが、全ての神の神殿がある。
最高神である雷神の神殿も、街の外れ、東にある高台に黒々と聳えていた。
深夜である。
神殿は静まり返っている。神殿の最奥、雷神の座す御座の間の扉も堅く閉じられている。
人影ひとつなく、静まり返った御座の間の明かりが、不意に灯った。
一筋の影が立ち上がる。
影はすぐに厚みを増し、人型となり、一人の少女の姿となって、自ら影を落とした。
「雷神、いる?」
傲岸な口調で少女が訊く。
「子供はもう寝ている時間だぞ。フラン」
柔らかな光が少女の前に現れ、人の姿を取る。足元に影が落ちない。神殿の主、雷神である。
フランと呼ばれた少女が笑う。
「やっぱり慣れないわね、その姿」
雷神が鼻を鳴らす。しかし、白目のない、空そのもののように青い大きな目には、笑いがある。
身長は180cm程か。肌は黒光りするほどの漆黒で、肩まで落とした癖のない黄金色の髪は雷光の如く輝いている。
雷神は神である。
外見で年齢を語ることは愚かな行為だが、外見的には、人で言えば、20歳前後と雷神は見えた。
「慣れろ。誰の所為で姿が変わったと思っている」
「あたしの所為じゃないことは確かね」
雷神が笑う。
「よく言うな」
「それで?」
フランの問いの意味を雷神は聞き返しはしなかった。キトは雷神の信徒だ。フランが来た理由を雷神は当然知っている。
「惑乱には貸しがあったからな。それを返して貰った」
「どんな貸しなの?」
「一ツ神の騒乱だ。ヤツが私の国を散々混乱させただろう?」
「それだけ?」
「何か不思議か?」
「確かに閣下はキャナ王国に混乱をもたらしたけれど、それは閣下が本来なすべきことをなされただけだわ。
それが貸しになるとは思えないわ」
「そうだな」
「本当は何があったの?」
「お前には話せない」
「あら?」
「何だ」
「大人になったわね、雷神」
フランが笑う。
「ん?」
「前のあなたなら、口をつぐんで拗ねて見せるか、曖昧に言葉を濁して終わらせようとしていたわ。それを話せないってはっきり言うなんて。
変わったのは、姿だけじゃないのね」
「誰かのお陰でな」
「あなたに感謝される日がくるとは思わなかったわ」
「感謝した訳ではないのだがな」
雷神が苦笑する。
「彼女は、いや、彼女だけじゃない。風神の戦巫女もだ。二人とも、これまでの英雄、戦巫女の誰よりも我らの力に素直だ。
二人とも、最強の戦巫女だよ。
”古都”で二人が惑乱の呪いの炎に包まれた時、貸しがあるから呪いを解けと惑乱と交渉した。惑乱は確かに借りがあるなと認めたが、オレから条件をつけた」
「どんな条件なの?」
「10日間。彼女らが10日間耐えられれば、呪いを解けと」
「どうして?」
「母上に訊くがいい」
「ああ」
フランが頷く。
「そういうことだったのね」
***
「あなたの主、カズイィという人には、術が施されていたのよ。視覚を他人と共有する術。本人も知らないうちに。
仕掛けたのは多分、ルケア魔術師でしょうね」
両の目を断つように頭を切断されたカズイィの死体を、キトは思い出した。
ぶるりっと身体が震えた。
「だから、狂乱の魔術師はカズイィ様の目を」
「そうよ。
あなたの主の視覚を通じてその場にいない誰かに見られていることに気づいた狂乱が何をするか、ルケア魔術師は予想していた。そして、狂乱があなたの主を殺す隙を突いて狂乱に飛び掛かり、自分を爆散させたのよ」
「爆散、ですか?」
「自らの身体に火の精霊術の呪を描いて、狂乱にしがみついて術を発動させたのよ」
「ああ」
キトが慨嘆する。
「それほど、ルケアは狂乱の魔術師を恨んでいたのか--」
「でもそれだけじゃないわ。彼にそうするように仕向けたのは、おそらく”復讐者たち”でしょうね」
「何者でしょう。それは」
「ルケア魔術師が自らを爆散させた後に姿を現した者たちよ。
狂乱は古ロタ神秘語を使えるよう自分を改造する前に、技術的に、手順に、問題がないかどうか、牢から犯罪者を攫って試していたわ。まだ狂乱が狂乱になる前、北の大国にいるときにね。ほとんどは死んだでしょうけど、生き残った者が狂乱をずっと追っているのよ」
「では、旅の途中、フィン様が見かけた、ルケアが話していた相手というのは」
「”復讐者たち”のひとりでしょうね」
「では」
ルケアに迷いが失くなったように見えた。あれはもしや、自分と同じ思いの人々に出会ったからだったのか--。
「あなたが生きてここに来られたのはね、知りたいというあなたの想いに狂乱が共感を覚えたからというのも理由のひとつだとは思うけれど、それだけじゃないわ。
狂乱はあたしへの挨拶状として、あなたを使ったのよ」
「挨拶状……ですか?」
「元気でやってる、という手紙ね。
ルケア魔術師があなたの主に仕込んでいたのと同じ、視覚を共有する術をあなたに施していたわ。
狂乱は視覚だけじゃなく、聴覚も共有していたけれど。
それと、あなたの皮膚の下に、ルケア魔術師が自分の身体に仕込んでいたのと同じ、身体を爆散させる火の精霊術の呪を仕込んでいたわ。もっとも、威力はルケア魔術師の術とは比較にならないほど強力だったけれどね。
もし、あなたがあたしの忠告に従って口を閉じなかったら術が発動して、周囲数十mは灰になっていたでしょうね」
実際には、フランがキトの周囲に結界を張っていた。威力はそのままに、術が発動すれば死んでいたのはキトだけだっただろう。
キトがごくりと喉を鳴らす。
「いつの間に--」
「挨拶としては悪くなかったわ」
”古都”の首席が事もなげに言う。
キトはベッドに半身を起こして座っている。”古都”の首席はそのベッドの脇に据えた椅子に座っている。2人がいるのはマスタイニスカの屋敷の1室だ。キトに施された術を解くために、フランが連れて来たのである。
茶屋でキトの話を聞いてから、すでに十数日が経っている。
「確かに良くできていたから。
やっぱりいい腕をしているわ、狂乱は。
でも、下手をすれば妹たちが巻き込まれるところだったから、少しお仕置きをしておいたわ。接続していた視覚と聴覚を無理やり引き千切ったから、狂乱、アースディア大陸で七転八倒したハズよ」
キトが驚きに言葉を失くす。誰もが恐れる狂乱の魔術師を、まるで子ども扱いだ。
「惑乱の君の呪いの炎が戦巫女様たちを殺すことなく収まったのは、雷神様が惑乱の君と交渉したからよ。
一ツ神の騒乱の時の貸しを返せって。キャナ王国を混乱させた貸しを返せってね。
でも、惑乱の君の御名を口にした者は惑乱の君の呪いの炎で死ぬ、というのは、竜王様も認めた理だわ。
だから、惑乱の君は条件をつけたわ」真実を話す口調でフランが嘘を混ぜる。「呪いの炎を収めてもいいが、10日間、風神様と雷神様の戦巫女様が耐えられれば炎を消してやるってね」
「そうだったのですか--」
「ええ」
「ありがとうございます、フラン様。これで、国に帰って執政様や議長閣下に報告することができます。
カズイィ様やイス様のご無念を晴らすことができます」
「そのことだけれど、あなたにひとつ、お願いしたいことがあるの」
「何でございましょう」
「ここで聞いた話を、キャナの王以外にはしないこと。それと、この屋敷のことは誰にも話さないこと」
「--お言葉ではございますが、このお屋敷のことはともかく、そういう訳には--」
「あなたには辛い話かも知れないけれど、あなたたちが旅をしている間に、執政派も議長派も失脚したわ」
「え?」
「今、キャナ王国の実権は、王が握っているわ」
キトが大きく息を吸う。
「そんな」
「王には、キャナの女主人から誰にも話さないように言われた、と言えばいいわ。そうすれば、王一人であなたの話を聞いてくれるでしょう」
キトの目はまだ包帯に覆われていて、フランの姿は見えていない。包帯越しにキトがフランに視線を向ける。訊きたいことはたくさんあった。しかし、キトは、そうした疑問を胸の奥に仕舞い、
「承知いたしました」
と、深々と頭を下げた。