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わたしにとって、それは突然の襲来でございました。おそらく、わたし以外の万花の都の多くの市民にとっても同じだったでしょう。
もちろん、王や王宮に勤める貴族の方々はご存知だった筈です。
しかし、あの頃のわたしや、わたし以外の万花の都の市民の多くにとって、最大の関心事は、西の隣国、百神国ゴダとのいくさの行方にありました。
いくさが始まってすでに2年。
我が軍は百神国の奥深く踏み込み、決戦は近いとの噂もありました。
ですから、万花の都の王宮の城壁が打ち崩された時、多くの者は、百神国の奇襲かと思いました。
しかしそれは、百神国とは関係のない、たったひとりの魔術師の仕業でした。
狂乱の魔術師が、襲来したのでございます。
スイフト--。
それが狂乱の魔術師の名前なのですか?
やはり、貴女様は狂乱の魔術師とお知り合いなのですね。
え?狂乱の魔術師が貴女様を殺そうとした?貴女様の中身を見るために?
……あまり詳しくお聞きしないほうが宜しいのでしょうか?承知いたしました。そういたします。
狂乱の魔術師の噂は当然、わたしも聞いておりました。
新大陸の北東部に位置し、周囲の国々から北の大国と恐れられるベルリアーズ王国の生まれで、失われた言語だった古ロタ神秘語を蘇らせ、古ロタ神秘語で雷神様と風神様の御力を神々のご意志と関係なく操り、新大陸で暴威をふるい、旧大陸に渡って来たらしいということは。
ですがそれは遠い別の国の話と思っておりました。
後から聞いたところによれば、我がキャナ王国の実に10%近くに及ぶ街が狂乱の魔術師に焼かれ、瓦礫と化したそうでございます。
しかし、百神国に比べれば、我が国はまだ被害は少なかった。
百神国は国土の20%以上が荒れ地となり、王都は壊滅し、王族の方々のほとんどが亡くなられたと聞いております。
むろん、もはやいくさどころではありません。
双方ともためらうことなく休戦し、つい先日まで憎み合っていたキャナ王国と百神国が共に手を取り合って、国土の復興に取り組むこととなりました。
百神国とは反対側、東の隣国である洲国からの侵略を恐れる必要はありませんでした。
洲国もまた、狂乱の魔術師によって郡州が3つ潰され、それどころではなかったからでございます。
そうして、狂乱の魔術師の襲来から一ヶ月ほどが過ぎたある日、貴女様が首席を務められる”古都”が、狂乱の魔術師によって滅ぼされたらしいという報せが万花の都に届きました。
失礼ながら、”古都”とキャナ王国は浅からぬ宿怨がございます。
復興作業の最中ではありましたが、事実を確認するために調査隊を派遣することが決まり、いざ、出発というときになって、神殿から、それも遠雷庭から、姫巫女様が万花の都の宮廷にお越しになり、調査隊に同道すると申し出られたのです。
姫巫女様が遠雷庭を離れられたという話を、わたしは聞いたことがありません。それだけでも前代未聞の出来事です。
何事かと王が慌てながら問うと、姫巫女様は、
『”古都”の全土が、惑乱の君の呪いによって穢されています』
と、お答えになったのです。
貴女様にいまさら申し上げることでないことは承知しておりますが、”古都”の守護神は--雷神様のご加護がありますように--惑乱の君です。
それなのに何故、”古都”が惑乱の君の呪いにと、当惑しながら調査隊が赴いた”古都”の状況は、それはそれは酷いものだったそうです。
調査隊には、わたしの主人であるカズイィ様も加わられておりました。
あ、はい。
わたしは、元はカズイィ様にお仕えする奴隷です。
今は奴隷の身分から解放されておりますが。
カズイィ様がわたしを解放されたいきさつについては、後程、お話しさせて頂きたく存じます。
カズイィ様は、”古都”からお戻りになられた後、しばらくは食も進まないご様子でした。カズイィ様は詳しいことをお話し下さいませんでしたが、噂では、焼け焦げ、炭化した死体が見渡す限り幾万も転がっていたのだとか。男女の区別もつかず、辛うじて小さな死体だけは子供であろうと推測できる有様だったと聞いています。
万花の都とは違い、”古都”の建物に被害はなく、議場と呼ばれる建物の内部だけが酷く荒らされ、焼けていない複数の死体が壁に張りついていたそうです。
おそらくはそこで、狂乱の魔術師と”古都”の魔術師の間で、何らかの諍いがあったのでございましょう。
いずれにしても狂乱の魔術師は去り、不謹慎ではありますが、キャナ王国を長年苦しめてきた”古都”が滅んだのは幸いなことと、それで終わる筈でございました。
しかし誰かが、このまま”古都”が滅んだ原因を曖昧なままにしていいのか、と言い始めたのです。
百神国ゴダといくさをしながら、宮廷では権力争いが行われていました。それは狂乱の魔術師の襲来という災厄を経て一時的に中断されていたものの、災厄が去ったとたん再開されていたのです。
政争の中心は、行政の最高位である執政様と、立法の最高位である議長閣下です。
執政様と議長閣下に与する者のうち、いずれが言い出したかは判りませんが、”古都”が滅んだ原因を明確にすべし、と、いつしかそれが両者の争いの最大の火種となっておりました。
ならば改めて、”古都”が滅んだ原因を調べる為の調査隊を送り出そうということになり、わたしの主人であるカズイィ様が調査隊の一員に選ばれたのです。
カズイィ様は、カズイィ様の御一族の関係から議長閣下の派閥に属しておりました。狂乱の魔術師に滅ぼされた”古都”を実際に見て来られていたこともあり、議長閣下の派閥の代表として調査隊に選ばれたのでございましょう。
カズイィ様の他には、執政様の派閥からイス様が選ばれました。
イス様とカズイィ様は古い馴染みで、派閥は異なるもののご親友と言ってもいい間柄で、それ故、カズイィ様、イス様お二人とも、難儀なことになったなと、調査隊の一員に選ばれた日に笑い合っておられました。
お二人の他に、やはり政治的な関係でしょう、百神国の貴族で、外交官を務めるフィン様が参加されていました。
フィン様は、カズイィ様やイス様より御歳は上で、髪に白いものが混じり始めていたものの気さくな方で、『他に行くと言う者がいなかったので、仕方なくわたしが手を挙げたんだよ』とわたしに明るくおっしゃっていました。
フィン様が調査隊に加わられた本当の理由をわたしが知ったのは、ずいぶん後のことでございます。
調査隊には他にもう一人、メンバーがおりました。
それが、ルケア。
元”古都”の魔術師でございました。
”古都”は滅びましたが、”古都”の魔術師全員が、不幸があった際に”古都”にいた訳ではありません。
術を売るために、もしくは一時的に雇われるなどして、他国に出ていた者も多く存在しました。
”古都”の魔術師です。
魔術の腕の確かさは保証されています。
各国とも競って生き残った”古都”の魔術師を自国で雇おうとしたそうです。
ルケアはそうした”古都”の魔術師の一人で、事が起こった時にはキャナ王国にいて、議長閣下の求めに応じ、調査隊に加わることを条件に、キャナ王国に仕えることを承諾したと聞き及びました。
わたしは、ルケアを調査隊に加えることに不安がありました。
ルケアの昏く沈んだ瞳の奥には、復讐の炎が赤々と燃え盛っていたからです。
この人は狂乱の魔術師に復讐をするつもりだ。
わたしはそう確信し、カズイィ様にもそう進言いたしましたが、カズイィ様は『仕方がない、ルケア殿を加えるのは、議長閣下からのご命令だ』と笑われて取り合っては下さいません。
まだ若かった。
ならばと、わたしは直接、調査隊から外れるようにとルケアに談判いたしました。はじめはまったく取り合おうとしなかったルケアが色を成したのは、わたしが、
『カズイィ様に何かあった際には、わたしがお前を許さぬ!』
と言った時です。
それまで浮かべていたルケアの薄ら笑いが消え、彼はわたしの胸元を荒々しく掴んで引き寄せました。
『お前にはまだ、それは未来なのだな……』
と、ルケアは怒気を抑えた低い声で言いました。
『オレには、それは過去だ。捨てられない過去だ。何かあった際には、だと?だったら今すぐ、お前の大事な主人をぶっ殺してやろう。
それから言え!
オレを許さないとな』
ルケアに突き飛ばされ、わたしは喘ぎ、『待て--』と声を掛けましたが、ルケアが振り返ることはありませんでした。
そうした顛末を、わたしはカズイィ様にお話しすることができませんでした。
ルケアの迫力に怯んだ、ということも理由の一つです。
ですが何より、判ったような顔をしてルケアに詰め寄った自分が、そのことが恥ずかしかったからだと思います。
わたしは何も判っていなかった。
ルケアの思いを。
判らないという気味の悪さが、わたしの口を閉ざさせた。そういう気がいたします。
わたしのことを少しお話しさせて頂きましょう。
先程も申しました通り、わたしは奴隷でございました。父は判りません。母は、わたしを産むとすぐに亡くなりました。
元々、母はカズイィ様とは別の方の奴隷だったのですが、わたしを身ごもったことで売りに出され、カズイィ様が買われたと聞いています。カズイィ様は子を孕みながらやせ細った姿で売りに出されていた母を憐れみ、損得抜きで買い取ったとか。
本当のところは判りませんが、物心ついたときにはわたしはカズイィ様の奴隷でございました。
”古都”が滅んだ原因を調べるための最善策は何か。
答えは判っています。当事者に当たることです。
つまり、狂乱の魔術に問うことです。だからこそ、ルケアは調査隊に加わることを望んだのです。
誰か荷物持ちを同道させようということになりましたが、誰も行きたがりません。
狂乱の魔術師に会いに行くのです。生きて帰れるかどうかも判らない旅について行く者など、ある筈がございません。
そこでわたしが行きますと名乗りを上げました。
カズイィ様へのご恩義ゆえ、と言えば格好が良いのですが、そうではなく、わたしは子供だった。何も判っていなかった。
生きて帰れることを微塵も疑っていなかった。
わたしには、一緒に暮らしたいと望む女がいました。
だから自由になりたかったのです。
自由になってカネを貯め、女も自由にし、一緒になりたかったのです。
そこで、旅から戻れば奴隷の身分から解放して頂くことを条件に、カズイィ様に同道したいと申し出たのです。
女はわたしが調査隊に加わることを止めましたが、必ず帰るからと説得し、キャナ王国を後にいたしました。
7年。
あれから、早くも7年が経ちました。