4.ジェラルド・シェフィールド伯爵
このような経緯で、シェフィールド伯爵とわたしは、二年の婚約期間を設けたのち結婚する、という約束で正式に婚約した。
ちなみにやっぱりここまで頑張り過ぎたみたいで、わたしは数日寝込んでしまった。せっかく上手くいってたのに、虚弱っ!!
やっと回復したわたしはすぐにでもシェフィールド領へ向かいたかったが、伯爵の都合もあるのでそうはいかない。
彼は社交シーズンに合わせて王都に来ていて、その間に会う約束をしている人やこなさなければならない仕事があるようだった。
ただ、もう正式に婚約したので、ということでわたしは王都のシェフィールド伯爵邸に滞在させてもらえることになった。
まだ近いけれど、これで少しは距離が出来た。
少なくとも暢気に屋敷を歩いていて、お姉様の求婚者に遭遇することはなくなったのだ。これだけでもかなりの進歩、成功への大きな第一歩である。
一緒に付いてきてくれた侍女が仕入れてくれる情報で、お姉様には順調に殿方からの申し込みが来ているらしく、さすがお姉様! 邪魔者がいなければ敵なしですね! と拍手喝采の気持ちである。
そしてわたしにも、ささやかな変化が起きていた。
シェフィールド伯爵邸では、伯爵……ジェラルド様は可能な限りわたしと食事の席をご一緒してくれる。
実家ではベッドの住人であることがほとんどだった為、わたしは自室で一人で食事をしていたので誰かと食事をするのは、とても新鮮。そしてジェラルド様は大層な健啖家で、何でも美味しそうに召し上がられ、特に美味しかったものをわたしにも勧めてくれた。
「これは中身が熱いから気をつけて。でも絶対熱いうちに食べたほうが美味い」
だとか、
「ちょっと行儀悪いが、これはスープに付けて食べた方が美味い」
という風に。
それを聞くと試してみたくなって、わたしもついつい料理に手が伸びた結果、普段よりもたくさんの量の食事を食べてしまうのだ。
そんな日々が続くと案の定、体重が明らかに増えました。太りました!
「ベルは折れそうなぐらい細かったし、ちょっと太ったほうが健康的でいいだろう」
あっさりとそんなことを言ってのけたジェラルド様のことを、伯爵家の古参メイドが叱ってくれた。
わたしとて棒きれのような手足よりも、多少丸みを帯びたほうが女性的魅力が増したのでは? などと自惚れたりもしたけど、それでも女子にとって太るということ自体がショックなこと。言葉にしないのがエチケットですよ!
でも美味しそうに食事を頬張るジェラルド様と一緒にいると、どんどん食べる量が増えていっちゃう。ジェラルド様は甘いものもお好きで、お茶の時間には熱々のスコーンを三つも平らげるのだ。クリームとジャムをたっぷりと乗せて!
そんな風に美味しそうに頬張る姿を見て、スコーンを食べない、という選択肢はない。
そんな風に日々ついついわんぱくに食事量を増やしてしまっているので、食べたら動けばいいのだ、というジェラルド様の言に従い、わたしはお屋敷の庭の散歩を日課にしてみた。
もう殿方と遭遇してお姉さまの邪魔をしてしまう恐れもないので、意気揚々とお庭を散策出来る。
シェフィールド伯爵邸のお庭は、社交シーズン以外には主が滞在しない所為か手のかからない品種の木が多く植わっている。
実家の庭は庭師が様々な木や花を植えていて香り高いものが多く美しかったが、こちらのお庭の素朴なカンジも素敵だ。質実剛健、みたいな。ちょっと違うかしら。
ささいな変化だけれど、食生活と日々のお散歩のおかげで少しだけ健康になったような気がする。さすがジェラルド様、太陽のようなかの方の傍にいると何かしらの影響を受けて、わたしも活性化しているのかも!
「ベル、ここにいたのか」
などと感動していたら、主のお帰りです。
振り向くと、長身をきっちりとした外出着に身を包んだ精悍な男性が、花束を持ってこちらに歩いてくるところだった。すごい、まるでお伽話の最後の一幕のようだわ。
「おかえりなさいませ、ジェラルド様。お花がよく似合いますね」
「ただいま。粗野な俺にそんなことを言うのは、あなたぐらいだ」
「そうですか? 確かに薔薇よりもヒマワリのような溌剌としたお花の方がよりお似合いかもしれませんが、これはこれでグッとくるというか……」
「時々あなたの言っている意味が分からんが……これはベル、あなたに」
ふぁさ、とかすかな音をたてて渡されたのは薔薇の花束。淡いピンクのはなびらが幾重にも重なり、そこから何ともうっとりする香りがした。
「わたしに?」
「帰りに花屋で見かけて、とても綺麗に咲いていたので。薔薇が好きだと言っていただろう? ここの庭では手のかかる薔薇は育てられないから、代わりに」
「ありがとうございます! ……殿方から“わたし”に贈り物をいただいたのは、初めてです」
はなびらに触れると、やわくすべすべとしていて愛おしい。わたしの為にジェラルド様が選んでくれた、わたしへの贈り物。なんて嬉しいのかしら!
あの一目惚れ求婚男・ラウール様が、お姉様の為に持ってきた花束を差し出したものとは大違いだわ。わたしにも、お姉様にも、花にも失礼よね。
「……そうか」
ジェラルド様が、目を細めて笑う。
あの瞳は最近、ちょっと苦手だ。背中がむずむずして、思わず顔が赤くなってしまいそう。熱が上がる兆候かしら? 気をつけなくっちゃ。
「そうだ、ジェラルド様聞いてください! クリスティアン様からお返事が届いたんです」
「クリスから?」
クリスティアン様、というのはジェラルド様のご子息だ。
まだ三歳なので領地でお留守番中、わたしがそちらに行けるのもまだ先なので、少しでも接点が欲しくて少し前にお手紙を送ってみたのだ。
文字はまだ読めないとのことだったので、絵をたくさん描いて、わたしが刺繍したハンカチを添えてシェフィールド領への定期便に乗せてもらった。自己満足かもしれないが、せっかく縁あって一緒に暮らすのだから、仲良くなりたい。
そしたら今日、お返事が届いたのだ!
「見てください」
「持ち歩いているのか?」
嬉しくて散歩の途中にも読み返そうと思っていた為、ドレスの隠しから手紙を取り出すとジェラルド様は目を丸くした。宝物をポケットにいれてるなんて、また子供っぽいと思われてしまったかしら。
「う、うれしくて……」
「そうか。どれ、見せてくれ」
ジェラルド様はその場に膝をつこうとなさるので、わたしと付き添いの侍女は慌てた。
長身の彼は、すぐにこうして視線を合わせてくれようとするのだが、ここは庭で彼はせっかくの外出着だ。汚してしまっては申し訳なく、わたしは慌てて少し先に設置してあるベンチを指した。
「あそこに座りましょう!」
「ん? ああ、そうだな」
「はっ、はい」
視線を巡らせたジェラルド様は、ごく自然にわたしの手を取り、もう片方の手を腰に回してスマートにエスコートしてベンチまで導いてくれた。
ジェラルド様はご自身のことを粗野だと仰るし、確かに見た目も優美な王子様的とは言えないかもしれないが、大層な紳士でこういったことを非常に自然になさる。
その度に、わたしは真っ赤になって顔がへにゃへにゃにならないように気をつけなくてはいけないのだ。