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「パシャ!」
小さな水音がして何かが落ちた。
それは水面にゆらゆらと光りながらゆっくりと沈んでゆく。
「あっ」と驚いて手をさしのべたがもう遅い。指先をかすめながら見えなくなって行く。
どうしよう。亡き母が大切にしていたブローチを、母も一緒にと思いジャケットに留めてきていたのだが、しっかりと留めていなかったのだ。水をすくってみようとしたひょうしに落ちて、結局そんな思いがあだとなってしまった。
倉井雪は連休を利用して学生時代から仲の良かった友人のつばさと二人で旅に来ていた。
つばさは美人だが、性格はさっぱりしていて気さくで面倒見も良く、後輩にも慕われていた。
気分が落ちこんでいた雪を、そんなつばさが心配して誘ってくれたのだ。
おかげで随分と気分転換になり、心遣いに感謝していた。
今日は名瀑として夙に知られている滝を見に来てこんなことになってしまった。
はるか上の崖から水しぶきをあげて落ちて来ている滝の下は、青い湖のようになっている。
雪はあまりに美しい水の色に魅せられて崖の上の展望台からめんどうがる友人を残して階段を降りて来ていたのだ。
雪の母は彼女が大学一年の冬に帰らぬ人となった。
体調が悪いと病院に行きそのまま入院して悲しむ間も無いくらいあっけなく逝ってしまった。どうしてもっと早く気付いてあげられなかったのか、父も雪も今でも心に辛く痛い思いをかかえていた。
「お母さん。ごめんなさい。ごめんなさい」
つぶやきながら、涙が1粒ぽちゃっと水中に落ちた。
「どうかしましたか」
突然頭上から声がしたが、あまりのショックに雪は見あげる事も無く、水面をじっと見つめていた。もう涙があふれそうになって顔が上げられない
「ブローチを落して……」
返事も涙声になっている。
頭上の声の主は水底をさぐるように見て考えていたが
「ちょっと待って」
そう言うと、長い小枝を水の中に入れてぐるぐるとかき回す。
ほどなくして少しずつ土砂が浮き、ついに青と金色に輝くものが浮き上がってきた。
「あ、それです。それです」
もうだめかと思っていたので、嬉しくて思わず大きな声が出てしまった。
同時にシャツをたくし上げた手が水の中から拾い上げ雪の手のひらにのせてくれた。
「ありがとうございます。母の形見だったのです……。戻ってきて良かった。嬉しい。本当にありがとうございます」
お礼を言いながら涙でぬれた顔をふきふき見上げると、池の青さを写したような瞳に出会った。思わず魅入られたように見つめてしまう。滝がゴウゴウと音をたててより激しく流れ落ち、水しぶきが上がる。
「雪!行こうよ」
友人の呼ぶ声に我に返り、おじぎを何度もしながら大急ぎでかけて行く。
階段の途中でふと振り返えると、彼がじっと佇みこちらを見つめている姿が見えた。立ち止まりまたおじぎをしてしまう。彼がほほえんで、少しうなずいたように見えた。
「雪と言うのか……」
彼もまた振り返りにっこりと笑う彼女をずっと目で追っていた。何故か目が離せない。
滝はますます激しく豪快に流れ落ち、白い泡を立てて青い水底に吸い込まれ行く。
『ついに止まっていた時が流れ始める。
水が流れていくように。』