第一話 大宮司凌 後編
翌朝、高校生活二日目。冰太郎と打ち解けるためのシミュレーションをしながら自転車を漕ぐ。体が道を覚えているので、ボーッとしていても迷うことはない。
学校に近づくにつれて、同じ制服を見かけるようになる。自転車に乗っている者がほとんどだが、中には走っている奴もいた。部活のトレーニングだろうか。オレにはそんなことはとてもできない、と凌は身震いする。自転車ですら疲れるのに。
「おい、大宮司!」
後ろを振り返ると、男子生徒が自転車を漕いでいた。昨日会話した、確か須田という奴だ。
「あ、おはよう、須田!」
凌と須田は並んで走行した。須田は、学校は緊張するとか、友達ができなかったらどうしようと思っていたとか、大宮司のような奴がいてくれて良かった、とか早口で喋った。
凌は一つ一つ相槌を打っていく。
話題は、昨日の深夜アニメの話になった。有名な同人ゲームをアニメ化したものだ。もっとも、その同人ゲームが発売された時、二人は生まれていなかった。ブームがずっと続いていたのだ。凌もそのアニメはほぼ毎回見ていた。
それから、別の話題。クラスを占めようとしている不良グループだ。昨日の威圧的な態度には、須田も嫌悪感を覚えたらしい。
「あいつらに良いようにされないよう、仲間を集めていこうな」
なるほど、須田は政治的な計算ができる奴らしい。凌に声をかけてきたのも、不良グループには巻かれないタイプだと思ったからだろう。不良たちと全面戦争はしない、さりとて膝を屈しはしない。そのためには仲間が必要なのだ。
「上手くやらないとな、こちらは力がない分、頭を使わないと」
「そう、そう」
須田は思慮深い目つきで頷いた。
学校に着いた。桜の花びらはもうほとんど散って、若葉が清々しかった。
自転車置き場には冰太郎がいた。
「冰太郎! おはよう!」
須田のためにも、冰太郎が仲間でいてくれた方がいい。そういう打算もあって、大きな声で挨拶をした。
「なあ、昨日何の本を読んでたんだよ!」
確か休み時間に和綴の本を読んでいた。珍しいものに違いない。
「……」
冰太郎は一言も発さなかった。目も合わせず、急足で去っていった。
「何だよあいつ、知り合いか?」
と須田。
「知り合いだったが、もう、知らない。あんな奴」
これで三度目だ。そんなに嫌いかよ。だったら、もう、絶対話しかけない。
「ふーん…。まあ、関わらないのが正解だな、あんな根暗なやつ」
須田も冰太郎に同調した。
小学生以来会っていない、だから嫌われることはしていない。なのに向こうは嫌っている。だったら、悪いのは冰太郎の方だ。そう自分に言い聞かせる。
それとも、自分で気がついていないだけで、何かしてしまったのだろうか。
須田と連れ立って教室に入る。始業時間の30分前だが、教室には半数ほどの生徒がいた。既にグループができ始めている。女子などは、もう派閥ができ始めている気配があった。
そんな中で、冰太郎だけが暗い影に沈んでいるようだった。また、和綴の難しい本を読んでいる。
それを見て、何だかイライラしてくる。凌は、教室に溶け込もうと努力している。なのに、冰太郎は最初から諦めている。まるで、クラスメイトに媚びを売る凌を嘲っているかのようだ。凌は周りの奴のご機嫌を伺い、話を合わせ、孤立を恐れている。一人では生きていけない。
冰太郎は一人で生きていくつもりなのか。三年間も?
チャラ、チャラ、とアクセサリーと服が擦れる音がした。あの不良……野地という名前だったか……が教室に入ってきたのだ。昨日よりも派手に頭髪をセットしている。同じような格好をした取り巻き三人を連れて。
「あーあ、今日も線香臭え。葬式にきたみたいだぜ!」
冰太郎に対する当てこすりだ。
取り巻きどもが笑う。さざなみのように笑いが広がる。須田も笑う。つられて、凌も笑った。
野地に対して恭順の意を示した笑い。
結局、力の強いものが教室を支配する。野地と、女子グループの誰かがクラスの実権を握っていくのだろう。
野地が何か喋ろうとした時、チャイムが鳴った。
頭の禿げ上がったいかめしい教師が教壇に立つ。
「おはよう。昨日はオリエンテーションだったが、今日から学校生活本番だ。勉強に、部活に励めよ。それから、校則に反することはするなよ。オレは退学させるからな」
野地が舌打ちした。だが、それ以上のことはできない。教師のゴリラみたいな肉体にビビっているのだろう。
教師は自分の教育方針を喋った後、軍人が歩くような感じで教室から出ていった。
すぐにみんなのお喋りが始まる。
野地は強がって教師の悪口を言っていたが、それは逆に恐れていることを現していた。
次は化学の授業だった。
気の合いそうな仲間がまとまって、化学実験室へと向かう。
冰太郎は最後まで教室に残っていた。一人だったが、もう声をかける気にもなれなかった。
化学室の直前まで来たところで、ペンケースを忘れてきたことに気がついた。「筆記用具類なら貸す」と須田は言ってくれたが、あまり借りを作りたくなかった。急足で教室に戻る。
誰もいなくなった教室は、ひどく寒々しかった。4月の強い陽光が全てを照らし、曖昧な影の部分がほとんどないせいかもしれない…などと詩的なことを考えながら自席に向かう。
ゴリっ、と嫌なことがした。
何か固いものを踏んだ。左足を上げると、銀色のアクセサリー。真ん中のガラス部分が割れていた。
震えが背中を伝う。
これは、不良、野地のものだ。壊してしまった。
見つかったら標的にされるだろう。
それだけは避けねばならない。
アクセサリーを急いでつまみ上げると、斜め前の机に放り込んだ。
冰太郎の席だ。
とっさに高度な計算が働いていた。
冰太郎の机から それ が出てくる。
野地は冰太郎がやったと思うだろう。線香臭いと言われた腹いせに壊したのだ。
他の生徒の机に放り込んでも、そうはいかない。自分はやっていないと強く主張されれば、野地は他の奴を疑うだろう。例えば、一度教室に戻った凌が疑われる。
綱渡り的な戦術だが、上手くいく。
その時、背中に視線を感じた。上から見下ろすような、凌を裁くような視線。
心臓の脈動が早くなる。
冷や汗が垂れる。
ああ、恐怖を感じると本当に汗が流れるのだ、と冷静に考えている自分がいる。
気のせいだ。
振り返ってみれば何もない。
だが、体が動かない。
授業5分前を告げるチャイムが鳴った。
それで、後ろを振り向いてしまった。
何もいなかった。
そう、何もいない。
みんな化学実験室に移動している。教室の扉が開く音もしなかった。
誰かがいるはずがないのだ。
凌は駆け足で化学実験室に向かった。
実験室の扉を開けると、皆の視線がこちらに集まった。恰幅のいい教師が席に座って授業の準備をしている。野地は足を投げ出し、スマートフォンをいじっていた。意地悪そうな顔。凌の心臓は激しく脈打った。
大丈夫だ、いつも通り、平静に振る舞えばいい。須田の隣の席に座った。
*
化学の授業が終わり、皆は話しながら教室に戻る。冰太郎は凍りついた顔で一人歩いている。
昔はよく笑う奴だった、自分から友達に話しかけるタイプだったのに。冰太郎の心は痛む。その痛みを無視するように、須田との会話に集中した。
教室に戻る。
目を背けようとしても、冰太郎の方を見てしまう。
冰太郎は教科書をしまおうとして、机の中に手を突っ込んだ。そして、何か知らないものが入っているのに気がつく。
それを取り出し、「何だこれは」と小声でいった。
ざわめきが教室中に波及し、やがて爆発した。
「おい! 雹江! それはオレのだぞ! なんでテメーが持ってるんだ」
野地が叫ぶ。
「……知らない。机の中に入っていた」
「返せよ!」
冰太郎の手からアクセサリーを奪い返す。
「あ…」
そして、壊れていることに気がついてしまった。
「これ、どういうことだ!」
「知らないよ」
「お前が壊したんだろうが! この線香野郎!」
野地はヒステリックな声を上げる。裏声になっていて、滑稽だった。
冰太郎は表情ひとつ変えない。言い訳しないということは、認めているようなものだ。
野地はますます逆上し、教科書を投げつけた。
冷静に避ける冰太郎。一つも当たらない。肩で息をする野地。
「お前のことは、これから無視するからな」
いつの間にか集まってきていた取り巻きも、それに同調する。彼らは、「線香、線香」と囃し立てた。
冰太郎は無表情に座っている。
凌は須田とゲームの話をしている。僕は悪くない、そう自分に言い聞かせながら。凌が何度も話しかけているのに、無視するのがいけないのだ。親友だと思っていたのに、裏切るから。
その時、また背後に視線を感じた。首の後ろがズキリと痛む。
振り返る。
一瞬、赤い球が空中に浮かんでいるのが見えた、気がした。
全身に悪寒が走る。
あいつは凌のしたことを全て見ていた。
その悪を裁こうとしている…。
いや、そんなバカな。
気の迷いが見せた幻だ。次の瞬間には、もう気配すらなかった。
野地は、「弁償しろ!」と捨て台詞を吐いて、教室から姿を消した。
多分、本当にお金を渡すまで嫌がらせをやめないつもりだ。このまま冰太郎は孤立していくだろう。
「おい、どうした大宮司?」
須田が凌の名前を呼んだ。
「……」
考えがまとまらず、何も返すことができない。
「あの不良どもがいる限り、今後ずっとああいうことが起こるぜ。それにしても、素直に謝ればいいのに、下手に逆らうから…」
須田は冰太郎に同情した。
だが、具体的に助ける手段は思いつかないらしい。
多分、誰かが先生に言うだろう。先生が仲裁してくれるだろう。
酷いいじめにはならずに終わるだろう。
終わるはずだ。
凌は自分に言い聞かせる。
放課後がやってきた。
自転車の進む方向に太陽があって、眩しかった。滲み出た涙を拭く。
何事もなかったかのように、須田と軽口を叩きながら帰る。
あたりは刻一刻と暗くなってゆく。
いつもの分岐路で須田と別れた。
太陽は最後の輝きを見せている。闇がそこかしこに溜まっている。時折すれ違う人々の表情は読み取れない。のっぺらぼうだったとしても分からないだろう。
今、通学路の中でもっとも寂しい農道を走っている。自転車のペダルが重くなった。ここは緩やかな下り坂だ。ほとんどペダルを回さなくても進むはずだ。
なのに、まるで粘着質のゼリーに捉われたかのように進まない。
太陽が沈む。崖から迫り出した木々が手のひらの様に蠢いている。自転車は完全に動かなくなった。パンクでもしたのか。
確かめるために、自転車から降りる。
目眩がする。
視野から色彩がなくなった。黒と灰色と白。
鈴の音がした。
澄み切った、冷たい鈴の音。
闇の中に、赤い球が浮いていた。漆黒の瞳。まるで、こちらの罪を全て知っているかのような、威圧的な。
凌は動けなかった。
全身が震えている。膝が笑っている。
赤い球が迫ってくる。その中心から黒い霧が放射され、タコの足のようにうねった。
「オマエは オロカだ…」
赤い球から、低い弦楽器のような声が響いてきた。
「オマエにはチカラがアルとオモイ イママデ見てキタ。ダガ オマエはアマリニ卑小ダ。ワレの依代ニハナレヌ」
何を言っているのだ、こいつは。
赤い球から発せられる音声が日本語だということをようやく理解する。
凌のことを見てきた、と言ったか? こんな化け物に今まで見られていたのか!?
「くくく…、オマエはヨワキをタスケヌばかりか、オトシイレタ。ワレはオマエを裁カネバナラナイ。オマエにバツヲ与エネバナラナイ」
凌は立ちすくむ。ただ呆然と、化け物の御託宣めいた言葉を聞いているしかない。
もう、自分の力ではどうしようもない。
抵抗しても無駄だと分かっている。
「オマエはチイサナ悪をナシテキタ。自動販売機のゴミ箱二生ゴミをステタ…、タダイライラしてイルダケデてんとうむしヲ踏ミツケタ、クラスメイトの女子ノジャージのニオイを嗅ゴウとシタ…、忘れ物ヲシタトキ、友達ノモノヲヌスンデツカッタ…」
皆、小学生から中学生にかけてやった悪事のことだ。心に棘の様に刺さっていた後ろめたさが思い出される。
それと同時に、腹が立ってきた。
なぜ、こんな化け物に悪事を指摘され、裁かれねばならないのか。
怒りが全身の筋肉を動かした。
振り返り、足を一歩前へ出す。さらに一歩。
大丈夫だ、走って、逃げる力が残されている。
だが。
「ニゲルナ…!」
化け物の黒い触手が、足に引っかかった。
前につんのめって、転ぶ。
「喰イ殺シテヤル……!」
赤い球がパックリと裂け、口の様なものが現れた。
凌の体など一呑みだ。
今度こそ逃げられない。
その時。
グサリ、音がした。
赤い球に、透きとおった青の刃が刺さっている。
「イタイ…」
化け物は、刃が飛んできた方向に向き直った。同時に、刃は抜けて、地面に落ちた。音はしなかった。化け物の傷は塞がっていく。
そこに立っていたのは、青をまとった戦士? いや、雹江冰太郎だ。悪鬼のような形相をしている。右手に握られているのは、あの透きとおった刃。
「ワレはヒトツメノオオムラジ…、神デアル。人間ガワレニ楯突クか?」
冰太郎は無言だ。
刃を突き出すように構え、化け物めがけて突っ込んでいく。
化け物は次々に触手を繰り出す。
冰太郎は旋風のように舞い、触手を切り裂きながら化け物本体に接近していく。
触手の何発かは、冰太郎の体をかすって、傷をつけていく。
冰太郎の左手からも刃。薄く青く輝いている。
そして、全ての攻撃をかわしきり、目前まで迫る。
だが…。
新たな触手が、鉄砲水の様に吹き出し、冰太郎に襲いかかった。
両手の刃は地面に落ちる。
触手が冰太郎の体を絡め取り、宙吊りにする。
「フハハ…キサマ伐怪師カ? 人間ガ、神ニサカライオッテ。キサマから喰ロウテヤル…!」
化け物が大口を開く。
鮮血よりも赤い。
触手がゆっくりと獲物を口に運んでいく。
凌は腰砕けになり、呆然とその光景を見ていた。
圧倒的な強者に、何もできない。
学校生活と同じだ。
弱いものが強者に喰われる。
それが世界の理りなのだ。
友達が食べられようとしていても、助けることすらできない。
友達?
そうだ、冰太郎は友達だ。昔、いつも一緒に行動してきた。
それを、助けないで良いのか?
自分の弱さに怒りが溢れてくる。弱い、弱い、弱い…だからセコい生き方しかできない。
それが、悔しい、悔しい、悔しい。
凌は立ち上がった。戦いで飛び散った、透明な刃の破片を握りしめて。
「ボクの友達を離せっ!」
走る。刃を突き立てる。化け物がうめき声を上げる。
「キサマ…、ドコニソンナちからガ…」
凌の体は、僅かに輝いていた。
「ヨワく、卑怯ナ、キサマの何処ニソンナちからガ…」
化け物は触手を鞭のようにしならせ、凌を突き飛ばした。
地面を一回転、背中を激しく打ち付ける。
だが、凌は立ち上がる。自分への怒りをエネルギーにして。
「僕は、弱くて卑怯だよ! 当たり前じゃないか! お前ら化け物みたいな力はない! 不良どもを薙ぎ倒せない! 友達がいじめられていても見て見ぬふりしかできない」
凌は化け物に突っ込んでいく。
「それのどこが悪い! 自分が生き延びるのを最優先に考えるのは、人間として当たり前だ!」
触手がしなる。
突き飛ばされる。
もう、本当に立ち上がる気力がない。
それでも、刃の破片を前に向けて構える。
化け物の巨大な瞳で視野が一杯になった。これで、死ぬのか。化け物の栄養になるのか。
「フハハハハ、面白イ! 弱イと思ッテイタガ、キサマにはワズカにちからガアル」
恐怖で、化け物が何を言っているのかよく分からない。
「チカラを正シキコトにツカウ、ソレがキサマにデキルカ?」
「チカラをタダシイコトにツカウ? 笑わせるな! 何が正しくって、何が間違っているのか、そんなの分かるわけないじゃないか! わかる奴がいたら、そいつは神様だ!」
捨て台詞を言い放つ。
化け物の瞳が歪む。機嫌を損ねたようだ。もう、助からないだろう。
「フハハ、イカにもニンゲンのガキがイイソウナ、アサイ言葉ヨノウ。ダガ、『タダシイコトニツカウ』ナドトまた嘘をツイテオッタラ、本当ニコロしていた」
「え?」
「チカラをアタエテヤル」
化け物の瞳が、つまみ上げられた餅のように盛り上がる。
それが、凌の右眼に触れた。
瞬間、体が痺れた。
右眼から、異様な力が流れ込んでくる。
化け物の体は萎んでいき、代わりに凌の体が熱くなってくる。化け物自身が、凌の体に入ってきているのだ。
世界が赤くなった。赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫…目まぐるしく色が変わる。そして、凌は意識を手放した。
*
目を覚ました時、あの黒い空間も、赤黒い化け物も消えていた。
夢だったのか。だが、右眼に痺れるような感触が残っている。それに、少し体が軽くなったような気がする。
冰太郎が、心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。ああ、この表情、昔の冰太郎と変わらない。凌と目が合うと、はにかんだように笑った。凌も笑う。
「あの化け物……、思い出したよ。小学校の頃、古塚山で襲ってきた、ヒトツメノオオムラジという妖怪だな。あいつが間近に迫ってきて…、その後の記憶が思い出せない」
「あの時は、凌を担ぐようにして山を降りたんだ」
「化け物、ずっと僕を見ていたと、そう言ってたな」
「…妖怪が出会った人間の周りを彷徨くのはよくあることだ。多分、あいつが見える人間が珍しかったんだろうな」
「僕は、どうなってしまうんだろう。それに冰太郎。どこで妖怪と戦える力を身につけたんだ」
「それについては、おいおい話す。もう、凌を巻き込んでしまったのは事実だから、説明責任は果たすよ」
説明責任だなんて、他人行儀なことを言う。
「高校で再開して、でも、僕と関わろうとしなかったのは何でだ?」
それが一番気になることだ。中学時代に性格が変わったのかと思ったが、話してみると昔の冰太郎だった。
「お前を巻き込みたくなかった。俺は妖怪を活性化する体質だから。今言えるのはそれだけだ。多分、お前は今後、妖怪をめぐる争いに巻き込まれていくことになる。予言とかじゃない。化け物を身に宿してしまったものの宿命だ」
化け物、か。
中学に入って、妖怪なんて忘れていた。「妖怪なんているわけないじゃん」って自分から言うキャラになっていた。それは、凌が科学主義者だからではない。周りの人間が、そんなスタンスだったからだ。
でも、思わぬ形で妖怪と再開した。命が危なかったけれど、でも、何だか本当の自分を取り戻した気がした。
二人はゆっくりと自転車に乗って、ポツリポツリと話しながら帰った。
「お前、中学の時に女の子のジャージの匂いを嗅いだのか?」
ヒトツメノオオムラジが言ったことを覚えていたようだ。
「違う! 嗅ごうとしただけ!」
凌の必死の否定に、冰太郎は爆笑した。
中学時代に何があったか、それは分からなかった。でも、冰太郎が日々妖怪と戦っていることは喋ってくれた。
やっぱり、こいつは俺の大切な友達だ、そう思った。
*
翌朝、金曜日。
須田と連れ立って教室に入ると、不良グループが冰太郎を取り囲んでいた。
「お前が壊したアクセサリー、十万円するからな! 弁償してもらうぞ!」
野地の裏返った声。取り巻きが同調する。
「俺は壊していない。だから弁償もしない」
「何だと、テメー!」
野地は冰太郎の胸ぐらを掴んだ。
「やめろ! 野地!」
天井の照明が震えるほどの大声。自分が出した声に少し驚いた。
野地の体がビクリと震えた。
だが、虚勢を張って、こちらを振り返った。
「何だ、テメーは!」
冰太郎から手を離し、取り巻きと共に向かってくる。
「アクセサリーを壊したのは僕だ。僕が弁償する。ただし、十万じゃない」
「はぁ?」
野地の声が裏返る。威圧しているつもりなのだろうが、弱い猿の威嚇でしかない。
「昨日、ネットで調べた。三千円だ。ほら!」
ポケットにしまってあった三千円を、野地の鼻先に突きつける。
「金を返せばいいってもんじゃねえぞ!」
野地は凌を睨みつけ、さらに威嚇しようとした。だが。
凌の右眼を見た途端、後ろに二、三歩後ずさる。恐怖で目が泳いでいた。
「お、お前、その目…」
凌は一歩踏み出した。
「や、やめろ。俺が悪かった。も、もう見るな」
そう言って野地は教室から逃げ出した。取り巻きたちも後を追う。
これがヒトツメノオオムラジの力か。
確かに、いくらでも悪用可能な力だ。必要な時以外絶対に使わないという強い意志が必要だろう。僕にそんな意思があるだろうか、と凌は不安になる。
「お前、凄いな」
いつの間にか背後に立っていた須田が言った。尊敬の眼差しで凌を見てくる。
「いや…たまたまあいつが臆病だっただけさ」
後5分でホームルームの時間が始まる。それまで、須田と冰太郎と三人で話そうと凌は思った。