scene4:アクアヴィット
「ほんと、やってらんないわ」
1時間も待たせた挙句、着いた早々にコロナビールを一気飲み。
ゲップ混じりに発した言葉がこれだった。
―変っちゃったんだな、みお。
「ねえねえ、聞いてくれる? ほんとあったまに来ちゃうのよ」
いつもの枕詞で始まる話は、決まってみおの旦那の愚痴だった。
本当に愚にもつかない、くっだらない話。
聞くのが嫌なら帰ればいい。
でもできない…。
だから私は、いつも愛想笑いを浮かべて、くだらない愚痴に相槌を打つ。
そんなものを延々と聞かされるためだけに呼び出される私。
いつからだろう…。
私たちって友達のはずだったよね。
―ともだちか。
心の淵で呟くと、遠い昔の響きに聞こえる。
単純に笑いあえていた大学時代。
あの頃に帰りたいと、思わないといえば嘘になる。
でも、きっともう無理。
こうして週一回は必ずここで会っているというのに、
会えば会うほど、心は疎遠になっていく不思議な感覚。
でもそんな違和感も今では当たり前になった。
―変わったのはみおだけじゃない…。
「おかわりはいかがですか」
みおの話が一区切りついた隙を絶妙に縫って、いつも私を助けてくれるのは、この優しい低い声だ。
「あ、コウさん。あたしコロナ追加で」
みおは愛想の欠片もなく言い、煙草をおもむろにくわえる。
「かしこまりました」
慇懃に腰を折ったコウさんの目が私を捉える。
とっさに私は顔を伏せた。
いつもそうだ。私はコウさんの人を包み込むような温かく優しい目を直視できない。
「いいのよ。この子はいつもので」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
静寂が訪れる。
話し疲れたのか、みおは黙ったまま忙しげに煙を吐く。
西に傾いた陽が、みおの顔に陰影を刻む。
削げた頬。生気の失せた肌。くっきりと浮かぶ目の下の隈。
歳よりも老けて見えるその顔は、正視できないほど醜く感じる。
醜いことが不快なのではない。
私もすぐにそうなるのかもしれないと思うことが怖い。
でも、たぶんもう戻れない…。
目の前のテーブルにグラスがそっと置かれた。
血のように赤い液体。デニッシュ・マリーという名のカクテル。
「ありがとうございます…」
礼を言って顔を上げると、温和なコウさんの微笑みに視線を絡みとられた。
―そんな目で見ないで、コウさん…。余計に辛くなるから。
みおはコロナビールを一口飲むと、大事に抱えていたハンドバックを開いた。
ドキリと鼓動が跳ねる。
「いつものよ。大事に使いなさいね」
小さな封筒を差し出し、みおは席を立った。
私はその封筒を慌てて掴むと、すぐにバックにしまった。
動悸が激しさを増す。震える手でグラスを口に運んだ。
アクアヴィットの仄かな香り。
一瞬だけ、気分を落ち着かせてくれる。
末端価格にしておよそ4万円の乾燥大麻。
いけないことだとは分かっている。
でも、これなしではもう生きられない私がいる。
キュッキュッキュ…。
コウさんがグラスを磨くいつもの音。
―コウさん、私のこと軽蔑してる?
アクアヴィットの仄かな香り。
いつまで楽しめるだろうと考える自分に自己嫌悪を覚えた。