遭遇綺譚
シリーズ物です。上部「オロチ綺譚」より1作目「巡礼綺譚」からお読み戴けるとよりわかりやすいかと思います。
「コントロールアウト」
「このまま前進」
航行補佐担当の菊池の言葉に、宇宙貿易船オロチの船長である南は短く返答した。
スイリスタルの荷物をのど元まで詰め込んだオロチは、現在ローレライ方面に機首を向けていた。
ローレライとはエンテン星を中心に広がる商業区域の名称だ。中央管理局が払い下げた惑星を民間企業が買い、一大ショッピング区域となっている。宇宙でも屈指の繁華街で通常ならオロチレベルの自由貿易船など入り込む余地はないが、今回は荷が荷だ。買い付けたい企業はたくさんあるだろう。
「船長、まずはエンテン星へ向かう?」
「そうだな。例の試作品の使用報告をしなければならないし、公的機関以外でヒムロ星のエンジンを1番高値で買ってくれるのはエンテン星だろう」
「交渉次第では、やろ?」
エンテン星の最近のデータを眺めながら、医療担当である笹鳴が意地悪げに呟いた。
「あそこの値切り交渉は神業やさかい、腰据えへんと買い叩かれるで」
「わかってる」
南は真面目な顔でうなずいた。何せエンテン星は交渉が上手い。シロウトならあっという間に言いくるめられてしまう。
「俺と笹鳴、それに北斗で交渉に当たろうと思う」
「俺も?」
オートパイロットになっているのでヒマだった主操船担当の北斗が気怠げに振り向いた。
「当たり前だ。お前の生意気さをこういう時に使わずいつ使うと言うんだ」
思いのほか真顔で南に言われて、北斗は小さくため息を吐いた。それをにやにや眺めて攻撃担当の柊が口を挟む。
「船長、北斗だけじゃ面倒な事になるっスよ。俺も行きましょうか?」
「お前が来るともっと面倒な事になるだろう」
これもまた真顔で南に言われて柊は黙り込み、今度は北斗がにやにやと笑った。
「ま、いいけどね。滅多にない稼ぎ時なんだから、力を貸してもいいよ」
「頼む」
そう告げて南はキャプテンシートに深く寄りかかった。
今回の商売にはイザヨイ星の命運がかかっている。あの美しい風景を焦土に変えられてたまるものか。
「そんな訳で他の面子は留守番だ。菊池は買い出しに行くだろうが、頑張って値切るように。……菊池?」
返答のない菊池を不審に思い南がキャプテンシートから身を乗り出して覗き込むと、難しい顔で何かのレンジ幅を合わせていた。
「どうした菊池? 何かあるのか?」
「うーん……うん」
南が更に菊池の手元を覗き込むと、つられて菊池の真後ろに座っている宵待も菊池のシートを覗き込んだ。
「どうしたんだ? 菊池」
「うん……宵待の方でも確認してくれないかな。3時の方向に小さいけどかなりの数の熱反応があるんだ」
宵待はすぐにモニタを設定すると拡大した。菊池の言う通りいくつかの熱反応がある。生命体かと思って詳細をチェックしたが、それよりは遥かに大きい。
「この温度は生物ではないね……。規模と正確な数、位置を計算するよ」
熱反応はランダムに温度を上昇させ、そしてすぐに消失している。これには宵待も覚えがあった。
「何かの戦闘のようだね。海賊船同士が撃ち合いでもしてるのかな」
宵待が正面モニタへ新規ウィンドウで表示してくれたので、南も確認できた。
「宵待、すぐに固有電波の照合。笹鳴はステルス準備、北斗と柊は一応戦闘準備」
「了解」
オロチのブリッジに緊張が走った。海賊同士の潰し合いや惑星間の戦争なら手出し無用のルールがあるが、もし民間機が攻撃されているのであれば、救援を怠れば航法違反になる。
「タイプ判明、合致パターンなしが23機、民間輸送船パターンが1機」
「ほう、1機で20機以上の海賊を相手にしとんのかい」
笹鳴が小さく口笛を吹いた。
「最後に残った1機の可能性もある。見捨てるわけにはいかないようだな。機首を3時の方向へ。総員戦闘準備」
「了解」
南が戦闘用スイッチを入れたと同時に、菊池と宵待の手元のあらゆるモニタにランプが灯った。
「船長、改良後初の機能確認も兼ねて、思い切りやってもいいっスか? 最近戦闘がなくて腕が鈍ってたところだし」
「あんたの腕は頭と一緒にいつも鈍ってるでしょ」
「北斗……お前絶対後で泣かす」
エース2人のやり取りにため息を吐いて、南はモニタを眺めた。
「思い切りやるのはいいが弾薬とエネルギーは節約しろ。笹鳴、ステルス起動」
「了解」
ステルス機能を強化したオロチは、レーダーにはまったく映らない速度と動きで戦闘箇所に接近した。
「目標視認。敵艦18機!」
「オートリロードシステムオン! 自動照準システムオーバー! パルス・レーザー及びプレ・ロデア砲ディスチャージ!」
「バックアップシステムを全面的に宵待に移行! 菊池とクラゲはノーマルポジションで待機! データ解析開始!」
「了解!」
途端に菊池とクラゲの瞳がサファイアの光を帯びる。
「撃て!」
南の号令と共に、北斗は操縦桿、柊はプレ・ロデア砲とパルスレーザーの発射スイッチに力を込めた。
強化されたステルス機能のお陰でそれまでまったくオロチに気付かなかった海賊達は、思いもよらない方向からの攻撃にパニックを起こした。とっさに攻撃を避けて四散しかけたが、しかしすぐに態勢を立て直して迎撃態勢を取る。
「海賊にしてはなかなかやる。でも」
柊が好戦的な笑みを浮かべて呟いた後を、北斗が続けた。
「遅いよ」
その時にはもうオロチは完全に彼らの懐深くまで踏み込んでいた。流れるような動きであっという間に敵艦を撃破し、すべての海賊が沈黙するまでそう時間はかからなかった。
「敵消滅。損害ゼロ」
「追跡調査開始。エンジンノーマルポイジションで待機。菊池とクラゲは能力解除、データが出そろい次第報告」
「了解」
南は小さくため息を吐いた。オロチは貿易船だ。なのにどうしてこんなに戦闘対処がスムーズなのだろう。
「こちら自由貿易船オロチ。民間機、聞こえますか?」
菊池の問いかけにしばし沈黙が流れたが、やがて「こちら民間機SSL992号。救助に感謝する」と低い返答があった。
「被害はどれくらいですか? SSL992。こちらから視認できるのは右翼ですが、右後方に損害が見えます」
『エンジンと燃料タンクは外れているから火急の問題はない。だがコントロールシステムが破壊された。パイロットシステムの80%が機能していない』
南は小さくうなずいた。近隣に着陸可能な惑星はないし、残った20%の機能での長時間航海は難しい。
「船長の南だ。これから牽引フックを出す。捕まえられるか?」
『やってみよう』
南が視線だけで指示を出すと、北斗はゆっくりSSL992号の前方へ進み、オロチの後方から牽引フックを射出させた。SSL992号も同時に牽引機能を起動させ、何とか自分の機体に連結させる事に成功した。
『ドッキングOKだ』
「エンジンを切れ。収容する」
SSL992号は推進をやめ、オロチに引かれるに任せた。
「データ解析完了」
宵待が南へ視線を向けた。
「敵完全消滅により所属不明。追跡機及び近隣に各反応なし。それから船長、あのSSL992号機、一応民間機扱いにはなってますが……」
「わかってる」
南は顔をしかめて後方モニタを眺めた。
「中央管理局のものだろう? 噂で聞いた事がある」
SSLとは通常は民間機の総称であるスペースサービスラインの略称だが、それを隠れ蓑にシークレットサービスライン、つまり中央管理局の特殊部隊の船もまぎれているという話を聞いた事があった。その後に続く数字が大きくなればなるほど任務は特殊性を帯びて行くという。
「面倒な事にならなきゃいいが……」
南は眉間にしわを寄せた。
「SSL992号機船長、近江天武だ。もっともクルーは俺1人だがな」
近江と名乗った男は、オロチに移動するとクルー達にそう言葉を発した。鋭利な視線と硬質的な態度を見れば、シロウトではない事は一目瞭然だった。
「俺がオロチの船長の南ゆうなぎだ」
「噂は聞いている」
簡潔にそう告げると、近江は近づいて来た笹鳴に視線を向けた。
「船医の笹鳴や。腕見せんかい。かばってはるやろ。怪我したんちゃう?」
近江は一瞬目を細めたが、黙って左腕を差し出した。
「お前達に素性を隠す気はない。中央管理局特殊部隊所属、対テロ作戦部室長をやっている」
「……やっぱりか」
南は天を仰いだ。自分はどうしてこういう星の下に生まれたのだろう。トラブルの神様からの寵愛なら謹んで辞退したいところだ。
「あの機体では目的地まで辿り着けんだろう。近くの補給基地まで運んでやるから、目的地と積み荷を教えてくれ」
笹鳴の治療を受けながら近江は逡巡したようだが、それも一瞬ですぐに視線を上げた。
「目的地は座標JKP23LK77」
「ずいぶん遠いな。つか、そんなところに何かあったっけ?」
柊が首をかしげると近江はわずかに目を伏せた。
「……中央管理局特殊部隊対テロ対策室……通称COETの秘密作戦基地がある」
「え? そ、そんな極秘情報っぽい事を一介の貿易船の俺達に言ってもいいの?」
菊池があせって尋ねると、近江は深くため息を吐いた。
「いいも何も今の俺にはお前達以外に頼るすべはない。そもそも噂に聞くオロチを一介の貿易船扱いするのは疑問を感じる」
南は乾いた笑みを浮かべた。中央管理局にまでそんな扱いをされているとは。
「俺はそこまでこの荷を届けなければならん。……エンテン製の生命維持装置だ」
南は意外そうな視線を近江に向けた。積み荷武器だと予測していたからだった。中央管理局の対テロ組織となればタンホイザー砲クラスの武器くらい簡単に手に入れられるだろう。だが生命維持装置とは。
「本当に生命維持装置なん?」
笹鳴も同じ考えだったのか疑り深そうに近江に視線を送ると、近江も不服そうに睨み返した。
「荷を見せてやる。船医なら判別できるだろう」
宵待の差し出したコーヒーに口をつけて、近江は初めて少しだけ気を緩めた表情を見せた。
そのやりとりを眺めながら南は頭を回転させていた。中央管理局特殊部隊となれば、トラブル時には最も近い管理基地に連絡して代わりの船なり護衛なりを要請するのが筋だろう。だが近江はその選択をせず、民間機であるオロチに頼る事を選んだ。それが不可解だ。そもそも室長の立場の者がたった1人で輸送しているという事からして不自然だ。
何かある。秘密裏に行動しなければならない何か、応援を要請できない何か、民間の貿易船ごときに頼らねばならない何かが。
「……誰の命を救いたいんだ?」
南の低い声に、近江は再び鋭利な視線を上げた。
「それは言えん」
南と近江の間に緊張が走った。
だが、南はすぐに緊張を解いた。
「まぁいい。誰かを殺す目的を助けるよりマシだ」
「いいの? 船長。もしかしたらものすごく面倒くさい相手を助けようとしてるのかもしれないよ」
北斗の問いに南は首を横に振った。
「どのみち俺達に選択肢はない」
中央管理局を名乗る相手にNOは言えない。貿易権を取り上げられた挙げ句に監獄にぶち込まれる。
「北斗、目的地を座標軸JKP23LK77へ。柊、プログラムの再計算」
「了解」
それ以上の疑問を挟まず命令に従うパイロット2人に、近江は視線を向けた。
「……噂通り、優秀な船長のようだな、南ゆうなぎ」
「優秀なのはクルーであって俺じゃない」
近江は包帯の巻かれた腕を押さえ、背もたれに寄りかかった。
「お前個人の噂も聞いている、南ゆうなぎ。未来を捨てた男だとな」
南は近江から視線をそらせると、自嘲気味に笑った。
「捨てても惜しくない未来だったからさ」
航海中、近江はどこにも一切連絡を取ろうとしなかった。
せめて襲撃された事だけでもどこかに知らせるかと思ったが、それもしようとしない。
クルー達は緊張した時間を過ごした。相手は中央管理局の人間だ。何か粗相があれば営業停止をくらいかねない。
しかし近江は何もかもを見て見ぬふりしているようだった。貿易船にはあり得ないほど搭載された兵器、中でも極めつけはタンホイザー砲だが、見る者が見れば明らかに砲門とわかるその砲身も、近江は気が付いているだろうにそれを口にしない。50コンテナもの連結可能なエンジンはCクラスの貨物船ではありえないが、それだって目の当たりにしているのに指摘しない。
座標軸JKP23LK77到着までの時間は30時間。その間、近江は自分の事を話さず、また何かを訊こうともしなかった。飽きもせずブリッジで正面モニタを眺め続けているだけだ。
だが航路を半分ほど来た頃、敵襲を受けた。
「宵待!」
「合致パターンなし! 海賊です!」
「全員戦闘配置!」
近江は予備のシートで大人しくシートベルトを締めた。
「くそ、ステルス機能を強化しても固有電波でバレちまう!」
柊が舌打ちをしてゴーグルをかぶった。
「義務なんだから仕方ないでしょ。来るよ」
「わかってる!」
北斗に悪態をつき、柊は引き金に指をかけた。
「敵数確認! 15機! 戦闘艦5機と戦闘機10機! 気張りや!」
菊池とクラゲが戦闘モードに入って一切の支援に入れなくなったので、笹鳴がフォローに入った。
「戦闘機10機、プレ・ロデア砲軸線上に入ります!」
「柊撃て! 菊池は戦闘艦を叩け!」
「了解!」
あっという間に戦闘機2機が火を吹き、立て続けに後方の戦闘艦が巨大な棒で殴られたかのようにひしゃげた。
「残り8機! 360度展開!」
「セオリー通りだね」
北斗は片方の口角を上げると一気に加速して反転し、1機の背後を取った次の瞬間には、柊が相手に恐怖を感じさせる前にプレ・ロデア砲を放った。編隊が崩れた隙を狙って柊が立て続けにプレ・ロデア砲を命中させる。
「敵消滅、損害ゼロ」
宵待の声に全員が中央モニタを見てほっと息を吐いた。
「宵待、データ解析終了後報告」
「了解」
南は背後の予備シートを振り返った。
「怪我は?」
「ねぇよ」
近江はまだ険しい顔で中央モニタを眺めていた。
「中から見ても噂通りだな。指示も操縦も攻撃も的確だ」
「伊達に自由貿易船に乗っているわけじゃないからな」
褒められたというのに南の表情はまったく緩んでいなかった。近江はおそらく嘘はついていまい。だが情報を出し惜しんでいる気がする。その南の予測は次の宵待の報告で確信に変わった。
「解析完了。SSL992号を襲った海賊と同じである事が判明しました。追跡機を距離10,000に補足。数は不明です」
「菊池、エンジンローダーをノーマルポジションで固定。宵待、状況観察を続けろ」
「了解」
南は席を立った。
「近江、お前、あの連中に心当たりがあるだろう」
疑問ではなく確信を持った南の言葉に、近江はモニタへ向けていた視線を南へ移した。
「誤解しないで欲しいが、俺もいま確信したところだ」
近江は両腕を組んだ。
「連中は海賊じゃない。テロリストだ」
「予断に影響のない範囲でわかっている事を話してくれ」
南の難しい注文に、近江はオロチに乗船して初めて苦笑に近い表情を作った。
「そうだな。一応民間人のお前達の命を危険にさらすわけにはいくまい。わかっている事を話そう」
一応じゃねぇっての、と柊がぼやいた。
「だがその前に固有電波の発信を停止してくれ。そして強化されたというオロチのステルス機能を全開にして欲しい」
「300秒以上の固有電波停止は宇宙航法違反だ。それに距離10,000ならステルス機能の起動は必要ない」
渋い顔をする南に近江は真顔で視線を向けた。
「特別措置だ。上には俺が掛け合う」
「信用できないんだけど」
猜疑心全開で睨みつけて来る北斗をちらりと見返して、近江は懐から銃を抜いた。元軍人の北斗はその仕草と同時に瞬間的に身構えたが、飛んで来たのは弾丸でもレーザーでもなく、銃身そのものだった。
「なら今ここで俺を撃ち殺し、積み荷を好きなところへ売り払え」
「……度胸のいい事だが、うちはお前の知っているような金儲け主義船じゃないんでね」
とっさに受け取ってしまった北斗から銃を取り上げ、南は近江へ返した。
「売り払って面倒事に巻き込まれるくらいなら、お前の死体と一緒に宇宙へ放り投げる」
近江は黙って銃を受け取ると、再び懐へしまった。
「なかなか頭のいい男のようだな、南」
「だから伊達じゃないと言っただろう」
近江は目を伏せたが、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……テロリスト達が目印にしているのはオロチの固有電波ともう1つ、俺の持つ発信器だ。だからステルスを起動させて欲しい」
「そっちの発信器を切ればいいだろう?」
「俺の拍動と連動している」
いくつかのため息がブリッジにこぼれた。
「中央管理局の特殊部隊となれば身体に埋め込んでいる発信器はあぶり出し系かなんかの特殊型だろう。だったら簡単に周波数を捉えられないはずだ。どうしてテロリストがお前の発信器の周波数を知っているんだ? おかしいだろう」
「スパイがいたんだ。そいつがCOETのデータを盗んだ」
南はしばし考え込んだ。今のところ話のつじつまが合っている。近江が自分達を騙そうとしている可能性を否定できるだけの材料がない。近江の立場を考えれば今は信じるしかない。
南は北斗へ振り返った。
「固有電波オフ、ステルス起動と同時に単独ワープに入る」
「了解」
クルー達は自分の仕事に取りかかった。
「……まぁ確かに生命維持装置言うてたし、それは嘘やなかったんやけど」
笹鳴は収容したSSL992号の積み荷の確認から帰った後、菊池からもらったコーヒーをすすりながらため息を吐いた。
「中に人が入っとった」
菊池がコーヒーを吹いた。
「え? な、何? じゃあ正確には近江さんが運んでいたのは『生命維持装置』じゃなくて、『生命維持装置に入った人』だったって事?」
近江は無言でうなずいた。クルーは自分1人だと言ったはずだが、確かにそんな状態ではクルー扱いはできまい。
「中央管理局にとって失う訳にはいかない地位の人間でな。だがその立場上、邪魔に思っている連中も多い。あのテロリスト達は彼の暗殺を狙っている」
「そんなに大事に人だったら、なんであんた1人で運んでんのさ」
北斗が睨むと近江は忌々しげに顔を歪めた。
「誰が運んでいるのかわからねぇよういくつか囮を用意し、俺はそれにまぎれて出発したんだが、スパイの流した情報によってバレたみてぇだ」
近江の口調が崩れ始めた。なんだかイライラしているように見える。
「それならCOETの秘密基地の場所も知られてるんじゃないの?」
北斗はコーヒーを飲み干し、カップを無造作にワゴンへ戻した。
「俺がテロリストなら、その秘密基地へ先回りして待ち構えるけど?」
「秘密基地へ到着するには特殊な回廊を抜けなきゃならねぇ。そしてその回廊を抜ける為には入力パスが必要だ」
黙って話を聞いていた柊がぽんとひざを叩いた。
「それ……聞いた事あるぜ。ワープシステムを元にした移動装置で、正確なパスを入力しないととんでもない宇宙の彼方へ吹っ飛ばされるってシステムだろ? コンピュータでランダムに航路計算されるから、下手するとワープ直後に惑星にぶち当たるとか何とか。対海賊用にUNIONが開発したらしいけど、危険すぎるからって製造中止になった……」
近江はうなずいた。
「もちろん改良されているので有人の惑星や衛星、コロニー、宇宙船等に衝突する事はない。機密性を考慮して内部へは侵入不可能の無人回廊となっている」
「あんたはその入力パスを知ってる?」
「俺の発信器がパスを入力する為の鍵となる」
南は黙って話を聞きながらコーヒーをすすった。
正直、南にとっては近江や生命維持装置内の人物の命などどうでもよかった。クルーとオロチをこの状況からいかに脱出させるかの方が大事だ。
「テロリスト達はもちろんそれを知ってるね。だから最初の戦闘の時もさっきの時も、こっちの急所を外して攻撃してきた」
北斗にコーヒーのお代わりを注ぎながら菊池が言った。データ解析をしていてその不自然さに気付いたのだ。最初の攻撃の時、SSL992号はエンジンルームでも燃料タンクでもなく、システム部分を破壊されていた。そして今回も、エンジンは徹底的に避けて攻撃された。テロリスト達はまるでこちらを生け捕りにしようとしているように見えた。
「なるほどな」
南はため息を吐いた。
「テロリスト達はお前やお前の運んでいる人物もそうだが、秘密基地の正確な位置を知る事も目的にしてるって事か」
近江は返答しなかった。それが答えだった。
海軍は宇宙の秩序を守るのが任務だ。だから戦略には長けているが謀略にはそれほど明るくない。その管轄は中央管理局だ。両者は密接に繋がっており、宇宙の頭脳が中央管理局、宇宙の腕力が海軍と言われている。宇宙一大きな組織同士のちょうど中間にいるだろう特殊部隊対テロ対策室所属の近江がそのどちらにも救援を要請しない理由は、今はどちらも信用できないという事なのだろう。テロリストとは思想犯だ。どちらの組織に紛れ込んでいてもおかしくない。
南は首を振った。どうにもこういう展開は苦手だ。
「近江、俺達はフリートレイダーだ」
唐突な南のセリフに、近江は視線を上げた。
「銀河航法違反になるからという理由だけでは、協力にモチベーションが上がらない」
「……何か報酬を要求するつもりか?」
南は開き直ったような表情を見せた。
「新世206号という惑星を知っているか?」
「先だってお前達が破壊した惑星だろう?」
「言っておくが、あれは新世206号の王の要請により実行しただけだ。その新世206号は未だに新しい惑星を与えられておらず、不自由なコロニー暮らしだと聞いている」
近江は眉を寄せた。
「それは俺にどうにかできる問題じゃねぇ。管轄が違う」
「知った事か。同じ中央管理局の人間だろう」
南も負けずに眉を寄せた。
「お前を無事送り届けられたら、彼らに一刻も早く条件のいい惑星を与えてくれ。それが報酬だ」
近江は心から不思議そうに南を見、そしてうなずいた。
自分達への便宜を図る事を要求するのではなく、通りすがりの惑星の民の厚遇を条件に出す。南ゆうなぎとはそういう男だと聞いていたが、実際に目の当たりにすると呆れてしまう。
「呆れたお人好しだが、まぁわかった。俺のできる範囲で新世206号を助ける事を約束しよう」
「あそこの米は美味いぞ。1度喰ってみろ」
南は初めて近江に笑顔を見せた。
「座標JKP23LK77まであと30分」
「そろそろだな」
南は戦闘スイッチを入れた。
「レーダーを全開にして敵船を補足」
俺がテロリストならこのあたりで待ち伏せする、という近江の言葉に従い、ブリッジは緊張に包まれていた。
今まで何度も海賊と闘って来た。しかしテロリストとわかっている相手との本格的な戦闘は初めてだ。どんな攻撃をして来るかのレクチャーは一応近江に受けたが、実戦経験がないのはどうしようもない。
そもそも貿易船がどうしてテロリストを相手にしなくちゃならないんだ。南はため息を吐きそうになったが、新世206号にもらった米の恩返しだと思って飲み込んだ。
ステルス機能を全開にしているのでおそらく視認以外でこちらを補足するのは不可能だ。だがオロチの機体はその視認に最適な白い塗装が施されている。
「アラート!」
北斗の声にブリッジの緊張は一気に高まった。
「こっちに気付いていそうか?」
「いや、まだ動きはない」
操縦桿を握り直す北斗の背後では、すでに宵待が情報分析にかかっていた。
「敵数60。うち戦艦半数」
低い宵待の声に、菊池が喉を鳴らして空気を飲み込んだ。かなりの大所帯だ。
「戦闘システムをすべてMAXに。菊池とクラゲはノーマルポジションで待機。できるだけ気付かれないように全滅させろ」
無茶言わないでよ、とうなる北斗の声に南は返答しなかった。無茶は承知の上だ。
秘密基地へたどり着くには、まずはここにいる全てのテロリスト達を全滅させる事が最低条件だ。1機も残さず駆除しない事には入力パスを傍受され、場合によっては秘密基地へ侵入されかねない。回廊を破壊されるのも避けたい。
Sシールドを起動させればまず攻撃が当たる事はないが、残念ながらステルスと同時に使用はできない。
となると、テロリスト達をどれだけ早く全滅させられるかが成功の鍵となる。
「菊池、戦艦を1度にどれだけ落とせる?」
「半分は落として見せる」
「きゅう!」
菊池とクラゲは、中央モニタを睨みつけたまま不敵に笑った。
「菊池の攻撃と同時に戦闘開始。宵待、準備は?」
「システムパルスMAX。加速ポンプ及びエンジンローダー、オートリロードシステム、自動照準システムオールグリーン。出力曲線ニュートラル。プレ・ロデア砲及びパルスレーザーディスチャージ。ランチャー及び各インパクトキャノン装填完了」
宵待の緊張した声に南はうなずいた。
「笹鳴、Sシールドスタンバイ。最悪は戦闘中にD換装を行う」
「ホンマに最悪やな、それ。Sシールドグリーン、圧力コンプレッサー毎分3,000回で固定して一時的な切り離し準備完了」
南はすべてのモニタに視線を向けた。
「戦闘開始と同時にエンジン全開。北斗、行け」
「了解。全員シートベルト締めてないと頚椎やられて死ぬよ」
北斗はオロチを一気に加速させた。Gコントロールされているブリッジ内でも強い重力が発生する。
布陣するテロリスト達の後方にオロチが回り込むと、柊がプレ・ロデア砲の発射スイッチに指をかけた。
「菊池!」
南の声に菊池とクラゲの瞳がひと際青く光った瞬間、20隻近い戦艦が上から巨大な杭でも撃たれたように突然大穴を開けて爆発し始めた。それと同時に柊の放ったプレ・ロデア砲が戦闘機を叩き落としていく。
「笹鳴! ステルス解除! Sシールド全開!」
3回目ともなるとテロリスト達の動きは海賊の比ではないほど素早かった。瞬時に態勢を立て直し、各機シールドを起動させてオロチに突っ込んで来る。
「北斗、いつもより動きが悪いんじゃねぇの? 腕鈍ってっぞ!」
ミサイルとレーザーとプレ・ロデア砲を撃ち分けながら柊が笑うと、北斗は眉間にしわを寄せた。
「オロチがどんだけ重くなってると思ってんのさ」
そう言って北斗は操縦桿を引き上げた。途端に真下をレーザーが通り過ぎる。立海のレアメタルだけで1,000トン、ヒムロの機材も入れたら2,000トン近く、オロチはいつもより重量が増している。にも関わらず、北斗の操縦は敵の攻撃をオロチにかすらせもしなかった。
「敵戦闘機1機抜けました! 回廊へ向かうものと思われます!」
宵待の報告に南は舌打ちした。テロリスト達は回廊を破壊するつもりだ。という事はオロチを、ひいては近江を生け捕りにして秘密基地の正確な場所を聞き出すつもりなのだろう。
「舐めやがって……」
南の表情が険しくなった。テロリスト風情が、このオロチを生け捕りにするなど笑わせてくれる。
「菊池! 落とせ!」
「了解!」
2秒ほどモニタを凝視した後、菊池は全速力で離脱しようとする戦闘機をたたき落とした。
「宵待! 回廊までの距離と敵船数は!?」
「距離27,000! 目前の敵船27! 10時の方向より敵援軍230機! 回廊との距離5,000!」
突然現れた援軍の数の多さと回廊との距離の近さに、オロチのブリッジは息を呑んだ。どう考えても援軍の方が早く回廊にたどり着く。そして回廊を破壊したあとはこちらへ向かって来るだろう。オロチたった1隻でその数を相手にするのは、いくら北斗と柊の腕をもってしても不可能に近い。
南は顔を上げた。
「視認できる敵はすべて柊に任せて、菊池は援軍を叩け!」
「まだ遠いけど……頑張る!」
シートの肘掛けを掴む菊池の手に力がこもった。クラゲが相棒になってからというもの白熱化などしなかった菊池の周囲が、陽炎のように揺らめき始める。
200を超える援軍をたった1人で引き受けた菊池は、すべての意識を遠くの援軍に集中させた。
「いくよ……クラゲ!」
「っきゅう!」
スイリスタルの時にそうしたように、菊池は援軍の周囲すべてにアイソトープ変換の巨大な結界を造り上げた。それを徐々に狭めていって、触れた先から順に船を核爆発させてゆく。莫大な力を必要とするが、1機も残せない事と遠すぎて1つずつ狙えないが故の大規模な攻略法だった。
目の前の敵を全滅させたオロチが到着するまでに1機でも多く落とす。そう決意する菊池の後ろのシートで、南はモニタを睨んだ。菊池1人で援軍を全滅させるのは無理だ。距離がありすぎるし、数も多すぎる。だが菊池とクラゲは限界まで頑張るだろう。1秒でも早くその状況から解放してやる為には、目前の敵を一刻も早く叩きのめして駆けつける事だ。
「くそ……っ! 連中のシールド出力がSシールド並みだぜ!」
「泣き言? 腕鈍ってんじゃないの? 柊サン」
「死ね!」
それでも柊は菊池の援護がまったくない状態で敵船を撃墜し続けた。
「目前の敵21! 援軍200! 対戦艦核ミサイル確認!」
この距離で核ミサイルを食らえばオロチはもとより周囲の戦闘機もただでは済まない。これが近江の言ったテロリストのやり方だった。生け捕りが無理だと判断すれば、味方もろとも消滅させる。
菊池は援軍の相手だけで精一杯だ。オロチのシールドまで手は回らない。
「スイリスタルのパワーアップに賭ける。Sシールド全開! 北斗、直撃は避けろ!」
「了解」
雨のように降り注ぐレーザーやミサイルをくぐり抜けて、北斗は操縦桿を握り直した。
「推進機レブリミット! 最終回避距離まであと5秒、4、3……」
「掴まってないと舌噛むよ!」
北斗は足下のラダーを蹴飛ばすと操縦桿を真下に押し倒した。瞬間的に下降した事によりレーダーより姿を消す事に成功した次の瞬間に、核ミサイル目がけて柊がプレ・ロデア砲を発射する。
「全員何かに掴まれ! 来るぞ!」
プレ・ロデア砲が命中した核ミサイルが爆発し、オロチの船体が激しく揺れる。Sシールドを全開にしたまま、オロチはその閃光の渦から飛び出した。
「被害ブロックを閉鎖! 数は!?」
「目前の敵3! 戦艦です!」
「対戦艦ミサイル発射!」
南の命令に柊の身体は脊髄反射で反応して発射スイッチを押した。
残った3隻の戦艦は核ミサイルの余波から逃れきれずにいたところにオロチの放った対戦艦ミサイルの直撃を受け、爆発した。
「……周辺の敵消滅。損害は第3制御室26%、加速ポンプ2基。これにより電圧14%、加速装置23%の出力低下」
「敵援軍は?」
「数176、175……174」
南は息をついた。当面の危機は去ったが、回廊まではまだ距離がある。
「自動修復装置起動。テロリストどもの援軍がいる場所へ向かえ。距離は?」
「21,000」
宵待の額には汗が浮いていた。笹鳴がフォローしてくれていたとはいえ、これほど本格的な戦闘を菊池抜きでバックアップするのは初めてだ。
北斗は南の言葉が終わる前にオロチを発進させていた。全速力でも20分近くかかる。
「Sシールド解除、ステルス機能起動。笹鳴、悪いが被害状況を確認してきてくれ」
「了解」
席を立つ笹鳴にちらりと視線を向けて、近江は小さくため息を吐いた。
「……見事なものだ。海軍にだってここまでの手練れは少ない」
「お前が口出ししないでいてくれたお陰だ」
南はにこりともせず正面モニタを睨んだまま告げた。菊池とクラゲはその間も援軍を叩き落とし続けている。できるだけ早く駆けつけて手助けしてやりたかった。
「北斗、全速力。宵待は残存エネルギーの確認」
とにかく一刻も早く回廊を抜けさえすればいい。回廊を抜けてさえしまえばテロリスト達は追跡して来られない。後は回廊が破壊されようがどうされようが南の知った事ではなかった。その為には援軍を叩きのめし、それ以上の追跡が来る前にさっさと回廊を抜ける事だ。
近江は何も言わなかった。すべて南に任せるつもりなのか、それともまだオロチを観察しているのか。
「プレ・ロデア砲及びパルスレーザー、インパクトキャノン共にレベルA。まだいけます。燃料タンク63%。電力低下12%に回復。距離20,000を切りました。援軍数約150」
「レーダー全開。多方面からの追跡に注意」
オロチは音速で飛行していた。菊池の白熱化が徐々に解けてきている。額に浮かんだ大量の汗も肩でしている息の荒さも、そろそろ体力の限界を示していた。クラゲも強く目を閉じ、菊池のひざでうずくまるように丸くなっている。
「目標到着まで980秒」
南は指の爪を噛んだ。近すぎてワープもできない。
『ブリッジ、こちらポンプ室。衝撃による単純破損やさかい、部品交換でいけそうや』
「丸ごと交換してかまわん。5分で終わらせて20秒で戻って来い」
『了解』
「援軍数130!」
菊池の破壊速度が確実に低下して来ていた。アイソトープ変換処理速度が落ちているのだ。これだけ距離のある相手を攻撃するのはよほどキツいのだろう。その上すでに10分以上、菊池は集中し続けている。白熱化は完全に解けていた。
「エンジンが焼き切れてもかまわん! 他のシステムを落としてすべてのエネルギーをエンジンへ回せ!」
「電力30%カット! タービン120%! これ以上は無理です!」
宵待が叫ぶ。北斗は手元のモニタを見て舌打ちした。断熱圧縮で極度の激しい発熱が起こり、機体が電離・プラズマ化している。普段ならどうって事ないが、今は損害を受けた場所から火が出る可能性が高い。いくら立海のレアメタルで装甲されていても、これ以上の加速をすれば機体に影響が出る。
「船長、マジでこれ以上は無理。オロチが分解する」
南は舌打ちした。こうしている間にも菊池の身体は前方に倒れつつあった。座っている事にすら耐えられないのだ。
「目標視認!」
舌なめずりして叫んだのは柊だった。驚いた宵待が手元のモニタを見たが、レーダー捕捉範囲には何も写っていない。
「み、見えるのか? 柊」
「あんな光は1度見たら忘れられるかよ。朱己の核爆発の光だ!」
「どんな視力してんのさ……」
北斗は操縦桿を握り直し、艦内用通信機のスイッチを入れた。
「ドクター、そろそろ5分だよ。戻って来ないとこのまま戦闘に突入するからね」
『今クロスフィードバルブを回しとるところや。コンピューターは何て言うてはる?』
「60%チャージ」
『15秒で戻る』
北斗は帽子をかぶり直した。
「宵待さん、数は?」
「110! 到着まで500秒! 菊池、クラゲ、もうちょっとだけ頑張って!」
ブリッジに笹鳴が戻って来たドアの開閉音を耳にした時、南が叫んだ。
「全員戦闘態勢!」
一旦切っていた戦闘スイッチを南が入れたのと同時に、宵待はすべてのエネルギーメモリに目を走らせた。
「システムパルス戻します!」
「ステルス解除! Sシールド起動! ハイパワーブースターオン! 出力曲線Cカテゴリー5!」
「了解!」
自分のシートへ滑り込みながら、笹鳴が制御ボードに指を滑らせた。
「加速ポンプ及びオートリロードシステム、自動照準システム、エンジンローダーオールグリーン! プレ・ロデア砲及びパルスレーザーディスチャージ! ランチャー及び各インパクトキャノン装填完了! 到着まであと400秒!」
巡洋艦並みのスピードで駆けつけたオロチは、回廊を中心にテロリストの援軍とちょうど同心円上の等しい距離まで近づいていた。
南はモニタを見て目を細め、低い声を発した。
「D換装用意」
通常、D換装は陸地に着陸している状態で行うものだ。飛行中、しかも戦闘モードのまま行った事などない。
だが船長の言葉に異を唱えるクルーなど、ここには1人もいなかった。
「メインジョイント切り離しに入るで」
「加速バルブE〜Kまでクローズ。コンピューター回路制御システムよりブリッジへ接続。システムパルスアルファからベータへ移行」
「貨物部、切り離すよ」
船体が大きく揺れ、操行したままオロチは貨物部を切り離した。
出力も牽引力も失った貨物部が宇宙に放り出され、投げ捨てられたかのように漂う。スイリスタルで苦労して手に入れたその荷物を、南は目で追う事もしなかった。
「宵待」
「到着まで300秒! 敵数100を切りました!」
南が正面モニタを睨む。これ以上菊池達に無理はさせられない。菊池もクラゲも呼吸はすでに喘鳴だ。それでも敵の数は100近くいる。オロチ1隻でどこまでやれるか。
「……北斗、柊、やれるな?」
オロチのエース2人は不敵に笑った。
「この程度、どうって事ねぇっスよ」
「たった100隻くらいで何言ってんの? 船長」
南は笑った。自分はなんて心強い部下を持ったのだろう。
「2人とも好きにやれ。俺が許す。プレ・ロデア砲もミサイルも大盤振る舞いしてやれ」
「りょーかい」
「うぃーっす」
オロチが一気に加速した。2,000トン近くの重りがなくなったのでその動きは鳥のように身軽だ。
「菊池! クラゲ! 能力解除!」
菊池がのけぞるようにシートの背に寄りかかった時、オロチはテロリストの援軍の中に突っ込んだ。
「ボス、よくご無事で……!」
COET秘密作戦基地で近江を出迎えた参謀補佐ハルウミは、その姿を見て心から安堵したように息をついた。
「この連中のお陰だ」
振り向いて後方を指す近江に、ハルウミは深く一礼した。
「中央管理局特殊部隊所属、対テロ作戦部のハルウミです。よくボスを連れて来てくれました、オロチ」
「あー……、ええ、まぁ、その……自由貿易船オロチの船長、南ゆうなぎです」
ぺこりと頭を下げる南に艶やかに微笑み、ハルウミはクルー達を秘密基地内部へ促した。
「お疲れでしょう。どうぞ中へ」
「あ、いや」
南は首を横へ振った。
「あんた達に恨みはないんだが、役所とは仲良くしない事にしてるんで、俺達はこれで」
去ろうとする南に一瞬あっけにとられたようだったが、ハルウミはくすくすと笑い出した。
「確かに俺達は一応中央管理局内の組織って事になってるけど、性質上命令系統も違うし、そう気にしなくてもいいと思うよ」
それでも役所関係にはかわりないだろうと続けようとする南を無視して、ハルウミはきびすを返した。
「ボスの命を救ってくれた相手をそのまま帰したとあれば俺達の沽券に関わるよ。まぁ入って。船の修理も必要だろう?」
「というより、その、さっきから気になってるんだが」
南は後方のオロチの機体を指した。
「うちの機体にへばりついて見ているあの男は?」
「ああ、ラークの事? ごめんね、あの人は宇宙船マニアで、オロチがスイリスタルの最新鋭機だってのは宇宙中の噂だから、通信が入った時からテンション上がりっ放しで」
放っておいても害はないけど、頼めばタダで直してくれると思うよ、とハルウミは笑った。
100隻近いテロリスト達を、オロチはたった1隻で叩きのめした。
それは先だってスイリスタルへ寄った時に強化してもらったお陰でもあるし、クルー達の意地の賜物でもあった。操縦はもとより戦略にも長けている北斗が相手の武器を逆に利用して同士討ちに追い込み、柊は1発も無駄にする事なく兵器のすべてを敵に叩き込んだ。宵待が全面的にバックアップする中、笹鳴は大急ぎで菊池とクラゲを回復させ、後半は再びクルー全員での攻撃となった。
すべてのテロリストをきれいに片付けた後に切り離した貨物部を回収し、そうして回廊を使ってここへやって来たのだった。
到着してすぐに収容してあった生命維持装置を降ろし、クルー達はやっと肩の荷を下ろした。
もうこの段階で正直すぐに帰りたかったのだが、いま出て行けばテロリスト達の的になるからとハルウミに足止めされ、仕方なく応接室のような場所でコーヒーをすすっている。
先ほど船体を舐めるように眺めていたラークという男がどうしても修理させてくれと言って来たので、北斗の立ち会いのもとに先ほど終わらせた。自動修復装置で修理できる範囲の損傷であった事と、衝撃による単純破損だったので修理はすぐに終わり、ラークは物足りなかったのかまだオロチの船体にへばりついている。ハルウミのいう通り無害そうな男だったので、面倒になった南は放置する事にした。
「本当にありがとう。レーダーにポインターが灯った時は、正直故障かと思ったよ」
苦笑しながらそう言ったのは羽叉麻という男だった。先ほどこのCOETの参謀だと名乗った男だ。
「ボスったら連絡の1つも寄越さないんだもん。身体に埋め込んでる発信器が正常作動していなかったら全面出撃するところだったよ」
どうぞ、と出されたレモン風味のクッキーにクラゲがかじりついた。力を使いすぎて空腹になっていたのだ。
「1つ聞きたいんだが」
南はカップを置いた。
「何でしょう」
「あの生命維持装置に入っていたのは、いったい誰だったんだ?」
羽叉麻とハルウミは驚いて近江を両サイドから見上げた。
「言ってなかったの?」
「そこまで嫌う事ないと思うけど」
近江はそれでも口を開こうとはせず、黙って飲み物に口をつけた。
「仕方ないなぁ。あれは銀河海軍総合司令本部総司令官、シャカキ総帥です」
北斗がコーヒーを吹いた。総司令官と言えば海軍のトップだ。軍人だった北斗にしてみれば雲上人と言っていい。
「非公式だけど、3日前にテロリストに襲われて意識不明になってたんだ。組織的にも状況的にも失うわけにはいかず、なのに収容場所が決められなかった。どこにスパイがいるかわからなかったからね。それで公的機関でありながら場所が非公式で到達も難しい我がCOETの基地で預かる事になったんだけど、何せ敵が多い人だから誰も運びたがらなくてね。それでうちのボスが貧乏くじを引いたってわけ」
ハルウミにそう補足されたが、オロチのクルー達はただため息を吐くだけだった。一介の自由貿易船の許容範囲を超えている内容だ。
「治療の為に呼び寄せようとした医者がスパイの1人だっただなんてトラブルもあったんだけど、総帥がここへ着けばこっちのもんだよ。あとはどうとでもなる」
そう言って微笑むハルウミに、笹鳴がちらりと視線を向けた。
「ほな、まだ医者は来てへんの?」
「ああ。でもあの生命維持装置に入っている限り命に別状はないからね。オファーかけてる医者の返事待ち」
笹鳴はにやりと笑った。
「俺は船医や、診たってもええで。ただし、オロチの修理と燃料補給、物質補給をタダにしてんか」
ハルウミと羽叉麻は顔を見合わせた後に小さく笑った。
「申し出はありがたいけど、一介の船医に何とかできる症状じゃないと思うよ」
「馬鹿にすなや。これでも惑星ミヤコの生き残りやで」
近江達COETははっとして顔を上げた。
「ミヤコってまさか……血で治療するって言われてた? 絶滅したって聞いたけど」
「してへんわ。失礼やな。ま、証拠はあらへんけどな」
笹鳴は長い足を組み替えて得意げに笑った。
「タダに、してくれへん?」
見上げて来た羽叉麻とハルウミに、近江はうなずいてみせた。
治療と修理を終えて飛び立ったオロチを見送りながら、羽叉麻はくすりと笑った。
「ボスの悪運が強いのは知ってたけど」
羽叉麻は近江を見上げた。
「まさかあのオロチに助けられるだなんてね」
オロチの機体は既に見えなくなっていたが、エンジンの噴出口だけはまだ肉眼で確認できた。
「スイリスタルの最新鋭機で船長はあの南ゆうなぎ、パイロットは史上最年少で1級資格を取得した北斗すばる、狙撃手にUNIONの悪魔と言われた柊しぐれ、クルーにはオボロヅキ星の有翼人種の生き残りである宵待おうぎ、名医を輩出したミヤコ星の生き残りの船医笹鳴ひさめ、そして地球とルナベースが手放した事を泣いて悔やんだというエスパーの菊池朱己。その菊池君の能力を飛躍的に増幅させる事ができるクラゲ君が乗っている、おそらく宇宙最強のフリートレイダー達……。拾ってくれたのが彼らじゃなかったら、総帥はもとよりボスも、そしてCOETも、今頃どうなっていた事やら」
「まったくだよ」
羽叉麻の隣でハルウミも笑った。
近江は無表情のままそれを聞いていたが、やがて硬質的な視線で2人を見た。
「それで、例の件はどうなった?」
羽叉麻とハルウミは揃って笑った。
「新世206号の件でしょ? 大丈夫。言う事聞いてくれないと襲っちゃうぞって、本部を脅しておいたから」
「地下資源が豊富で気候もいいSランクの惑星を今月中に手配するって。……でもホント」
ハルウミは髪を耳にかけた。
「噂通りの人物だったね、南ゆうなぎ。正直言うともっと無骨な男だと思ってたんだけど」
「そう? 俺は逆に神経質な人を想像してたよ。四角四面な感じの」
「やめてよ羽叉麻。そんな男はボス1人でたくさんだよ」
そうだよねぇと笑い合う部下2人にため息を吐き、近江はCOET基地のエアポートから上空を見上げた。もうオロチは影も形も見えない。
あれだけの腕を持ちながらフリートレイダーに身を費やすなど惜しいと近江は思う。正直に言えば全員丸ごと部下に欲しいくらいだ。
だが彼らは決して首を縦には振らないだろう。自分で決めた自分の航路を自由に渡る事が、きっと彼らの矜持なのだ。
土地が変わっても新世206号の米は美味いだろうか。
近江はそんな事をぼんやりと思った後にきびすを返した。
「ちょっと、待ってよボス!」
「いなかった間に目を通して欲しい書類が溜まってるんだからね」
「うるさい。腹が減った。俺は飯を食う」
音もなく歩く近江の後ろを、2人は慌てて追いかけた。