みんな本当は早く出たい。
ここまで割と楽しい寮生活などと描いてきましたが、本当は他の入院患者の皆さんと同じくらい一日でも早く出たいなと考えてます。
自立した大人ですからやはり生活があります、仕事の都合やお金の事、家族の負担など、入院生活とはそういう沢山の物を磨り減らして行うような安楽行為です。
他の方でも真面目な人程、先の見えない入院生活について悩みますし、早く治そうとリハビリを頑張りますが中々治らないと苦しみます。
痛みに耐えて出ると再発のリスクもありますから、無理して早く出る訳にも行きません。
我々入院患者はらそうして無理をして早く出た患者の多くが短期間でぶり返して、再び入院する羽目になっているのを間近で見るからです。
一見すると楽しい寮生活には、焦りと安静と言う相反する感情が常にあります。
予想外な重症で急に手術をする場合、尚更長い焦りと戦う生活が待っていますから、自分のことだけを考えていると不安で押し潰されそうになる時がありますよ。
だから皆さん他の方と話をして、病気の付き合い方を学んだり、自分だけでは無いからめげずに頑張ろうと気持ちを振るい立たせます。
私だって、無事に日常に戻れるか?再発リスクはどの程度なのか、失った体力や筋力でいきなり仕事復帰が可能だろうか、などと夜中に一人ベッドの上で思い悩む事がありますし、話を聞く中で他の人達も同様な悩みを抱えていると感じます。
何をするにしても健康は大事ですし、身体を壊す様な仕事は出来れば避けるのが一番いいでしょうね。
身体を鍛えるのは大切なのですが、やり過ぎも危険ですから健康的な範囲でやるのが良いと感じます。
病院が休日になると、まるで病室は世界から切り離された様に静寂に包まれ、余計にみんなナーバスになり、早く出たいと言う言葉が多くなりますね。
何もしないと言うことは、社会から忘れられる恐怖を抱えますから、やはり人間は個の生き物ではなく、社会性の生き物なのだと感じますね。
取り敢えず皆さん一応回復の方向に進んでますし、歩けなかった最悪をだっしたから、未来を考えていると思いますから、一見すると後ろ向きの様に見える言葉でも、しっかりと奥を覗けば前向きな姿勢を感じますね。
逆に前向きな言葉の羅列でも、心が後ろ向きなのは聞いていても不快感を感じたり、そら寒さを感じる事があります。
根性論ではないですが、人間が地位やお金を剥がされ一人の人間として裸になった入院生活で感じた事は、やはり人間に最後に残る物は心であり、その想いの方向を決める事が自由で有ると感じました。




