逃げ、その先にあるもの
初投稿です!
なんかおかしいぞ?ってとこあると思いますが、大目に見てくれたら嬉しいです。
ちょっとシリアスですが、次回からは明るくしたいと思っています。
「飯はまだか!母さん!」
父の叫び声が聞こえる。
「お父さん待って、これ終わったらすぐご飯にするからね」
トイレの中から叫ぶが、聞こえていないのか父はまだ、飯はまだか!と怒鳴っていた。
「お母さん、オムツ履いて」
「いや!いや!」
首をふる母を宥めながら無理やりオムツとズボンを履かせる。
母を支えながら居間に戻ると、相変わらず怒鳴っている父がいた。
「ごめん、お父さん。急いで作るから!」
慌てて台所にたって野菜を切る。
「痛っ....」
痛みが走って指を見ると、血がプクッと膨れてくる。
「絆創膏..」
急いで探さなければ。ただでさえ父を待たせているんだ。
見つけた絆創膏を指に貼る。急ぎすぎたせいで、少しクシャっとなってしまったが、気にしている暇なんて私にはない。
痛む指で野菜を切ると、少量の油とオイスターソースでテキトーな味付けの野菜炒めを作る。
作りながらお湯を沸かして、インスタントの味噌汁を作る。最近はインスタントに頼り切りだが、それくらい許して欲しい。
炒め終わった野菜を皿に盛り付けて、ご飯と味噌汁と一緒にお盆で運ぶ。
最近の夕飯は野菜炒めにインスタントの味噌汁という組み合わせばかりだ。
肉を食べさせてあげたいが、使える金が限られているのだ。
「遅くなってごめんね。」
父と母の前にご飯を出すと、使い方があやふやになってしまった箸で食べ始める。
「美味しい?」
尋ねても返事はない。二人が認知症になってからこの質問に答えが返ってきたことなんて一度もないのに、また聞いてしまう。
満たされなかった承認欲求が心の底に沈んでいった。
カラン
小さな音が響いて床を見ると、父の箸が落ちていた。
拾おうと屈み込んで手を伸ばす。
その瞬間、頭上から熱い液体が降り注いだ。
「熱っ!?なにこれ...味噌汁..?」
髪や額に張り付いたワカメ、味噌汁を吸い込んで熱く、重くなった服の布。
なんで私だけこんなこと...辛い..疲れた...
火傷をしてしまったのか、ヒリヒリと痛む体に涙が零れた。
「母さん!俺の味噌汁は!?」
父の叫び声が聞こえる。
プツンと何かが切れる音がした。
気が付いたら体が勝手に動いていた。
「いい加減にしてよ!?毎日、毎日もうウンザリ!!お父さんもお母さんも早く死んでよ!!」
味噌汁に濡れたままの体も気にせずに、私は居間の扉を勢いよく閉めると、裸足のまま家を飛び出した。
行き先も分からずにただ我武者羅に走った。
空は薄暗くて、もうすぐ春とはいえ、夜はまだ寒かった。
外の温度で冷めた服が体に張り付く感覚が気持ち悪い。
それでも足を止めたくはなかった。
できるだけ我が家から離れた場所に行きたい、その一心で走る。
通りすがりの人が不思議そうに私を横目に見てくるが、気になんてしていられない。
気が付いたらちょっと遠目の公園に来ていた。
木々に囲まれている、ベンチと鉄棒とブランコしかない地味な公園。桜と書かれた看板がかかる木には、花どころかまだ蕾すらついていない。
この公園に、一度だけ来たことがある。
昔、私が桜が見たいと駄々をこねて連れていってもらった時だ。
あの頃はもう少し人がいたのに。今では人気のない寂れた公園に成り下がってしまった。
ベンチに一人腰掛ける。
鼻腔をくすぐる味噌汁の匂いに、忘れようとしていた父と母を家に置き去りにしているという事実が思い出された。
父が認知症になって、嫌がった兄が出ていき、母と二人で父の介護をしてきた。
でもいつの間にか母もものボケが酷くなってきて、今ではすっかり認知症の患者だ。
兄に老人ホームの提案をしてみたが、赤の他人には押し付けられないと反対されて、結局私が介護することになった。
介護に専念するため結婚を前提にお付き合いしていた彼と別れて、仕事を辞めた。
兄が父と母の介護に必要な金は送ってくれるとはいえ、私の遊ぶ金はないし、遊ぶ時間も無い。
こんな生活、もうウンザリだった。
「帰りたくないな...」
空を見上げると一番星がキラリと輝いていて、もう夜だということを知らせる。
「いっそ公園で野宿...なんてね..」
ベンチの上で横になる。
静かな公園、すっかり暗くなった空が心を静めてくれる。
だんだん重くなる瞼に身を委ねてしまおうか?
「見つけた!!アンタ!」
突然呼ばれて勢いよく起き上がる。
私を呼んだのは、近所に住む林さんだった。ぼける前、母がとても仲良くしていたことを覚えている。
普段は落ち着いて顔色一つ変えない印象の林さんが、今は顔を真っ赤にして息を荒くしている。
「どうしました...?」
「どうしましたじゃないよ!アンタの家が!」
「え...?」
とにかく、と手を引かれるままに走る。
走っている間、林さんは一言も言葉を発さなかった。
走りながら、自分が案外遠くまで走っていたことに気がつく。
無我夢中で走ると周りが見えないものだ。
我が家に近付くにつれて、サイレンの赤い光が見えた。
伝った汗はきっと走ったからだけではない。
嫌な予感が脳裏によぎった。
救急車に、消防車。わらわら集まる人だかり。
振り向く人たちの私に向ける視線。
哀れみ、軽蔑、同情
変わり果てた家、目の前に映る景色は非日常。
近付いてくる救急隊と思われる人に言われるがままに、車に乗り込んだ。
目の前に並ぶのは白い布を顔にかけられた二人の遺体。
「あなたの両親で間違いありませんか?」
少し捲られた布から除くのは、鮮紅色になった父と母の顔。
嫌でも現実を見せられた。
死因は一酸化炭素中毒。窓も、ドアも締め切っていたのが原因らしい。
どうして?火は消したはずなのに?
頭の中にぐるぐるといろんな疑問が渦巻く。
「母さん、飯はまだか?」
「待ってくださいよ、あなた」
二人の会話が脳に響く。
そっか、お母さん
いつも通りご飯作ろうとしたのか。
体の力が抜けて、その場に膝から崩れ落ちた。
ボロボロと目から零れる涙は止まることを知らない。
「ごめんなさい...!ごめんなさい!」
届くはずもないのに、繰り返す。
あれが最後なんて嫌だよ...
△▼△▼△
静かに響く木魚とお経、充満する線香の香り。
散々泣いたはずなのに、涙はまだ溢れてくる。
早く死んでなんて思ってないのに。本当のことを伝えられないまま終わってしまった。
「娘さん、まだ若いのに可哀想ねぇ」
「火事なんて、気の毒に」
遠くから聞こえる会話、おそらく近所の人たちが話してるのだろう。
「でも...」
割り込んできたように聞こえた声。
誰かは分からないが、少し高めのキツイ声だ。
「親の介護から開放されて、よかったんじゃない?」
突き落とされたような気持ちだった。
私が辛そうな顔をしてたから、二人の介護が重荷に見えた?
違う、私は二人の介護をやめたいと思ったことはあったけど死んで欲しいなんて心の底から思ったことない!
怒りと共に振り返ると、目の前に見知った男性が立っていた。
忘れるはずがない、だって...たった一人の..
「兄さん...」
兄は最後に見た時より少し肥えていた。
私に介護押し付けて自分は楽しく過ごしてたってわけか。
ずっと見上げていたら、胸ぐらを掴まれて、無理やり立たされた。
「お前がついていながらなんで父さんと母さんは火事で死んだんだよ?お前はなんで無傷で生きてんだよ?薄情者!!」
目を細めて、私を睨みつける冷たい目。でもその目は怖くない。
だって私は知ってしまったから。お父さんとお母さんが運ばれた後の人だかりが、一斉に私の方を向いた視線の恐ろしさを。
「ごめんなさい...」
一言謝ると、細めていた目をカッと見開いて、体を揺すぶられる。
「誤って済む問題か?お前は今まで何してたんだよ?働いてなければ、介護もできないのか?」
言われた瞬間、気付いたら兄の頬を平手で打っていた。
兄は驚いた顔で私を見ている。
ごめんね、でももう我慢できないの。
「私だって働きたかったよ!!お金稼いで、結婚だってしたかった!正直なこと言ったらお父さんとお母さんを老人ホームに預けて普通の暮らしがしたかった!それを反対したのは兄さんじゃん?私に押し付けといて何でそんなこと言えるの?薄情者はそっちでしょ!?」
全部言い切って、兄を睨みつけると、兄はくしゃりと顔を歪めた。
「悪かった...」
兄が小さな声で呟く。
「もう遅いよ...」
そう、全て手遅れ。
亡くなった命はもう戻らない。後悔しても、どうにもならない。
家に帰れなくなった私に、兄がマンションの一室を貸してくれた。
私が介護で忙しくしている間に、兄は一流企業に務めてマンションを買っていたらしい。
必要最低限のものしかない部屋の中心に倒れ込む。このまま眠ってしまえたらどんなにいいだろう。
家族も、家も、全てを失ってしまった。貯金だってもうない。
生きていく気力もない。
明日からどうすればいいの?
ああ...
「死にたいな...」
言葉にしてしまえば、どんどん自殺願望が膨らんでいく。
少し早いけど、ここで人生の終止符を打つのも悪くないかもしれない。
立ち上がって、玄関の扉を開いて外に出る。
目指すは一つ、
マンションの屋上へ