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権助、与平、兵吾

作者: 葵陽

この作品はフィクションであり、専門用語は創作です。信じないで!


「恭子はお見合い結婚したそうです。」「さて、一番年上は何歳でしょう。」「ブーケトスもそんな感じ。」「いっしょに食事をするだけの簡単なお仕事です。」「マグロ係」「七つまでは神のうち」「店長、シフト変更してください。」「たぬきとどくだみ」「むじなとあしたば」「不思議な道具なんかより、あのあおいねこちゃんがほしいと思ったことはないか。」「職業:家政婦」「人見知りだっていいじゃない」「メンズPコート/税込13,200円」「男はどこへ消えたのか」「初乃は夢を見ない」の続きです。



お読みいただければ、幸いです

修行中の(かんなぎ)には、よく精神を病む者が出る。

当たり前だが、神の声をきく行為とはそういうことだと理解してもらいたい。

霊能力者や超能力者に限らず、ひととは違った技能や才覚をもつ人間には、凡人に想像し得ぬ苦難があるわけだ。




冬の水仕事は、「冷たい」というよりも「痛い」。

経験がある人には、同意していただけると思うが。

古式に習って井戸から水を汲み、私が抱えきれないほど大きな釜を用い米を炊く。

今日は大晦日だ。これから今年一年の感謝と、来年からの安寧を神に祈念する。

これは一族が揃って行う必要があるため、いつも巫を行う(どう)千波(ちば)家の方々が集まっていた。


一族、使用人が残らず堂に揃ったことを確認すると千波の巫頭(かんなぎがしら)と、潮さまが上座に座り神棚に祈念する、らしい。


らしい、ということはお分かりだろうが、無論私こと有馬初乃と、その弟壮一郎は堂へ入ることを良しとされていない。理由は、当たり前だが我々は千波家の者ではないからだ。


神々というのは、人見知りだ。知らない人間に、口はおろか心をも開くことはない。


だから、私たちは千波家の巫を見たことはない。ただ、壮一郎は修行者であるため型だけは見せてもらえている。

かと言うて壮一郎が対峙すべきは千波家の神ではなく、有馬家の神なわけである。修行したところで壮一郎が一人前の、有馬家巫になれるかは分からない、ということだ。



正月には有馬家に帰ることを是認されているので午後の汽車に乗るつもりだが、壮一郎はあまり帰りたくはないようだ。

別に千波家を気に入ったわけではない、有馬家の老害たちが怖いのだろう。

彼らたちとて若い頃は実力のある、素晴らしい巫だったらしいがその目で見たわけではないので定かではない。


まあ、若い頃は良くとも現状が酷ければ好かれるわけはない。



問題がもうひとつ。



「姉上見てください!権助(ごんすけ)がお手を覚えましたよ。」


「じゃあこの、リンゴを与えておあげなさい。」


先日から私の後をついてくる、三匹の狸は一緒に連れていって良いのだろうか。

定期更新、今年最後です。


今年は、定期更新を始めようと決心し現在に至ります。来年はもう少し、遅筆を何とかしたいと思います。

お読みいただいた方々には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。


来年もどうか、お読みいただければ幸いと存じます。

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