竜退治は雲を掴むように
ディアミラが雷鳴に負けない声で叫ぶ。
「師匠、竜退治の魔法は!」
未だに姿の姿の見えない師匠――だんまりを決め込んでいた老婆は、少女の言葉に応えた。
「七〇〇ページから七四八ページまでだよ」
「ふふふっ……それだけあれば楽勝ね! まずは七〇〇ページ、古の竜ラヌスを滅ぼしたとされる剣……クォーレン!」
ディアミラが名を呼ぶと、どこからともなく一振りの剣が宙に出現する。これが奥の手というやつか。柄に獅子の模様があしらわれた、重々しい雰囲気の剣だ――が、クォーレンは即座にドラゴンに向かってすっ飛んでいった。
「……それを持って戦うとかじゃないんだ」
それにしても、ディアミラが魔法を使うところを初めて見たような気がする。これで本当にドラゴンを倒せるのなら、僕がいなくても全然やっていけると思うのだが。
果たして、剣はドラゴンの体をすり抜けて虚空の彼方へ落ちていってしまった。
「変ね、魔法が失敗しちゃったのかしら。マヌヤヌ! ローディッポ! ラルクロー!」
ディアミラはページを繰りながら、次々と名前を叫ぶ。剣やら弓やら古めかしい武器の数々が出現し、ドラゴンを襲う。だが、手応えは全くない。まるで雲を掴むかのような空振り感。
「おかしいわ! ドラゴンに竜退治の魔法が効かないなんて」
「いくらやっても無駄だよ。竜殺しなんてボクには通用しない」
ドラゴンの呆れたような声に、やかましい笑い声が続く。
「ははははははは! その通り! なにせ、こいつは本物のドラゴンではないからな! こいつこそが、お前達が探し求めているアルルクラウだ! ドラゴンにしか見えないだろう! 驚いたか? ははははは! ははははははははははーっ!」
王様の発言と同時に、なんとも言えない空気が漂った。もしかしなくても、今のは失言だったのでは……?
「……マロロイ、それは言わなくてよかったのに」
「はっ! いやいや、これくらい教えたところでどうにもなるまい! あまりに一方的なのも面白くないしな! はははは! ははははははははは!」
わちゃわちゃと騒がしい王様とドラゴンをよそに、姿なき老婆の声が聞こえる。
「なるほどねえ。この国にドラゴンがいるなんて聞いたことがないと思ったよ。まさか宝を変身させてたとは。これはちょっとマズいかもねえ」
えーと、つまり、ディアミラが欲しがっている雲の形をした宝とやらが変身したのが目の前にいるドラゴンってことでいいんだよな?
それがどんな風にマズいことなのかはわからないが、ディアミラにもよくわかっていなそうだった。
「そういうことなら、変身には変身よ! キマリ、猫にしちゃって!」
「でっかい空飛ぶ猫になるだけだったりして」
ぼやきながらも、命令には逆らえない。
指先から放たれた猫化光線は、ドラゴンの体を鮮やかに通り抜け、笑い続けるマロロイに直撃した。やや想定外の展開だが……。
「にゃははははははは! その程度の魔法が俺に通じるものか!」
「いや、割と効いてますけど」
なんと、マロロイの頭部には立派な金色の猫耳が生えていた。猫そのものにならなかったのは驚きだったが。
姿なき老婆の声が聞こえる。
「ふん、魔力の源泉たるアルルクラウから直接魔力を得ているんだ。ディアミラと同じで、大抵のものは効かないだろうさ。ま、ドラゴンの方は論外さね。あれの本質は決まった形を持たない雲……あれ自身の意思以外に、姿を変えさせることは出来ないだろうさ」
「じゃあ、師匠! 雲を消し去る魔法で――」
「いや、駄目さね。というより、これはもう勝ち負けの問題じゃなくなっちまったよ。あれがアルルクラウってことは、壊しちまうわけにはいかない。意思を持っている以上、ただ奪うだけでも意味がない。あらゆる強硬手段が通用しない相手ってこった」
「でも、わたし達には強硬手段しかないわ」
ディアミラがなんとも残念な嘆きを漏らしている。
なるほど。手に入れようとしていた宝そのものが敵だったというわけだ。ということは、ということは、だ。
「撤退しよう! それしかない!」
「キマリはちょっと黙ってて!」
「むぐっ……!? ――――。――――!」
黙らされてしまった。しかし、ちょっとってどれくらいだろう。声を出そうとしても音が出ない状態というのは、思っている以上に居心地が悪い。
「ディアミラ、残念ながら小僧の言い分が正しい。今必要なのは作戦会議さ。相手の手の内は知れたんだ。今回の襲撃が無駄になったわけじゃない」
「うぅ……師匠がそう言うなら、仕方ないわ。……キマリ、浮力を消して垂直落下して頂戴」
「――っ! ――――!」
ディアミラがさらりととんでもない命令をした。垂直落下? どれだけ高いところまで飛んできたと思ってるんだ? たしかに、悪魔の僕は死ななくて、魔女のディアミラも死なないかもしれないけど、遙か天空を落ちていくというのはあまりにもゾッとしな――――あ、やっぱり、これは怖い。
ひゅるりと、心臓が宙に投げ出されたような落下感に襲われる。
ディアミラはふわりと金髪を上空になびかせながら、マロロイとアルルクラウに向けてびしりと指を向けた。
「王様、国を破壊するのはなしにしてあげる。でも、アルルクラウは絶対わたしのものにするわ! 首を長くして待っていなさい!」
「にゃはははははははははは! 俺はともかく、アルルクラウの首はこれ以上伸ばせないな! にゃはははははははは!」
「結局ボクの方から攻撃することはなかったね。ま、いくらやっても決着はつかなかっただろうけど」
落ちる、落ちる、落ちる――――。何故か追いかける素振りすら見せない王様とドラゴンの姿が、遠く、遠く、遠くなって――――。僕達は無数の雷と並んで、黄金の塔の側面を滑るように、加速していく。
「―――――! ―――――――ッ!!」
叫び声は、出ない。とんだ絶叫系アトラクションだ。