マロロイⅣ世あらわる
ジンベエザメを見たことがあるだろうか。言わずと知れた地球最大の魚類だ。僕は小さい頃に一度だけ水族館で見たことがあるのだが、そのあまりの大きさに泣き出してしまった。巨大な口は僕をいとも容易く丸呑みに出来るだろう。サメといってもジンベエザメが人間を襲うことはまずないそうだが、自分より大きい生き物はそれだけで恐怖をもたらすものである。
さて、ソレは、黄金の塔を遮るように突如出現した。ソレの頭部は大体ジンベエザメと同じくらいの大きさだった。つまり頭部だけで大体八メートルだ。そこからその三倍は長いであろう首が伸び、もう考えるのも嫌になるほど巨大な体へと続いている。そして、極めつけは翼である。大きすぎて、最初はそこにあることすら認識できなかったほどだ。ソレの巨体が空に浮かんでいるのも頷けるというものである。
ソレは――ドラゴンだった。ファンタジーの大本命にして最強の存在。幾多の伝説に語り継がれた幻想の化身が今、目の前にいる。
「はははははははっ! はははははははははは!」
天空には大爆笑が響き続けている。白いドラゴンが現れたのは笑い声が降ってきたのと同時だった。だが、おそらく笑い声の主は別にいる。なぜなら、ドラゴンの表情は笑顔とはほど遠く、うんざりしたような顔をしていたいたからだ。
よくよく見れば、ドラゴンの頭の上には座席があり、その上で笑い転げている男がいた。彼は長すぎる金髪をたなびかせ、でかでかと『王』と書かれた黄金のTシャツを着ている。聞くまでもなく、彼がこの国の王なのであろう。それにしても笑いすぎである。笑い死にしそうな勢いだ。
「あなたがマロロイⅣ世ね。わたしは魔女のディアミラ。こっちは悪魔のキマリ。そんな立派なドラゴンを連れているなんて思いもしなかったけれど……用件は変わらないわ。わたし達、宝を奪いに来たの!」
こんな時でもディアミラは通常運転だ。が、こちらの魔女に負けず劣らず、黄金の男も変人……いや、奇人である。
「ははははははは! 馬鹿正直! ははははっはははははははははーっ! はーっ、はー…………うむ、いかにも。俺こそがマロロイⅣ世である! 宝……アルルクラウか。そうか、アルルクラウが欲しいか。そうか、そうか」
「そうよ。そのアルルクラウっていうのをくれないと、キマリがこの国を破壊するわ!」
社畜だった僕も今では立派な脅しの道具です。勘弁してほしい。
「く、国をっ……ぶはっ、はははっ! はははははははははっ! ははははははははははは!」
「話が進まない!」
なんだこの王様! あれだけ笑って、まだ笑うのか。驚くべきことに、ディアミラの笑顔が若干強ばっている。上には上がいるということか。などと斜め上の感心をしていると、うんざり顔のドラゴンが口を開いた。そうだった。間違いなく、こちらこそが今もっとも警戒すべき相手だ。
咄嗟に身を構える――が、その声は、予想に反して温和なものだった。
「ごめんね。うちの王様が馬鹿で。ほら、マロロイ。そろそろ本題に入りなよ。うかうかしてると国が壊されちゃうって」
ふんわりと包み込むような、柔らかいトーン。なんだか拍子抜けだ。
「ははははっははっ、くっ、国をっ、ははっ、はーっ、はー…………うむ。国を壊されてはたまらんな。全く、豪快な魔女だ! いや、さっきの見世物といい気に入ったぞ! アルルクラウは譲れんが、とっておきの褒美をやろう!」
そう言って、マロロイはニィィっと悪い笑みを浮かべた。瞬間、強烈な悪寒が訪れる。警戒態勢に入るより速く、異変は突然に。
目と鼻の先を、雷光が駆け抜けた。
続いて、轟音が耳朶を撃つ。
何が起きたのかわからなかった。が、嫌でも理解することになった。
無数の青白い光……雷が、縦横無尽に空を駆け回っている。大気は砕けそうなほどに震え、壮絶な光が視界を埋め尽くし、空を裂く轟音は聴覚をシェイクする。
眩い視界の中、マロロイが立ち上がったのが見えた。
「どうだ! これこそがお前達の求めるアルルクラウの力! 溢れ出る魔力の奔流、その具現化よ! はっはっは! はーはっはっは! はははっははははっはははははははっ!」
雷鳴すら、彼にとってはBGMだった。ひしめき合う雷光はフットライト、大気の振動も舞台効果の一つに過ぎない。
「ディアミラ、これはもう引き返した方がいいんじゃないか? 雷なんて避けようもないし、防ぎようもない。一秒後には死んでてもおかしくないどころか、今死んでないのが奇跡みたいなものなんだから」
「キマリは落雷程度じゃ死なないんだから心配することないじゃない。それに奇跡なんかじゃないわ。このワンピース、ちゃんと雷避けの加工がしてあるもの」
「いや、なんで!?」
「ウィタウーでは雷避けは標準装備よ。だって、あの王様ときたら雷を落とすのが日課なんですもの」
「当たり前のように国民に警戒される国王って……」
めちゃくちゃである。というか、よく国民が逃げないものだ。社畜生活から逃げられずに死んだ僕が言うのも説得力に欠けるが。
「それにしても、おかしいわ……雲がどこにも無いなんて」
「今さら何言ってるんだよ。魔法を使ってるんだから、雲のないところで雷が発生したっておかしくないんじゃないのか?」
そもそも、雲の発生する高度はとうに過ぎているはずである。ここが高度何万メートルの空なのか正確なことはわからないが、雲がある方がむしろ不思議な環境だ。
「そうじゃないの。一つ目の宝……アルルクラウだっけ。それは雲で出来ているって師匠は言っていたのよ。だから、あの王様が雷をばら撒いている今、近くに雲があるはずなの。なのに見つからないってことは……」
「諦めて引き返すしかない?」
「力尽くで聞き出すしかないわ! キマリ、手始めに全力の炎魔法をぶつけてみて!」
「結局そうなっちゃうかー……」
この子、魔女という割には脳筋すぎるのではないだろうか。というか、手始めに全力とは一体……。
体にピリピリと電流が走り、命令が実行される。天に向けた右手の平で、炎の球が急速に膨れあがっていく。その大きさは自身の体を優に超え、白いドラゴンの頭部(つまりジンベエザメくらいの大きさだ)に匹敵する規模となった。こんなものが直撃すれば、上に立っているマロロイ王が無事で済むはずもなく、話を聞くどころではなさそうだが……。
「もう、どうにでもなれっ」
炎がドラゴンに向かって放たれた。僕に出来ることは今も昔も変わらずに。命令に従うことだけだ。
「ははははははっははははははっははははははははっ! 流石は悪魔、凄まじい魔力だ! だが、無駄! どれだけ強大だろうと、ただの魔法にドラゴンは滅ぼせぬ!」
マロロイの笑い声の後に、ドラゴンの声が続く。
「ごめんね。ボクに普通の魔法は効かないんだ。小さな悪魔くんの言うように、引き返した方が身のためだよ」
ドラゴンが巨大な口を開き、炎の球を飲み込んだ。
果たして、爆発が起きることはなく。じゅうじゅうと炎が消えていく音が、微かに聞こえるだけだった。
「……初っ端からこれじゃ、やっぱり世界征服なんて無理なんじゃないの」
「そ、そんなことないわ! ちょっぴり予想外だけど、この程度で折れるわたしじゃないわ。こうなったら、奥の手よ」
ディアミラはそう言いながら、大事そうに抱えていた本に指をかけた。
逆転劇が始まるのか、否か。
願わくはとっておきの秘策が戦略的撤退でありますように。
僕にとっては、巨大なドラゴンと同じくらい、この小さな魔女も怖かった。