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体が勝手に異世界侵略!  作者: 三月みみずく
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悪魔に転生しました。

 死は温かかった。まるで布団で眠っているかのような安らぎがここにはある。……そういえば、最後に布団で眠ったのはいつだったっけ。半年前? いや、一年半前だったかもしれない。どうでもいいか。だって僕にはもう関係のないことだ。僕はもう死んだ。僕はもう眠っていい。僕はもう働かなくていい。


 過労死だった。命令されて、働いて、命令されて、働いて、命令されて、働いて。いつしか生きる目的を見失っていて、ただがむしゃらに働いて。


 おかしいと思った時には手遅れになっていた。栄養ドリンクを飲んだのに、上手く立ち上がれなかった。視界がぐるりと転倒して、手足が動かなくなって。薄れていく意識は漫然と床を観察していて。白い、白い、とそれだけを考えているうちに、辺りは真っ黒になった。


 やっと楽になれる。心地よい波に意識がさらわれた時、そう思った。思わずにはいられなかった。死への恐怖だとか、人生の意味だとか、そんなことはどうでもよくなっていた。ただ安らかに眠り続けられれば、それでよかった。


 ――なのに。

 ささやかな願いは、いとも容易く踏みにじられた。


 よく通る、少女の声だった。


「師匠、やったわ! 悪魔の召喚に成功したわ! わたしったら、やっぱり天才だったのね。薄々そんな気はしていたけれど……ええ、今日この瞬間、確信に変わったわ!」


 やたらテンションが高い上に言っていることは意味不明だ。夢……なのだろうか。いや、何かがおかしい。床に寝転がっている感触があるのだ。だとすればなんだ? 死んだと思ったのが実は勘違いで、本当は眠っているだけだったとか? 聞こえてくる声は? 不法侵入か?


 続いて、しおれた声が聞こえてくる。いかにも老婆といった風情だ。師匠と呼ばれていた相手だろうか。


「ディアミラ。浮かれるのは後にして、さっさと命令を済ませておきな。なにせ見たことのないほど強力な悪魔だ。暴れ出したらあたしでも手に負えないよ」


「そうだったわ。じゃあ、悪魔さんに命令ね」


 命令。死ぬほど聞いた言葉だ。全く笑い事ではないのだが。それにしても何故だろう。猛烈に嫌な予感がする。


「一つ。あなたは、わたしに危害を加えないこと。二つ。あなたは、何があってもわたしを守ること」


 少女の声が耳に届いた瞬間、電流が走った。曖昧だった意識が急激に覚醒し、二度と開かないと思っていた瞼が跳ね上がる。


 目の前には、白銀の髪を長く垂らした美少女がいた。顔立ちは幼さが残っており、十三、四歳くらいに見える。紅い瞳は期待と興奮に満ち溢れ、僕を真っ直ぐに見つめている。


 目が合った。僕は文句の一つでも言ってやろうと口を開く。喉に何か違和感があったが今は気にしない。


「君さ、人が気持ちよく眠ってる横で騒がないでほしいんだけど。人類史に残る快眠だったんだぞ」


 そもそも、ここは僕の部屋なんだし――そう言いかけて、気づく。


 知らない部屋だった。


 慌てて飛び起きて辺りを見渡す。殺風景な空間だった。灰色の壁に、天井でゆらゆらと光を放つ球体。そして、開きっぱなしの本が置かれた小さな木製の机。それだけだ。まともな家具が一切見当たらない。

 だが、その割には広い。僕の六畳間の三倍くらいはありそうだ。一体ここはなんなのだろう。


 少女は目をぱちぱちさせた後、にっこりと微笑んだ。


「そんな風に怒っているとかわいい顔が台無しよ? それに、君じゃなくてディアミラって呼んでほしいわ」


 ……かわいい? 僕が?


「き……き、き……ディアミラは……こんな二十代の男をかわいいって言うのか?」


 おかしい。少女の趣味嗜好もだいぶおかしいようだが、それ以上に、僕の喉にも異常がある。僕はあくまでも「君」と呼びかけようとしたのだが、頭にピリピリと電流が走り、気づいたときには少女の要求通りに「ディアミラ」と呼んでいた。得体の知れない強制力が働いているというか、体が勝手に動いているような感覚……。ついでに、声がやけに高い気がする。変な寝方をしたせいで風邪でも引いただろうか。


「ふふっ、二十代だって。おかしなことを言うのね。あなた、とってもかわいい男の子の姿をしているのよ?」


 ディアミラはそう言うと、どこからか取り出した手鏡を向けてくる。


 これが、僕――?


 鏡に映っていたのは、金髪の美少年だった。ディアミラより僅かに幼いだろうか。髪はふわふわで、黒い瞳はくりりと丸い。

 天使のような容姿と表現したいところだったが、ある特徴がそれを許さない。角だ。角が生えているのだ。両耳の上の辺りに羊や山羊を想起させる角がくるくると伸びている。これではまるで――。


「悪魔……」


 そういえば、さっきから少女達が悪魔がどうのこうのと話していたが、まさか僕のことだったのか?


「師匠の言っていた通り、自分が悪魔だって自覚はないのね。そうそう、名前はあるのかしら。あなたの名前を教えてくれる?」


 まただ。また、電流が走った。気づけば口が動いている。ディアミラの言葉を聞くと、妙な衝動が湧き上がってくる。僕は流されるままに、言うつもりのなかった個人情報を喋らされてしまう。


「キマリ。スミノキマリだ。……なあ、このピリピリするやつ、き、き……ディアミラの仕業なのか? それに悪魔だとかなんだとか。僕はもっと冴えない平凡な人間だったはずなのに」


 疑問に答えたのは少女ではなく、老婆の声だった。そういえば姿が見えないが、一体どこにいるのだろう。


「やれ、ごちゃごちゃ煩い小僧だねえ。元がどんな世界のどんな生き物だったのかなんて関係ないよ。誰がなんと言おうと、あんたは悪魔に生まれかわったんだ。魔女ディアミラの命令に従う、忠実な悪魔にね」


 悪魔? 魔女? 生まれ変わったってなんだ? というか、やっぱり僕は死んでいたのか? いや、それよりも、命令に従うって――。


 様々な疑問や不安が頭を駆け巡る中、ディアミラの楽しげな声が響く。


「ふふっ。キマリったら難しい顔をしているわ。下手に説明するより試してみた方が早いんじゃないかしら。そうね、そこの壁を破壊してみて。炎の魔法で、思いっ……きり、ね」


 少女の言葉を拒絶したいのに、出来ない。全身をピリピリと駆け抜ける電流が僕に右腕を上げさせる。


 わかった。嫌というほどわかった。たしかに僕は、ディアミラの命令に従うしかないらしい。でも、壁を破壊するなんて芸当は僕には出来ない。出来ないことを実行するのは無理だろう。


 だというのに。小さな手の平は自然に開き、狙いを定めるかのように壁の方を向いた。


「待った、待ったまったまったまった! ディアミラ、僕に何をさせようとしてるんだ? 無理だって! 魔法の使い方なんて知らないんだからさ!」


 僕の意思に反して、手の平に熱が溜まっていく。身体の奥からとめどなく溢れるエネルギーが右手に結集し、赤々と燃える炎となる。嫌だ。怖い。そのはずなのに、気分は何故か高まっていく。


「大丈夫よ。魔法ってノリと勢いだもの。魔法使いのほとんどが魔法をなんとなく使っているわ。呼吸をしたり、手足を動かすのと同じで、そうしようと思ったら出来るものなのよ。だから、安心して?」


 そんなアホな、と叫びたかったが、どうやら炎の魔法とやらは着々と進行中のようだった。


 構えた手の平の中央に、巨大な炎の塊が生成されていく。どこからか湧き上がってくる全能感が、これをぶつかれば大抵の物体は消し飛ばせると告げている。


「いや、でもさ……ほら、冷静に考えたら、部屋を壊すのはマズいだろ。僕がディアミラの命令に逆らえないのはわかったからさ! もう十分だから、終わりにしよう! 修理代がもったいない!」


「大丈夫よ。……だってここ、知らない人の部屋だもの!」


「余計最悪じゃねーか!」


 そう叫んだのと、炎の塊が発射されたのは同時の出来事だった。晴れやかな解放感と、やっちまったという罪悪感もまた、同時に訪れる。


 赤い光が炸裂し、轟音が耳朶を震わせる。

 一瞬のうちに、壁は木っ端微塵に吹き飛んだ。穴が空くとかそういう次元ではなく、広い壁の一面が綺麗さっぱりなくなっている。部屋はかなり高い位置にあったらしく、冷たい風がびゅうびゅうと吹き込んでくる。ディアミラの銀髪がなびき、開きっぱなしの本はページをバラバラと暴れさせていた。


 姿の見えない老婆が言う。


「こりゃあ……想像以上だねえ。マロロイ合金製の外壁ごと吹き飛ばしちまうなんて」


「ええ、とっても凄いわ! キマリの力があればきっとなんだって出来る。今、わたし、最高の気分よ!」


 少女達はなにやら大興奮のようだったが、僕はそれどころではなかった。マロロイ合金が何なのかは知らないが、とんでもないことをやらかしているのはわかる。あまりに壮絶な光景に腰が抜け、ぺたりと床に座り込んでしまう。


「……ディアミラは、僕を使って何をするつもりなんだ?」


 これから僕は一体、何をさせられるんだ?


 少女はゆっくりと振り向いて、満面の笑みを浮かべた。その言葉を待っていたのよ、と言わんばかりに。

 ディアミラは興奮に胸を弾ませ、これ以上なく楽しそうな声で夢を語る。


「もちろん、世界征服よ!」


 世界征服――少女は晴れやかに、そう言い切った。


 その時、僕は心の底から思ったのだ。


 逃げよう、と。


 悪魔だとか、魔女だとか、異世界だとか、そういうよくわからないものを全部抜きにしてもこの子に関わるのは危険だ。絶対にディアミラを出し抜いて自由の身になろう。命令地獄はもうご免だ。今度こそ、温かい布団と添い遂げるのだ。


 夢見る魔女と寝不足悪魔の戦いの物語は、こうして幕を開けた。

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