第二話 その名は ”C”
一日、更新遅れてしまったことを深くお詫びします。しかも一身上の都合なのでさらに深くお詫びします。ブックマークを下さった皆様、拙作に感想を下さった皆様、本作品に読んでくださった皆様、本当にもうしわけありません。それでは物語の続きを御覧下さい。
男は上機嫌だった。ようやく自分の願望が果たされたのだ。自分を軽んじた世間に一泡吹かせてやったのだ。
スキップを踏みながら、死と破壊に蹂躙された街の一区画を歩く。
もしも男の姿を誰かが見たならば、そのアンバランス具合に悲鳴を上げていたことだろう。シャツや袖の隙間から見せるギザギザの縫合の痕、極めつけは左右で長さと太さが違った腕だ。特に左側は人間というよりも巨人のサイズに近いものがある。
男は左肩のつけ根にそっと白い手袋に包まれた右手を置く。彼の右手は、彼の持ち物ではない女性のものだ。ハワードの大学の先輩であるメアリ・コンコードのものだ。彼はタイプライターをコンサートでグランドピアノを奏でるピアニストのようなメアリの美しい手に生前から目をつけていた。小指にうっすらと残る火傷は気にいらなかったが、自分の新しい肉体としてはこの上なくふさわしい。チャールズ・スミスは十人並みの端正なつくりの顔に笑みを浮かべる。
そして、チャールズは白いスーツのブレザーごしに自分のものではない鼓動を聞き入っていた。彼の左肩のつけ根に埋め込まれた菩提樹の葉の意匠が彫られている金属製の護符は彼を輝かしい未来を示す道標となるのだから。ミサイル爆撃から逃げ遅れてビルの瓦礫のの下敷きになるという不運に直面したが、結果としてマイナスを上回るプラスの要素を手にすることが出来たのだから結果に満足しなければならない。この新しい力を使ってやってみたいことは山ほどあるのだから。チャールズ・スミスはこの景色を一望できる特等の場所を目指して歩き始める。かつての彼にとって馴染み深いオカルト雑誌「マイノリティ・レポート」の入っていた雑居ビルだ。
スティーブはようやく起動したエンジンの様子に満足するとギア・チェンジしてアクセルを踏んだ。危なげなハンドルさばきで発車した途端に蛇行運転をはじめる。幸いなことに今日は大学の駐車場のスペースは余裕があり、お世辞にも上手とは言えないスティーブの運転技術でも事故を起こさずに出ることが出来たのだ。
公道に出てスティーブの運転がやや落ち着いてきたので、ハワードはほっと一息ついてようやく安心する。たかだか大学の来客用駐車場から出るまで、どれほど危険に満ちた時間を過ごしたことか。
一方のスティーブといえば超難関ミッションをクリアーした凄腕エージェントのような自身に満ちた顔をしていた。この時ハワードは今まで敬遠していた自動車免許の取得を決意した。このままでは命がいくらあっても足りないと感じたからだ。
そんなハワードの気持ちも知らずにスティーブは得意げにハンドルを切る。結果、左右に激しく揺れるスティーブ愛車。スティーブはスピードメーターを見た。彼の希望する速度に達していないことを確認。そしてスティーブは舌打ちをした直後にアクセルを踏む。路面がわすかに隆起していた場所を通過した為に、二人を乗せた車が今度は激しく上下に揺さぶられる。ショックで舌を噛まないようにハワードは口を押さえた。その間にもスティーブは隣の席でやれ「今日は調子が悪い」、「マズイな」とか「やってくれるぜ」という不穏な空気を匂わせるセリフを吐いていた。
ハワードはたとえこの場で命が失われるような結果となったとしてもスティーブと同じ場所には行かないことを必死に祈り続けた。そうして目的地に到着するまでの間、ハワードとスティーブはスピーディーでアクロバティックな命をかけたドライヴを楽しんだのである。
街の郊外に建てられた大学から、爆心地となったオフィス街に接近するにつれて建物の数は少しずつだが増えていった。しかし、目的地に近づくにつれてハワードの気持ちは暗いものになっていく。それは、あそこに到着すれば無理矢理にでも災禍の爪痕を見ることになるというものである。決して目を逸らせぬ現実の出来事だったとしても相応の覚悟が必要になると思われた。ハワードは念の為に持ってきた小さなロザリオを握り締めた。これは現実逃避の為の手段だ。決して褒められた行為ではない。ハワードは今にでも逃げ出したくなる気持ちを抑えながら、一刻も早く現場に到着することを望む。
スティーブはハワードの決意を無駄にしない為にもあえて彼の様子に気がつかないフリをした。
街の中心部に入ってからは通行中の車の量も増えてきたので、スティーブは普通のおとなしい運転に切り替える。そうしているうちに二人を乗せた車はオフィス街の入り口に到着した。ハワードはシートベルトを外して車の扉を開けて外に出た。
「お前さん、真面目だな。俺は、シートベルトなんかを使ってる奴は初めて見たぜ」
地面をふらふらと歩くハワードの姿を見て、スティーブが言った。
ハワードは無言でスティーブを睨む。スティーブはけらけらと笑いながら先に進んで行った。
ハワードが先程のハードドライヴィングによって受けたダメージは決して少ないものではない。だが、現場には自分たちの身を守る手段足り得る事件の証拠が残っている可能性がある。ベッドに入るのは仕事を済ませてからだ、とハワードは自分に言い聞かせていた。
やがてビル群とアスファルトの道路が突然、途切れる。ハワードは緊張のあまり唾をゴクリと飲み込んだ。
この門を曲がれば二人にとって見慣れたはずの場所、オフィス街の裏口に出る。ハワードは急激に変化した周囲の様子に驚いた。そこでは煩雑に建てられたビルの群れは瓦礫と積み上げられた土砂が残る荒地に変わり果て、建造物は侵入を制限する急造のゲートだけとなっている。
ご丁寧にもゲートの入り口には重火器を持った軍人たちが警備の為に立っていた。
ハワードはスティーブの方を見た。現場はこうまで厳重な警備が敷かれているのだ。
こういった状況は到着する前からハワードも予想していたことだが、スティーブはどう対処するつもりなのだろうか。まさか何の策も無しにここまで来たわけはあるまい。彼の親類のコネクションを利用するつもりなのだろうか。ハワードの視線に気がついたスティーブは口元の二ヒルな笑みを浮かべながらこう言った。
「こいつは予想外のアクシデントだ。だが、よく考えてみればタフガイの俺のパートはトラブルの解決で、口八丁のお前は交渉担当だったよな。というわけで任せたぜ、ハワード」
ハワードは眉間に皺を寄せながら、「オーケー、ボス」と暗い表情と声で承諾してみせる。
さて、この仕事が終わったらギャラをいくらふっかけてやろうか。今後はスティーブに無茶な仕事を押し付けられる度にテープレコーダーで前後の会話の内容を録音することを忘れないようにしよう。
スティーブは懐から会社の名前が記載された取材用の許可証が入ったパスケースを取り出した。事前に取材先との話し合いを済ませておけば、ガードマンにこれを提示するだけで用は足りる。あくまで普段の取材に限っての話だ。
「そんなもんを出しても追い返されるだけだぜ」
「編集長のお言葉も尤もですが警備の人間を介していくつかの情報を収集することは可能でしょう。例えば、どこに誰が配置されているかとかそういう情報を聞き出せば地理に聡い我々ならば相手側に先んじて抜け道を見つけることも可能です。車でこの辺りをぐるぐる回れば警戒の度合いを強めるだけでしょうし」
「そんなに首尾よく行くもんかね」
スティーブの経験上、こういった場所に借り出される軍人は上司好みの任務に忠実なことだけが取り得の頭の固いタイプがほとんどだった。
「やらないよりはいくらかはマシです。俺はさっき腹を括りましたから。ここからはゴーフォーブロークの精神で、頑張りましょう。編集長」
いつの間にかスティーブを通り越して、ハワードは前に先に進んでいた。
ハワードは周囲の様子から政府が事件の全容を把握していないということを既に確信している。リヴィングデッドの情報が公開されているのはFBIの上層部と政府の役人に限定されいるだろう。警備に出ている連中も装備は普通、彼らの身に纏う空気も通常任務と何ら変わった様子が見られない。誰も見ていなければ欠伸の一つでも出していたことだろう。
「マシンガンを持ったMP相手に強行突破するよりはいくらかマシか」
「そんな事を考えていたんですか?」
強面の大男はニヤリと笑う。そして、スティーブはハワードの背中を力いっぱい叩いた。
「後は任せたぜ、クールガイ」
「念の為に言っておきますが、武器は携帯しないようにしてください。トラブルが生じた時に厄介ですから」
かくしてハワードとスティーブはゲート前まで歩いて行った。
ゲートの前には二人の軍服を着た兵士が立っていた。兵士たちはハワードたちの姿を確認すると、すぐに進行ルートに先回りして二人の前に立つ。彼らの対応が無駄のない洗練されたプロフェッショナルの動きであることはハワードの目から見ても明らかだった。
「ここは立ち入り禁止区域に指定された場所だ。お引取り願おうか」
兵士の一人が無表情のまま、二人に警告した。
「我々はジャーナリストです。バリケードの先にある風景を二、三枚ほどカメラで撮影させていただければすぐに出て行きますよ。監視付きでもかまいませんから、何とかなりませんか?」
ハワードは相手の反応を見ながら、さも気さくな男のように言った。
兵士の一人がハワードたちを値踏みするように見ている。
「残念だが、君たちのことは上層部から何も聞いていないな」
「地方の都市とはいえ、これほどの規模の破壊活動が行われたというのに政府はここで起こったことに関して公式報道の一切を先延ばしにしている。これは合衆国の理念に反する不適切な態度ではありませんか?」
「生憎、我々は政治家ではない。ただの軍人だ。これ以上、君たちの為に無駄な時間を費やすつもりはない。逮捕される前にどこか別の場所に行ってくれないか?」
ハワードは兵士たちのあまりにも紳士的な対応に拍子抜けしていた。当初の予想ではこういった場所に配置されている兵士たちは底意地が悪く乱暴な性格なものと考えていたが、少なくともハワードたちの目の前にいる兵士たちはおとなしいものだった。
計画では兵士が民間人に無法を働くという場面をカメラで撮影して、それをネタに交渉を迫るというものだったのだ。後から考えるとこれは無謀の極みのような計画だったが当時はスティーブが同伴しているので兵士たちとの間にトラブルが発生しても大事には至る事はない、とハワードは考えていたのである。
「なあ、兵隊さんたち。あんたらの仕事にケチをつけるわけじゃないが何とか融通を利かせてくれないか?ここいらのビルに入っている会社に勤務していた知り合いの女の子が行方不明になっているんだ。こいつはその娘と知り合いで、彼女の両親から娘の無事について尋ねられていて心を痛めているんだよ」
スティーブは自分の社に勤務していたメアリのことをぼやかしながら言っていた。
か弱い女性、娘の安否を気遣う両親の存在。そして見るからに頼りない二十台前半の青年つまりハワードのことだ。こういたキーワードを会話の中にミックスして相手の関心集めようという作戦である。
「しかしだな」
目の前の見るからに悪人面の大男がここぞとばかりに頭を下げている。スティーブの予想外の行動に兵士たちは困惑していた。こういったタイプは腕力で解決しようとするに決まっているので、その時は銃を向けて脅かしてやるつもりだったのだ。
この様子ならば後もう一押しといったところだろう。スティーブも協力することにした。
「お願いします。田舎で彼女の帰りを待つ年老いた彼女の両親を安心させてやりたいんです」
ハワードは頭を下げて兵士たちに頼み込んだ。会話の内容に嘘は全くない。メアリとハワードは同郷の出身で、それが縁で友人として大学で知り合ったのだ。会話の内容に嘘があるとすればハワードとスティーブの二人は事件に巻き込まれたメアリがどういう結末を迎えたかを知っていることぐらいだろう。
残念ながら彼女は既に死んでいる。少なくとも、この世の人では無くなっているのだ。
兵士の一人が呆れた様子で、ハワードとスティーブに聞こえるように独り言を口にした。
「そろそろ休憩の時間だ。十分ほど、この場所を空けるが。あくまで十分間だ。それ以下でも以上でもない」
彼はそう言ってから相方と二人でハワードたちに背中を向けて休憩所に移動していった。自分たちは嘘を言ったわけではないというのにこの後ろめたさはなんだというのだ。まるで善人の善良さを利用して上手く立ち回った悪人の所業ではないか。先程の会話の中で二人は嘘は言っていない。ただ演出過剰で、こちらにとって都合の悪い出来事のいくつかを話していないだけのことだ。それだけのことなのにどうしてここまで落胆してしまうのだろう。
ハワードは財布の中を空っぽにしてしまったギャンブラーのような情けない顔で、スティーブを見た。見るまでもなくスティーブはふてぶてしい笑顔で兵士たちを見送っていた。きっと彼は心の中で、ロースクールからやり直してきな、ルーキーとか考えていることだろう。ハワードはわずかな時間の出来事だというのに量にして一年分くらいの疲労感を覚えていた。
「甘ちゃんどものご厚意にあやかって今のうちに現場を撮っておこうぜ、ハワード。俺らのことを見逃したことが周囲にばれたのが原因であいつらが責任を取らされたりしたら、寝覚めが悪いだろう」
案の定スティーブは悪気を感じていない。むしろ勢いづいてしまった感じさえする。
彼は自分の会社が入っていたビルに向かって歩いて行った。彼の後を追いかけるスティーブは、今のセリフも一体どこまで本気なのやらと愚痴をこぼす。
二人に割り当てれた時間は十分。たとえ満足の行く結果が得られなかったとしても今は行動するしかないのだ。
目の前に広がる光景は果たして現実のものか。廃墟と化したビル、瓦礫の山の数々は以前の姿を知るものたちにとっては見ていてあまり気分の良いものではない。一言で表現するならば最悪な気分だった。
「よく生き残っていたな。俺たち」
スティーブは見たままの感想を言う。彼は軽く十字を切ってから、崩壊したビルディングの姿をカメラで撮影する。頭の中にはタイムリミットの話以上に、ここに長居したくなかったというのが直接的な理由だ。ごくわずかな時間だったが大手から独立して新事業を起こした時の頃を思い出す。雑誌社の創立メンバーはスティーブ以外はいなくなってしまったが、ある日を境に一瞬にして全てが失われてしまったのだ。
感傷に浸るのは後回しだ。
スティーブは頭の中を切り替えて制限時間内に一枚でも多くの写真を撮影することに没頭する。
ハワードもまたスティーブにならってカメラで廃墟を撮影していた。地面に四散する廃材に注意しながら目ぼしいものを片っ端から撮影する。時折、見覚えのある看板や平和だった頃の名残を見つける度に落胆しながらハワードはシャッターを切り続けた。そんな中でハワードの頭の中では先程のスティーブの言葉が引っ掛かっていた。
例の事件以降、自分たち以外の生還した人間の存在については知らされていない。ハワードも個人的に事件について考えることを避けていたという事情もある。スティーブも他の生存者については話題に出さなかった。事件の生存者はたった二人、そういうことが現実の出来事として有り得るのだろうか。答えの無い問いかけを胸に抱いたままハワードは薄暗い通路を歩き続ける。
果たしてここは内側なのか、それとも外側なのか。
やがてハワードはビルの谷間だった場所にまで移動していた。その場所は以前にアルバイトをしていた雑誌社「マイノリティ・レポート」が入っていたビルの近くだった。指定された制限時間を超えてしまうかもしれないが、ここだけはどうしても撮影しておきたかったからである。
彼は薄暗い通路に四散するガラスの破片を避けて注意深く歩き続ける。彼の履いている使い古された安物のスニーカーではガラス片を踏んづけただけで怪我をする可能性があるからだ。
ハワードが空を見上げると半壊したビルの上層部が見えた。廃墟同然となったビルを眺めながらハワードは過去に思いを馳せる。サークルの先輩に勧められたのがきっかけで、いっぱしの記者気取りで過ごした日々。失敗続きで周囲に迷惑ばかりかけていたような気がする。
原型が失われてしまったビルの最上階。そこで何かが一瞬だけ光った。双眼鏡或いはオペラグラスのレンズが上空の陽光を反射したのだろうか。普段のハワードならば見逃していただろうが、今日の今の今に限っては例外らしく微細な変化を見逃すことはなかった。その直後に人影のようなものが移動した。ハワードは普段から眼鏡をかけているわけではないが視力は良い方はない。しかし、その時だけは考えるよりも先に体が行動していた。カメラを構え、撮り損ねた被写体のもとに走って行ったのである。
事故現場に派遣された軍人という可能性が頭の中にまるで無かったというわけではない。今のハワード・ルイスは事件の証拠を何としても掴みたいというある種の使命感が強くなっていたことだけは確かだった。
病み上がりの身であることも忘れてハワードは人影が見えたビルへと急行する。地面に散らばっている障害物のせいで何度も転びそうになったこともある。ハワードがビルの前に辿り着くまでに怪我をしなかったのは奇跡だった。
「そこに誰かいるのか!」
ハワードは柄にも無く大声で誰かを呼んだ。はっきりとそういう風に見えたわけではないが崩壊したビルの上層にいる人物はハワードの姿を見つけたようだ。
「君はハワードか?」
通りの良い声質がハワードの名を呼び、所在を尋ねてきた。舞台役者のような気取った口調、その声はハワード・ルイスにとって忘れようにも忘れられない目下、失踪中の男チャールズ・スミスのものだったのである。現時点においてハワードの頭の中ではチャールズ・スミスが怪事件の犯人であるという思い込みが強かった。加えて、こんな忌々しい事件のきっかけを作った張本人に何か一つでも文句を言ってやりたいという衝動じみた想いがハワードの中にあったことも彼には否定できないだろう。
「チャールズ・スミス!そこで待っていろ!」
ハワードは体力が限界に迫っているにも関わらず、チャールズのいる場所に向かって再び歩き出した。
全身の骨が軋み、頭痛がひどくなっているにも関わらず。
対してチャールズは地を這うしか能が無い虫けらを見るような目でハワードの姿を見下ろす。その輝きには侮蔑と羨望があった。
「今さら君ごときが真実を知ってどうするつもりだ。ハワード・ルイス。こうなることはずっと前から全て決められていたことだ」
スニーカーの靴底をカンカンと鳴らしながら、朽ちたビルの非常階段を必死に登りながらハワードはチャールズの鷹揚な声を聞く。怒鳴ってやりたい気分だったが、今はまだ体力が意志に追いつかない。
「永遠も不滅も、ここに存在する。凡庸な人間たちは日々のわずかな幸福や不幸に満足するばかりで、真実を知ろうとはしない。ここは行き詰まった袋小路ではない、この場所こそがスタートラインなのだ。あの日失われた命も、生き延びた命も未来の為の必要な犠牲と考えるべきなのだ」
無理を押して動き続けた代償か、ハワードは鼻血を垂らしていた。怒りで興奮して血管が切れてしまったのかもしれない。
兎に角今は、あの傲慢な男に会って怒鳴りつけてやらねば。
ハワードは朽ちかけた怪談の手すりを掴みながら、さらに上の階を目指す。その間にもチャールズの独演会は続いた。
「あの日、私たちはかつて救世主がそうしたように衆愚を救おうとしたのだ。だが、老害や凡愚どもは救済の高尚さを理解しようとしなかった。彼らの利益が我々の救済によって損なわれるという理由のもとに。安易にして何たる愚行か。霊薬の効用は彼らとて目にしたはずだというのに。不死は存在するのだ」
鼻下を汚す血を軽くハンカチで拭き取り、ハワードはチャールズの待つ最上階の手前の階を目指す。最上階は先日、ミサイルでフロアごと吹き飛んでしまった。ここで過ごした日々を思い返す度に腸が煮えくり返るような気分だった。そして目的地に通ずる階段の最後の一段を昇った直後に、ハワードはチャールズに向かって叫んだ。
「いい加減にしろ、チャールズ。あんなもののどこが不死だっていうんだ。せいぜい出来の悪いホラー映画じゃないか。アンタは何様のつもりであんなことをしでかしたんだ。今すぐ説明しろ。今日は、徹底的に問い詰めてやるからな」
その後、ハワードはチャールズの姿を見て絶句した。そこで彼を待ち構えていた男はハワードのよく知るチャールズ・スミスではなかった。
「出来の悪いホラー映画とは、こういうものかな。ハワード?」
ハワードはかける言葉を失って立ち尽くすままである。チャールズは予想通りの反応に満足している様子だった。首に残る縫合の痕。今のチャールズはバランスが狂った左右非対称の肉体であり、特に左腕は丸太のように太くで本来のサイズとは別物だった。チャールズは微笑みながら、ハワードの方に向かってゆっくりと歩いてきた。
「お前はおかしい。狂っている」
ハワードは、チャールズが一歩近寄る度に遠退いた。もしもこのままチャールズに近くまで来られたら、正気を保つことが出来なくなってしまう。ハワードは崩れかけたフロアの壁に背を預けながらひたすら彼から逃れようとする。その頃には体力と気力は底をつき以前の勢いは無かった。
怯えきったハワードを見て、チャールズはさらに喜んだ。超越者を前にした愚かなネズミはただひたすらに許しを請わなくてはならないのだ。
善良なハワード・ルイスに勇敢なヒーローのような態度は似合わない。チャールズはスーツの下に隠れた代用品が揃っていない自分の体の部分としてハワードのものを使うことに決めていた。チャールズは近い将来ハワードのところに直接尋ねるつもりだったが、当の本人がこうして来訪してくれたのだ。今日ばかりは運命の神に感謝しなければならないだろう。
「怯えなくていい。あの日を生き延びた君は大いなる意志に選ばれたのだから。さあ、今日からは共に歩もう。ハワード・ルイス。まずは握手からだ」
そういってチャールズは左腕を差し出した。彼の顔には悪魔のような凶暴な笑みが広がっている。かつてない恐怖の為に、今のハワードは首をわずかに横に振るだけで精一杯だった。
その時、それまで何も無かった光輝く扉が現れた。そして、扉が内側から開くと細い手が現れた。扉の奥から男性のものと思われる声が聞こえた。
「俺が握手をしてやろう」
声と共に植物の蔓のような何かが数本、チャールズに向かって飛び出して行った。
チャールズは奇襲から逃れる為に大幅に飛び退くが間一髪の差で間に合わなかった。彼の腕よりもさらに太い植物の蔓のようなものが一瞬で左半身ごと絡め取る。一連の出来事は、何かの生物が捕食しているような光景に似ていた。
「はじめまして、そしてさようなら。チャールズ・スミス君。俺の名前はC。君の死神だ」
チャールズの肉体は吊るし上げられた直後、テニスボールのように地面に叩きつけられた。
チャールズの左足は蔓に巻かれた際に骨ごと砕かれている。稚拙なりにも魔術で強化されている追加パーツを破壊したのだから、これは恐るべき力といえよう。チャールズは魔術を用いて左膝から先の神経接合を排除した。数週間は鎮痛剤とモルヒネの世話になることには違いないが、まだ動くことは可能だ。自分をこのような仕打ちをした人間に復讐する機会はある。
蔓は扉の奥へと巻き上げられる。蔓が先端まで扉の奥に引っ込むと、大きな音を立て扉が内側から閉じられた。
扉が閉じた時の音が大きな音だったのでハワードは驚いてしまった。今はまだ救いの主が敵か味方かを判別できない状態である。ハワードはひきつった笑顔で事態を見守るしかなかった。
階段を登る足音が聞こえてくる。ハワードが最上階まで移動するために使用したボロの階段だ。階段を登って来る途中或いは下の階には誰もいなかったはずだ。そもそも先程、男の声が聞こえたのは扉の奥からではなかったのだろうか。
チャールズは残った手足を使って懸命に立ち上がる。そして動かなくなってしまった片足を引き摺りながら階段の反対側にまで移動した。男が組織の裏切り者「C」である限り、戦闘は絶対に避けられない。
「脚を引き摺っているな。それはいけない。気分が優れないならば土の下に戻って、ゆっくり眠っているといい」
男の声は穏やかなものだが、はっきりとした怒りを感じる。
彼の怒りの矛先は不死という概念、そして不死といういびつな奇跡に縋る亡者たちに向けられたものだった。
自らをCと名乗った男は最後の段に足をかける。不死の信奉者チャールズ・スミスの処刑を実行する為に、彼はここへやって来たのだ。
「貴方の神経の太さに驚いているよ、C。はじめまして。チャールズ・スミスというものだ。これでも人間関係におけるマナー分野では古典派を自称している。後輩の領分を土足で歩き回る、落ちこぼれの先輩の無礼も条件つきで許してあげよう」
チャールズの時間稼ぎはひどく見え透いていた。彼に尋ねてもその事実は否定はしないだろう。
Cが来訪を告げた時から、彼の不自然に膨らんだ左腕はスーツの袖の下で蛇のように蠢いている。事実、彼は他人からの奪い取った腕の関節を増やしてリーチを伸ばしていた。この付け焼刃の戦法がどこまでCに通用するかはチャールズにもわからない。だが、ここでCに抗わなければ間違いなく消されてしまう。
やがてCは二人の異なる立場の人間の前に姿を現した。
Cの外見は思った以上に小柄で顔立ちはほりの深いコーカソイドのそれとは明らかに違ったものだった。どちらかといえばハワードにとってあまり接点のない平べったいモンゴロイドの特徴を備えていた。
季節は春の終わりを迎えつつあるというのに、Cは冬物のダウンジャケットを着込んでいる。袖口から見えるCの腕は女性のように白く細いものだった。
合衆国の同世代の男性の平均身長よりもやや高いチャールズとは十センチ以上の身長差がある。取っ組み合いになればどちらが有利かは誰にでもわかるはずだ。しかし、依然としてチャールズはCの存在を脅威として捉え、Cは余裕の態度を崩そうとはしない。Cには何か事態を打開する秘策があるのだろうか。
Cがチャールズに接近する度に、チャールズもまたCから距離を取った。それは意図された行動であり、無意識のうちの行動でもあった。チャールズの本能が彼にCとの対立を避けろ、と警告をしているのだ。 チャールズとて理解はしている。ネクロマンサーでもない自分が、数々のネクロマンサーたちを狩ってきたCに太刀打ち出来るわけはない。好奇心と敵愾心、そして自尊心がチャールズをこの場に引き止めていたのだ。
「タフガイのふりをするのは止めておけ、腰抜け(チキン)。本当は恐怖でゲロ吐きそうなんだろ?」
Cは右上の袖を肘まで捲り上げる。露出した彼の左腕には入れ墨が彫られていた。それがどんな図柄かは、距離が離れている為にハワードには確認することが出来なかった。
しかし、Cの腕は見るからに頼りなく、どう考えても戦闘向きではない。一方のチャールズはCの腕を見て間逆の印象を受けていた。なぜならば例の入れ墨、即ちCの腕に刻まれた呪いの証こそがチャールズが欲して止まないものであったからである。
「超越者の証を所有しているくせに!旧き神々との縁を持っているくせにッッ!どうしてお前は真理に逆行するような真似をするッッ!!」
それは羨望と嫉妬から生まれた感情。一時の激情が恐怖を克服し、天敵との対決を促したのだ。神秘を目の当たりにしたチャールズの頭の中にはCとの接触を自分の所属する組織に報告するという使命は忘れられていたのである。既に重大な背信行為を犯しているのだ、恐れるべきものなど何も無いはずだ。
チャールズ・スミスは少年時代に周囲から神童と称されていた時期がある。以降の人生において何度かの敗北と挫折を経験し、オカルトの殉教者たらんとする今の彼が出来上がったのだ。
この偏執的な他者への羨望は、かつて神童と称され周囲から持ち上げられた時に出来上がった矜持の名残りなのだろう。
Cという伝聞でしか知りえぬ人物に、チャールズは生涯の仇敵を前にした気持ちになっていたのだ。
一方のCはチャールズを路傍の石くらいにしか考えていなかった。外面だけは大人ぶってはいるが、中身は子供のままだ。チャールズは自分が道具として使われているとは夢にも思わず、きっと彼の頭の中ではさぞ都合のよい自分を主人公とした物語が描かれているのだろう。
だが、幼稚な思考回路の持ち主といえど先の事件では千人以上の犠牲者を出している。さらに組織の信奉者たちに贖罪を求めるなど時間の無駄だ。すぐにでも罪に見合った罰を受け入れるべきだろう。罰を下すのは、Cではない。生と死を司る、世界を裏側から支える何かだ。
彼らとの契約の証である刻印を持つCとて全てを知っているわけではない。Cは刻印の中に自らの生命力を流し込み、再び魔力回路を起動させる。
チャールズ・スミスという怪物の成り損ないに明日の朝日を浴びさせない為に、だ。
「お前の中にある神の遺骨を奪って、私が新しいCとなるッ!」
結果としてチャールズが先手を取る形となった。むしろ、この場合はCがチャールズの実力の底を知るためにそう仕向けたといっても過言ではない。
Cは光を纏う左腕をチャールズに向かって突き出し、彼の攻撃を待つ。対してチャールズは力任せのパンチで真正面からCを粉砕するつもりだ。
人為的に強化された腕力、その場しのぎにすぎないが自身の関節の可動領域を増やすことによって得られたリーチと破壊力。これほどの有利な条件が揃えばCに負けることはないはずだ。
チャールズは差し出された腕ごとCを叩き潰すつもりだった。しかし、チャールズのパンチがCに届く事はなかった。なぜならば、Cの周辺に再び出現した青い蔓のようなものがチャールズの腕をしっかりと拘束していまったからである。
技の軌道さえ見切ってしまえば、ケンカに不慣れな素人のパンチである。あえて避ける必要はない。彼がチャールズを殺さなかったのは、彼から組織の情報を得るためだけだった。
四方から蔓が迫る。手首、肘、下腕骨を一瞬にして縛り上げる。捕獲完了、縞模様の入った青い蔓がチャールズの右腕に巻きついていた。チャールズは何度か脱出を試みるが、その都度にハンマーのように何度も地面にぶつけられる。絶叫する暇さえ与えてくれない。
「なかなか頑丈だな。ところででチャールズ・スミス、お前は誰の骨を体に入れているんだ」
Cは冷ややかな視線を送る。そして、Cは再度チャールズの体を地面に叩きつけるために上に振り上げた。いずこから現れ出る不思議な蔓は彼の意志に従って行動するのだ。
だが、この時にCの言葉を聞いたときにチャールズは度肝を抜かれる思いをした。チャールズは神の遺骨を組織に無許可で自分の体内に移植している。不死の肉体も、異常な力も神の遺骨によって与えられた奇跡による力だ。
しかし、組織の内部において神の遺骨が与えられるのはごく限られたメンバーだけだ。即ち、神の遺骨とは組織内部に伝えられてきた教義に触れる秘密でもある。神の器にふさわしい不死の肉体を持つ人間を作り出し、もっとも古く新しい神の支配する世界を作り出す。その橋渡しの役目を買って出た者たちによって作られた組織こそが、見えざる鎖なのだ。かの組織の頂点として君臨する賢人会の許可無くして神の遺骨に関わる事は、組織最大のタブーたる教義に触れるということを意味するのだ。
「私がそれを話すとでも思っているのか?」
チャールズは現時点で彼の所属する組織最大のタブーを犯している。話せるわけがない。組織の幹部たちが、どこで自分たちを監視しているかはチャールズにもわからないのだから。
そして、チャールズもまた組織の禁忌に触れたものがどういう結末を迎えることになるのかを知っている。チャールズの知己の不死の肉体を得る霊薬を持ち出そうとしたある男は見せしめとして何度も殺された後に決して死ぬことが出来ない肉体にされて、今でも組織の奴隷として使役されているのだ。
チャールズはその男の邪悪な魔術によって魂まで支配された憐れな姿を思い出す。やはり絶対に話すわけにはいかない。目の前のCよりも組織の幹部たちの方がずっと怖いのだ。
「立場の違いを教えてやる」
Cは容赦無く、チャールズを地面に叩きつけた。ぐしゃり。そんな音がしたかもしれない。あまりの凄絶な光景にハワードは怪人たちのやりとりから目を逸らしてしまったほどだ。凄まじい勢いで地面に叩きつけられたはずのチャールズは未だに意識を保っていた。
衝撃で皮膚が裂け、全身くまなくボロボロになってはいるが青い瞳から意志の光は失われてはいない。
それもそのはずである。ダメージが一番ひどい部分に以前は見られなかった爬虫類の鱗のようなものが現れている。
変わり果てたチャールズの姿を見て、Cは舌打ちをした。この事態はCにとって想定内の事態だったが、この程度の実力しか持たない相手に時間を費やすわけにはいかないのだ。
「銀色に発行する鱗、あらゆる環境に適応する能力か。ゾンビマン・S、スターゲイザーか」
組織の幹部スターゲイザー、どんな武器でも決して傷つけることが出来ない肉体を持つ男として知られている。
Cにとって直接面識のある人物ではないが能力は知っていた。所謂、物理的には非常に殺しにくい相手である。Cにとっては最悪ではないにしても相性があまり良くない相手だった。
チャールズの怯えきった瞳が、Cの質問に対する答えが正しかったことを何よりも物語っている。
「ご苦労。お前はもう用済みだ」
相手があのスターゲイザーならば、こんな雑魚に構っている暇はない。Cは処刑を執り行うためにチャールズの肉体をはるか頭上に持ち上げた。このままビルの下まで落下させるつもりである。
神の遺骨に選ばれたゾンビマンの一柱ならばともかくこのような紛い物ならば落下時の衝撃で死んでしまうだろう。
Cを含めたゾンビマンたちが古の神々から与えられた力はあくまで限定的なものである。つまり、神の霊魂を降ろすことが出来る完全な不死者ではないのだ。不完全なゾンビマンの劣化コピー商品でしかないチャールズならばダメージの許容限界を迎えた時点で絶命は免れまい。
「永遠に呪われろ。出来損ない。お前は私に力を譲渡すべきだったのだ」
「勝手に言ってろ」
Cはチャールズの吐いた呪いの言葉を無視する。
そして、彼はチャールズ・スミスを地上に向かって投げた。チャールズの肉体は猛スピードで地面に激突して、原型を止めないほどに破壊された。この場所から確認することは難しいが、地面には彼の肉片や血液が散乱していることだろう。直後、朽ちたアスファルトの灰色のキャンバスが血と骸で彩られていた。
「何のつもりだ。そこを退け、ハワード・スミス」
ハワードはCがこの先、出口に向かうことを見越して彼の行く先に立っていた。
正直なところハワードにはチャールズとこの男の間に何が起こったのか理解することは出来ない。
だが、ここで彼を取り逃がせばハワードが真実を知る日は永遠に来ないということだけはよくわかっていた。たとえ相手がどんな怪物が相手でも、ただの人間にだって出来ることはある。
今のハワードには何故かそう考えることが出来た。
「怪物を倒した正体不明のヒーローに独占インタビューをさせてくれないか?」
ようやく主人公のCが登場しました。これからCと不死者たちの戦いがはじまります。どうかご期待ください。それでは失礼します。




