おれは正常か? おれの認識においては!
すたずぶは一旦話を止めてぎらぎらした目で夜空を見上げた。話が一区切りすると大抵のやつは空を見上げるものだ。ばすおもならって上を向いたが、水銀灯の光が邪魔してその向こうはよく見えなかった。
「すたずぶ、ぼくはきみが言わんとしていることがよくわからない。ぼくが聞きたいのはただ一つだけだ。きみはどうしてこんなところでうずくまっていたんだ?」
「おい、おいおいおい! おれは言っただろう、物事は前後関係こそが重要だって」
「ああ、確かにそう聞いたが、だからと言って前後の間に挟まれた物事そのものをないがしろにしていいって法はなかろうぜ。きみは昔から話の長いやつだったが、今はより酷くなっている。正直に言ってしまうときみの話の殆どは聞くに耐えん戯言ばかりのように聞こえるがどうだ?」
「ばすおよ、お前は昔からあと一歩おれに及ばない残念な男だったが、いまやその一歩は絶望的なまでの隔たりになってしまったらしいな。この十何年の間にお前は一体何をやっていたんだ? 確かにおれの話は一見すると蛇足の塊のように思えるかも知れんが、全てはお前に出来るだけのことを伝えようとしている故。言葉によって何かを伝えようとするのならば、実際に伝えたいことよりも遥かに多くの言葉を駆使せねばならん。時には誇張も混じえながら、時には本筋から離れながら。まだわからんか、ばすお。言葉というものは伝わらないものだと。何故なら言葉というものは所詮は人間がこしらえた道具に過ぎんからだ。言葉とは、決して唯一絶対の真理ではなく、森羅万象全てに名をつけ、そいつを共有しようという試みだろう。しかし、ばすおよ。何かを言葉に変えた瞬間、何かに名をつけた瞬間、名付けられなかったものがじゃぶじゃぶとこぼれ落ちて行くのがお前には見えないか? 人が物事を簡潔に話そうとすればするほど、その物事から遠ざかっていくという事実にお前は気づいていないのか? 無意識の取捨選択、あるいはまだ名付けられていないものたち、言葉にならなかったもの、話に上げるまでもないと判断されたもの、それら全てを持っている限りの言葉でもって象ってみせようという努力こそが、伝えるということではないのか?
おれとお前は違うのだ、ばすおよ。決して見下して言っているわけではない。いや、おれはお前のことを見下してはいるのだが、今はそういう意味合いで発した言葉ではないということだ。おれとお前が違うのはな、この身体で分けられているからだ。それぞれの身体の中におれとお前は、それぞれの体験や認識をあやふやなままぶちこんで、記憶や経験に変え、あるいは変えずに、そして実践し、個を作っていく。厄介なのはこの個ってやつで、誰の目にも見えんのだがそれがあるのは間違いなく、そうでなければいちいちこうやっておれも言葉を尽くさずに済むというものなのだが、おれとお前、それぞれの個が認識するものに差がないとどうして言えようか? おれとお前、同じ文法に則って話をしているとどうして言えるのだ? おれとお前、殆ど変わらぬ場所にこうして存在しているが、目に映るその全てをどう認識しているかなどお互いにわかるまい?
さあ、答え合わせを始めようか。おれは正常か? おれの認識においては。 お前は正常か? おれには全くわからん。だから、そう、答え合わせをするんだ」
すたずぶは自信に溢れた目でばすおを見つめた。口もとには笑みさえ浮かべていた。ばすおは少し悲しくなった。またすたずぶは何かに影響されてしまっている。昔からそういうやつだった。どこかで拾ってきた聞きかじりの話をさも自分の持論のように話してみせて、ばすおを辟易させたものだ。ばすおははっきりとすたずぶを見下していた。すたずぶもそうだった。二人は見下し合って、そして仲良くなったのだ。
「答え合わせって、具体的に何をするんだ?」
恐る恐るといった感じでばすおが尋ねた。
「知れたこと!」ぐいっとすたずぶは身を乗り出した。「おれは話す。お前は聞く。ただそれだけのことよ!」そう言い放ってすたずぶは肩を揺らしながら豪快に笑った。ばすおはため息をついた。
「軽率だったのかもしれん」すたずぶは独り言のように呟いた。「武装するべきだったんだ。精神的にも肉体的にも。やつは女の姿をしてはいるが宇宙からの侵略者だという認識がおれには足りなかった。
おれは女の後ろについて走り出した。女のヤサを突き止めようと思ったんだ。突き止めた後に、一旦帰って調査の準備に取りかかる算段だった。女の目的、女の地球での生活、どうやって市井に紛れ込んだのか、あらゆる角度から精査し脅威の度合いを確認しようという心づもりだった。当然、女も調査されることに警戒を持っているだろうから、おれの存在を知られるわけにはいかなかった。つまり、女だって馬鹿じゃないだろうから、おれの存在に気づけばストーカーだのなんだのと騒ぎ出すに決まっているからだ。そんなことになったら、今度こそおれは破滅だ。ふざけた話だと思わないか。おれはこの星を愛しているからこそ、真っ当な幸せを犠牲にしてこの身を危険に晒しているのに、そんなおれの邪魔をするのはいつもこの星の連中なのだから。そう、察しの通りだ。連中と渡り合うのは実は初めてではない。やつらは大抵女に化けてやがるんだ。うまく考えたものだぜ。おれはこの国の警察機構の一部と連中は繋がっているんじゃないかとさえ思っている。そうでないと話が通らんことだらけだ! おれが変質者だと? ふざけるな!」
「落ち着けよ、すたずぶ」
「これが落ち着いてられるか! ……いや、すまん。今回だけはお前の言う通りだな。おれたちは目の前の脅威に集中せねばならん。過ぎたことに拘るのはおれの主義に反する。そう、おれは省みない男だ。筋金入りだ。そうだ、終わったことはもういいんだ。だってそうだろう。どうせ何を言っても理解されないのだから、何を言ったって仕方のないことなのだ。うむ、納得のいかんことは多数あれども現状に不満はない。今まではやつらが上手だっただけの話だ。ただそれだけのことなのだ。
さて、女の走るペースはそりゃものすごかった。おれの長距離走の性能はちょっとしたものだってことはお前も知っているだろう。練馬の暴走冷蔵庫と異名をとったこのおれがついていくのがやっとのことだったのだから、どれほどの速さだったか想像できよう。どれだけの距離を走っただろうか。おれはもう頭の中にドーパミンやら脳内モルヒネやらが分泌されていて、走っていること自体が心地よくなってしまっていた。今思えば連中の術中にはまっていたのかもしれん。もともとそういったものが分泌されやすいたちだってのもある。ゲームとかやってても没入感が半端じゃないからな、おれは。おふくろからよくゲームをやっている姿はゾンビみたいだと言われるよ。そういやお前、新しく出たDOOM遊んだか? あれはヤバいぞ。個人的にシリアスサム3以来にガツンときたシングルFPSだな、あれは。もちろん、メトロ2033やウルフェンシュタイン・ザ・ニューオーダーも十分に面白かったんだが、喰らっちまった! って感覚は本当に久しぶりだな。あ、ボーダーランズ2は別だぞ。あれはFPSと言うよりもハクスラだ」
「デウスエクスは?」
そう言ってから、思わずビデオゲームの話に乗ってしまった自分がばすおは恥ずかしくなった。カーゴパンツのポケットの中でチコピンが苛ついているのがわかった。