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性獣よ!

 ゆふらんは大袈裟なポーズをとったまま、少しの間きょとんとしていた。ゆふらんが想定していた中年男の姿はなく、目の前にいるのは小太りの怪しい男だった。汗びっしょりで困ったような笑顔を浮かべて、決してゆふらんと目を合わせようとはしない。そのくせ、泳ぎ続ける目線は時折ザジトワリスをしっかりと捉えていた。

「なんであたしについてくるのよ」

 大袈裟なポーズをゆっくりと解きつつも、ゆふらんは舌鋒鋭く尋ねた。多少の見当違いはあったものの、この男がゆふらんの後をぴったりとつけてきたことは間違いがないのだ。しかし、解せぬ。ゆふらんの走りについてこれるのは相当走り込んでいる者だけだ。しかも、通常よりも相当にペースを速めていたゆふらんの走りに、一見して不健康そうなこの男がついてこれるとはどうにも考えにくい。おまけにこの男の格好だ。色あせて襟がくるんと丸まったポロシャツ……はいいにしても、はち切れそうなチノパンツと履き古した合成皮革の安物カジュアルシューズでどうやってあのペースについてきたのだろうか。ゆふらんは、解せぬ、解せぬ、解せぬ、とうわ言のように呟いた。

「落ち着きなさいゆふらん。この男、こう見えて男子マラソン日本代表なのかもしれないじゃない。確かにゆふらんはこの公園内ではなかなか速い方だけど、さすがに日本代表はちぎれないわ」

 適当なことを言ってみたザジトワリスだが、当たらずとも遠からずだった。この男こそ名うてのマラソン大会荒らしであり、短距離走は滅法遅いが長距離走はすこぶる速い、と恐れられた平山すたずぶその人だったのである。きょろきょろと視線が定まらないまま(それでもザジトワリスの谷間に目を走らせるのは止めずに)すたずぶが口を開いた。

「あの、ギエロン星獣ってウルトラ——」

「性獣よ」

 すたずぶの言葉をゆふらんが遮った。

「え?」

「あんたのことよ」

「ええと……」

「なんであんたがあたしの後についてこれたのかはいまいちよくわからないんだけど、動機ははっきりとわかる。これでしょ」

 ゆふらんがザジトワリスを指差した。それにつられてすたずぶはザジトワリスを凝視する。すたずぶが、ごくんと喉を鳴らした。鼻息も荒くなっていた。どうやらすたずぶは誘惑をされていると思っているらしかった。おどおどとした態度が徐々になりを潜めていき、かわりに野生の荒々しさが顔を見せ始めていた。

 醜い。ゆふらんは思った。小太りで、若いんだか若くないんだかよくわからないヘタウマの漫画のキャラクターのような顔をした男だが、さっきまでのゆふらんに対して臆病な姿の方がよっぽど良かった。不安に負けないようにと不細工な笑いを浮かべていた姿の方がよっぽど良かった。勘違いをしたならしたで、それを信じてゆふらんに襲いかかってくる方がよっぽど良かった。淫靡な期待に目を怪しく輝かせているくせに、黙って動かずことのなりゆきに身を任せるよりかはよっぽど良かった。醜い。ゆふらんはそう思った。

「やっぱりね」ゆふらんは小さく首を振りながら嘲笑混じりに吐き捨てた。「性獣よ!」


 ギエロン星獣……? べるべるに一発くらわせた興奮状態のなかで、突然聞こえてきたギエロン星獣という言葉にばすおは心乱されていた。

「チコピン」

「データなら用意してあるよ。『再生怪獣 ギエロン星獣』ウルトラセブン第26話『超兵器R1号』に登場。身長五十メートル体重三万五千トン。まあこれくらいシモンだったら言わずもがなかもしれないけど」

「いや、すごく助かるよ。そうか……ギエロンは体重三万五千トンもあったんだなあ……。悲しい……すごく悲しい話だったんだよ。ぼくはあの話が嫌いなんだ。いまだに思うよ。何でセブンはギエロンを殺したのかって。いや、わかってるよ。殺さなきゃ、殺しちゃわなきゃ、どうしてもダメだったんだ。ギエロンは復讐者だからね。報復の連鎖を断ち切るには、地球を守るには、そうするしかなかったんだ。だけど、なんでセブンはギエロン星を守らなかったんだ? なんで地球は救うのにギエロンを救えなかったんだ? 風刺って名目があれば、ヒーローにあんな惨い殺しをさせてしまってもいいのだろうか?」

「シモン、その問いはきみがヒーローになった時、きっときみの支えになると思うよ」

 チコピンの言葉にばすおがはっとして顔を上げた。

「ぼくがヒーローになる……? ぼくが……なれるのかい? ヒーローに?」

 ばすおは信じられないと言った表情で自分の上腕をさすった。ばすおの頭にダンベルを持った筋肉の塊のような男が浮かんだ。あんな身体だったら、ヒーローになれるかもしれないが……そう考えてばすおは目を伏せた。

「なれるさ、シモン。今夜のきみはきっとヒーローになれる」

 今夜。ばすおは空を見上げた。低く薄い雲がたちこめた空に浮かぶ満月の光は、首都圏の明るい夜空をいつもよりもさらに、さらに明るく不確かな色に染め上げていて、今は本当に夜なのだろうかと心配になるほどだった。ぼくがセブンだったら、どうしていただろうか? ギエロンの首を切り裂いたセブンの姿を、泣いているように見えたセブンの姿を、呆然と見つめていたかつての自分を思い出した。きさまらこそ悪魔だ! そう叫んだデビルマン——不動明の姿も浮かんできて、ばすおは自分の単純さに苦笑した。こんな単純な自分が愛おしかったし、ひどく憎らしくもあった。もっと超越したい、全てが許せるくらいに……ばすおは固く拳を握った。右腕がつりそうになった。慌てて力を抜いたが、間に合わず上腕三頭筋に鋭い痛みが走った。短い叫びをあげて、ばすおはその場にしゃがみこんだ。

「慌てるな、シモン! 今すぐアーム・プルストレッチをするんだ!」

 チコピンが叫んだ。

「でもどうやっていいのかわからないよ!」

「落ち着け、ゆっくり息を吸うんだ。吐いて……そうだ、いい子だ。そのまま右腕をゆっくり胸の前で水平に、そうだそれでいい」

「痛い! 痛いよチコピン」

「大丈夫、絶対にうまくいく。ぼくを信じろ。左腕で右腕を抱え込むように……もっと深くだ。そっちじゃない、肘辺りを。そうだ、いいぞ……そのまま押し込むように、ようし、そうだ。ゆっくり……ゆっくりな」

 潮が引くように痛みが消え去っていき、ばすおは安堵のため息を漏らした。

「ありがとう、チコピン。どうなることかと思ったよ」

「どういたしまして。まったく、運動不足だシモンは」

「面目ない」

 照れ笑いを浮かべ側頭部をがしがしとかきむしりながら、それにしても、ばすおは思った。あの女の声は一体なんだったのだろう?

 かかってきなさい、このギエロン星獣め! 確かにそう聞こえたのだ。ウルトラシリーズの中でも特にセブンを愛するばすおであっても、ギエロン星獣、と声に出してみる機会はそうそうあることではない。ましてや若い女が、ギエロン星獣とあんなに大きな声で叫んだりするものだろうか? 

 ばすおは声が聴こえてきた方に行ってみようと思った。自分と同じ言葉で話せる人がいるのかもしれない、良いと思うものが似ている人がいるかもしれない、このTシャツを素敵だ言ってくれる人がいるかもしれない。ばすおは自分でも困惑するくらい、期待感で胸をいっぱいにしていた。

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