エキセントリックブルース
はじめまして、この度こちらに初投稿となります、黒糖です。
未熟な文章な上になるべく気をつけて書いたつもりですが所々おかしな文になっていたりしたと思います。
それでもこれを読むのに読者様に割いていただいたお時間が無駄になっていないことを願います。
異世界物ということで付加しておきますが舞台は1960年代アメリカ(サンフランシスコとか)のイメージです。
それでは、エキセントリックブルースをお楽しみください―――
こちらカラヴァーニア共和国。特産品は無茶苦茶甘いフルーツと今では本当の作り方をしてない、アルコールに添加物たっぷりのお酒。砂漠に3方向から囲まれた国土はそれなりに広く、海に面する西海岸はわざわざ遠くからいらっしゃる観光客に人気である。
さすがは新し物好きのカラヴァーニア人、人々は新たに覚えた交通手段をフルに使い始めていた。おかげで市道は毎朝渋滞、公害なんて見ないフリ、臭いものにはフタ状態。
そんな都会に不便さを感じない人々がいた。金持ちだ。貴族と呼ばれる彼らはお得意の経済手腕で広い高速道路をこさえ、びゅんびゅん飛ばしている。
一般人も使ってはいけないことはないのだが、高い使用料金を払わされるとなっては馬鹿馬鹿しくて誰も使おうとは思わなかった。
そんな中、新たに登場したのは”飛行機”という人間の不可能を可能にしたスーパーかっこいい乗り物だ。
どこかの誰かが名づけたフラインという名称で金持ちに親しまれてるそれは、貴族間でのステータスのひとつになったり、軍事力を強化したり
そして本来の目的である人間様と貨物の運搬に大いに役立つことになった。
そんなこんなで今までは船でしか来られなかったカラヴァーニアが他国の人々にとって近いものとなり、より多くの観光客を呼び込めるようになった。
この話は、そんなカラヴァーニアの首都アルニニレイズで起こったちょっとしたニュースになった出来事だ。
平均気温30度、アルニニレイズの夏は暑い。しかし、そんな炎天下の中でも汗ひとつかかない連中がいる。
やはり、金持ちだ。これまた新たに開発された空調設備をフル活用して夏を過ごすことを覚えてしまったので、南国の空気に当たる場所といえば車から建物までの移動くらいしかない。
田舎のほうではいまだに切り倒したままの木材を机にした学校があるというのに、アルニニレイズの国立中等学校では全館冷房完備というリゾートホテルさながらの環境であった。
しかし、環境のよさと人間関係は比例するわけでもなく、涼しい校内では涼しい人間関係が構築されていた。
「ですから、このような制服の改造は校則違反にあたります。寧ろ、それは制服じゃありません」
「うっせーな、寒ぃんだよ。あっちいってな」
「寒いのなら冷房を弱めます。ですから、その服は脱いでください」
「制服なんて持ってきてねぇよ」
「ちょ、ちょっとぉ!」
ジャングルから来たかのような全体が茶色っぽいピアスだらけの不良生徒は、制服を取りに帰るという口実をつけてさっさと仲間の車に乗り込んでしまった。
「あの穴だらけゴリラ――全部の穴にサフランを詰めてやりたい」
その光景を見て悪態をつく青年は、風紀委員長という面倒ごとをしょいこんでいる優等生である。
学年成績はつねにトップ。人にやさしく、ボランティア活動もよくしているらしい。この国では珍しい金色に輝く髪と唐辛子のような赤い瞳を持ち、そしてなんといっても男子、女子、先生、共に溜息モノの美貌が入学当初から群を抜いて目立っていた。
豚のように長いまつげは丹精な顔を更に女の子のように見せ、女じゃないのか、本当に男なのかと話題を生んだほどである。
今は、その美しい顔は大きく歪み、廊下にはびこる違反生徒一人一人を睨みつけた。
「まったく、不細工は何やっても気味が悪いだけだってのに、どうして目立とうとするのかな」
リンディロッド=ベゼリル、極度なナルシストというところを除けばなかなか優秀な学生である。
この学校には一日一回、午前10時ごろに盛大なイベントがある。
「きたぞ!」 「きたってさ!!」 「いらっしゃったのね!」
玄関ホールで沸き立つ生徒。小さな興奮がホール内の温度を約0.4度上げている。玄関ホール先、校舎前に一台の真っ黒い車が止まった。
車からするりと出てきたその生徒はこの国の防衛大臣を模したきぐるみを着ていた。じりじりと照りつける太陽の下、しっかりとした足取りで玄関へと向かってくる。
「防衛大臣のバラッカスだ!」 「まさか防衛大臣でくるとはおもわなかったな」 「にてるなあ、バラッカス」
穏やかにヒートアップする生徒達を尻目に、防衛大臣きぐるみの青年は器用に上履きを履き替えている。そこへ三白眼でにらみを利かせたリンディロッドが近づいてきた。
「毎日毎日飽きない人ですね、馬鹿ですか」
「・・・・・」
「馬鹿ですよね。馬鹿しかこんなことしないし。そのきぐるみ自分で作ってるんですか?馬鹿ですねえ」
「裁縫得意ですから」
「裁縫ですか、いい特技ですねえ。こんな馬鹿なことしてないでボクが着ても問題がないような美しい服を作ってくださいよ」
きぐるみ・バラッカスもとい中の生徒はリンディロッドに一瞥すると自分の教室、3―Xへと向かっていった。たくさんの生徒にかこまれながら。
「リディック=ジェイド・・・・あのド変態め」
次の時間のチャイムが鳴る。リンディロッドは踵を返して教室へと向かう。そのド変態が待つ3―Xへと。
リンディロッドとリディック。リンディロッドが1番をとればリディックが2番をとる存在。
リンディロッドがテストで100点をとれば、リディックは99点をかならず取る。リンディロッドがマラソンでテープを切れば、リディックはその直後にやってくる。
絶対に追い越されないのだから問題ないかと思えば、リンディロッドにとってはとても腹の虫が納まらないものであった。
それは彼の態度にあった。リンディロッドは優等生、授業態度も完璧。たとえ、頭の中は自分の事でいっぱいでもきちんと起きてペンを走らせている。
しかし、リディックはというとおかまいなしに寝ている。おかげで総合成績はあまりよろしくないのだが。
他にも彼を苛立たせる要因はあった。学校の校則超違反者でありながら、やたら生徒に人気があるところだ。
毎朝のきぐるみパフォーマンスに加え、授業中に謎の寝言、購買に並ぶのが滅茶苦茶早いなど幼稚なものが好きな小学生のような男子に特に人気が高かった。
それに引き換えリンディロッドはというと、不良生徒からは煙たがられ、一般生徒からは近寄りがたい存在であり、近寄ってくる人間といえば容姿に惹きつけられた虫みたいに愚かな連中である。
彼はそれが許せなかった。自分のほうが素晴らしい人間なのに(容姿だって100倍は勝ってる!)どうしてあいつのほうが一般人に人気があるのか。
リンディロッドの中では、入学してから三年間そのことしか頭になかった。
午後のチャイムが響く。生徒達は思い思いの場所で、仲のいい友達と昼食をとる。
いつものようにすばやい動きで、大人気のカラヴァーニア原産フルーツ”メモコット”がたっぷり入ったフルーツサンドを買ってきたリディックはきぐるみを頭だけ脱いでそれを食べている。
リンディロッドにとって今日は特別な日だった。一人でサンドイッチにかぶりつくリディックに近づいて、あいていた彼の前の席に腰掛ける。
「食事中に悪いですけど、いいですか」
「だめでふ」
「きたなっ!なんか飛んできたし!しゃべんな馬鹿ッ!!」
「・・・・・」
またもくもくと食べ始めるリディックにリンディロッドはうんざりしてきた。
彼はいつもほとんどきぐるみを着ているので(毎日違うものだが)素顔を知る人間はあまりいない。きぐるみのおかげか肌は白く、いつも寝ぼけた顔をしている。
生徒の目のほかにも気にいらないものがあった。彼の髪の色、リンディロッドと同じ、太陽にきらめく金色の髪。さりげなく顔立ちがいいのも、澄んだ青空の色をした目も気に入らなかった。
「・・それじゃあ、放課後に裏門に来てください。特別指導をします。来なかったら・・わかってますね?」
「ふえーい」
本当にわかってるのかコイツ?素直すぎやしないか?
「それじゃあ、食事中にすいませんでしたね。失礼」
特別指導 ―――指導なんてするはずがない。こういう馬鹿は何いってもわからないから、身包み剥いで貧民街にぶちこんでしまえばいいんだ。
物事を揉み消す金ぐらいいくらでもある。それに、悪は一度懲らしめないと更正しないわけだし。
そんなことを考えながら、自分で買ったメモコット入りフルーツサンドをほおばるリンディロッドだった。
午後の授業をなんなく終え、放課後がやってきた。
三年間のたまりにたまった恨みをようやく片付けるチャンスがやってきたのだ。
この計画を考えたのはつい昨日の晩。魚のフライの小骨が刺さって無性に腹が立っていたときに思いついた。
うちの運転手には連絡してあるから、もうじきトラックを運転してきてくれる。着ぐるみのノロマなリディックのことだ、二人でかかれば今朝用意した木箱にすんなりといれることができるだろう。そうすればもうこっちのものだ、かるーく5時間ほど運転して国境近くの貧民街に捨てればいい。貧乏人とうまくコミュニケーションをとらないと、砂漠の砂になってしまって帰ってこられなくなるってもんさ!
日光の照りつける学校の裏門には生徒も教職員の姿もなく、近くにある花壇には陽気な色の花たちが誰がみるわけでもないのに美しく咲き誇っている。
リンディロッドがやってきてまもなく、本当にリディックは来た。しかし、先ほどまで着ていたきぐるみ姿ではなく、きちんとした制服姿で。リンディロッドが何事かと問い詰めると
「指導ぐらい真面目にうけないと」
と、いつもと変わらぬゆるい顔で返答をした。
リンディロッドは焦った。計画がバレているのか、それとも本当に指導をうける気があるのか?だとしたら、そんなことをしたら可哀想かもしれない。自分は優しい人間だ、更正の余地のある人間にこんなことをしたら自分は優しい人間ではなくなってしまう!
「指導なら教室借りたらどうですか?汗だくですよ」
けれど、そうしたらまた自分が可哀想だ。こいつのせいでどれだけ自分が辛かった?髪の毛だってずいぶん抜けたし(そりゃもう、毎日10本は抜けたよ!)食事だって甘いものしか喉を通らなくなった。物を噛むのだって面倒になった。おかげで虫歯が増えた。
「・・・・・・・・」
ああ、ボクはなんて可哀想なんだ・・・美しい人に苦労は似合わない。苦労なんて全部不細工がしょいこめばいいんだ。そうだ、たとえばこいつとか!!
そんなことをリンディロッドが考えている間に、裏門の近くに褪せた赤色のワゴンカーがエンジンをかけたまま停車した。
「・・・風紀委員長、後ろの人、知り合いですか?」
「グッドタイミング!こいつだ、計画通りに ――――ッ!!」
振り返ると、簡単に言えば、何人かの覆面をつけた人間がいた。そして辺りに”ゴツッ”と鈍い音が響いた。
リディックのほうに振り向くと白目を剥いて倒れてるそいつがいた。もう一度振り返る前に、リンディロッドも憎き相手と同じ状態になった。覆面男の手には使い古したフライパンが握られていた。
「・・・鼻が曲がる、くっせえ・・・」
「おれのところのほうが臭いです」
「黙ってろ能無し」
「―――委員長」
「なに」
「隣のやつがフンしたみたいなんだけど」
「くさいぃっ!やだ、こんなところ嫌だ〜!!早く出せ〜!!!」
大型犬用に作られた頑丈な金網は縛られた両手で叩いても叩いてもまったく壊れる気配はない。
部屋中に響くキャンキャン言う耳障りな鳴き声は疲れをしらないようで、リンディロッドたちが騒ぐたびに合唱を始める。
「なんだってこんなところ・・・」
一時間ほど前のことだった。リンディロッドは大きな爆音と地響きがして驚いて目を覚ました。
上下へと不規則に浮き上がる感覚、その揺れはフラインのそれだった。そして聞こえてくるキャンキャン言う声と低く吼える声。どうやら犬がたくさんいるらしい。
どうしたものかと起き上がろうとすると両手は後ろでしっかりと縛られており、殴られた痛みをぶり返す重い頭を持ち上げると低い天井にぶち当たったようで、立ち上がることはできないようだ。寝転ぶこともできないサイズなのでだんごムシのように丸くなって入れられていた。
暗い室内に目がなれたところで比較的明るいほうを見ると細い鉄格子があってこのせまい空間からは出られなくなっている。
そこに顔を押し付けて外を見ると1メートルほど先に犬の運搬用のキャリーケースが所狭しと縦に横に積まれていて、その中に何匹か犬がいるようだ。
左手にはかすかに扉が見えるが、閉まっている。
上昇中、一度大きく揺れたが、そのときに
「イタッ」
隣のゲージからゴツンという音と共にリディックが起きたことが確認できた。
「疲れたよ・・もうやだ、家に帰りたい。シャワー浴びたい。こんなところじゃ肌が荒れちゃうよ・・」
「・・・・・」
ゲージ内で大人しく座り込んだリンディロッドだが、どうにも息が詰まって仕方ない。
闖入者によって彼の計画は失敗したわけであるが(おそらくではあるが)誘拐なんて未だに信じられないし、これからどうなるのかもわからない。痛いのも辛いのも嫌だし、早く家に帰りたい。犯人にも無茶苦茶腹が立つし、早く開放されて犯人達を裁判にかけてやりたい。被害者なんて、素敵じゃないか。美しい自分にぴったり、絵になるとはこのことだ。
そんなことをめぐらせているリンディロッドに対して、ゲージの薄い壁を挟んだ左側にいるリディックはどちらかといえば退屈で仕方なかった。
どうも自分の左側にも犬がいるらしく先ほどから寝息と混じって鼻を鳴らしていてこれが結構うるさくてお得意の居眠りすらできない。
淡い光の漏れる鉄格子の向こうを体をよじって覗き込むと、ようやく大人しくなった犬達がそれぞれのゲージですやすやと眠っていた。
ここからだと2匹のマルチーズと1匹のポメラニアン、それに大きな体つきのダルメシアンが確認できる。
「委員長ー」
「うるさいボンクラ。お前なんかとしゃべる気分じゃないの〜」
「もしかすると、誘拐じゃないかもしれません」
「どういうこと?」
「誘拐ということは、金銭目当てもしくは二人の両親の権力の利用を狙ったものですよね。他にもありますがこの場合はないと思いたいので省きます」
「そうだったら最低」
「だとすれば当然犯人は貧乏で権力のない人間ってことです。けれどわざわざフラインをつかっての移動だ。荷物検査はおれ達の前に犬でも入れておいて誤魔化したんでしょうね。これだけ犬を持ってきてるんだ、検査も適当になる」
「でも積み込みの時どう考えてもばれるんじゃないの?これだけ重いと怪しまれるどころじゃないはずだ」
「積み込む人間に金でも掴ませたんですよ。それにフェイクにしてはやたら高そうな犬ばかりだ、手入れもきちんとしてあるみたいだし」
得意げに(リンディロッドはそう感じた)自分の考えを言うリディックにリンディロッドは先ほどから腹が立っていた。このやろう、頭がいいフリなんかしやがって。能ある鷹は爪を隠すってよく言うだろ。
「―――ちょっとさぁ」
「はい、委員長」
「今日はよくしゃべるねえ、どうしたのさ。っていうか、そんなのさっきから判ってたことだし、今更言わなくてもいいよ。超想定内」
「すいません」
やっぱりこいつは気にくわない。自己主張が激しすぎる。ブサイクで頭が悪いくせに、どうしてそう目立とうとするんだ?素直に引き下がるのもポイント稼ぎなんだろ!
「結局は、犯人が金持ちって事だろ。ボクか君の家に恨みのあるやつがやってるんだよ。それか、ボクの美貌目当てか・・・」
「委員長っておもしろいですね」
冗談だと思ってリディックは笑った。
「お前だけ死ねよ」
冗談抜きでリンディロッドはそう思った。
「けど、そうとは限らないと思うんです。おれと委員長が外にいたのはたまたまだし、身元調べるために生徒手帳もとられたみたいだ」
あ、ほんとだ生徒手帳が・・なんでコイツはそんな事気にしてられるんだ?他に考えることがないのか??
「想定内。ほんと、黙っててくれない?もう寝たい」
「すいません」
2時間ほど経っただろうか、フラインはまだ上空を飛び続けていた。
リンディロッドがこんな状況であるにも係わらずぐっすりと眠っているすぐ隣のゲージで、リディックは眠れないでいた。
この犬だらけの貨物室はとてもよく空調が働いており(逆の、空調があまり働いていないからかもしれないが)とても涼しい。
「寒い」
豪農のジェイド家は比較的田舎のほうの高台にあるので、密集した都会とは違い、クーラーなどなくても何とかなったし、父親はクーラーを一台もつけることを許さなかった。昔から、目立つ風貌を持ちながらも人付き合いが苦手でその上非常に変わっていた彼は、裁縫の趣味も手伝って着ぐるみを着るようにしていたから実際クーラーの風に生身で当たることなんてほとんどなかった。
だからクーラーに慣れてしまっているリンディロッドには平気でも、この温度はリディックにはとても低く感じられた。
イモムシのように這いずってゲージの奥の壁にぴったりとくっついて丸まって暖かくなるのを待つことにする。
ぼうっとしているとドアの向こうから小さい話し声が聞こえてきた。それは2人ほどの男が会話しているようで、自分達、”金持ち”とはすこし違うしゃべり方だった。
「この調子でいけばと3時間ってところだな」
色黒い40代後半の男は年齢より老けて見えるがさがさの手で煙草に火をつけ、煙を吐き出す。
「しっかし、こんなんでホントに上手くいくんですかね?」
煙の向こう、短髪の若い男はきっちりと閉まった搭乗口についている小さな窓を覗き込んだ。外は既に夜の世界で、遥か下界に建物をみることはできず、ただどこまでも荒涼と続く砂の山がこの砂漠の景色に味気を与えてくれている。
二人とも作業服によく似た濃いブルーのジャケットに上と合わせたカーゴパンツ、それに使い古しのブーツというなかなか動きやすそうな服装。それに政府認定の”運び屋”のバッジを胸につけている。
「さあな。でもやってみるしかあるまい」
「オレは副業のほうで金さえ貰えればいいんすけどね」
「ペイズリル、また博打か?」
「似たようなモンっすね。それよりベイシュさん」
「ああ」
「ここは禁煙っすよ」
慌てて煙草を踏み消すベイシュにペイズリルは苦笑した。煙草の吸殻は磨き上げられた床に汚らしく残った。
搭乗口の狭い廊下と客席は壁で隔てられており、左右の搭乗口を結ぶ狭い廊下は外界の濃紺で染め上げられている。
客席と繋がる扉がゆっくりと開くと穏やかな明かりに背を向けた一人の女性が立っていた。20過ぎの若くてきりりとした顔立ちに、黒く長い髪。結い上げられたそれが白い肌と見事なコントラストだ。ベイシュ達と同じような服装ではあるが女性向きのつくりだからかすっきりとした印象を与える。
「リーダー、見張りの交代です。ここは任せて仮眠をとってください」
「いいや、わたしはまだ大丈夫だ。もう少しここにいさせてくれ」
「駄目です。明日もあるんですから、今日はもう寝てください」
「そうっすよ、明日は大事な日なんですから」
「・・・そうだな。ここはレイチェに任せて先に一休みさせてもらおうか」
「任せてください」
「オレもしばらくここにいるっす」
「一人で充分ですから、寝ててください」
レイチェはとても淡々と言い放った。
「ちぇっ、折角うるさい父親抜きで話ができるかと思ったのに・・」
「何か言ったかペイズリル?」
「早く寝ないと夜あけちまいますよベイシュさん!!」
客室にそろりと入っていく二人を見送ったあと、レイチェは静かにドアにもたれかかった。
「大丈夫、きっとうまくいくはず」
薄っすらと明るさを増していく空の中、孤独な機体は砂漠を越えていく。
純に白く光る朝日が顔を出し切ったころ、その射光を浴びながらフラインは砂漠の町へとゆっくりと着陸した。
「お疲れ様でした」
「また運転お願いするかもしれないわ。やっぱりあなたのところが一番サービスがいいんですもの。運び屋さんて粗雑な人が多いでしょう」
「恐縮です。いってらっしゃいませ」
「ええ、帰りのフライトでね」
お客を無事にフラインから降ろせた。これからが本番だ。
「ペイズリル!」
「あいよあいよ」
彼の手には二着の青い運び屋の制服と”見習い”と大きく書かれた名札があった。
「うん。名札も良い出来です。リーダーは忙しいからこちらはこちらでやりましょう」
「そっすね!」
レイチェは足取り軽く貨物室へ向かおうとするペイズリルから制服をひったくる。
「あなたがいたんじゃ余計に面倒なことになります。あなたは座席の掃除」
「冷たいっすね・・・」
レイチェがドアを開くと暗い貨物室に光が注ぎ込まれる。左手にある電気のスイッチをつけると人間の不愉快そうな唸り声が聞こえた。
「随分とよく寝てるみたいね。起こしてごめんなさい」
犬たちからの餌を期待するまなざしを尻目に二人の許へ行く。どうやら起きていたのはうるさい方だけなようだ。
「寝ないとオバサンみたいに肌のコンディション最悪になるからね」
這い出してきたうるさいほうが足元からじろじろと睨んでくる。
「あら、そう。洗顔もしてない人に言われたくはないわ」
「誰のせいだと思ってんだよ!!」
「あなた、立場をわきまえるってことできないの?」
ほんと、金持ちってどうしようもない連中ね。そう思いながらレイチェは小さな鍵を取り出してゲージの錠を外した。
目を丸くするリンディロッドにレイチェはこう付け足した。
「逃がすわけじゃないわよ、早く出てきなさい」
「だったら、どういうつもり?・・ボクたちは荷物ってことになっているんだろう」
リンディロッドが恐る恐るゲージから這い出すとレイチェは女性にしては力強い腕で細い彼の体を引っ張り起こした。
「残念だけれど、こちらには知り合いがいません。それに、この国は出るときより入るときのほうが煩いですから」
そう言いながら両手を縛ってある縄をほどくと脇にあった青い制服を彼に手渡した。
「10分以内にこの服に着替えてください。右胸にこの名札をつけて、今着ている服はこちらに渡しなさい。そちらの青年もちゃんと起こして同じようにさせなさい。」
レイチェはリディックのゲージの鍵を開けるともう一着の服を置いて部屋を出ていってしまった。リンディロッドはぶつくさ言いながらリディックの眠っているゲージを思いっきり蹴った。
「朝だーっ、起きろ〜!!能無し起きろッ!!」
何回か蹴ったところでリディックがよろよろしながら這い出てきた。寝不足で酷く無様な様子をリンディロッドはひとしきり笑ったあと乱暴に紐を解いてやった。
「それにしても、何さあの女!コスプレが趣味だっての?カワイイボクと同じ衣装を着たら惨めになるってわからないのかなァ」
狭苦しい場所で凝り固まった体をほぐしつつリンディロッドは渡された服を見た。
「フラインの添乗員のスーツか。こんなダサいの着たくないんだけどなぁ」
「おおぉ」
リディックはどういうわけか渡された名札を見て目を輝かせている。
「ナニこれ。あいつらこんな物まで偽造したってわけ・・」
その名札は顔写真、名前、所属している運び屋の名前が記された、本物にしか見えない偽物の添乗員名札であった。
名前は偽名を使われていたが、顔写真は生徒手帳から抜き取ったものを加工してあるのでほぼ完璧な運び屋の名札だ。
「ボイストン=ゴンザレッセイ・・なんて重そうな名前なんだ。華麗なボクに合わなさ過ぎる!能無しのは・・ショーリー=サイフォ・・風速1mで吹っ飛んでいきそうじゃん」
横からからかわれているのにも関わらずリディックはそのネームプレートを見ながら、まるでおやつがたくさんあるテーブルを見た少年のように目を輝かせていた。
「アーク運送・・フライン乗務員見習い・・」
「ダメだ、こいつ」
着替えが済んで部屋で待っているとしばらくしてレイチェが入ってきた。
「これからあなた方には添乗員見習いとして空港に降りてもらいます。ばれるでしょうから先に言っておきますが、ここはシェダッサです」
「シェダッサ?」
リンディロッドは地理に非常に弱かった。
「アルニニレイズの東側に位置するゾイ砂漠を越えた街です」
「南回り?」
リディックが挙手して尋ねる。
「はい」
リディックが自分にわからないことを口走るのは非常に腹が立つものだったが、リンディロッドは疲れていたので大人しくしていた。
「我々はあなた方が大人しくなさっていれば何も危害は加えないつもりです。昨日はあのような形になりましたが今夜からはホテルをとってありますし、そこで宿泊してもらいます。目的はまだ言えませんが・・悪いようにはしません。ですから空港を出る際は自然に振舞っていただきたいのです」
「・・それってさあ、ただ単に空港を無事に出たいだけの言い分じゃないの?出た途端また犬のカゴにぶち込むんだろ」
「信用していただけないのは承知の上です。でも、わたし達を信じてほしい」
「誘拐犯を信用しろっての?ばっかじゃない!何を言い出すかと思えば・・それにねえ、犬んとこぶちこまれたのもあるけど、それ以前に殴られた恨みだってあるんだから・・・」
リンディロッドが突きつけた指と交差するように突き進む銃弾は貨物室の壁に小さな穴を開けた。鋭く睨むレイチェは微かに微笑んでこう言った。
「――ならば、仕方ありません。あなた方にはここで死んでいただきます。わたし達はあなた方の死体をばれずに処分することもできる」
「さっ・・最初っから協力するつもりでしたよーんだ!安心してくださーい、ボクたちは何でも言うことききますからっ!」
先ほどの銃声に驚いたペイズリルが箒に雑巾をたずさえたまま貨物室に勢いよく飛び込んでくる。
「アーッ!レイチェさん撃っちゃダメっていったじゃないっすか!貫通したらどーするんすか!!」
慌てまくるペイズリルを尻目に、彼女は続ける。
「いいですか、ここから外に出たとき少しでもおかしな動きをしてみなさい。目撃者もろとも射殺します」
レイチェに吼える犬の声がこだます室内はそれほど暑くもない。しかし、リンディロッドとリディックには額に汗が浮かんでいた。乾いた喉で唾を飲む。
(この女、目が本気だ・・)
「では我々は先に降ります。あなた方はわたし達についてきてください。あなた方は常に見張られていることを忘れないで。ペイズリル、あなたもついてきなさい。荷物はリーダー達に任せましょう」
「これいーんすか!?ばれたらやばいっすよ!」
「帰りの便までにどうにかしといてください。さあ、行きましょう」
彼女はなめされた皮の大きい鞄を軽々と担ぎ上げると入り口近くのペイズリルを押しのけて搭乗口から降りていった。それに続く3人。機体から地面へ続く階段がやたら長く感じられる。
どう見ても、この犯人達は若い。ということは首謀者はまだ別にいるのだろう。どれぐらいの規模で行われている誘拐なのかもわからない。わかったことは、犯人は自分たちに自らの正体を知られても構わないということ。
熱された空気が蜃気楼を作り出し、滑走路の先に続く砂の大地を歪ませている。まだ日が昇ったばかりだというのに鋭い日差しが人々の肌を焼く。
手荷物検査などを簡単に済ませると広い待合室に出た。そこは早朝だからか、人はほとんどおらずガランとしている。ちらほら見かける現地の人間は鮮やかな布を頭から被り、そこから覗く濃い褐色の肌は自分たちのものとは全くちがった。
居心地が悪いのはこの建物に空調設備が無いからでも誘拐犯に脅されながら歩いてるからでもなく、その黒い顔に宿るのが自分たちを呪うかのような表情だったからだ。
空港を抜けると黄色いタクシーが長い列を作っているところへ出た。空港の壁沿いには貧しい子供が細い足を抱いて大きな黒い目で見つめている。何人かはカタコトで荷物を持つと集まってきたが、それ以外の子供はぼろきれに包まってうつろな目をこちらに向けているだけだった。
ペイズリルがその子供たちを押しのけてタクシーの列のずいぶん後ろに停めてある黒いバンへと走る。運転席には二本の足がにゅっと飛び出しており、ペイズリルのしゃがれ気味の声に反応して足を引っ込めた。
運転手は体勢を整えると車のキーを回してエンジンをかけ、砂利道にタイヤをがたがた言わせながらレイチェの許へとやってきた。
「時間キッカリ、うまくいったみてぇだな」
ミラータイプのサングラスをつけたその男の肌は褐色で、タンクトップから伸びた逞しい腕にはカラヴァーニアの伝統的な刺青が施してある。短く刈られた黒い髪は日に焼けててっぺんが茶色くなっている。
「ええ。父さん達はもうすぐ来る。車、停めといてくれた?」
レイチェは車の助手席に乗り込むとシートベルトをしめる。彼女の言葉はアルニニレイズでは使われていないもので、いわゆる小学生が博物館でもらうプリントに書かれているような”原住民語”だった。
もちろんそんな言葉がリンディロッド達に理解できるはずもなく、正体不明のこの連中から逃げる希望をさらに失っただけでしかない。
「さー乗った乗った!あんま外いると日射病になるっすよ!」
二人の背中を陽気に押すペイズリル。しぶしぶ乗り込むと車内は窓が開けっ放しだったにもかかわらずものすごい暑さだ。
「のわっつ!!熱すぎるよ!クーラーつけろバカッ!」
「ソンの坊主、この車にクーラーなんてついてないぜ」
運転席の男は後ろをむいて馬鹿にしたようにリンディロッドに言った。
「クーラーがついてない車なんてあるわけないだろぉーっ!」
「こっちじゃ付いてるほうが珍しいんすよ」
「この気違い!!」
車はゆっくりと動き出す。先には道路などは敷かれておらず小石の混じる砂の地面を車体を躍らせながらゴロゴロ進む。
リディックはドアに寄りかかって開いてある窓から外を見ていた。リンディロッドはぶつくさと不満を漏らしていたが、リディックにとってはちょっぴり楽しい冒険だった。
乾いた砂が風に巻き上がり、青く広い空がどこまでも続く。近くのサボテンは上に上に伸びて、遠くの街は蜃気楼で歪んで見える。道が悪いので何度も窓枠に頭をぶつけながらもそれを食い入るように見つめていた。
「能無し、オマエ授業で原住民言語とってたろ。ソンの坊主って一体なんて意味なんだ?」
偉そうにふんぞり返って座るリンディロッドが横からこっそり尋ねてきた。顔を車内に戻してリディックは応える。
「ソンは、こっちで”薄い”って事です。委員長、髪薄いから」
リンディロッドはグーで思いっきり殴った。
「ボクはハゲてない!!」
「さっき街でパン買っといたぜ、坊主達も食うか?」
「髪の色が、です」
前の席の男からパンを受け取りながらリディックは続ける。そのパンはトウモロコシを使ったもので、表面がかさかさしている。
「そんな気持ち悪いモン食べるなんて信じられない」
「美味しいっすよ、ボイストン君も食べないっすか?毒なんて入ってないっすよ」
「そんな名前じゃない!!」
「私が決めたのに文句でもあるんですか?」
リンディロッドが何か言おうと腹にちからを入れた瞬間、彼の腹の虫は大きくわめいた。
「グー、ですか委員長。実はお気に入りなんですね」
「うるさい!死ね、今すぐみんな死ね!!」
車が走り出してから20分ほど経ったころようやく街についた。
街といっても二人の住んでいる車がびゅんびゅん走り回っていて近くに繁華街があったりビルやホテルが立ち並んでいるようなものとは程遠く、あるのはせいぜい1階が店舗になっている3階建ての小さなマンション。たまに5階建てのビルがある程度で、車では入れない細い横道がたくさんあり、奥にもたくさんの民家があるようだ。
街は全体的に乾いており、かろうじて舗装してある道路は殆ど車が通っていないのだろう、砂がかぶっているし、建物も土レンガに赤や茶系の自然な塗装を施したものが立ち並んでいる。
道幅は広いが街の中心部に行くにつれ賑やかになり、店舗が増えていくので道脇が簡単な市のようになっていて車にはつらい道のりだった。
やはりここの住人は鮮やかな衣装をまとった濃い肌色を持つ人々。リンディロッドは自分はよそ者なのだと、運転席と助手席の間にあるミラーを覗いて再認識した。
外を眺めていたリディックはその中にひとつ、市から少しはなれたところに大きな建物をみつけた。周りの建物と外観を似せようとしているが溶け込めていない大きなホテルだ。
「あー、ゴールドカイザーホテルだ」
「こんなへんぴな所、おっと。こんな所にもあるんだねぇ・・」
車は街中を突っ切ったところ、ゴールドカイザーホテルが目の前に迫る場所で停車した。この辺りはあまり人通りはなく雑然としており、脇に何軒かお土産屋があったり、小さなホテルがあるくらいである。
リンディロッドはリディックを押しのけて窓から顔を突き出した。
「もしかして、とってあるホテルってのは・・・!」
膨らむ期待に車から飛び出しそうなリンディロッドにレイチェは
「このホテルです」
ゴールドカイザーホテルの反対方向にある、規模は50分の1程度の正真正銘土レンガ造りの小さな建物を指差した。
「ぢきじょ〜!目の前にゴールドカイザーがあるってのに、なーんでこんな汚いホテルにとまんなきゃなんないんだよ!!」
「それは、もちろん、おれ達は誘拐されている身だからです!」
「るさーい!!黙れえっ!!」
涼しい窓際で椅子に座っているリディックにリンディロッドはコーラを投げつけた。
「しかも何でコイツと同じ部屋・・」
「それは、もちろん、おれ達が誘拐ッ!!」
リディックが言い切る前に、リンディロッドはペプシを投げつけた。
二人に与えられた部屋というのはゴールドカイザーホテルの目の前にある安ホテルの一室だった。
かなり古いらしく、壁にはひびが入っていたりベッドのスプリングは壊れていたりで、挙句の果てに安い芳香剤から悪臭が漂っていた。(これは先ほどリンディロッドが窓から投げ捨てた)
部屋の前には犯人一向が交代で見張りをしているので出かけることはもちろんできない。何時間かあとに呼び出されるはずだが、二人とも話をよくきいてなかったのでわからない。
「シャワーにはくもの巣張ってたし、タイルが割れてるし・・」
リンディロッドは先ほどシャワーを浴びた時に虫を踏んづけた事を気にしてスプリングがマトモなほうのベッドの上でずっと足の裏を拭いている。
「へえ、見てませんでした」
リディックはいつもの調子でのんびりしている。
「これだけカイザーホテルが近かったら、逃げるの簡単そう」
「どーゆーことだよ」
「ほら、ここ3階だし上手く降りればあっちまでひとっ走りで・・」
「そうか!あそこなら言葉だってバッチリ通じるし、電話もあるはずだ。あのババァ、この辺りは電話なんてつながってないわよぉ〜みたいなコト言ってたけど、これはもうボク達の勝ちだ!」
「今脱出しますか?」
ロープに出来そうな布を探すリディック。リンディロッドは考えた末にやりとしてこう言った。
「一応あのアホ達の誘拐の理由とやらを聞いておいても損は無いからね」
「そうですね、あのアホ達の誘拐の理由は聞いてみたいですね」
「アーハハハハハ」「はははははは」
部屋の中から聞こえてくる高笑いにドアの見張りをしていたペイズリルは
「やっぱりあの芳香剤、ヤバかったっすかね・・」
と、呟いた。
夜が来た。ガンガン照りつける太陽は西に沈んで、温度はぐんぐん下がり、ついたときはいらないと思っていた備え付けの分厚い布団でリンディロッドは居眠っていた。
昼食はペイズリルが買ってきたちょっと辛いホットドッグ、おやつは(リンディロッドがよこせと煩いのでペイズリルが買ってきてくれた)辛くないホットドッグだった。
ソーセージが大嫌いなリディックはパンしか食べてなかったので、夕食こそはとシーツをかぶったままドアの前でうろうろしている。
扉の向こうから足音が聞こえたかと思うとあちらからかけてある鍵が開いてレイチェが部屋に入ってきた。レイチェの後ろにいるのは知らない男。リディックはあとじさって窓際のよく軋む椅子に座った。
埃っぽい室内、彼らの靴についた砂が床に散らばり、そこを踏みしめるブーツを履いた日に焼けた色黒の足。
椅子を引いて重い腰を下ろすと彼はこう切り出した。
「単刀直入に言おう、君たちをかどわかした理由は我々の仲間を助ける為だ」
ベイシュが吸っていた煙草を灰皿に押し付けて消すと、新しい煙草に火をつける。
煙越しに見えるリディックは動じた様子もなく、穏やかな目でこちらを見つめていた。
「お友達も起こしてくれるかな」
「お友達ってわけじゃあないですから」
「・・・ペイズリル、彼を起こしてくれ」
ペイズリルが眠っている青年を揺り起こす。寝起きのリンディロッドは非常に機嫌が悪く、空いていた椅子にどっかり座ると下唇を突き出して一言。
「何」
「おれ達を誘拐したのは、仲間助けるためだそうです」
「へぇー、それで」
ペイズリルの淹れてくれた紅茶がテーブルに並ぶと、乾いた喉を潤すようにリンディロッドは一気に飲み干した。思ったよりも美味しい。
「リンディロッド、君のお父さんは最高裁判所長官だ」
空のカップを持つ手がピクリとして、青年の顔が微かに翳る
「それが?」
「ところで、1ヶ月ほど前にドシレクリン市内で起こった事件を知っているか?」
「テロ、ですか?選挙運動中の立候補者を含む十数名が爆発で死亡したっていう」
「そうだ。主犯とされているのがシヴォ=ヨクスエン容疑者。殺された男と同じ選挙区で立候補している一人だ」
煙の充満した室内だというのに、レイチェは窓を閉めた。
「彼は、明日の2時からアルニニレイズの最高裁判所で裁かれる」
「仲間というのは、そのテロリスト・・」
不快感を露にしてレイチェはリディックに銃を突きつける
「テロリストなんかではないわ!」
「レイチェ、その癖はどうにかしたほうがいいだろう。銃はそこに置いておきなさい」
「でも、父さん!」
父親の咎めるような目は口以上にものを言うらしく、娘は部屋の隅に銃を置いた。
ベイシュは険しい顔つきの中で異色を放つ潤んだ青い目で二人を見る。
「ああ、彼はテロリストではない。第三者によって冤罪を被らされようとしている。明日提出されるのは偽の証拠、それに曖昧な目撃証言。しかし、我々は彼が無実である証拠を持っている」
「その証拠テープはもうヨクスエンさんの弁護士に送ってあるっす。でも、証拠の数や世論からしてこちらは圧倒的に不利っす」
「そこで明日の裁判の判事であるリンディロッドの父親、アーノルド=ベゼリル氏に協力してもらいたく、君を誘拐した」
組んでいた足を下ろし、リンディロッドは静かに立ち上がる。
「だったらどうしてボクなんだ?兄のワイデンもいるし、末のキャニィなんて攫うにはもってこいだろう」
「この誘拐は誰も気づかない形で進めておきたいのだ。誘拐犯に脅されて、という形ならば判決を取り消される可能性がある。その点君は父親と一緒には住んでおらず、突然別荘を転々としたりするそうじゃないか」
「じゃー自分はただの巻き添えなんですよね」
リディックは忘れられたころに挙手をする。
「リンディロッド君さらおうとした時丁度君が来たんすよ。申し訳ないっす」
「彼の無実を口で言っても仕方が無い。ここに証拠品のコピーテープがある、新聞の情報と比較して見てもらいたい」
暗い室内で青白く光る小さなオンボロテレビには、爆破された選挙事務所の隣にある宝石店の監視カメラの映像。しばらくすると大きな荷物を持った不審な男が現れた。
辺りを窺いながら事務所に入っていく。数分すると男は出てきたが、先ほど持っていた大きなバッグは見当たらない。
リモコンを使ってビデオは逆再生され、男が出てきたシーンで静止する。
「新聞の情報では、ヨクスエン容疑者は自らの手で爆弾を運び、仕掛けたということになっている。これはその時間帯だけ彼のアリバイがないことから推測された。しかし・・この映像の人物は・・」
ベイシュは男が事務所に入る寸前のところで映像を止める。
「薄い肌の者だ。ヨクヴェン容疑者は見ての通り・・」
リディックは手渡された新聞の彼の写真を見る
「彼は誇り高き太陽の肌の一族だ」
リンディロッドは前を見ていた。映像の、もっと先にある何かを見ていた。テレビのちらつく明かりが彼の白い肌を不気味に照らす。
「しかし、これでは彼が第三者に頼んだということにしか繋がらないのでは?」
「そうだ。しかしこれで多少の時間は稼げる。その間に我々はこの人物について調べる。なに、ほかの立候補者を叩けば埃は幾らでも出るだろう。太陽の肌の一族を忌む者は多いようだからな」
短くなった煙草を灰皿に押し付けて、ベイシュは少し目を伏せた。新しい煙草を取り出す。
「ヨクスエンさんはオレも一度しか会ったことはないっすけど・・みんなが平等に幸せに暮らせる事を第一に考えて生きてる人っす。この国の歴史の溝を埋めようと頑張ってる人っす!」
「だからこそ、敵も多い。自分達の城を崩されまいと太陽の人を入れようとしない。馬鹿にしているようだけど、本当は違う。恐れているんです、我々を。出来ることなら貴方達を巻き込むようなやり方はしたくなかった、彼の思想に反する事だから・・それでもこの方法しかなかった」
「君の父上には悪いが ――説得してもらえないだろうか、リンディロッド君」
彼に注がれる視線。何を見ているのかその端麗な横顔からはよく読み取れない。長いまつげに光が散乱している。
リンディロッドはゆっくりと口を開く。
「やーりーまーすーよぉ。説得しなきゃダメなんでしょ。誰だって、自分が一番可愛いですからね」
ペイズリルはリンディロッドの冷たい手を握って感激をあらわにした。
「ホントっすか!?」
「もちろん」
「君ならわかってくれるとは思っていた。ありがとう、リンディロッド」
「でも」
安著の溜息が漏れる穏やかな空気が一瞬凍りつく。
「あの人だって一番自分が可愛いんですから」
AM3時、アルニニレイズ ベゼリル邸宅
リンディロッドの父親、アーノルドは自室のふかふかのベッドでいびきを掻いていた。
広々とした室内は寝室と書斎とに別れており、大きなデスクの上には目を通した書類が散乱している。
美しい調度品に美術品の数々・・しかし部屋の主はそれらと比べると酷く脂ぎった顔の男だった。
突然、金で装飾された黒い電話が大きな音を立てて鳴り出した。耳障りなその音に目を覚ましたアーノルドは悪態をつきながらデスクに置かれた電話へと向かう。
「何だというのだこんな時間に!」
目やにを掻きだしながら髭の太った男は唸った。
「やぁ、パパ元気?」
電話の先の息子の声はあまりにも暢気だった。
「リンディロッドか!?今何時だと思っておる!また海外に行って金がなくなったのか!!」
リンディロッドは電話のコードをくるくると指に巻いて遊びながら寝そべって電話をしている。しかしそんなのは電話の相手にはわかりもしない。
「やだーそんなわけないじゃん。ちょとさぁ、誘拐されちゃったみたいで〜」
「またそんな遊び覚えおっ・・・・誘拐といったか?」
「安心しなよ、身代金はいらないって」
電話の先からの溜息。この守銭奴め。
「・・何が目的だというのだ?」
「明日の裁判」
口調を心なしか強めるリンディロッド。
「明日の裁判、あるでしょ2時から。それで、被告人を無実にしてほしい」
「そ、そんなことできるわけないだろう!私には真実を法廷で見つけるという義務が・・」
「え?可愛い未成年を見つける?何の話だよ」
「犯罪者の片棒などかつげるわけ―――」
「パパ、何も知らないのはワイデンとキャニィだけだよ。パパは立派な犯罪者だ。人身売買は犯罪じゃなかったっけ?ボクの思い違いかな」
「・・・・」
「ここには電話がある。情報を売るのは簡単だ。どうする?」
長い沈黙。小刻みに揺れる唇はリンディロッド。もちろん、電話先の相手にはわからない。アルニニレイズのコウモリが小さく羽ばたく音。汗ばんだ手から受話器が滑り落ちそうになりながら、父親は言った。
「・・・・・・・わかった、明日の裁判、被告人は無実にしよう・・」
こみ上げるのは喜び?悲しみ?震える唇をかみ締めて、自分にもう少しがんばれと言い聞かせる。
「さっすがボクのパパ!話がわかる人だね。無実に傾けられるような証拠もちゃんとあるみたいだから安心しなよ」
戻れないあの場所に
「・・じゃあ、サヨナラ」
受話器を叩きつけるように戻すと、リンディロッドはそのまま布団に丸くなった。
「・・うまくいったんすか?」
ペイズリルは心配して彼を覗き込む。顔は布団に押し付けているので見えないが、小刻みに震えてるのがわかった。
「うまくいったよぉ〜、さっすがボク・・・」
「父さん!」
レイチェは二人が今まで見たことの無い笑顔を見せて、原住民語で父の名を呼んだ。
「ああ、やった。これで彼は・・・」
感極まる中、リディックはリンディロッドを見た。彼はまだ布団の上で丸くなっている。緊張がとけてほっとしたのかとも思ったけれど、どうも違うように見える。
「委員長、大丈夫ですか?」
長く座って暖かくなった椅子から離れると夜の風が頬をなで、そしてリンディロッドのやわらかい髪を揺らす。
彼はがばっと起き上がる。その顔には悲しみや楽しさとは違う、いわゆる”狂っちゃった笑顔”でいっぱいだった。
「リディック」
鼻水やら涙やらが顔にべったりとついた顔。汗で髪の毛が額に張り付いて、それでも口角はつりあがり、目は視点を合わせないまま見開いている。
友人の無事が保障された穏やかな空気にそぐわない、物騒な言葉。その言葉は、憎きクラスメイトにしか聞こえなかった。
「―――ダメだ、もう家には帰れない。あの男はボクを殺しにやってくる!」
翌日、滞りなく裁判は行われた。
約束どおり、シヴォ=ヨクスエン容疑者は有罪を免れ、判決は持ち越しとなった。
ベイシュ達は大きな組織の中のひとつであるようで、裁判が終わった報道を見ている頃にもまた新たな情報がこちらに送られてきた。
確実にヨクスエンの無罪が手にとって見えるようになってきたが、そんなことはリンディロッドには何の関係もなかった。
誘拐されてから3日目の朝。
「委員長」
リンディロッドは窓枠に肘をついてその先に広がるゴールドカイザーホテルの異形な建物をぼうっと眺めていた。日差しを受けて白く照り返すその建物は小さな町に忽然と現れた膨張し続けるチーズのようで禍禍しい。リディックは彼に先ほど自分で入れた冷たい紅茶を渡す。
しかし少しこちらを振り返ったかと思うとまたホテルに視線を戻す。受け取ろうとしないので、仕方なくテーブルにそれを置いてリディックは椅子に座る。
「ボクはもう学校をやめる。だから委員長なんて呼ぶな」
よく眠ったおかげで目やにやらなんやらで目が開きにくい。目をこするとカスカスの目やにが風に乗った。
「どこに行くんですか」
リディックはテーブルのティーパックなどが入った籠の中に並べてあるガムシロップをひとつ取って紅茶に入れた。
「さぁね・・ホワイトランドに住むママのとこに行くことになるだろうな。あんな寒いところ死んじゃうよ」
「あんな北に?もう会えませんね」
もう2個、ガムシロップを空ける。
「ラッキー、清々する〜」
さらにもう3個、ガムシロップを空ける。とろりとした蜜が紅茶の底にたまって透明な領域ができた。
「そうですね。リンディロッドさん」
先ほどから計6個のガムシロップを入れた紅茶にストローを挿して渡す。氷がぶつかって涼しい音を立てる。
「わかってんじゃん」
それを受け取ったリンディロッドはよく混ぜてから美味しそうに飲んだ。
「あいつはボクの命では動かない。ボクはあいつの子じゃないからね」
開放的な大きな窓には細い木をたばねた庇がついており、そこから漏れる光が心地よく、ぼろいながらもよく考えてつくられた室内は風通りがよく涼しい。
窓際の椅子に座る二人は快適な朝を過ごしていた。
「ボクの親はどちらも適当な人間だった。父も母も好き放題して、種違いやら腹違いの兄弟はたくさんいるみたいだ」
紅茶の入った大き目のグラスを持ってストローでかき混ぜる。慰めるような甘さ。
「あいつらはもう別れたんだけれど、ボクはこっちに学校があったからアルニニレイズに留まった。馬鹿なあの男も成長するほどに美しくなるボクを見て自分の子供じゃないと確信した。ボクは昔っから知ってたけどね。――父のやってることも、5年くらい前から知ってた。同じ家に住んでいて気づかないことは殆どないさ。もちろん、兄や妹も知っていたけれど、知らないと電話で釘を刺しておいたからあの二人は父にいびられることはないっしょ」
ストローのはしを噛みながらリンディロッドは言う。
「兄弟想いですね」
「あいつら馬鹿で不細工な上に逃げる場所もないからね」
ゴトリとグラスをテーブルに置くと椅子にもたれる。
「あの男は何より自分が可愛いんだ。ヤツに正義だとか子供の命だとかほざいたって無駄なんだ。自分を脅かす要素をボクが持っていることをいわなくちゃ。未成年の人身売買なんて週刊誌に売られたら降格どころじゃないだろうからね。これはボクがひとり立ちする時の切り札としてとっておいたんだけど使ったものは仕方ないし」
「そして、これから危険要因を野放しにするわけないってことですね」
飲み終わらない紅茶を置いて、リディックは手についたガムシロップをグラスの水滴で拭った。
「そーゆーこと。絶対殺しに来るよ。誘拐犯は射殺してもかまわないだとか言ってさ、そのとき一緒に蜂の巣だろーね」
「おい、坊主ら!もう帰れるってよ!用足すなら今だぜ」
ノックもなしに入ってきたのは通りのいい太い声をもつサングラスのタンクトップ男。都会のサーフィン野郎でもあれほどの夏男は滅多にいない。
「へーい」
「じゃあ伝えたからな!」
白い歯をにっと出してこちらに笑いかけるとドアをあけたまま出て行ってしまった。
「あの人たちもおれ達も助かるには」
心地のよかった椅子を離れてドアに向かう。荷物も上着もないこの旅行はチェックアウトが簡単でいい。
「そう、僕たちが単独でアルニニレイズに帰り着くしかない」
男の大きな足音を追って急な階段を下りていくと狭いロビーに出た。明るい室内には南国の派手な色彩の花がフロアの中央に置かれており、人のよさそうなおばさんがモップでせっせと床を磨いている。来たときも通った場所だが、けして趣味は悪くない宿だと思えた。軽快なBGMが心地よい。
ベイシュ達と知らない二人が話しこんでいる。いずれも男、30代半ばといったところで褐色の肌に皆とすこしだけ違うデザインの運び屋所属”パイロット”の制服を肩で羽織っている。
「坊ちゃん達連れてきたぜ」
二人は元々無口なようでにこりとも笑わず会釈を返す。涼しいホテルを出て日のよく当たる駐車場に停めた一台のバンと新たに増えていた黄色いトラックへと乗り込んだ。
昨日と同じ道をゆっくりと走る二台。バンのほうに昨日の人数に加え1名後ろの座席に加算されたことにより車内はより窮屈になっていた。おかげで窓際のリンディロッドが終始、ぶつぶつと悪態をついている。
「だーかーらー、ボク達二人で帰れるから、他の便のチケットかってよー」
「何度もいってるでしょう、あちらにいくには身分証明が必要なんです。あなた達は我々の見習いとして同行することになっています」
「それじゃあダメなんだってー・・」
「大丈夫だ、君たちがあの便に乗っているのはわからないようにしてある」
助手席のベイシュがなだめる様に言う。
「ほんとかよ・・・」
まだ午前9時を回らない時間帯なので空気はさほど熱されておらず、わりと快適なドライブだった。
あの日の晩から、渡された食事に手をつけないで布団の中で(ペイズリルに要求して無理やり買ってこさせた)お菓子ばかりをヤケ食いしていたリンディロッドも流石に空腹に負けたようで市街地の出店で買った玉葱のたっぷり入った辛いタコスを一口目は躊躇したものの誰よりも早く食べきった。
大きなゴールドカイザーホテルは遠ざかって小さくなる。遠くから見ても街に対する威圧感というか、場違いも甚だしいところは変わらないものだが。
指に付いたタコスの辛いソースを舐めながらリンディロッドは雲ひとつ無い空を見ていた。
誘拐犯と被害者の相乗りとは思えないほど、それはおだやかなドライブだった。しかし・・・
いつのまにやら手入れの悪い車が三台ぴたりと距離を離さずにこのドライブに参加していた。
気味の悪いそれらの車の一台から顔を覗かせた男。頭には汚れたバンダナ、顔は埃にまみれて汚く、手にはライフルを構えている。車から身を乗り出して物騒なものを発砲させる。
タイヤが吹っ飛び、ガタガタと車内は激しく揺れる。弾けたタイヤの後輪が地面に擦れて砂を削りながらスピンする。
「なんだっ!?」急いでハンドルを切る運転手。トラックにぶつかりそうになったもののどうにか停止した。
舞い上がる砂煙。回る車内で後部座席の端にいたリンディロッドは隣に座っていた3人に押しつぶされて悲鳴をあげる。三台の車は猫を挑発する犬のようにぐるりと二台を取り囲んだ。先ほどの狙撃手がライフルをつきつけたまま運転手に話しかける。
「ちょっくら兄さん達、金出してってくんないかなァ!?おーっと、出し惜しみすんじゃねえぞ、早くしねェとそのオツムが弾け飛ぶぜ!」
威勢のいい強盗は汚らしい口で唾を飛ばしながらそう言った。強盗の仲間の口笛が腹立たしい。
「何、あのブサイク」
潰されて泣きそうになったリンディロッドが独り言をいう。
「おいおい、俺達に金目のモンなんて要求するな、あっちいった」
サングラスの男は窓から乗り出して追い払うような仕草をする。
「うるせえ!後ろにソン連れてんだろうが!早く出さねえか!!」
後部座席に座っていたレイチェが窓から頭を出す。
「悪いけど、正真正銘の太陽の民よ」
男のライフルは前方車輪をはじけ飛ばし、車はさらに傾いた。汚い口元が笑みを浮かべていやらしい目つきでレイチェを見る。
「ねえちゃん、つくならもう少し賢い嘘つきな」
睨みつけるレイチェ。そして、呆れたというように溜息をついた。彼女はとても短気だ。
腰のウエストバッグに手を突っ込んで取り出したのは重い銃。安全装置をはずして狙いを定めて発砲する。わずかな短時間のこなれた作業。男のふざけた顔は空を仰ぎ、そして車内に倒れこむ。
銃を構えたまま、前を見据える彼女の目には怒りと、ちょっぴりの茶目っ気が宿ってた。
「私はソンなんかではない」
倒れた男は言い返さなかった。言い返せなかった。今できたばかりの額の穴からは新鮮な血が流れる。ぴくりとも動かないその顔に、同じ車の運転席にいた男が遅い悲鳴をあげる。
「何しやがるアマ!!」
仲間の死亡により飛び出してきた男達。しかし、パンパンと乾いた銃声が響くと共に、かっと目を見開くと痛みに顔を歪めて、手に所持した得物を発砲することなくバタバタと倒れていく。その先にはトラックに乗っていた二人の運び屋の姿があった。
銃口から煙がなびく。
「さすが飛行士さん。判断がすばやいね」
サングラスの男は車から出てうずくまる男たちから銃を奪っていく。まだ息はあるようで、打たれた箇所を押さえてもがいている。ぼたぼたと鮮血が乾いた砂に落ちて染み込んでゆく。
「我々も言ってみれば軍の横流れ品ですからね」
飛行士の男はトラックに乗り込み、車を発進させて前に停められていた犯人達の車を無理やり押しのける。すると車内から小さく叫び声があがり、愚鈍そうな丸い男が転がり出てきた。
「まだいたようだな。武器だけ奪って逃がしてやれ」
ベイシュの一言で飛行士は構えた得物を下ろす。脇からやってきたサングラスの男が腰が抜けてよたよたと情けなくのた打ち回るそれから拳銃とナイフを引ったくった。
タイヤを見て愕然とするペイズリルは犯人の車を使おうと提案した。ちょうど一台キレイなままで残っていたものがあったのでそこに乗り込むことになる。犯人の盗品と思われる荷物やらなんやらを降ろしてもさほどスペースがない。
「ちっちぇえ車だぜ、こりゃ5人しか無理そうだな」
「じゃあオレがトラックの荷台に行くっす」
「なんなんだよ・・もう・・・」
車の中でじっと頭ををもたげている青年。温室育ちのリンディロッドは人がどんどん撃たれていく状況に軽く吐き気を覚えていた。そして同じような身の上の割には隣でケロっとしているリディックが不思議でならなかった。
「リンディロッド君、大丈夫すか?」
ペイズリルは窓からリンディロッドを覗き込む。
「なんとかね〜・・」
車のドアを開けるとペイズリルの額に窓枠が当たった。こりゃまた、痛そうな音が響く。
「――――リンディロッド?」
吹き荒ぶ風の中にはっきりと聞いた名前。腰が抜けてよろめく不恰好な男は轢かれないよう道の脇に逃げる中でその名前を聞いた。
車から出てきたのは白い肌がまた一段と青白くなった美しい金髪を持った顔立ちのいい青年、額を押さえて痛がる男を無視して新しい車へ向かう。まぎれもなくリンディロッド=ベゼリルであった。
「じゃあなー、もう強盗なんてやるんじゃねーぞー」
発進した車は道に倒れている何人かを轢きながら荒野の道を進んでいった。
目を見開いたままの額を打たれたバンダナの男を運転席から引きずり出して地面に捨て、汗だくの太い男は運転席にどっかりと座る。
「おい、オマエ・・病院に・・・」
道に打ち棄てられた仲間を無視してドアを閉める。こいつらに構ってる暇はない。男の目には先の利益しか見えていなかった。行ってしまった車の反対方向へと進路をとる。
「有力な目撃情報にも金を出す・・・・本当はツイてるかもな、オレ」
車の助手席に置いてある今朝の新聞をちらりと見る。お尋ね者欄の見出しにはこう出ていた。
『アルニニレイズに住むリディック=ジェイド氏を誘拐した容疑者リンディロッド=ベゼリル指名手配。有力な目撃証言には5万ロウス、捕まえた者には100万ロウス。(生死問わず)』
「へえ、この辺りでもラジオって聴けるんだ」
車は何事もなかったかのように空港までの長いドライブを楽しんでいた。
「この辺りは一応国道だ。みえなくってもな。砂漠の真ん中じゃ荒れてしょうがねぇ」
運転席のサングラス男はラジオのつまみを回して局を変える。アルニニレイズで流行りのアップテンポな曲が瞬く間にしてニュースの重苦しい声に変わる。
「あっ、何すんだよ!!」
「坊主、こんなつまんねー歌聴いてたら立派な大人になれねえぜ」
「自分が犯罪者だってわかって言ってんの?」
『ここで今入ったニュースをお伝えします』
「ん、何だ何だ」男はラジオの音量を上げる。
『今朝指名手配された、アルニニレイズに住むリディック=ジェイド君を攫ったとされる誘拐犯、リンディロッド=ベゼリル一味は先ほどシェダッサ周辺に居ることがわかりました』
「「「リンディロッド一味!?」」」
車内の視線が一気にリンディロッドに注がれる。
「・・・どーゆーこと?」
『警察はシェダッサ周辺の高速道路、空港などを封鎖。引き続き犯人の行方を追っています。シェダッサ市民のみなさんも、このような人物を見かけましたらカラヴァーニア警察に御一報を!有力な目撃証言には5万ロウス、捕獲者にはなんと100万ロウスです!!なお、生死は問いませんよ!一攫千金のチャンスです!!』
どうやら地方放送のニュースだったらしい。みながそんなことを頭のはしっこで考えながら車はゆっくりと停止する。
ベイシュが日差しのきつい車外へ出てトラックを無線で呼び止める。
「・・・ボイストンさん」
リディックがすっと隣にやってきて話しかける。
「今更偽名で呼ぶな」
「さっきの人たちか、それともホテルの人が通報したのか、謎は深まるばかり・・」
「オマエ誘拐されてるってことになってるんだぞ!」
「それは本当です」
「・・まぁ、ウン・・・そうだった」
暑い上着を脱ぎ、車内へほうりこんだ白い肌のレイチェはうるさく報道を続けるラジオを切った。
「空港は使えませんね」
「迂闊に街にも戻れないっすね」
さんさんと照る南国の元気な太陽の下、打つ手立てをなくした一行はそこに立ち尽くす。ラジオで報道されているということはテレビでは顔が出ているだろう。新聞にだって載せられているにちがいない。空港は封鎖、街では賞金稼ぎに金に目をくらませた市民が銃器を抱えてネズミを待っている。砂漠で干からびるまでに果たして人々の記憶からこの報道が消えるだろうか?乾いた砂が足を掠めて風に乗って飛んでいく。干からびるのはそれほど時間がかからなさそうだ。
なんと横暴な陥れ方だろう、これが息子にすることだというのか?あの男らしいといえばらしいが・・リンディロッドは唇を噛んだ。タコスの味がする。
空港を使えば遠くないアルニニレイズ。しかしこの報道ひとつで何百倍も遠ざかったような気がした。
ふと、思い出したようにトラックの助手席にいた副操縦士が車から地図を持ち出して、広げる。
「テレビがほとんど無い村なんてどうでしょう、新聞はあるかもしれませんが、街に戻るよりかはいいでしょう」
部外者のように冷静な副操縦士の声に皆がもたげていた頭を上げる。
「そんな場所あるの!?」
「はい。ここから3時間ほど行ったところに村がひとつあります。かなりの過疎地域で、砂嵐の関係でテレビはほとんど映りません」
副操縦士が手袋をつけた指でなぞった先には本当に小さく村の名前が記されていた。ベイシュは地図を覗き込んで頭を掻く。
「他にはいけそうな場所もないな・・ひとまずその村でほとぼりが冷めるのを待とう」ベイシュはトラックに乗っていた二人を見て続ける「アロドスとゲルハーは空港に向かってくれ。今日のフライトをキャンセルするわけにもいかん」
それから父は娘を見た。華奢な四肢に白い肌。彼女がこの場所にいることを父は悲しく思った。
「レイチェ、お前はお客様のお気に入りだ。乗務員が一人で大変だとは思うが、行ってくれるか?」
父の視線をうけて娘は振り向く。娘は父との会話は原住民言葉を使う。物を思うような表情から口元に笑みをこぼす。
「父さん、わたしは彼らを無事に送り届けたい。ヨクスエンさんを助けてくれた彼らを送り届けたい、そう思ってる」
父は「そういうだろうと思っていたが・・」と苦笑をこぼしながらトラックに乗り込む。
「オレが行くっすよ!」ペイズリルの提案は「お前だけでは心配だから」と即座に却下された。それぞれの行き先へ向かう二台の車。
砂埃を巻き上げて村を目指すほうは、窓際にかわってもらったリディックが車から顔をだして目的地方面をじっと見ている。
「砂が目にはいってもしらないぞ」
そういわれても顔を戻さないリディック。なぜかとおもって顔をよく見てみると、疲れた顔で今にも吐きそうという具合である。
「つくづくわかりにくい顔してるな・・」
いつのまにかケロリと回復したリンディロッドは前の座席のポケット部分に入っていた雑誌を見て時間をつぶした。
到着した村はひと気がほとんどなく、ぽつぽつと民家が立っている程度で、かなり昔に立てられたのであろう、村の門の文字はWELCOME!がWE COM !になっている。
レイチェは村の歴史がつらつらと偉そうに書いてある古びた板を見る。
「昔は金が出たとかで賑わっていたそうね。でも、数十年前に掘りつくしてしまったようで今はゴールドラッシュの亡霊の村」
板に乗っている砂を手で掃う。
「どこか滞在できそうな場所探すか。金は多めに持ってきて正解だったな」
男はサングラスをはずすとその黒い目で太陽を仰いだ。
「おう、坊主。ぶらつくんなら一応変装しておけ。俺のコレ貸してやっから」
彼からリンディロッドに渡されたサングラスは油ですこし曇っていて不快だった。でも怒らせると怖そうなので
「どうも・・・」
曖昧な返事をしておいた。
「リンディロッドさん、リンディロッドさん」
吐き気もひいたのか、爽やかな顔をしたリディックが普段より1.5倍ほど目を輝かせていた。
「おれは村を見たいので、リンディロッドさんは待ってますか?」
テンションの高いこいつは何だか気持ちが悪い、浮き足立っているので返事を聞くまえに歩き出している。
「ボクをこんな所に置いていく気か?」
一人じゃ心細い、というのが本音だった。「何でそんなにはしゃいでるんだ、気持ち悪い」
「この村にはお宝があるかもしれません」ほんのすこしだけ、にやりとしながら彼が言う。
「お宝ぁ?」
リディックはどんどん村の端へ端へと歩いていった。ずり落ちるサングラスをしきりになおしながら追いかけるリンディロッド。たどり着いたのは3つの同じ大きさの倉庫が並ぶ広場。
そのうち2つはシャッターが開いている。
リディックが学校では考えられない機敏さで、倉庫の中にあるものに駆け寄っていく。彼がその機体に恐る恐る手を伸ばすと青く塗装された鉄の冷たさが伝わってくる。
「いきなり走るなバカ!・・・このフラインは何だ」
倉庫の中には青い機体に白と黒のラインの入った複葉機が沢山の整備用の機械に囲まれて大きな翼をめいっぱい広げていた。
「もしかして、このおんぼろフラインがお宝だっていうのか?」
機体のまわりをぐるぐると回り、一箇所一箇所丁寧に見ていく。
「古いタイプです。でもこれは40年前の戦争でカラヴァーニア軍の主戦力であったフライン部隊のフラインの中でも最高の出来といわれている・・」
「想定内!うるさい黙れ!」自分の知らないことを語るやつは嫌いだ。
「北の鄙に一機あるらしいとは聞いていたけれど、まさか本当にあるなんて・・」
惚れ惚れと機体を眺めるリディック。しかし、倉庫の奥のドアから現れた人影に彼は気づかなかった。
「ボウズ、これの価値がわかるのかい」
はっきりとした声、大空でもよくとおるだろう。物陰に隠れたリンディロッドがサングラスを上げて相手を窺う。白くなってしまった髪にタオルをまいたやたらと元気そうな老人。褐色のこけた頬にはにまりと笑みが浮かんでおり、着ているツナギはところどころ汚れている。
リディックはすこし驚いたようだが平然として返事をする。
「乗ったことはありません、だからまだ自分にとっての価値はわかりません」
老人はリディックの意を汲んで苦笑する。
「若いのに、こんなボロにのりたいっていうのかい?」
翼のワイヤーを見つめながらリディックは続ける。
「よく整備されていますね」
「あったりめぇよ、30年以上の付き合いだ。かみさんにも息子にも先立たれた身だ、こいつぐれぇしか寄り添ってくれるやつがいねえ」
老人は親しみを込めてフラインの胴体を撫でる。
「・・ますます価値のあるものに思えてきました」
「ボウズ、フラインに乗れるか?」
「はい。単葉機なら飛ばした事があります」
聞き耳を立てていたリンディロッドのサングラスがずり落ちる。どういうことだ、あいつ操縦なんてできるのか!?
「今じゃ複葉機なんて珍しいだろうさ。わしも一度単葉機を飛ばしてみたいものだ・・。戦争が終わってからというもの、金山で働いていたからめっきりフラインと離れちまって、ある程度金がたまったころにこいつが軍の横流しにあってるのを見ちまってよ、有り金はたいて買い戻したよ。おかげで他のやつに浮気できてねえってわけだ」
彼の顔に浮かぶのは戦中の悲惨な思い出か、それとも出撃をなくした今を嘆いているのか。この複葉機に昔の面影を見ているのは間違いなかった。
「・・・おじいさん、今から図々しいことを言います」
「なんだ、乗せてくれってのか?」老人は笑みをこぼす
「違います。アルニニレイズまで帰るのに使わせてもらえないでしょうか」
「ボウズ、わしにとっての唯一の家族、それを今会ったばかりの小僧にやすやすと貸せると思うか?それ相応の見返りがあると思ってよいのだな」
やぶにらみの老人の目がリディックに突き刺さる。しかし、彼は表情を変えない。
「おれの家はたくさん野菜や穀物を作っています。それを月に1度、こちらに届けにきます」
リディックのあまりのあっけらかんとした答えに老人は喉をつまらせた鳥のような顔をした後、大きく唾を飛ばして笑いだした。
「何てこった!なんとわしの恋人は安くみられたことか!ボウズ、こういうときは少しでも嘘をついたほうがよい」
「嘘は嫌いです。もちろん、あちらについたらすぐにこの機を返しにきます、野菜を持って。それから毎月違うフラインに乗って来ます。帰りは空港の便を使って帰ります」
「・・乗ってきたフラインはどうする?」
「差し上げます。・・おれの家は成金なので、こういう金の使い方は得意です」
「なんと!わしは成金が大嫌いだ!くだらんことばかりしおる」
言葉とは裏腹にニコニコとしながらリディックに飛行帽を手渡す。彼も、顔をほころばせてしっかりとそれを受け取った。
「はやく目の前から消えるんだな。この機はやる。・・・じゃから、毎月野菜を持ってきてくれ、もちろんボウズがこいつに乗って、だ」
年の割にがっちりとした手で青年の手を握る。隙間の多い歯で少年のように笑う老人からは、昔の雄姿が垣間見える。青年はその手をしっかりと握り返した。
「お言葉に甘えますよ」
「そうしてくれ。ああ、ボウズ、名をなんという?詐欺の場合は訴えねばならんからな」
「リディックです。リディック=ジェイド」
リンディロッドは出て行ってぶん殴りたい衝動に駆られた。本名を出すなんて何考えてるんだ!?
「リディック・・ほう、おかしな名前だ。都会ではそんな名前が流行っているのか?わしの名前はラダッツだ」
しめった拳は行き場をなくして垂れ下がった。よかった、このじいさんラジオも聴いてないみたいだ。
「乗って帰るなら多めにガソリンが必要だろう。村の者に頼んで用意させよう」
「そうですね。…でも今お金を持ち合わせていなくて…」
「コイツの嫁入りのはなむけだ、燃料ぐらいただでやろう」
「助かります」
ラダッツは倉庫の壁に取り付けてある黒い電話を手にとって、電話先の人物にガソリンを持ってこいと命令した。
リンディロッドは物陰から恐る恐る出ると、フラインによじ登って左右の補助翼などをチェックするリディックに落ちていた空き缶を投げつけた。
「何のんきにじいさんと仲良くなってんだよ!これからどーするつもりだ!?」
「これで帰るんです、おれ達で」
振り向きもせずに念入りにチェックを重ねるリディック。フラインのしっぽに見えるラダーが馬鹿にしたように左右に揺れている。
「本当に操縦できんのかよ」
普段のこいつからは考えられない事。だから信用する気もすこしは芽生えるわけだが・・リンディロッドはリディックを睨みつける。
「はい、父がよく乗せてくれたんです。畑の事なんかで」
「ふん、農民め。それで、免許は?」
「ありません」
「なッ―― 」
「ボウズ、ガソリンがきたぞ」
主翼の具合をチェックするラダッツの後ろに、先ほどはいなかった10歳くらいの少年がいた。どうやら電話で呼ばれた人物なのだろう、目深にかぶった帽子で表情が見えないものの、かなりの汗だくで、どうやらちいさな荷台にガソリンを積んで一人で持ってきたようだ。人使いの荒い老人に従ってせっせとフラインにガソリンをいれている。
「ん、誰だそいつは?友達か?」
「違います」
「まあ、なんでもいいわ。すぐに発つのか、中でお茶でも飲んでいったらどうだ?」
「冷たい飲み物!」
リンディロッドはやっと一息つけると胸を躍らせた、しかし。
「すいません、成金は忙しいんです」
リディックは丁重に、断った。
「ほんとうざってぇガキだぜ」
そういってラダッツは楽しそうに大きく笑った。リンディロッドはリディックを老人に見えないように蹴飛ばした。
燃料を入れ終わった少年は汚れた手をツナギでゴシゴシと拭いてこちらに走ってくる。
「じいさん、こいつがジゴカネ号もらうって奴か!?なんでぇーソンの人間じゃなーかァ!」
まだガソリンがついた手で鼻をほじりながら10歳ぐらいの黒い肌の少年は口を尖らす。
「ソンの人間です、よろしく」
リディックは握手を求めて手を伸ばす。よくあんな汚い手を触れるな、とリンディロッドは顔をしかめた。
「あー、たっくさん野菜もってこいやー」
「はい。・・それじゃあ急ぎます。ありがとうございました」
リディックは倉庫のわきにある革で作られた飛行帽、ジャケットとズボン、手袋、それに長い白のマフラーとゴーグルを持ち出して一式をリンディロッドに手渡した。自分の着るぶんはラダッツに倉庫の奥から出してもらい、手際よく着る。ラダッツのものなので少し大きめだが調整をすればなんとかいけそうだ。
「げー・・・」
リンディロッドは薄汚れたジャケットを持って顔をしかめた。でもリディックの着ているやつのほうが相当汚いので、観念してジャケットを羽織る。なんか、くさい。
少し湿っていて腕を通すとしっとりとなじんでくる。とても気分が悪い。
気分との葛藤の末、それなりに着こなせたと思われる飛行服一式。嬉しくなってくるりと回るとやっぱり臭かった。
最後の仕上げの帽子をかぶるのに邪魔なサングラスをはずした、その時。
「…――あー!!オマエ新聞のっとったゆーかいはん!!」
少年は素顔のリンディロッドを指差してこういった。固まる2人。
「ちょっ、何のこと・・・・」
少年は壁の電話に駆け寄るとすぐさま
「とーちゃん!誘拐犯!しょーきんしょーきん!!ここにいるんだ!」と叫んだ。
電話の先では
「何!!??」
男が飲んでいた珈琲を噴出して先ほど届いた新聞に黒いシミをつくる。
そしてジャンクパーツに囲まれた音の悪いラジオからは誘拐犯がこの地方にいるという事が再び報道されていた。
男は油臭い自分の店から飛び出ると、昔使われていた緊急時に鳴らすための鐘を思いっきり鳴らす。
「おーい!!誘拐犯がいるらしいぞー!!賞金が出るぞー!!!」
喫茶店や家の窓から人々は乗り出して男を見る。
「そりゃ本当かいー!?」
「あったりめぇよ!おれの倅が言ってんだからな!!」
村人は身近にあった思い思いの武器を取り、表へ出た。
「な、なんてことするんだこの貧乏人!!!」
リンディロッドは泣きそうな顔で少年に詰め寄っていく。
「はんざいしゃは死にゃーえーんだ!ゆーかいはんめ!!」
「そんなに血がみたいなら見せてやるよ!己の血をな!!」
殴りかかろうとするリンディロッドを押さえるリディック。
「離せ!殺さなきゃ気がすまない!犯罪者扱いしやがってえ〜!!!」
「それより、逃げないとまずいです。早くフラインに乗ってください」
「・・・ばーか、バーカ!!オマエの就職先全部一個一個ぶっ潰してやるからな!貧困にあえいで死ねッ!!」
リディックがフラインの後部座席の前にあるエンジン始動ボタンを押すと辺りをものすごい爆音が襲い、悪態をつき続けていたリンディロッドはひるんだ。
「前の座席に乗ってしっかりシートベルトを締めてください」
リディックはプロペラの横に立ち、それを思いっきり手前に引き下げた。するとその反動でプロペラは回転運動を始める。
前に進んでいくフラインを追いかけるように走って乗り込むとスロットルを奥に少し倒す。プロペラの回転数が上がり、ガタガタと機体をゆらしながら倉庫から出る。
「ほぉ、よく知っているな」
「じいさん!関心してる場合かよぉ、でてっちまうぜ!」
倉庫前の広い平野に出ると村のほうから大勢の人々が我先にとつんのめりそうになりながら走ってきているのが見えた。その砂埃のすごいこと、リンディロッド達のフラインのプロペラに勝るほどだった。
「ぎゃーっ、来てるぞ、おい!!はやくはやく!!」
前の座席のリンディロッドが後ろを見て叫んだ。しかしリディックは平然としたままフラインのエンジン音にかき消されないよう声を大にしてラダッツにこういった。
「来月、またお会いしましょう」
ラダッツは返事のかわりににんまりと笑って返した。
「ところで、この機の名前は何ですか?」
「こいつの腹に書いてあるとおりだ」
「リディック!早くしろ!!」迫り来る村人達の声が大きくなる。
「わかりました」
リディックは前を向き直る。
地面の大きな揺れはエンジンによる振動か、それとも人々が走ってくるからか
リディックはスロットルレバーを思いっきり機首方向へ倒した。ぐいと後部座席に押し付けられる感覚。機体はどんどん加速し、砂を巻き上げながら、迫り来る人々をどんどん離していく。
「上がってくれよ・・・!」
リディックが操縦桿を手前に引くと機首が上がり、一瞬はふわりと、それから吸い込まれるように空へと舞い上がった。
青空に溶け込むブルーの機体。だれも、空まで彼らを追おうとする者はいなかった。
「じいさん、じいさん・・あのフライン撃っちゃ・・」
「駄目だ」
「でも誘拐犯が・・」
「うるさい!犯人だけ当てられるようになってから物を言わんかこの愚か者が!!」
上昇していく彼らのフラインを口惜しく眺める人々の中にペイズリル達がいた。
「勝手に帰ってしまうんすね・・」
空を見つめるペイズリル。隣に立つのはサングラスをなくしたサングラス男。
「これでいいんじゃねえの、俺達も安心して空港にも行けるしよ」
「でもせっかく責任持って送り届けようとしてるのに、一言もないなんて酷いっすよ」
「結果オーライです。わたしたちもフラインを借りて空港に行きましょう、今から行けばギリギリフライトに間に合います」
「じゃあ俺が借りてきてやっから待ってろ」
散っていく村人達をすり抜ける兄から視線を上げる。もう遠くへいってしまってほとんど見えないフラインを見つめる。穏やかな風が彼女の髪を優しく梳かす。皮肉な笑みを浮かべてじっと青を見つめた。
「あれがあの機の名前?MONEY MAKES THE MARE GO・・地獄の沙汰も金次第なんて、悪趣味にもほどがあるわ」
「ゾイ砂漠を回り道するとこの機では時間がかかりすぎます。危険ではありますが、直進します」
大きな風もなく空はとても穏やかだった。上質の綿をちぎったような雲が手の届きそうなところに浮かんでいる。
「死なないよな?」
「よほどのことが無い限りは」
方位計は西を向いている。機体は上昇をやめ、水平飛行に移る。
「ほんとの、本当に無事に地面に帰れるんだろうな!?」
「帰れないときはおれも道連れですから」
「オマエはどーでもいいんだよ!やっぱオマエだけ死ね!」
「おれが今死ぬとまずいと思いますけど」
リンディロッドはいつもよりだいぶ近くなった天を仰いで笑みをこぼした。
「わかってるよ、そんなこと」
空と同じブルーの機体はゆっくりとアルニニレイズへと向かう。
ゴーグルを通した空は、首都のビルの間から覗くものよりも、荒涼とした太陽の民の地から仰いで見たものよりも深い海のようにどこまでもどこまでも青かった。
何時間経っただろう、太陽は真上を過ぎ、傾いてくるような時間。
遠くの雲の輪郭を金色に染め、黄昏時の甘美なピンクとムラサキが空を覆って、東のほうはすでに夜の紺が侵食し始めていた。
前方座席のリンディロッドは煌く終わりの斜光を浴び、繊細な睫を光らせて、うるさいエンジン音の中すやすやと眠っていた。
「リンディロッドさーん、リンディーさーん」
後ろから聞こえるのは憎きクラスメイトの声。しかし、今は心地よくも感じる。
「リンドーさーん、リンドーさーん」
いいかげんうざったくなってまぶたをゆっくり開く。一面の光。プロペラさえ回っていなければ、きっと天国と錯覚したに違いない。(プロペラが回ってなかったら本物の天国行きだけど)
地上を見ると、砂地にぽつぽつと南国の木が植わっているのが見える。
「もうつくのか?」
ゴーグルを上げて目やにをとりながら、よくこんなところで寝られたなと自分でも思うリンディロッドだった。
「はい、あと1時間ほどで」
「あと一時間も?その時起こせよ、トイレ行きたくなるじゃん」
「でも、夕日が綺麗だったので」
凝った首をほぐしていたリンディロッドは目線を上げて夕日を見る。
「・・ボクほどではないけどね」
素直になれない自分が、ここで墜落して死んでしまえばいいのにと思った。
こんな自分にそう思わせるほどこの夕日は綺麗だった。
「どうしますか、このまま行くとおれの家に着陸しますが、他にリクエストはありますか?」
「うん、別に―――・・・ちょっと待って」
「はい」
寝起きと空腹も手伝って回転が鈍足な頭で必死に考える。
「クラスメイトのチェルチェット=アーニスの家がこの近くにあると思うんだ、知ってるか?」
「はい。何度か父がパーティーに呼ばれていたので」
「そこに向かえ、いいな!」
「はいはい」
追いつけない夕暮れの太陽を追いかけるように、今では空とは一体になれない青のフラインはさらに西へと向かう。
「この家ですね」
大きなとうもろこし畑の上空を飛ぶフライン。そこからこれまた大きな屋敷をみつける二人。
「そう。もう学校も終わってるだろうし、ジャストターイム♪」
「ジャストターイム♪では着陸するので緊張しててください」
「何で」
「事故るかもしれませんから」
夕日はもうじき沈みきるだろう。紺色の暗い空が空を覆いつくそうとする時間だった。半分ほど建物の影になって見えにくい庭を見極めながら、左へ右へ旋回して慎重に高度を下げていく。
地面に接地する寸前、リディックはぐいと操縦桿を引く。庭の美しく手入れされた青い芝に後部車輪が触れる。地面をえぐりながらフラインは前進し、ブレーキをきつくかけるとやがて停まった。
「ってぇー!また頭打った!これだからフラインは・・」
シートベルトをはずしてよろめきながら座席の上に立つと、何事かと駆けつけたこの家の召使達と目があった。驚きと不信感の入り混じった目。憎しみをこめた目の者が多分ここの芝生をメンテナンスしている人間だろう。
召使を押しのけて小さい人が割り込んできた。
「リンディロッド様!」
やたらと美しい服を着た少女はフラインへと駆け寄る。
彼はなるべくかっこよく、クールに飛行帽を脱いだ。
「やあ、チェルチェット嬢」
しかし、リディックの見るかぎり夕日に染まる彼の美しい金髪は飛行帽をかぶっていた事によりぺちゃんこになっていた。
「どうしてしまったのです、その・・ニュースにたくさん・・・わたし心配で心配で!」
彼女は目を潤ませて、フラインからよろよろと降りてきたリンディロッドに抱きついた。彼も、ぐらぐらしながらそのか細い背中をそっと包む。
「ゴメンよ、チェルチェット。でもボクは無実だ、証拠にリディックがあそこにいる」
指差された当人は何を言うわけでもなく、軽く会釈をした。
少女のほうはブサイクでもなく、しかし可愛くも無い女だった。
「リディックさん・・あんな顔だったんだ・・」
リンディロッドは表情を一旦翳らせ、そして意をけしたかのようにじっと彼女を見つめた。
「実は・・ボクとリディックは国の特殊任務についていたんだ。しかし、国の恐ろしい秘密を知ってしまった・・だから今カラヴァーニア政府に追われている」
先ほど考えたデタラメを真剣に伝える。
「え、ええ・・そうなの?」しかし彼女はそんなことにはあまり興味がないらしい。
「だから一時ボクだけでも南へ逃げる事にした。しかし、国は簡単に逃がしてはくれないだろう・・そこで、よければ君のパスポートと服を貸してもらえないだろうか?カツラもあればいい。とにかく国から出なくてはならないからね・・」
「でもパスポートは・・」少女が難色を示すのもお構いなしにリンディロッドは続ける。
「いつか、この国に再び降り立つことができたなら、ボクは真っ直ぐ君のもとへ行くよチェルチェット。その時は、君がまだボクのことを信じていてくれていたなら・・結婚しよう」
「リンディロッド様・・・」
少女の頬は夕日も手伝ってばら色に染まり、もう一度彼の胸へと飛び込む。
ああ、大した大根役者だ、とリディックは沈み行く夕日に向けて大きなあくびをした。
「わかりました、リンディロッド様。さあ、中にお入りになってください。召使たちには何もしないよう言っておきますから。じい!わたしのヘアースタイルそっくりのかつらを用意しなさい、いますぐに!」
「はい、わかりましたお嬢様」
「いい、通報なんてしたらクビよ。全員クビ!!」
「わかりましたお嬢様」
少女は上機嫌で、疲れた顔のリンディロッドの手をひきいて屋敷の中へと入っていってしまった。
やれやれ、見ていられない、とリディックは帰りたくなったが、召使達が入れと言うのでお言葉に甘えて美味しい紅茶をいただくことにした。
美しく飾られた室内はとても涼しく快適だったが、何時間にもわたる空の旅のあとだと、どうにも無機質に思えて仕方が無い。
リディックは冷たい水を飲みながら、明日から学校かな、とぼんやり考えていた。
隣の部屋が騒がしくなったかと思うと、勢いよくドアが開いてチェルチェット嬢に扮したリンディロッドが顔を輝かせて飛び出してきた。皮肉なことに本人よりも美しい。
「みろよリディック!とうとう女装までしたぜ!今ならミスなんとかもひるんで外を歩けないだろうさ!!」
キメキメポーズで自慢してくるリンディロッド。しかし、彼はこういう人間で、それでも誰にも迷惑をかけていないことをリディックはもう知っていた、臆病なこの友人を。
そして彼と自分との間の扉を閉める鍵になる言葉を、封じていたかったけれど必要だから彼は取り出した。
「もうじきおわかれですね」
リンディロッドは鍵を隠そうとしていた。このまま空港まで付いてきて、新しい何かに巻き込まれてついてくればいいのに。こいつも、ボクと同じひねくれ者なんだから。
表情を殺して彼を見る。
「また明日学校で、ってわけにはいかないだろうね。せいせいする」
「それはよかったです」
相変わらず表情の読めないやつだ。でもすこしだけわかるようになった。クーラーがきつくてちょっと寒いって思ってるんだろ。
「リンディロッド様ー、用意すべて整いましたー」
下からチェルチェットの声がする。ワンテンポ遅れて返事をするリンディロッド。
「じゃあね、こっちにスキーなんてしにくるんじゃないぞ、きぐるみで」
きびすを返してリンディロッドは言う。
「必ず行くと思います。フラインで」
親しみを込めてリディックは言う。
玄関に降りていくと目の前に大きな車が止まっていた。慣れないスカートでぎこちなく乗り込むと、詰め寄ってくるチェルチェットをうっとおしく思いながら目を閉じた。
車はフラインと比べると本当に小さな揺れしかなく、しっかりとしたシートのおかげでおしりも痛くない。
けれど、心地が悪い、そう思った。
光がともる夜の街。電気がカラヴァーニアにもたらした恩恵は大きい。
「あいつのこと、砂漠に捨てようと思ってたのに。学校を去るのは僕のほうだった。皮肉なもんだな・・」
自分の胸で眠る大きな荷物を押しのけて、リンディロッドは暗くなった星の見えない空を眺めていた。
「あっ!」
今夜はかくまってもらうことになったリディックが屋敷を徘徊していると、金物に袖をひっかけてやぶいてしまった召使と遭遇した。
「やだ、またやっちゃった〜、直さなくちゃ・・」
「おれが直しますよ」
自分の裁縫セットをポケットから出すと彼はそう申し出た。
「えっ、いいんですか?」
遠慮がちに微笑むメイドに彼はこう言った。
「裁縫、得意ですから」
いかがでしたでしょうか。
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