プロローグ
コンコン・・・
ドアがノックされた音で俺は目を覚ました。
時刻は午前八時。そろそろ学校に行く時間だ。
寝ぼけまなこを擦り、ぼやけた視界を判然とさせ態勢を上げる。すると、体が、特に足や背中の部分にズキリと痛みが走った。よく見ると、足には包帯が巻かれており、腰周りにはコルセットが着けられている。辺りを見渡すと、ここは自分の部屋ではなく病室だった。
先ほどのノックに対しどうぞと返事をすると、スライド式のドアが開けられた。
中に入って来たのは、一人の女性、と言うか看護士さんだった。
「おはようございます。看護婦の神崎です。」
割と、と言うよりかなり美人の看護婦さんだ。しかもナース服だから色気が凄い。なんだか照れ臭くて挨拶に対して会釈だけ返すとニコっと笑顔を見せ、病室の隅にあった椅子を俺が寝ているベッドの横に持ってきてちょこんと座った。
「夏目さん、体調の方は如何ですか?」
神崎さんがそう俺に問いかけてきたが、如何せん自分が何故こんなにも重症を負っているのかが分からないので言葉が詰まってしまった。体が多少痛むくらいで、その他にこれと言って悪いと感じるところは無い。ただ・・・
「体調は大丈夫です。けど、あまり記憶がハッキリしません」
怪我を負う前後の記憶があやふやなのだ。
「頭を酷く打ったせいかな? なんでも大型トラックに思いっきり撥ねられたらしいじゃないですか。手術した先生も生きているのが軌跡だって言っていましたよ」
言われてみれば、確かにそんなことがあったような気もする。しかし、はっきりとは思い出せない。俺の記憶からそこだけ切り取られたように。
より今の自分の状態を明白にするため、横にある机の上に置かれている手鏡で確認することにした。見ると、酷く頭を打ったと言うわりには頬にガーゼ等が当てられているだけで、特に頭部に何か特別な処置を施された様子が無い。傍から見れば、入院するには大げさ過ぎると思われそうな程軽傷だ。
あと他に気になるところと言えば、服に謎の美少女キャラのイラストがプリントされていることくらいだ。気づいてから思ったが、正直これが一番気になる。
「あの・・・これは?」
服の裾を引っ張って、イラスト全体が見える様にして聞いてみた。
「あぁそれ? なんか先生の趣味らしくて、あっ先生ってのは君の手術を担当した先生のことね。ほんと変わった趣味してるわよね。あはは」
趣味だとしても患者にこれを着せるのは如何かと思うが・・・
「まぁ趣味なら仕方ないですね・・・」
「先生も今年で三十路だから、そろそろアニメとか漫画とか卒業した方が良いって言ってはいるんだけど、なかなか止められないみたいで」
三十路でアニメ好きか。よく知らないがエヴァンゲリオンとかが丁度その世代なのだろうか。週刊少年ジャンプの黄金期もそのくらいの世代だ。俺も幽遊白書とか、るろうに剣心とか大好き。どうやらその先生は割と良い時代を生きたオタクらしい。因みに俺はオタクじゃないぞ。漫画好きではあるが。漫画好きにとって、このくらい読むのは常識の範疇だ。
「じゃあ俺が元々着ていた服はどこにあるんですか?」
俺がそう言うと、神崎さんはベッドの下を指差した。
「一応そこに置いておいたけど、それじゃあもう着られそうにないわね」
服を拾い両手で広げて見てみると、無残な程にボロボロだった。それを見て、どれ程酷い事故だったのかをようやく実感した。ただの衝突事故ではこうはならないだろう。明らかに普通ではない。
「あぁ、それでこの美少女がプリントされた服を着せられていると言う訳ですね」
「まぁそう言うことね。あっ、そうそう美少女と言えば、君の彼女もなかなか可愛いじゃない。あんまり彼女に心配かけちゃ駄目よ?」
「は? 彼女?」
おい待て、俺は彼女なんていないぞ?彼女いない歴イコール年齢だぞ?いきなり喧嘩売られた感じ?やんのかコラッ。
まぁ女性に手を出す訳にもいくまい。冷静になれ俺。
「うん、君を病院まで連絡してくれたんだよ。えっ、その顔はもしかして彼女じゃなかった?ごめんね、勘違いしちゃった」
傷口を抉るなよ。そろそろ泣くぞ。
「その人どんな感じでした?」
もしかしたら知り合いかも知れないと思い、情報を聞くことにした。
「そうねぇ? 小柄で、髪はピンク色で割と長かったわ。ただちょっと不愛想だったかな。名前とかは余り覚えてないのよね。私から言えることはそれくらいかな、直接話したのは私じゃないですし」
「そうですかぁ・・・」
聞いたところ知り合いではなさそうだ。髪がピンク色とか不愛想とか、割とミステリアスな姿を彷彿とさせるな。
しかし、まぁ病院に連絡してくれたのは有り難いことだ。
「例えるなら、小柄な少女革命ウテナの天井ウテナって感じね」
あんたもアニメ好きなのかよ、結構マニアックだな。ウテナなら別に不愛想でもない気がするが。もしかしてその子も王子様に憧れていたりするのだろうか。と言うか、例えが下手過ぎて全く想像を出来ない。まぁそんなことはどうでもいい。
「会ってお礼が言いたいけど、恐らく会える機会なんてないでしょうね」
ため息交じりに呟いた。この町に住んでいる人であればバッタリすれ違うこともあるとは思うが、流石に今の情報だけでは特定するのは難しいだろう。だって小柄で髪がピンク色のロン毛で不愛想な女の子だろ?あれっ?いけるかも知れない。
「確か柏陵高校ってとこの生徒らしいんですけど」
「えっ! そこ俺と同じ学校ですよ⁉」
ここにきて驚愕の真実!まさか同じ高校だったとは。しかしそんな娘がいれば校内中噂されていても不思議ではないだろうに。よっぽど影が薄いのだろうか。
「なんか最近こっちに引っ越してきたみたいで、まだ学校には行ってないみたいですよ」
「あっ、そうなんですか」
いや、しかし同じ学校ならお礼が言える機会を作れるかも知れない。これはチャンス。運命に圧倒的感謝。
「話変わりますけど、お腹空きません?」
確かに朝ごはんがまだだったな。女の子の話に気を取られて忘れていたが、結構お腹ペコペコだ。ただ、手術をした後のせいか、今市食欲が湧かない。しかし何か食べないと。規則正しい生活は早寝早起き朝ごはんと言うように、朝ごはんは早寝早起きに匹敵するほど大切なことなのだ。だから朝ごはんはしっかり食べる、これは俺が幼い頃から守ってきた鉄の掟だ。入院中でもこれを疎かにすることは、例え神様仏様が許しても、この俺が許さねぇ。
俺が神崎さんに向かってお腹が空きましたと言わんばかりにお腹を摩ると、何やらポケットの中をゴソゴソし始めた。
「じゃーん! これ持ってきたんだぁ! 今作るねっ」
得意げに見せてきたが、ただのインスタントの味噌汁だ。お湯を注ぐだけの奴な。そして何故今までで一番口調がイキイキしているのだろう。と言うか病院の朝ごはんがインスタントの味噌汁って、患者への扱いが雑過ぎやしないか?もっとお粥とか焼き魚とかサラダとか健康食品的な物が無かったのだろうか?例えいつもインスタントの食品を朝ごはんとして出しているとしても患者の目の前で作るのは、聊かモラルに反している気がする。こう言うのはもっと隠れてやった方が病院の経営のためにもなると思うのだが。俺じゃなかったらクレームがくるレベルだぞこれは。と考えている間にも神崎さんはポットからお湯を入れる動作に移っている。
多少呆れ顔をしつつも何も口に入れないよりかは増しだと思い、ご厚意を有り難く受け取ることにした。
「はいっ、冷めない内に飲んで下さいね」
作り終えた味噌汁を差し出された。湯煙と共に漂う味噌の香りが何とも食欲をそそる。俺が猫舌でさえなければ美味く飲むことが出来たのだろうな。
「そう言えば、俺って退院はいつ頃になるんですか?」
入院している間は勿論学校には行けない訳だが、それは結構困る。ただでさえ成績不振な俺が、あまつさえ学校を連続して欠席なんてしたら今度こそ留年は免れないだろう。
ほんと勉強大嫌い。特に理数系とかマジ無理、あんな暗号の飛び交う授業聞いても分かる訳ないだろ。物理なんてこの前三点だったわ。まぁその点日本史と国語は前回のテスト両方とも九十点でしたがね。ドヤッ。
「そうねぇ、酷い事故ではあったけど大して大怪我をしている様子も無いし、安静にしていれば三日くらいで退院出来ると思いますよ」
それは良かった。一週間とか二週間とか言われたらそろそろヤバイところだった。俺の学校は割と厳しいからな。少しでも赤点を取った生徒は進級判定会議で必ず審議の対象となってしまう。
「では三日間お世話になります」
「こちらこそっ」
お互い改めて挨拶をすると、神崎さんはカルテが挟まれたクリップボードを手に持ち椅子から立ち上がった。
「あっ、そろそろ次の患者のところにいかないと」
「すいません、何か長々と話してしまって・・・」
お仕事に差し支えなかっただろうか。
「いえいえ、大丈夫ですよ。体調管理の他にも、患者さんと接することも美人ナースの務めですからっ」
なるほど。プロだな。そして自分で美人ナースって言ったよこの人。
そろそろ冷めてきた味噌汁を口に入れる。インスタントだと思って侮っていたが、これが滅茶苦茶上手い。神崎さんが得意げに見せてきた理由が分かった気がする。健康オタクな俺は普段インスタント食品をあまり口にしないのだが、豆腐やワカメ等、具材もしっかりしていてなかなか身体に良いと感じた。
俺が味噌汁を啜っている様子を見て神崎さんは安心そうな眼差しを向けている。
「まぁ夏目君が無事で良かったよ。では私はもう行きますね」
そう言って神崎さんは病室を後にした。
「無事で良かったか・・」
俺には無縁の言葉だ。何故なら俺は無事なことが普通で、生きていることが当たり前なのだから。それはどういうことかと言うと、俺は死なないのだ。つまりは不死身。
頭を拳銃で撃ち抜かれようと、心臓をナイフで刺されようと、北斗神拳を体に叩き込まれようと、俺の命が絶えることはない。因みに理由は不明だ。多分不死鳥の力とか言うと少し中二臭いが、なにかそんな力が俺にはあるのだろう。大体そうでもなけりゃ、大型トラックに撥ねられて軽傷で済む訳ない。
ネムリユリスカと言う、確か干からびても、更に言えば宇宙空間に飛ばされても生き続ける程の生命力があると、中半不死身に近い虫がいるらしいが、流石に虫の能力を持っているとは気分的に思いたく無かったので、不死鳥の能力と良いように解釈している。まぁ虫の能力ってのも、テラフォーマーズっぽくて悪くはないのだが。
俺が不死身であると気づいたのは、割かし最近のことだ。そのことについては、また後々話すとしよう。俺にも色々とあるのだ。
俺以外にもこの世界には能力を持った人がいるらしいが、未だ嘗て出会ったことがない。
とにかく、今俺が一番気にかかっていることは、事故前後の記憶が無くなっていることだ。まずはその理由を解明したい。いくら凄い衝突をしていたとしても、明らかに不自然なのだ。これは能力を持っている者故の感と言うやつだ。もしかしたら、その女の子が何か関係しているのかも知れない。
事故当時の状況を聞くことを踏まえても、やはり俺は女の子と会って話をしなければならないと思う。正直、初対面の女性と話すのは少し気恥ずかしいが、まぁ真実をしるためだ、我慢しよう。
何はともあれ、今は今後の三日間の入院生活に専念するとするか。