一章
「アルバイト?」
「そうっス。前々から聞こうと思ってたんスけど、結局先輩ってなんのバイトしてんスか?ここら辺の店じゃ見かけないっスけど?」
突然そう尋ねられた俺は何と言って説明すりゃいいのか分からず言葉に詰まってしまった。
別に非合法なものではない……よな?おそらく、たぶん、非合法ではない、はず。いや、だってほら一応警察のお墨付きだし。まあ、一般的なバイトではないし、非合法ではないけれど倫理的に問題がないかというと、問題ないとも素直に言い切れねぇけど。
とにかく、限りなく黒に近くもはや黒と言っても過言ではないくらいぎりぎりグレーな感じなのだ。いや、ブラック企業的な意味ではなくて。
さて、どうごまかしたものかなぁと頭をかきつつ、俺は目の前で小首を傾げる後輩を眺めた。
名前は滝川拓也。男。現在比々代大学一年生。中・高と同じ学校で、部活(陸上部)も同じだったのでその頃から『先輩』と呼ばれているわけだ。まあ、今も大学の先輩後輩だからあながち間違っちゃいない。
見た目について言及すると、全体的に小柄、特に顔はかなり小さく髪はいつも短く刈り上げていて、その上中高の体育会系のノリが未だに抜けてなくて相手の年齢関係なく「~ッス」ってしゃべり方するもんだから、総合するとまるで小悪党の様な印象を受ける。それも中ボスぐらいのやつの隣で「よっ、さすが親分!」とか言ってる感じ。なんというか、愛すべき小悪党という感じだ。
俺以外の年上の人間には会うたびにいじられているところを見ると間違いでもないかもしれねぇけどな。とはいえ本人はいたって善良で、悪事に手を染めている姿なんて想像もできないから小悪党というより子分って感じだが。
それはそれとして、アルバイトの件だったな。思考を現実に無理やり引き戻し、少し考える。
……出た結論は、「適当にそれっぽいこと言ってごまかせばいいか。」だった。それこそ職場の連中だったりすると適当な嘘は即座に見破られてお終いだろうが、俺や拓也みたいな一般人は言葉尻とらえて行間読むようなまねはできないだろう。「本当のことを言う」という選択肢はない。それこそ「一般人」があまり関わるような話ではないしな。うん?お前も一般人だろって?俺にもなんで『あんなこと』に自分が関わってるのか分かんねえよ。
「あー、俺のバイトな。まあ、普通の肉体労働だよ。普通も普通、何の変哲もなくて、むしろだからこそ話題に上がらなかったんじゃね?ってぐらい。」
もうちょっと捻るべきだったか。しかし、俺はこういうのが苦手なのでとっさに相手を納得させるような言い訳は思いつかない。拓也は疑わしげな目線をこちらに向けた後、やれやれという感じにわざとらしく首を振った。
「そんなのはわかってるっス。むしろ先輩が普通じゃないことしてる方が想像できないっス。」
悪かったな凡庸な人間で。確かに勉強も運動も大体いつも真ん中ぐらい、特にこれといった特技もねぇし両親もいたって普通のサラリーマンと専業主婦で、平凡を絵にかいたような人間だが。しかし、それ言ったらお前だって普通じゃないことをしてる姿が想像できないタイプの人間だろ。ていうか俺は自分自身をごく普通の人間だと認識しているから、かえってその『平凡』って評価があまり好きじゃない。平凡だとか日常だとかが好きだとぬかすやつに限って本人は天才か馬鹿かそのどっちもかなんだよ。「中庸の徳」だとか凡人の俺からしたら戯れ言にしかきこえねぇ。中庸なんて悪もしくは毒とでも表現するのが相応しい・・・・・・って、話が逸れすぎだな。まずは目の前の問題をなんとかしねぇと。
「俺のバイトか……とある場所のゴミ掃除だよ。」
今度は少しだけ真実を混ぜてみる。嘘をつくときにはそのほうがいいって言うしな。そう、ゴミ掃除はゴミ掃除でも俺の場合は「社会のゴミ」を掃除している。……やべぇ、自分で言ってて(言ってないが)あまりの寒さに鳥肌立ってきた。やっぱりこういうのは俺には欠片も似合わねぇな。そもそも現実でそんなセリフ言ってて似合うやつがいるのかは大いに疑問だが。そんな俺の言葉にあからさまに眉をひそめる我が後輩。なんかおかしいところがあっただろうか今の俺の言葉に。
「……それってそんなに儲かるんスか?
「うん?別にそんな儲けてはいないと思うが?」
実際今の格好もユ○クロとかではないが、そんなに高いものを着ているってワケじゃない。日本の一般的な大学生の格好だと思うんだが。腕時計はちょっと高めのをつけてるが、それだってもらいもんだしな。……それなのになんで目の前の後輩は、言葉の通じてない異邦人でも見るような目で俺のことを見てるんだ?
「……先輩、自分の住んでるとこを思い出して欲しいっス……。」
俺の住んでるとこ?別に普通のアパートのはずだが。大きくもなく小さくもない、ごくごく普通の感じの。
「別に普通じゃねぇか?どっかおかしいところあったか?」
「ふ、ふざけないで下さいっス!!確かに世間一般から見れば『普通』の範疇かもしれないっスけど、大学生の一人暮らしとしては恵まれすぎっスよ!!そもそも三部屋ある時点でおかしいのに、立地も駅まで徒歩数分の場所っスし、一体いくら掛かるんすかあそこ!?」
あー、まあそう言われりゃそうなんだが。そもそもあそこはバイト先の『会社』が用意した場所だし、監視の意味もあってあそこに『住まわせられてる』もんだからそんな認識が俺にはそもそもなかった。とはいえそこらへんのことを説明するとなるとせっかく避けた話題に逆戻りすることになるしな、なんとかしないと。
「そもそも、それを言ったらお前の方が恵まれてんだろうが。ひとつは集まって駄弁るのに使ってるとはいえアパート二部屋だぞ?家二軒持ってるようなもんじゃねぇか。」
少々大げさに「お前に言われる筋合いはねぇ」と言い切ると、拓也は「違うんスよ~。そんないいもんじゃないんスよ~。」と泣きついてきたので俺は素早くそれを躱した。男同士で抱き合う趣味は無いからな。
「確かに二部屋使わせてもらってるっスけど、それはここのオーナーがジブンのおばさんだからであって、まっるきし自由に使えるわけでもない上にジブンの秘蔵のお宝たちがいつの間にかなくなってるんスよ~。」
涙ながらにそう言う後輩を眺めながら、俺は呆れてため息をついた。ここは『秘蔵のお宝』発言について「お前は高校生かよっ!」っとつっこんでやるべきか、それとも同じ男として同情して肩でも叩いてやるべきか。
「……ちゃんと隠してねぇのかよ。」
結局俺がかけたのはそんな言葉だった。いやまあ、大学生にもなって隠すもなにもないとは思うが。だが、拓也はその言葉に一層悲壮感漂う泣き真似をして、
「隠してるんスよ~。それでもいの間にかなくなってるんスよ~。」
そう言って泣きついてきたので再び躱したところでーーーーーー
「おや、ガールズトークならぬボーイズトークかい?ボクも混ぜてくれよ。」
と、そんな声が飛び込んできた。俺はそちらに顔を向けて言葉を返す。
「混ぜろっても、お前は『ボーイ』じゃなくて『ガール』だろうが。」
俺の言葉に「まあね」と短く答え、ニヤリと不敵に笑ったそいつーーー条ヶ崎 星亜 はその名前と見た目だけならば立派な女性だった。いや、『だった』とか言わなくても実際問題コイツの性別は女だ。少なくとも初対面でこいつを男だなんて言うやつがいたら、そいつは目か脳か、そのどっちもがいかれてるだろう。
目鼻立ちのしっかりした小顔。肩ぐらいで切り揃えられた、手入れの行き届いた髪。夏ゆえに少々薄着の服に包まれた身体はかなりメリハリがきいていてその上女性にしては長身なもんだから、初対面ならどこのモデルだろうと思うものもたくさんいる。一言で言うんなら美人、頭に超をつけてもいいくらいの。
実際高校、大学ともに入学から1、2ヶ月はありえないぐらいモテていた。高校の時にはそれこそ漫画みたいな数のラブレターが靴箱に入っていたりもした。
……まあ、中身がしれてからはそんなやつもいなくなったがな。
「セ、セーア先輩っ!!いつからいたんスかっ!?」
拓也がやたらと動揺しているが、まあそうだよな。そもそも今条ヶ崎が声をかけるまで物音どころかドアを開く音すらしなかったんだからな。いつ入ってきたのかも不明だ。
「うん?いつからいたのかって?シン君が『アルバイト?』っていったところあたりかな。」
ほとんど最初からじゃねえか。つまり俺と拓也の会話を隠れて聞いてたらしい。相変わらず趣味が悪いというかなんというか。あ、ちなみに『シン君』ってのは俺のことだ。佐々本 進ってのが俺の名前。まあ、自分でも特別面白みもない名前だと思う、名前に面白みが必要かはともかくとして。強いて言うなら「進」は「しん」じゃなくて「すすむ」って読む方が多いかもな。おっと、それどころじゃなかったんだった。俺の目の前で星亜は喜悦に満ちた表情で続ける。
「いやぁ、それにしてもタクヤがシン君に泣きつこうとしたところはテンション上がって思わず歓声をあげてバレるところだったよ。どうせならそのままイクところまでイってくれればよかったのに。シン君はもうちょっとツンとデレのバランスを考えるべきだと思うよ。」
「……いい加減そうゆうのを現実の人間関係に当てはめるのはやめろよ……。」
「いやいや、ボクはきっとそういう耽美な現実がどこかにあると信じているよ。」
できれば身近にあるといいのだがねぇ、そう言いながら意味ありげに俺と拓也を見る条ヶ崎。俺はツッコミを入れるのにも疲れて大きくため息をついた。
そう、これこそが条ヶ崎が男子と付き合わない最大の理由であり、男どもがコイツに群がらなくなかった理由でもある。そういうのが趣味の女子でも現実に関しては普通に彼氏がいたりするやつも多いと思うが、条ヶ崎の場合ガチな同性愛主義者であり(とはいえ女同士に興味はないらしい)、男女間の恋愛には欠片も興味はないという根っからの変人である。
本人曰く『腐女子という言い方は甚だ不本意だよ。むしろ『真理の探究者』とか呼んで欲しいものだね。まあ、多数派の意見を基準に考えればボクが変人であるというのは確かだがね。』らしいがそもそもこいつを腐女子という括りに入れるのは、腐女子の方々からしても不本意だろう。
コイツが避けられてるのは、独特の口調も理由の一つかもしれないがそれ以上にこっちの趣味を公言していることの方が大きいだろう。
それでも突撃した勇気ある奴もいたにはいたんだが、
『うん?すまないけどボクは男女間の恋愛には全然、これっぽっちも興味はないよ。もっとも、君がほかの男子といろんな意味で絡んでくれるというなら仲良くすることもやぶさかではないがね』
とか言われて見事に撃沈したらしい。かわいそうに、好きになった女子からそんなこと言われたら一生もののトラウマになっても仕方ないだろう。まあ、バッサリ断られた挙句に理由もアレなせいで陰口はかなり叩かれてるようだが、条ヶ崎はそんなことを気にするほど精神的に弱くはない。結果として丸く(?)収まってるようだから、まあいいか。
「そ、そおっス!ジブンと先輩はそんな関係じゃないっスよ!」
拓也が抗議の声を上げるが、残念ながらいつも通り条ヶ崎に丸め込まれて終わるだろう。
「まあ、一応そういうことにしておこうか。」
「そんな『実は本当だけど世間体に配慮してそういうことにしておこう』みたいな言い方しないで欲しいっス!事実無根もいいとこっスよ!」
「ははは。……ここにはボク達以外いないから、本当のことを言ってもいいんだよ?」
ぐぐぐ、と拓也が歯を食いしばっているのが見えた。俺からすれば拓也が言い負かされるのは当然の帰結だが、拓也はまだあきらめていないようで
「だ、だいたい目の前に本人がいるのにそういう話のネタにするのは失礼だと思わないんスか?」
「ああ、思わないね。ボクが頭の中でどれほど耽美な光景を展開していたとしても、所詮は想像の中のことだ。他人に否定される道理はないよ。」
「で、でも―――――」「じゃあボクと君が初めて会ったときに、君が僕の全身を舐めるように見ていたことは問題じゃないのかい?」
なおも反論しようとしていた拓也はその一言で完全に撃沈させられた。まあ、条ケ崎は高校の時点ですでに相当スタイルよかったしな。男として惹かれるのも無理ないだろう(中身が分かるまでは、だが)。拓也の場合はそのことをあっさり見抜かれていて、こうして弱みとして握られているところが致命的だったが。とはいえ本性を知った拓也が条ケ崎に今も惹かれているということはないはずだ。(拓也がよっぽどアレじゃない限り)別にBLとかそういう好み自体を否定する気はないが、条ケ崎の場合それをリアルの、それも身近な人間にも当てはめようとするのがなんつうか、厄介なんだよな。
散々に言い負かされた拓也は机に突っ伏していた。その姿はもはや哀愁のようなものを漂わせていたが……ここで慰めたりするとまた条ケ崎にネタを提供するだけなんだろうな、と思ってスルーすることにした。
「……あの時一瞬でもセーア先輩にときめいてしまった自分をぐーで殴りたい気分っス。」
分からなくはないが、そもそもその弱みがなくても拓也じゃ条ケ崎には勝てないだろう。普段の言動がいろんな方向にぶっ飛んでいるせいで誤解しやすいが、条ケ崎は別に馬鹿じゃあない。それどころか頭はかなりいい方だ。テストやらの成績って意味でもそうだが、頭の回転自体がかなり速い。ついでに言うと運動も割とできる方で、「これで性格がまともなら……」というのは万人の思うところだろう。と、
プルルルルルルルル
という無機質な音が俺の思考を断ち切った。音の発信源は俺のジーパンのポケットの中だ。一瞬メールか電話か判断がつかなかったが、鳴り続けているので電話のようだ。こういうとき着信音を変えておけば便利なのだろうし、拓也からも「いまどき着歌設定してないなんてありえないっスよ」としょっちゅう言われているが、それはそれで面倒なので結局そのままになっている。特に聞いている歌とかも今はないしな。まあ、今度設定しておこう(といつも思って結局設定し忘れたままなのだが)。ポケットから携帯を取り出す。折りたたみ式の、いわゆるガラケーというやつなのだが、その液晶に表示された時計は午後三時十四分を指していた。こんな中途半端な時間に掛けてくるのは、おそらくバイト先の誰かだろう。そう思って若干うんざりした気分になるが、電話に出ないともっと面倒なことになる。通話ボタンを押して電話に耳を押し当てた俺は、その予想が間違っていないことを知った。
「こんにちはぁー、元気ですかぁー?生きてますかぁー?澤城みいこですぅ。ボスが―――――あいたぁ、ひどいじゃないですかぁボ――――いや、言い間違えただけですって。叩かないでくださいよぉ、局長ぉ……」
「いいからさっさと本題に入れよ。」
聞くだけで脱力してしまうような、間延びしたしゃべり方。こんなやつは俺の知り合いには一人しかいない。澤城みいこ。俺のバイト先の後輩である。もっとも、後輩とはいっても単に澤城のほうが入ったのが後というだけであって、年は同じでむこうは正社員(?)というかそこに就職してるので立場は向こうのほうが上なんだが、未だに俺のことを先輩と呼ぶ変なやつだ。
「わかりましたぁー、ちゃんと連絡しますぅー。えっと、ボ、じゃなかった局長かられんらくでー、お掃除の時間だそうですよぉー。『ゴミは二つだ。てめぇら、さっさと回収して処分するぞ。処分してから回収でもいいが』だそうですぅー。」
相変わらず正義の味方らしからぬ表現を使うひとだ。そんなんだからボスだのと呼ばれるんだろう。
「あー、了解了解。ボス、じゃなかった局長にもすぐ行きます、って伝えといてくれ。」
ボス、と言った瞬間に背筋が凍るような感覚を覚えて慌てて言い直した。これがいわゆる殺気ってやつだろうか。電話越しだというのに、やはりいろいろ規格外な人である。
「了解しましたぁー、でわでわー。」
その間延びした挨拶を最後に、ぷつりと電話は切れた。さて、それじゃあ、局長にしかられないうちにいこうかね、と思って電話をポケットにしまった俺は、後ろから視線を感じて振り返った。
そこには怨念のこもった目で俺のことをにらむ後輩の姿が。いや、何でだよ。
「信じてたのに」
「は?」
「先輩だけは、彼女ができたりしないって信じてたっスよ!それなのに!」
「いやいや落ち着けよ、そんなんじゃねって。」
「でも明らかに女の子の声だったっスよ!?」
……まあそれは事実だからなんとも否定しづらいが。それでも彼女じゃない。いや、見た目はともかく頭ん中はぶっ飛んでるから、付き合いたいとか思わねえよ。それこそ条ヶ崎と同じタイプだ。別にBL系に興味があるやつではないが。
「ただのバイトの後輩だよ。別に彼女とかじゃねえって。」
「バイトの後輩!ギャルゲーならばっちり攻略ポジションじゃないっスか!」
「お前まで現実と空想をごっちゃにしてんじゃねぇよ。てかお前にもいるだろうが、『サークルの先輩』っていういかにもな人物が。」
「セーア先輩は正直性格が……ひっ!」
横に視線の向けると、条ヶ崎が笑いながら拓也をにらみつけるという実に器用なことをしていた。というか器用すぎてかなり不気味だ。
「なるほどなるほど。君はそんな目でボクを見ていたわけか。」
「い、いや、言葉のあやというか、でも実際……」
おびえて後ずさる拓也を、条ヶ崎はゆっくりと壁際に追い詰めていく。……今のうちにバイトに出かけるとするか。
「これはお仕置きが必要だね。」
「ちょ、ちょっとまってくださいっス。話せばわか、って進先輩は何逃げようとしてるんっスか!?助けてくださいよ!」
とうとう条ヶ崎に捕まってしまったようで首根っこをつかまれている拓也。
「わり、俺今からバイトだから。」
「そ、そんなぁ~。」
実際問題俺は何も悪くないのだから、こっちまで飛び火しないうちに退散するに限る。
じゃあな、と適当に手を振って部屋から出る。ぎしぎしときしむ外付けの金属の階段を通って道路に出る。そのころには、拓也の悲鳴が大きく響いていた。まったく、近所迷惑なやつらである。築何年か見当もつかないこのアパートじゃ、防音なんて概念がそもそもないだろうから隣にも相当響くだろうに。と、
「あれ、先輩はもう帰るんですか?」
まさに歩き出そうとした俺の目の前にはもう一人の後輩の姿が。名前は鳥羽美咲。拓也、条ヶ崎と何故か奇抜な人間の多い俺の友好関係の中でも珍しくまともな人間である。というか俺自身も少々一般的な大学生とは言いがたいため、この面子の中では唯一の常識人であるとも言える。肩でそろえた黒髪に茶色を基調とした、少々おとなし目ではあるが、いかにも普通の女子大生らしい服装をしている。とはいえ格好だけで言ったら条ヶ崎と拓也も特に問題はないんだが。
「ああ、俺は今からバイトだからな。」
「そうですか、お疲れ様です。」
「あー、今は入んないほうがいいかも。またいつものように拓也が条ヶ崎にお仕置きされてるとこだからな。」
「なるほど、それなら少しだけ時間を潰してからまた来る事にします。」
少し考えたあとぺこりと頭を下げて踵を返す鳥羽。こういうまじめなやつだから、拓也と条ヶ崎のごたごたに巻き込まれるのは辛かろう。しかし、ほんとに俺らの中じゃいい意味で一番浮いてるやつだよな。いや、普通なら止めに入るところをスルーしていくのはある意味あいつらに毒されてきてるのか?
「ま、出会って間もない人間についてこれ以上考えてても仕方ないか。」
何しろまだ二ヶ月程度の付き合いだ。これから分かってくることもあるだろう。
「……っと、それより早く行かねぇとボスになんて言われるかわかんねぇな。」
文句を言われるだけならましだが、あの人を怒らせるとマジでやばい。実際キレたあの人にぶっとばされる人間を何人も間近で見てきてるから洒落にならない。怖いってわけじゃないが、流石にこの年で生死の境を彷徨うような経験はそう何度もしたくないしな。
時折響く拓也の悲鳴に背を向けて(いったいいつまでお仕置きとやらをしているんだろうか)、初夏の日差しの照りつける中をバイト先に向かって歩き出した。その足取りがやや重いのは、暑さのせいもあるがまあ不本意なバイトを強いられているせいもあるだろう。給料はいいし、俺にとってはそれ以外にも別のメリットはあるが、そもそも我らがボスさえいなければそれはどうでもいいことだしなぁ。
「ま、今日もがんばってきますかね。」
人間メシを食わなきゃ生きていけないしな。そんなわけで俺はゆっくりと町の中央に向かって歩き始めた。