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エピローグ


「ちょっとお兄ちゃん!」

「え?」


 眠気眼をこすりながら俺は懐かしい声に目を開ける。


「なんでトイレなんかで寝てるのよ!」


 周りを見回すと、人だかりができていた。その瞬間に、俺は我に帰る。


「客船……に戻ってきたのか?」


「お兄ちゃん、びっくりしたんだから! トイレで倒れてる人がいるって聞いて、寝ぼけたお兄ちゃんがトイレから帰ってこないからもしかしてと思って来てみたらやっぱり!」


 あ、ああ。俺は寝ぼけながらトイレに行ってたことになってるのか。いや、待て。もしかして今までの事、全部夢だったのか?

 俺は上体を起こそうと、手をついた。


「いっっ……」


 その瞬間に胸に痛みが走る。あれ? いや、これは夢じゃない。


「どうしたの? どこか打った?」


 妹が心配してくるのがわかる。これはもしかして、と思いもう一度、深呼吸してみる。


「いってぇ……」


 やっぱり夢じゃない。肋骨にひびが入ってる証拠だ。


「転んだ時に胸を打ったみたいだなぁ」


 とか、なんとか適当な事を言ってみる。客船のスタッフらしき人と、どうやら客船内で集められた医者らしき人が色々と聞いてくるが、とりあえず寝ぼけたふりだけしといた。

 そうこうしているうちに俺が起きたことで、人貯まりは徐々になくなっていく。

 スタッフにも医者にも、妹にも特に問題がない事を説明しているうちに、俺はふと、視界の端に綺麗な女性が映った事に気付く。

 え?

 違和感と共にもう一度見るが、そこに姿はない。俺は周りの制止も聞かずに慌ててトイレから出ると、廊下にその姿があった。


「ちょっと君! 安静にしてないと……」


 追いかけてきた医者の声なんか耳に入っても来なかった。


「アロン? アロンなのか?」


 俺は茫然と立ちながらそう放つ。そうするとその女性はにこりと笑った。


「そう、勇人、私はアロンよ。でも地球こっちでは、アンと名乗ることにしたの。だから……」


 彼女は……成長していた。ますます拍車をかけて綺麗になっていた。黒く長い髪は健在で、その凛とした佇まいも変わっていなかったが、どこか大人びていた。


「びっくりするのも無理ないね。あれから三年は経ってるよ」


 そう言って、彼女の後方から現れたのは……。


「ベル!」

「ああ、そうだよ。まあこっちだと、鳴子なるこだけどね」


 俺が二人に駆け寄る。俺の後ろでは何が起きてるのかと話し合う声が聞こえたが、そんなことどうでもよかった。


「三年って、どういうことだ」

「三年かけて、転送装置を復元したんだよ。それで別れ際に勇人に言っただろう? 覚えてるかい」


 ベル……いや、鳴子がそう言ってウインクをしてくる。


『転送装置はきっとまたできる。その時はアロンの保護者として地球に行くから楽しみにしてな』


 そう耳打ちした鳴子の言葉を俺は思い出す。本当に実現するとは思ってもいなかった。


「私達は、少し裏技は使わせてもらったけど、今は地球人として生活しているの。大学にも入ったわよ?」

「え? え?」

「今は勇人。貴方と同じ二十歳になったわ。大学はまだ一年生だけどね。そしてやっと今日この日を迎えたの」


 彼女はそれだけ言うと、何か言いたそうにして、手をもじもじとさせている。それを見て、鳴子はアロン――杏の背中をとんと押した。


「ずっと話したかったんだろう。地球に来てからずっと。我慢する必要はもうないんだよ」

「どういうことだ?」


 俺が杏の目をじっと見つめると、彼女は俺の手を取って、笑いかけてくる。


「貴方が、三年前の私達に会うのを待っていたの。でないと、歴史が変わってしまうから」


 それだけ言って、彼女が俺に抱きついてきた。ふわりとシャンプーのいい匂いが鼻を刺激する。

 と、俺は、我に返った。


「ちょ、ちょっと待って」


 杏を引き離すと、俺は振り返る。そこにはもう客船のスタッフと医者はおらず、呆れかえった妹の姿だけがあった。


「で? もういいかな? お兄ちゃん?」

「え、あ、ええと」

「その人誰なの? 彼女? そんな綺麗な人が?」


 ジト目で怪訝そうに杏を見る。


「あ、ええと。杏、こいつは俺の妹で亜矢って言うんだ。亜矢、この人は杏と言って、えっと……」


 俺がなんて紹介しようか悩んでいると、杏が前に出て、妹に手を差し出す。


「こんにちは。亜矢さん。勇人君の彼女の杏です。よろしくね」


 何の悪気もなく、杏はそう言って握手を求める。

 しまったと思うには遅かった。妹は結構なブラコンなんだよな……。

 案の定、そいつはその差し出された手を握らずに、むすっとしている。いつもなら、帰る! と言いだしそうなところだが、何せ船の上だ。行く先がない。


「お兄ちゃんに相応しい人かどうか、私が見極めてあげるよ。お兄ちゃん」


 そう言って腕を取られる。杏はそれを見てくすくすと笑った。


「な、何がおかしいのよ」

「いいえ、可愛い妹さんだな、って」


 お。妹の様子が……。

 妹はみるみるうちに赤面してく。それから何がぶつぶつと呟き、顔を上げた。


「そ、そんなお世辞効かないんだから!」


 それだけ言うと妹は腕を解き、俺達に背を向ける。


「いい? ちょっとだけだからね! お兄ちゃんも後でじっくり話聞くんだから!」


 妹の姿が見えなくなると、気付けば鳴子の姿もなく、俺と杏、二人きりだった。


「なんかごめんな。再会がこんなんになっちまって」


 俺が頭を掻いてると、杏が顔を覗き込んでくる。


「いいのよ。こんな小さな事。問題でもないわ」

「だと良いんだけど」


 彼女はくすくすと笑った。表情が三年前と比べてかなり柔らかくなっているのもわかる。


「なあ、あれからどうなったんだ?」

「そうね……身分制度は廃止。貴族達には処罰。私達には住む場所と仕事や学校を。養子に出されたり、引退者達が親代わりになったり。凄く住みやすくなったわ」

「そうか……それでも来てくれたのか」

「ええ。一年に一度は空球むこうに戻れるように手配してくれるのよ? 本当は皆も来たがってたけど、まだそのためのエネルギーが貯まってなくてね……そのうち遊びに空球にも行きましょう」


 それだけ言うと、杏は黙る。どうした、と声をかけると、彼女はにこりと笑った。


「貴方にとっては今日の事でも、私にとっては、三年前の事なの。どんな気持ちかわかるかしら?」


 そう言って、杏は、俺の手を握り締め、軽く唇にキスをしてくる。その唇がわずかだが、震えている事に俺は気付いた。


「杏?」

「緊張、してるの」


 嬉しくて、と彼女は付け加える。

 俺はその姿を見て、思わず強く抱きしめた。


「もう離れる必要はないんだよな?」

「ないわ」

「そっか」


 俺は腕を緩めると、もう一度自分から彼女にキスをした。

 これで、幸せに――


「お兄ちゃん!」


 はっとして横を見ると手に水の入ったコップを二つ持って震えている妹がそこに立っていた。


「そこまでしていいなんて! 言ってないんだから!」


 その後、俺は水を引っかけられて、妹をなだめるのに時間がかかりましたとさ。

 まあでも、悪くないな。こういう生活も。

 これにて、俺のけしからん二週間に幕を閉じる。続きはそのうちまたどこかで――






END


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