ラストディナー その4
『ラストディナー』直前。
それまで準備で追われていた彼女達もアロンの部屋でふっと一息ついていた。たった一日と少しでやれることをやったのだ。疲れていてもおかしくなかった。
それでも彼女達の表情は明るい。
同じ方向へ向かって進んでいる。それが確かに感じとれた。
「勇人様」
俺が壁に寄り掛かってその様子を見ていると、鈴が俺の下へと歩いてきた。
「ありがとうございます」
「え?」
「皆がこうして一つになれたのも勇人様が来てからなんです」
鈴はアロン達の方を軽く横目で見ると、その談笑している声を聞いて、くすりと笑う。
久々に鈴の笑った顔を見た気がした。ここのところ鈴の小難しい顔しか見てなかったからな。
「私も、頑張ります。皆のために」
鈴は昨日からずっと手にしている紙の束を見つめる。
「ああ、鈴ならできるさ」
俺も自然と笑う。本当ならこの可愛い天使を撫でてやりたいところなんだが、ここはぐっと我慢だ。明日……明日になれば全てが変わるんだ。
「頑張ろうな」
俺もアロン達に目をやった。
変える。変えてやる。全てを――
ラストディナーは最初からざわついたものになっていた。引退者達がぞろぞろと姿を現したからだ。中には、杖をつきながら、車椅子に乗りながら参加する者もいた。
現役者にとって無理もない反応だった。毎年姿を現す者なんてほんの一部なのだ。
その反応に、いずらそうにする引退者もいなくはなかった。
俺達が挨拶のために彼女達に近づいていくと会場にあの人の声が響いた。
「皆、大丈夫。あと少しだ。少しで全てが変わるんだよ」
彼女達の不安をかき消すように声をかけたのはいうまでもなくベルだった。彼女が声をかけると、いくらか引退者にも余裕が見られる。彼女のカリスマ性はここぞとばかりに発揮されている。
「こんにちは。来てくれたんですね」
アロンが声をかけた。俺と、あゆむ、ゆきなもベルの下に到着するとお辞儀をした。どうにもベルにはこうしなきゃいけない雰囲気がある。偉大で、それでもって敬意を示すに値する、そんな人だ。
俺とアロン以外は初対面なのでそれぞれ自己紹介と挨拶をかわした。
「ああ。招待ありがとう」
ベルは気にもかけずに笑いかけてくる。
「それにしても私も久々だからね。こんなに賑わっていたかね」
「今夜は特別です。特に力を入れて準備しましたから」
アロンが答えると、皆同じく頷く。
「それで、私は他に何かすることあるかい?」
ベルは俺達が言おうとしていた事を先に聞いてきたのでゆきなが一歩前に出る。それからベルの前でもう一度お辞儀をすると、マイクを手渡した。
「引退者からの挨拶をお願いできますか」
「それはいいけど何も考えてきてないよ」
ベルは突然のそれに苦笑を浮かべる。しかしゆきなは首をゆっくりと横に振る。
「大丈夫です。引退者の方々が思っている事、これからどうしたいかを話していただければ」
「そうかい、ならやろうかねえ」
ゆきながまたゆっくりとした動作でお辞儀をした。
と、その直後だ。辺りの電気が消えた。かと、思うと用意した簡易ステージにライトが当たる。
そこには鈴が立っていた。彼女はマイクを手に、そしてにっこりと笑う。
「ラストディナーへようこそ。明日は私達にとって転機になります」
始まりの挨拶だ。
頑張れよ、と心の中でひそかに俺は応援する。
「明日は新たな聖女子を迎える事になります。そして、新たな生命の誕生です」
鈴はここで言葉を止める。そして息を吸いこみ、作っていた笑顔も崩し、
「……今まではそうでした」
と続けた。
この言葉に先程まで静けさに包まれていた会場もざわめいた。
「私達から、皆へ、伝えるべき事があります」
一言、また一言と言葉を紡ぐ鈴。俺達が知りうる事全てを、ここで明らかにする。
ざわつきは収まったが、一人一人の表情を伺うと明らかに動揺している者が多くいた。
さあ、鈴ここからだ。頑張れ。
「お願いがあります。皆さんの力を貸してください。この世界を終わらせるために」
口を開けて、ぽかんとする者がどれだけいたのだろうか。何を言っているんだ、と訝しげな顔をする者も少なくない。
そこで会場からは声が発せられる。
「鈴様! 何を言っているんですか! 私達の、反乱軍を抑制するという、セイントを守るという意思はどこへ行ったのですか!」
「そうです! 鈴様。私達を裏切るつもりですか」
声をあげた二人に顔を向けると、鈴は笑顔になる。
「アリーシャ、貴女の言うことは最もです。綾香、私は裏切るつもりはありません」
名前を呼ばれ、二人は唇を結んだ。
「アリーシャ、あなたは正義感に溢れる人です。けれど、それならば私達が本当に守るべきものは何か、もう一度考えてみてください。貴女ならわかるはずです。綾香、貴女はとても気の強い子です。けれど本当はとても弱いことも知っています。誰かが亡くなる度に、貴女は泣くのを我慢してましたね。そんな戦争をまだ続けますか」
そう、これだ。鈴が必死になってこの二日取り組んでいた事。それは『信者』達の顔と名前だけでなく、彼女達の趣味、思考、性格を理解することだった。そうして、彼女は一人一人、説得することにしたのだ。これで全てが上手くいくとは思わない。だが、そうすることができるのは鈴一人であったし、これが最も確率が高い方法であった。その労力は、考えるだけでも凄まじいものだ。
鈴は、ステージにマイクをゆっくりとおくと、その上から降りていく。そして一人一人声をかけて回った。
「エリーザ。貴女は以前とてもおいしいクッキーを焼いてくれましたね。あの味を私は忘れてません。外の世界へ出る事ができたら、是非お菓子屋さんを作ってくれませんか?」
『外の世界』へ出る事が、どれだけ彼女達の実力を発揮できるかを彼女は説明して回った。それは『夢』を持つ事を許されなかった彼女達には驚くべきことでもあった。
「愛理、そんなに怒らないで下さい。ごめんなさい、今日まで言わなくて。けれど戦争だけが貴女の力の発揮場所ではありません。大切な者のために力をいかんなく発揮する貴女は、きっと外の世界では立派なお嫁さんになれますよ。家族を作って、彼らを守ってあげて」
お嫁さん、この概念が元来彼女達にはなかった。
誰とも結ばれず、そして子供もできず、死んでいく。そういう選択しか彼女達にはなかったのだ。
鈴の一言一言に、感情が高まっていた信者達も、落ち着きを取り戻していく。けれども驚きはあるようだった。
そうこうしていくうちに鈴の周りには信者達が集まり始める。
「私は? 鈴様。私には何ができますか?」
そういった声を求める者も増えていった。鈴はそれを適当に返すことなく、きっちりと向き合い、そして丁寧に言葉を綴った。
「私にはできないわ」
その様子を俺の隣で見ていたアロンは苦笑して呟く。更にその横からベルが姿を現す。
「あの子は凄いね。あそこまで一人一人を理解しているなんて」
俺も頷く。鈴は元々面倒見のいい奴だ。俺がこの世界に来た時もそうだった。ああして、きっと彼女は一人ずつを理解していったのだろう。たった二日で五〇人もいるであろう信者達をここまでしっかり記憶することはできない。恐らくずっと以前から、彼女が思っていた事なのだろう。




