みんなと その1
俺はうつ伏せになって、枕を抱え込んでいた。
お咎めはなし。さも、楽しそうに俺にそうセイントは言った。
人が一人死んだところで、あれはセイントにとって娯楽でしかないんだ。
俺は寝返りをうつと、天井に手を掲げる。この手の中で、エマは死んでいった。未だにエマのぬくもりが残っている。
あれからエマを火葬した。立ちこめる煙の中で、すすり泣く声が聞こえた。どれほど彼女が慕われていたのか、改めて実感した。
これから俺はどうしたらいいんだろう。
命を犠牲にしてまで、俺はセイントから情報を手に入れる必要があったのだろうか。確かに情報は充分過ぎるほど重要なものだ。だけど、それとエマの命を引き換えにした。
『間違えるな勇人。悪いのは、勇人でもなく、アロン様でも、鈴さんでも、私達でもないんだ。忘れるな。本当の敵を』
火葬の後、そう去り際に放った、あゆむの言葉が耳に残っている。
「俺は、どうしたらいいんだ……」
部屋の中で、ただ一人、声に出して呟いてみる。掲げていた掌を握りしめ、そのまま腕で目元を覆った。もう涙は出ない。出ないけど、ずっと気持ちは重い。
頭の中が空っぽになっていた。考える、ということを放棄してしまったようだった。
そんな空っぽの頭に、ノックの音が響いた。トントン、と二回。黙っていると、またトントン、と扉を叩く音がする。
「勇人……入ってもいいかしら」
腕を退けて、俺はベッドに座った。
「ああ」
そう短く返すと、アロンが入ってくる。俺はそれを横目で確認すると、目を反らす。
「勇人。聞いてるわよね。聖女子が死んでしまった場合は、その前の聖女子が後を継ぐ事を」
「ああ、聞いている」
「儀式の時間よ」
俺は、その言葉に、俯いたまま目を見開いた。顔を上げると、アロンが無表情でそこに佇んでいる。まるで機械かのように、俺の頬に手を添え、そして軽く唇を重ねてきた。
儀式、だって?
「じゃあ、用はそれだけだから」
アロンは踵を返すと、俺に背を向けた。
「ちょっと、待てよ」
「……」
アロンは足を止める。
「こんな時に、儀式だって?」
俺は立ち上がって、アロンのすぐ後ろまで歩を進める。そうして、アロンの右腕をとると、こちらを向くように強要した。
「儀式なんて、ただのジンクスだろ」
「……」
「お前らは、どこまで馬鹿なんだよ。人が死んだんだぞ。お前らの友達が、死んだんだぞ」
「……」
珍しくアロンは何も反論してこない。ただその瞳には何も映ってないのがわかった。俺さえも今はアロンの眼中にはないようだ。目も合わせず、俺の腕を振りほどこうともせず、アロンは黙って立っていた。
このやりとり、そういえば以前にもあった。それも確かエマ絡みだった。その時も、アロンは同じようなことを言ったんだ。
ああ、こいつも、今――
ようやく、アロンの心中が理解できた俺は慌てて、腕を離す。
「わりぃ……」
「いいのよ。どうにかならないでいられるほうがおかしいわ」
それから俺ら二人の間に、しばらくの沈黙が訪れた。
お互いに何を考えているのかはわからない。わからないけれども、今二人の頭の中は真っ白なんだと、何故だかそう思えて仕方なかった。
「エマは……」
俺はその先の言葉を考えずにただ発した。何を考えているのか、自分でもいまいちわかってなかった。
「エマは、俺達を恨んでいたと思うか?」
驚いた。俺はそんなことを考えていたのか? 我ながら、アホなことを口走ったと思う。
「わからない」
アロンの答えは簡潔だった。そうだよな。そんなの、わかるわけがないんだ。もう本人はここにはいないんだ。
「ねえ、勇人」
ふと彼女の瞳に、俺が映ったのがわかる。俺は吸い込まれるようにして、その瞳を見返す。
「私も、反乱軍に入れて」
俺はその瞳に、光がわずかに宿ったようにみえた。だけど、すぐには反応できずに、「え?」と馬鹿な返事を返してしまう。
「聖女子が反乱軍なんておかしな話だと思うわよね……。でももう嫌なの。大切な人達を失うのを黙って受け入れていくなんて……」
「だからと言ってそんなこと……」
「聞いて。勇人。私が思っている事、全部」
そうしてアロンは一つ一つ語り出した。そうそれは、アロンが生贄だったときに遡る。
アロンは、ずっと聖男子に虐待を受けていた。殴られ、蹴られ、物を投げられ、手錠で繋がれ、何日も水しか与えられない日もあったという。唯一儀式のときだけは、執拗に彼女の唇を奪ったらしい。その聖男子にとって、アロンはおもちゃだった。
俺は初めて語られるその内容に、怒りを覚える。そんなことをする奴が男子側に?
俺がイラついているのを横目になおもアロンは話を進める。
そんな時に、交換祭を申し出る男が一人いた。アロンの事をずっと気にかけてくれて、時には助けてくれていた男だという。取り返しのつかないことになる前に、なんとかしたいと、交換祭の話を聖男子に振ったようだった。
聖男子はというと、最初は拒んだ。こんなおいしいおもちゃを手放すなんて、と言っていたらしい。けれども、執拗に申し出てくる男に、面倒になった聖男子は申し出を受けることにした。
かくして、交換祭は行われ、喜ばしい事に聖男子は交換となった。アロンにとっては地獄から天国になったという。優しくて、時々天然なその男子を、アロンが惚れていくまでに時間はかからなかった。
そこまで聞いて、怒りから、俺の心はほのかな嫉妬心が芽生える。しかし、それも束の間だった。
アロンが聖女子になって、しばらくして彼は戦争で死んだのだ。しかも、アロン自身が、その手で、短剣を貫いてしまったという。
男なら倒せるなら誰でもいい、とそう思って戦っていたのが仇になったと、アロンは呟く。貫いて、それが彼だと気付き、初めて我に戻った――
そこまで言って彼女は一息入れた。一度大きく深呼吸をして、俺をじっと見つめてくる。
「貴方にならわかるでしょう。『愛情』がなんなのか。それを知っている地球人の貴方なら」
ああ、充分にわかる。
もしも俺がこいつを自分の手で殺してしまったら……考えるだけでも気持ちが重くなる。
「私は、もう甘んじない。彼も……エマも……その死は無駄にはしたくない。今できる事をやらせてほしいの」
彼女は下唇をぐっと噛んだ。
俺はそれだけ聞いて、しばし黙り、頭をかいた。
「話はわかった……だけど、反乱軍に入るかは、俺が決めていい問題じゃないんだ」
それを聞いて落胆するかと思ったが、アロンはなおも姿勢を正したまま俺をじっと見つめてくる。
「もう反乱軍とは話をつけた」
「え?」
「あとは、貴方の、勇人の了解を得るだけよ」
俺は一瞬ぶっ倒れるんじゃないかと思った。まじか?
「ちなみに、勇人が部屋に引きこもっている間に、あゆむは反乱軍である事を公にしたわよ」
「は?!」
なんだって?? 俺のいない間になんてことになってたんだ。
頭を抱えそうになるのを抑えて、一見冷静を装う。
「そうしたら、エマの一件で反乱軍に入りたい人が沢山来たの」
中にはセイントの信者もいたという。セイントの信者である以上に、エマは彼女達にとってはもっと大きな存在だったというわけだ。
俺は寝耳に水の状態だった。同時に彼女達の強さを尊敬した。俺みたいにいつまでも、うじうじしているような奴はここにはいないのではなかろうか。
「で、勇人。私の参加を認めるの? そうでないの?」
ここまできてどうやって拒否できるだろうか。無理な話だ。俺は、苦笑を浮かべて、
「わかった。いいよ。入りな」
と呟いた。
彼女は表情を一変させてうっすらと微笑む。
「だけど条件がある」
俺はアロンの腕を引くとしっかりと抱きしめる。そう、もうこのぬくもりを決して、エマのようにはさせない。させるわけにはいかない。
「生きるんだ。絶対に」
ふふっ、と彼女が耳元で笑ったのがわかった。
「大丈夫よ。誰だと思っているの?」
それを聞いて、俺は彼女を解放する。約束だからな、と言うと、アロンはにっこりと笑った。その笑顔に俺は少し助けられた気がする。わずかに安堵して、前を向いた。
「そうと決まれば、皆に話しておきたい事があるんだ。『お茶会』に行こう」




